恋愛上級者の罠、暴走する後輩
社内の空気がどこか浮ついていた。
四月も半ば、新年度の新入社員が配属され、会社は活気に満ちている。
そんな中、優真と怜の関係も、目に見えない小さな変化を始めていた。
ランチに一緒に行く回数が増え、仕事終わりに駅まで一緒に歩く姿も見かけられるようになった。
だが──その変化に、敏感に反応した人物がいた。
「えっ、えっ!? それってどういうことですかっ!?」
休憩室のドアを勢いよく開けたのは、後輩・山下奈々だった。
「優真さんが、桐谷さんと付き合ってるって、ほんとですか!? ほんとですか!? ほんっっっとに!?(重要なので3回)」
吉村がコーヒーをすすりながら、口角を上げる。
「ほらな、言った通りだろ。あのふたり、なんかあったって」
「そんなの、全然気づかなかったんですけど!? わたし、けっこう注意して見てたのにっ」
「お前、それ仕事中にめちゃ見てましたって自白してるぞ?」
「だって……っ、なんかモヤモヤするっ」
奈々はぷくっと頬をふくらませ、拳を握る。
(私が好きなのって、どう考えても優真さんの方なのに!)
天然かつ無自覚な想いが、ようやく自覚へと変わりつつある。
だが──それは、素直な想いというより、焦りと嫉妬に近かった。
その日の夕方。
怜は、奈々に休憩スペースへ呼び出された。
「桐谷さん、ちょっとだけいいですか」
「……はい?」
カップを持つ手を止め、怜は静かに奈々を見る。
「えっと……優真さんと、最近……仲良しですよね?」
「……まぁ、そうですね」
「わたし、正直、納得いってないんです」
その言葉に、怜は少しだけ目を細めた。
「……納得?」
「優真さんって、優しいし、人の気持ちにすぐ共感してくれるじゃないですか。だから、たぶん断れなかったんじゃないかなって」
「……つまり?」
「その……桐谷さんが押し切ったんじゃないかって」
一瞬、空気が凍った。
「……なるほど。あなたの中では、そう見えたんですね」
怜は、表情を変えずにそう返した。
「でも、私と優真さんは、互いにちゃんと話して決めました。お互いに努力して、不器用ながらも向き合ってるんです」
「……っ」
「あなたがどんな思いを抱いてるのかは知りません。でも、感情だけで誰かを否定するのは、ちょっと違うと思いますよ」
その言葉に、奈々の肩がぴくりと揺れた。
(……何この人。冷静なのに、全然ブレない)
その瞬間、奈々の中で何かが爆発した。
「……じゃあ、わたし、勝負します! 正々堂々!」
怜は目を瞬いた。
「勝負?」
「優真さんを奪うとかじゃなくて! わたしの気持ちをちゃんと伝えて、それで選んでもらいます!」
まるで部活の大会前みたいな顔で宣言する奈々に、怜は思わず苦笑を漏らした。
(……無邪気だけど、真っ直ぐ。でも──)
「その覚悟があるなら、私は止めません」
そして数日後。
奈々は、意を決して優真にこう言った。
「好きです! ……ずっと前から」
驚く優真。動揺する空気。
怜と優真の関係に、思わぬ揺さぶりが入った瞬間だった。
告白された――
突然の奈々の言葉に、優真は凍りついたように動けなかった。
「……え?」
とっさにそれしか返せなかった自分に、心の中で舌打ちする。
「ずっと、優真さんのこと、見てました。仕事に一生懸命で、誰にでも優しくて、ちょっと抜けてるけど、でもすごく誠実で……」
奈々の声は震えていた。
「わたし……ずっと、伝えたかったんです。でも、言えなかった。だけど今、言わなきゃって思って。だから……!」
――お願い、少しでも、振り向いて。
その目は、純粋で真っすぐで、だからこそ痛いほどだった。
「……ごめん、奈々ちゃん」
優真は、はっきりと、でもやわらかく言った。
「その気持ちは、すごく嬉しい。でも、俺……怜さんとちゃんと向き合うって決めたから」
奈々の顔から、すーっと血の気が引いていくのが分かった。
「……そっか」
ほんのわずかに、唇が震える。
「……やっぱり、桐谷さんのこと、好きなんですね」
うなずく優真を見て、奈々はふっと笑った。涙をこらえながら。
「なんででしょうね。わかってたはずなのに、信じたくなかったのかも」
そしてその夜。
ひとり残った奈々が、スマホを見つめていた。
画面には、未送信のままのメッセージ。
《ねえ、あの人ってほんとに恋愛偏差値ゼロなんですか? 私、どうもそうは思えないんですよね。》
送信相手の名前は――相沢さや。
一方その頃。
怜は、いつものカフェで優真と向かい合っていた。
「奈々ちゃんが……告白してきた?」
優真は、うなずきながら続ける。
「ちゃんと断った。でも、少し責めたくなった。俺、なんで気づけなかったんだろうって」
「それは、優真さんがやさしいからです。悪いことじゃありませんよ」
怜はそう言って、ふっと笑った。
「だけど、聞いてもらっていいですか? ……少し、怖かったです」
「……え?」
「選ばれるかもしれないって思ったんです。過去の私だったら、きっと逃げてた」
「でも、逃げなかった」
「……はい。今の私は、ちゃんと向き合えるって思えたから」
言葉が重なり、視線が交差する。
どちらかが強くなったのではない。
ただ少しずつ、寄り添える距離に近づいただけ。




