囁き声に気を付けろ
「ちょっと遅いんだよ!何してんだよ!」
「ごめんなさい…色々あって…。」
孫一から逃げ切った優真は屋上でたむろしている山河達に購入したパンを渡していた。
「僕のスケッチブックを返してよ…。」
「あ〜、これね。ほら。」
パンを受け取った山河達は興味ないとスケッチブックを放り投げ、優真は土埃を払い落としながら拾い上げる。
「じゃあ…もう、僕は帰るから。」
「今度は遅れるんじゃねぇぞ。」
パンを食べながらあっち行けと追い払う山河達だったが、優真は言われなくとも退散していくのだった。
「亜都優真ー!?」
「いっ!?」
ところが屋上へ続く階段を降りきった所で孫一が追い付き、踊り場の壁に手をついて優真を睨み付ける。
「はあ…はあ…見つけたわよ…!あんたよくもあたしに恥をかかせてくれたわね!?」
「ごめんなさい!?でもそんなつもりじゃ…!?」
「つもりがなくても恥かいたのよ!このインキュバス!」
「そのインキュバスって何ですか〜!?」
恥をかかせてしまったことは悪いとは思ったが、彼女の言う『インキュバス』と言うのが何なのかは分からなかった。
「あ…!チャイムが…ほら、もう授業が始まるよ!」
「…ちっ、あんた放課後は校門前に来なさい。絶対だからね。」
タイミングが悪いと舌打ちする孫一はそんな喧嘩の約束みたいな捨て台詞を吐いてその場を後にする。この様子だとそうしないと本気で何をされるか分からず震えが止まらなくなる。
「へぇ〜…あの子が…。」
しかしその場には優真と孫一しかいないと思われたが、その会話を聞いて微笑んでいる人物が一人いた。その人物は腰辺りから先端がハートの形をした尻尾を生やしていた。
「また逃げるなんてことはないでしょうね。まあ、校門前はあたしが見張ってるし、裏門はあいつらが…。」
放課後、約束の校門前で孫一は優真が来るのを待っていた。もしも来なかった場合は彼女の仲間が待ち伏せていると言う算段でまるで大捕物のような雰囲気だった。
「おい、神崎孫一先輩だぜ…。」
「珍しいなこんなところにいるなんて…。」
「誰かと待ち合わせ?」
クールビューティと言われている孫一だが、校門前で誰かと待ち合わせしている光景に下校途中の生徒達は物珍しそうに噂しながらチラチラと見てくる。
「でも知ってるか?孫一先輩が物凄い形相で生徒を追い回してたの。」
「でもってパンチラしとかって…。」
「俺は牛乳まみれになったって聞いたけど…。」
しかし何も良い噂だけではなかった。と言うのも優真を追いかけ回したことや、その過程で事故とは言え恥ずかしい場面を晒してしまったことで悪い噂も囁かれていた。
(…!亜都優真…絶対にとっ捕まえてやるんだから…!?)
「「「いっ…!?」」」
再び恥をかかされたことに怒りを募らせる孫一を見て、噂をしていた生徒達は聞こえてしまったかと慌てて口を閉じて早々と歩き去っていく。
「…遅い。いつまで学校にいるのよ。」
それから三十分くらいは経過しただろうか。ずっと待っているが一向に優真が現れる気配はなかった。
「…まさか…!?」
しかし孫一は現れないのではなく、既に姿を消したと考えて慌てて教室へと駆け込んでみる。
「ここに亜都優真はいる!?」
「え…亜都くんですか?それでしたら最後の授業の時に具合が悪いって言って保健室に…。」
急いで教室に駆け込んでそこの生徒に話を聞くも、最後の授業を途中で抜け出していたことが判明する。
「すみません!ここに亜都優真って生徒はいますか!?」
「神崎さん…?どうしたの慌てて?亜都くんはそこのベッドに寝ていますけど…。」
今度は保健室に駆け込んでそこにいた養護教諭の女性を驚かせるも、優真のいるベッドを確認してカーテンを無造作に開ける。
「ヤラれた…いなくなってる!?」
「あら、変ねぇ…いつの間に…。」
ベッドはもぬけの殻で窓が開け放たれていることからこっそりと窓から逃げたようだった。
「中々やってくれるじゃない…さすがは伊達に今まで逃げていた『夢魔』じゃないって訳ね…!」
放課後で待ち伏せされていると考えた優真は授業を抜け出し、授業が終わる寸前にこっそりと保健室から抜け出していたのだ。
「予定変更よ!例のインキュバス、既に学校の外よ!」
目をピクピクさせながら孫一は携帯で事の次第を話し計画の変更を伝える。
「ふう…何とか逃げ切れたみたい。」
まんまと孫一から逃げた優真は街へと降りていて、学校を見ながら帰宅していた。
「幾ら何でも男子寮にまでは来ないよね。」
この学校には寮があって男子寮と女子寮とで分かれている。そのため取り敢えずは男子寮まで行けば今日一日は大丈夫なはずだ。
「問題は明日からだけど…どうしよう…。」
今日は何とかなったが結局は問題の先延ばしに過ぎない。いつまでもあんな迫力満点の先輩から逃げ切れるとは思えなかった。
「そこのあなた!」
「え?僕?」
いきなり声を掛けられビクリとする優真。路地にはベールを被った女の占い師がいて優真を見ながら微笑んでいた。
「女の災難が出ていますね〜、それもクールビューティな女に!このままだとあなたはその女に酷い目に合わされ一生不幸になるでしょう〜!」
「…!?」
確かに孫一に追いかけ回されて散々な目に遭ったが、まるで見ていたかのような的確な占い内容に思わず釘付けになる優真。
「でも大丈夫!この水晶玉をよ〜く見てください!」
「…?」
怪しいがどうにも的確に占うため、思わず彼女の持つ水晶玉を覗き込む。
「それ!」
「うわっ!?」
ところが黒い外套を翻したと思ったら優真は路地裏に押し倒されてしまう。
「し〜…静かにして…。」
黒い外套が取り払われ彼女の全容が露わになる。成人女性かと思ったが、ウェーブロングにジト目のギャルっぽい少女だった。
「何その格好…寒くないの?」
「え〜?何?この格好見ても興奮しないんだぁ〜、お子ちゃまねぇ〜。」
しかし気になるのは彼女の格好なのだが、服らしい物は身に着けておらず、影のようなブラジャーとパンツを身に着けているだけと言う大胆を通り越して通報されそうな格好をしていたのだ。
「風邪を引きますよ?それに僕はそろそろ帰りたいんですけど…。」
明らかにヤバいと考えた優真は丁重にその場を後にしようと起き上がる。
「風邪なんて引かないわ…だってあなたと一緒だと身体が火照ってしょうがないのよぉ…♡だから帰っちゃダーメ♡」
「うわっ!?」
しかしその少女は優真を更に押し倒して抑え込み、飢えた野獣のような目付きで見つめていた。
「ううっ…?これは?」
「ひゃん!?そんなとこ握らないでぇ…!?」
苦し紛れに何か掴んだと思ったら細長くビチビチと優真の手の中で暴れていた。それに合わせて少女はビクンビクンと悶えていた。
「尻尾…?オモチャにしては動きがリアルだし、妙に温かい…?」
掴んだのは黒く細長い鞭のような尻尾で先端はハートの形をしていた。
「あたしの尻尾ぉ…握らないでぇ…!?」
「え…まさか生えてる…?」
最初はオモチャか何かかと思っていたが、優真の手にはリアルな感触が伝わり、悶える少女に合わせて暴れる尻尾は少女の腰へとずっと続いており本当に生えているようだった。
「ん…!?角…!?」
尻尾だけでも驚いたが少女の頭には螺旋状の溝がある捻れた角が生えており、そちらもオモチャや飾り物とは思えず少女の頭から生えているようだった。
「あなたは一体…!?」
見た目は人間のようだが、人間にはまず生えてこない尻尾と角を持つ少女に言いようのない恐怖が芽生えてしまい掴んだ尻尾を離してしまう。
「やってくれるじゃん…あたしの尻尾を掴んでくれてぇ…!」
しかし彼女はそんな恐怖心を嗅ぎつけたのか、尻尾を掴んだお返しと言わんばかりに多少怒りを孕んだ笑みを浮かべながら睨み付ける。
「まあ良いわ、あんたのイマナジーを空っぽになるまで吸ってあげるわ。」
「何をする気なの!?」
「何も憂慮する必要も怯えることもないわ。どうせ何も考えられなくなるほどに気持ち良くなるから…んぅ…♡」
「ひっ!?」
少女は優真の首筋を舐めたかと思えば口付けをしてくる。舌と唇の温かく柔らかい感触に優真は金縛りにあったように動けなくなる。
「んぅ…♡美味しい…やっぱりあなたはインキュバス…最高のイマナジーを持っているわね…。」
首筋から唇を離した少女は唇を舐め、満足そうな表情を浮かべていた。
「イマナジー…?」
「気にしないで…あなたはあたしに身を委ねれば良いの♡」
何を吸っているのかは分からなかったが、優真を差し置いて少女は再び首筋に口付けをして何かを吸い取る。
(き…気持ち良くて…力が抜ける…このままだと…どうなっちゃうの…。)
抵抗する力も意思も少女の口付けによって奪われていく。それだけでなく身体に電気が流れるような快感が走り立ち上がることも出来ず思考力すらも削がれていく。
「そのままあたしに身を委ねて…さあ…♡」
「ううっ…!?」
このまま優真の唇に口付けをして根こそぎ吸い取ろうとしてくる。このまま少女のなすがままにされると覚悟し目を瞑る。
「あう!?誰!?」
その時、弾丸が飛んできて少女の唇を掠めたために思わず仰け反る。
「インキュバスを探してたら…まさか『悪夢魔』を見つけるとは思わなかったわ!」
「孫一…先輩?」
弾丸が飛んできた先にはカウボーイのような格好をした孫一が立っていたのだ。
「…!『エクソシスター』!?ちっ!?」
「待ちなさい!悪夢魔!!」
少女はまだ物足りないが孫一を見て危険だと確信して、名残惜しそうにその場から逃げようとするが彼女の二丁拳銃が火を吹く。
「…逃げたわね。」
だが、先ほどの少女は煙のように姿を消しており孫一は銃を降ろすのだった。
「ほら、立てる?」
「…!」
力が抜けて立てないでいる優真に手を伸ばす孫一。唖然としていたがこれまでのこともあり思わず後退りをする。
「…確かに追いかけ回して悪かったわよ。でも、あたしはあんたを守りたくてあんなことをしたのよ。」
「守る…ため?」
「そう、あんたは狙われているの。だからそうなる前に守ろうとしていたのよ。」
あんなに追いかけ回したこともあって孫一は優真に謝罪すると同時に、何がしたくてあんなことをしたのか事情を説明する。
「狙われてるって…何で?」
「何でもよ。でも大丈夫、あたしらが守ってあげるから。ほら、立てる?」
「あ、はい…。」
穏やかな表情を浮かべるため安心した優真は伸ばされた手を握り締める。そして孫一はゆっくりと優真を立たせるのだった。
「ありがとうございます…孫一先輩。」
「どういたしまして。」
何よりも助けてくれたことは確かだし優真もお礼を述べ孫一もにこやかに返す。
「……あの、手を離しても…。」
「んー?」
しかし手を離そうとしている優真だが、孫一はニコニコしながら彼の手を握り続けていた。
「あの…えっと…?」
「これなーんだ?」
手を離さずニコニコしている孫一に困惑する優真だが、彼女は丸い木の枠で囲った網のような物を見せてくる。
「え…?」
「…にひっ!」
「うわああ!?」
それを優真のヘソに押し当てた途端に、彼は強い力で引っ張られる感覚に襲われ意識を手放しそうになる。
「…んえ…?何これ…ガラス?」
気が付くと優真の周りはガラスのような物で囲われており、あちこち触ってみると形状からして丸いビンのような形をした物体の中に彼は入っていた。
「あれ…周りの物ってこんなに大きかったっけ…。」
もっとおかしいのは周りにあったゴミ袋やダンボールなどが、小柄な体格とは言え遥かに自分よりも大きいことだった。
「優真く〜ん、捕まえた〜♪」
「うわあっ!?」
しかしながら更におかしなことが起きた。先輩故に身長差があるのはもちろんだが、今の孫一はまるで巨人サイズで優真はさしずめ捕食寸前の人間となった恐怖を味わう。
「ど〜う〜?あたしを散々引っ掻き回した上に恥をかかせたお仕置きは?」
「何で先輩がこんなに大きく…!?」
やっぱり根に持っていたらしく、何をしたかは不明だが孫一は優真を握り潰せるほどに巨大化していた。
「バカねぇ、あんたが小さくなってるのよ!」
しかしこれは孫一が巨大化したのではなく、優真が手のひらサイズになったからだった。
「な…何でこんなことを!?僕を守るって…。」
「確かにあんたを守るためよ。でも一応は捕獲して置かないとダメなのよ。」
「そ…そんな…誰かー!?」
真意は定かではないがどうやら口車に乗せられたらしく、孫一の良いように事を進められたと知って優真は必死に助けを求める。
「残念ね。こうやってバックに入れちゃえば…もうどうにもならいわよ!」
「そ…そんなぁ〜!?」
確かにこんなに小さくては幾ら叫んでも聞こえるかどうか分からないし、バックの中に入れられては外にまで届かないだろう。
「ほら、連行〜!」
「うわあ〜ん!?」
泣き喚くも無情にも孫一は手のひらサイズとなってビンに閉じ込められた優真を何処かへと連れて行くのだった。
「……。」
「着いたわよ。」
ビンに入れられて泣いたり喚いたりしたが、疲れ果てて眠ってしまった優真は孫一の声で目を覚ます。
「インキュバスを連れて来たわよ。」
「へぇー、これがインキュバス…。」
「ボクも初めて見たな。男の夢魔は。」
そこは生物実験室なのかフラスコや薬品などが多数置かれており、優真を物珍しそうに数人の男女が見ていた。
「あの…僕は一体…。」
「孫一ちゃん、もしかしてまた説明も無しに連れて来たの?」
「だってこいつ逃げるから…。」
セミロングヘアのフレンドリーな女子生徒が覚える優真を見て、孫一に悪い癖を出したのかと追求するが孫一本人らシレッとしていた。
「だからってそんなことしたら誤解を招くんじゃ…。」
「しょうがないでしょ、悪夢魔までいたんだから時間がなかったのよ。」
「悪夢魔か…いよいよ動き出したってことか。」
「あれ、大門先輩…?」
話し合いをする男女の中には優真と仲良くしてくれた大門もいたのだ。
「悪いな、ウチの神崎が色々迷惑を掛けてな。」
「あの…えっと…どうして…?」
彼は優真がビンの中に閉じ込められても平然としており、何か色々知っているのではと疑念を抱く。
「正直に言おう。俺はずっとお前を監視していたんだ。」
「監視…!?」
「お前が狙われるかもしれないと思って暫くの間な。」
なんと大門は優真が狙われていると知ってて密かに監視をしていたのだ。まさか仲良くしてくれると思っていたのは全て監視のためだったとショックを受ける優真。
「だが、お前との付き合いは楽しかった。友達としてな。それは間違いない。」
「…一体どう言うことなの?何がどうなって…?」
一気に色々あり過ぎて頭の回転が追いついていない優真。しかし何の因果で孫一やあの少女に襲われ、ビンの中に閉じ込められることになったのか知る必要があった。
「これはこれは…では私から説明しましょう!」
すると今度はポニーテールとメガネが特徴的なおっとりした女の先輩が話しかけてくる。
「あなたを襲ったのは『夢魔』。『夢魔界』と呼ばれる私達人間が住む世界とは別世界から来た存在です。」
「夢魔…夢魔界…?」
その先輩が言うには先程襲って来た少女は夢魔界と呼ばれる別世界から来た夢魔と呼ばれる存在だと言う。
「夢の悪魔とも呼ばれていて、サキュバスともインキュバスとも呼ばれています。」
「インキュバス…え、孫一先輩は僕のことをインキュバスって言っていけど…。」
夢魔のことをサキュバスやインキュバスと呼称しているのを知って、優真は孫一が仕切りに自分のことをインキュバスだと言っていたことを思い出す。
「単刀直入に言いましょう。あなたは人間ではなく…夢魔界から来た夢魔の一人、『インキュバス』なんですよ。」
知りたいと思っていたことはあまりにも衝撃的な内容だった。自分が人間だなんて疑いようのないことだと思っていたが、突如として自分が人間ではなく夢魔界と呼ばれる別世界から来た存在だと知り優真は言葉を失う。
「そして私達は…そんな夢魔から人間界を守る秘密組織『エクソシスター』です!」
更にその夢魔達から人間の世界を守る秘密組織だと自ら優真に明かすのだった。
「え…あ…う…!?」
「混乱してますねぇ〜。まあ、無理もありませんね。少し落ち着いてからまた話しましょうね?」
知りたいこととは言えさすがに頭がパンクしたらしく、受け入れ作業が終わるまで暫く休憩するのだった…。