恋愛偏差値ゼロでも、ホワイトデーは来る
三月に入ると、街のショーウィンドウは柔らかなパステルカラーに染まり始めた。
ホワイトデーが、すぐそこに迫っていた。
ある昼休み。営業フロアの会議室。
「で? ホワイトデー、どうすんの?」
吉村が優真に訊いたのは、バレンタインの翌週だった。
「……考えてる。でも、うまくできるかは自信ない」
「またマニュアル見てるのか?」
「いや……今回は、ちゃんと自分で考えたい」
吉村は満足そうにうなずいた。
「よしよし、成長したな。で、案は?」
「サプライズで、プレゼントと手紙を用意しようと思ってる」
「ほぉ、攻めるね。相手、あの怜さんだぞ? 理詰めの女がサプライズ好きとは思えんが……」
「……でも、俺の気持ちをちゃんと伝えるには、それくらいしないと」
自信なさげながらも、優真の目は真剣だった。
一方その頃、怜はというと──
「え、ホワイトデーにサプライズされるの、めっちゃ苦手なんだけど……」
となりでお茶を啜っていたさやが、思わず吹き出した。
「ちょ、怜、それ本人に言った?」
「言えるわけないじゃないですか。しかも優真さん、絶対なんか考えてそうな雰囲気だったし」
「いや~恋愛ってほんと面白いね。気を使ってるつもりで、ズレるんだもんなぁ」
「笑い事じゃありません……」
怜は頭を抱える。
「正直、気持ちだけで充分なんですよ。変に飾られると、どうしても身構えちゃう」
「でも、それってあなたが、慣れてないだけじゃない? 相手のまっすぐさも、時には受け止めないと」
「……そう、ですかね」
週末。優真は、表参道の雑貨店にいた。
(怜さんが好きそうなもの……)
店内を回りながら、彼は何度も手に取っては戻すを繰り返す。
悩みに悩んだ末、選んだのは──
シンプルなレザーのカードケースと、さりげない香りのハンドクリーム。
(使えるものがいいし、気を張らせすぎないものを……)
そして、便箋に書いた手紙には、こう綴った。
怜さんへ
バレンタイン、ありがとう。あの時もらった気持ち、ちゃんと受け止めたくて、今回は俺なりの答えを渡せたらと思いました。これからも、少しずつでも前に進めたら嬉しいです……また一緒に、味見してください。
朝比奈優真
日々は、ホワイトデーへと進んでいく。
サプライズが苦手な女と、サプライズを仕掛ける男。
ふたりの距離は、また少し、揺れ動き始める──
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三月十四日。ホワイトデー当日。
怜は朝から落ち着かなかった。
(……今日、何か来る気がする)
会社では何事もない顔で仕事をこなす彼女だったが、頭の片隅はずっと、ひとつのことを考えていた。
(優真さん、どうするんだろう)
サプライズは苦手。感情を揺さぶられるのが怖い。
でも──彼のまっすぐさだけは、否定できなかった。
午後三時。いつもの会議室に、怜は呼び出された。
「……え?」
中に入ると、そこには優真が立っていた。
テーブルの上には、小さな紙袋と封筒。
「ちょっとだけ、時間もらってもいいですか」
「……はい」
ぎこちないやりとり。けれど、ふたりの空気はどこか優しい。
「これ、ホワイトデーの……お返し。受け取ってくれる?」
怜は静かにうなずいた。
「ありがとうございます」
袋の中には、落ち着いた色のカードケースと、控えめな香りのハンドクリーム。
どちらも、怜の好みにぴたりと寄り添っていた。
そして──封筒の中には、手書きの手紙。
(……手紙なんて、久しぶりに読んだ)
丁寧な文字。言葉の端々に、彼の不器用なまっすぐが詰まっている。
読み終えたあと、怜は少し俯きながらつぶやいた。
「……優真さん、こういうの得意じゃないですよね?」
「うん。めちゃくちゃ緊張した」
「でも……」
彼女は顔を上げ、目を見て、はっきりと続けた。
「すごく、嬉しかったです」
優真の目が、驚きと安堵で緩んだ。
「サプライズ、苦手じゃなかった?」
「苦手です。でも、誰がしてくれるかで、変わるんだと思います」
彼女の口元に、かすかな笑みが浮かぶ。
ふたりで会議室を出る直前。
「……怜さん」
「はい?」
「もう少しだけ、俺のこと、味見してくれませんか?」
怜は一瞬目を見開いて──すぐ、ふっと笑った。
「それ、たぶん恋愛マニュアルには載ってませんよ」
「……載ってないよ。俺の本にも、たぶん君の本にも」
その言葉に、怜の瞳が少し揺れる。
「じゃあ──」
「ふたりの本を、これから一緒に書いていけたらいいなって、思ってます」
怜は、黙ってうなずいた。
ホワイトデー。
それは、ただのお返しではなく、ふたりの未来のはじまりだった。