前編
桜の優しい色に包まれたこの季節に感じる胸の高鳴りを、世間は青春だと評するのだろうが、そんな陳腐な言葉で型にはめようとする人間と、私は絶対に分かり合えない。その人間の持ち合わせる過去や、思いを、大きな言葉一つでまとめるということが、どれほど暴力的なことなのか。分別のある人間なら、解説するまでもなく理解できるだろう。
高等部の入学式を本日迎えたばかりの、齢15歳の女が、こんな口調で伝統を否定することに対して、『教養』のある大人は決して黙ってはいられないことぐらい理解している。だがしかし、私は決して、生産性のないレスバをしたいわけでも、詩人や教育委員会に喧嘩を吹っ掛けたいわけでもない。
ただ、人の感情が色で見える自分が、「誰一人として同じ色は持っていない」と言っているのだから、そのまごうことなき事実だけを、認めて欲しいと言っているのだ。
大人という存在が、自分の見えるものしか認めたがらないというのは、たった数年の人生で重々承知しているので、実際にご覧にいれようか。うーん。そうだ、ちょうど人混みから少し離れた所に人間が二人いる。あそこの二人について解説してみよう。木陰に入り、サングラスをとって、一瞬集中して目をがっと開く。
右側の、スマホを握る女が感じているのは赤みの強いピンクブラウン。作るとすれば、喜び、安堵、期待の中に、ほんのひとつかみの哀れみ。さしずめ、中等部での仲良しグループの中で、誰か一人だけ他のクラスになったものの、自分が多数派に残れたことを噛みしめているといったところであろうか。
その横に立つ男は、頭の後ろで手を組み、使える全ての態度を駆使して『めんどくさい』という風を装ってはいるが、そいつが今持っている色は、女よりもずっと赤みの強いマゼンダ。興味をないふりをしながらも、チラチラと横の女を見ているところからも、気になっている女と同じクラスになった喜びを噛みしめ、はやくスマホから顔を上げてくれないかと待ち構えていると容易に推測ができる。
実際、女が顔を上げた瞬間、赤みが強くなり、何か言葉をかけていたが、女の中には少し黄みがかった色。『めんどくさい』が生まれただけだった。適当にあしらわれて、女がまたスマホに戻ろうとしたが、めげずに男は何か言葉をかける。
顔を上げた女が何かを話し、男が驚いたように何かを言い返すと、二人は向き合ってぷっと噴き出して笑い合った。
色々な色に隠れてはいるが、幸せの、桜色。意外と脈がないわけではないんだなと思いながら、微笑ましさに自分もつられて笑顔になった。
ふぃー。春休みは一人で家に篭りきりだったし、久しぶりにやったが、意外と感覚を忘れていなくて安心した。さて、じゃあ次。と言いたいところだが、あいにく私も自分のクラスを確認しにいかなくてはいけない。
あまり人混みは得意じゃないんだけどな。と思いつつも、サングラスをかけ直し、先ほどに比べると少し人の減ったクラス板に向かって足を進めた。
Bのクラスの下から二番目のところにあった、自分の名前だけを確認して、そそくさと人混みから抜ける。Bと言うことは、確か1階の、下駄箱の隣の隣のクラスだ。高校でも1年間はギリギリに通学できる生活が確約された喜びを噛みしめながら、鞄の中の広辞苑を取り出し、読み進めながらクラスの方へと足を向かわせた。
言葉を知るのは楽しいことだ。知ることで、その人間の感情をきちんと推し量ることができる。『楽しい』だって、『嬉しい』だって。形は似てこそあれども、誰一人として同じ感情を持ち合わせる人間はいない。
そう、この世界に、同じ色を持つ人間はいないのだ。
誰もが、真っ白なキャンバスの上に、様々な感情を乗せ、混ぜ合わせ、日々移ろう色と共に生きている。同じような感情を持った気になってグループを形成しても、そいつらが本当の意味で分かり合うなんてことは、何百年かかったって出来っこない。
だから、他人から何を言われたって平気だ。
「お前、根暗だよな。きめぇんだよ」
中等部で投げかけられた、そんな言葉が頭に浮かぶ。
サングラスをかけた目立つ容姿でありながら、一人で黙々と本と向き合う私という存在が気に入らなかったらしいが、その男子グループのメンバーは、全員が違う色を持っていた。
リーダー格は、ターゲットを見つけた喜びと、「言ってやったぞ」という高揚感を押さえられないような、赤とかオレンジみたいな暖色系。だが、後ろにいるのはめんどくさいの「黄色い色」や、心配の「青い色」。どうせこいつらが心配しているのは私の心ではないが、この先の学校生活を快適に送る為にも、一応返答してみる。
「不快にしたのならごめんなさい。今の段階であなた達からの発言を、先生に相談するつもりはないけれど。私は『こう』じゃないと生きられないの。許してもらえる?」
やっぱり、メンバーの間に流れる色が変わった。リーダーの色は、驚きを混ぜたように鮮やかさを失い、対照的に取り巻きの色は、寒色から、安堵と少しの興奮を混ぜたように明るさを増した。
きっと、思っていたのとは違うであろう反応に、全員が何を言えるでもなく、ただしんとした空気が流れる。
思わず鼻で笑ってしまった。
なんだ、こいつらはこんなことでしか分かり合えないのだ。
無垢な人間に、暴言を吐き、「自分たちの敵はこいつなのだから、こいつ以外は標的にするな」と言うルールの中でしか信頼関係を築くことができず、グループの頭に引っ張られてやりたくもないことやらなくては。自分の身の安全を、自分で保障することすらできないのだ。
そんなことを思うと、人間と言う存在が、可笑しくてたまらなかった。
「ふふふ」と小さく笑う私に
「なんだよ、きめーな。覚えとけよ」
とリーダーは吐き捨てて教室を飛び出していったが、私にとっては脅威でもなんでもなかった。
あの感じなら、数日でグループの中で形勢逆転が起こる。そうすれば、私になんてかまっている暇はないはずだ。
その予想通り、しばらくするとリーダー格はクラスで孤立し、教室の隅で薄く寒い色を発するようになっただけだった。
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そんな過去のことを思い出しながら教室に入ると、黒板に座席表が貼られていた。
出席番号が最後から2番目の私は、一番窓際の後ろから2番目の席。
誰のことも目に移さないように、下を向いて、ゆっくりと席に着く。
そう言えば、と黒板に書かれたタイムスケジュールを見ようと前を見ると、不意に2つ前に座る男の子が目に飛び込んできた。
え?驚きで、思わずサングラスをとるが、やっぱりそうだ。
この人には「色」がない。
真っ白だった。そんなことがあるのだろうか。嫌、そんなはずは……。
そんな風に固まっている自分なんか気にも留めないみたいに、廊下から誰かが彼の元へと駆けて来た。
「なぁ、ハヤテ!」
「おう、アツシ。おかえり」
そう言って笑う『ハヤテ』と呼ばれた男には、少し赤い「喜び」が生まれたが、しばらくすると自信なさげに引っ込んで、また白い色に戻ってしまう。
何なんだ、あの人間は。
こんなのは、15年生きて来た人生で初めてだった。
自分がおかしいのかと思い、教室にいる人間の顔を次から次に見ていくが、皆、何かしらの色をまとっている。
こいつは、なぜ何も感じない?
この時に抱いた感情が、好奇心なのか、畏怖なのか。
私には分からないが、「こいつについてもっと知りたい」と思うには、十分すぎる出会いだった。
長くなってしまったので分けました。
日付が変わった頃に後編も更新します。