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当日、やってきた馬車に見覚えがあった。あんないい馬、いい車、そうそう同じのはない。
降りて来たのはガリガリでも瓶底眼鏡でももさもさ頭でもなかった。侯爵家ご子息は、予想通りお医者様。正装し、夜会バージョンに近い凛々しいお姿。…あの絵姿は誰??
名前も知らなかったその人、フェルディナンド・ウルフスタン氏は不気味なほど愛想よく、変な草など入っていないバラだけの花束を私に渡してきた。
お見舞い…、じゃない、よね?
父母と共に縁談の申し込みに至った経緯を聞いた。
王城の騎士団所属の魔法医が本業?
王族の診療も担当してるって?? んぐっ!
王城の仕事がない時だけ街で医業を営んでいる? ただの趣味?
一目見てお嬢さんのことが気に入った???
いつの一目よ。 気に入ったのは私の鼻水であって、私じゃないでしょ!?
話の中で、私が宝石の姫だと知っていることを明かしてしまい、父はずいぶん警戒していたけれど、
「実は、こちら、私の枯れ草病を直してくださったお医者様で、鼻水が宝石にならない薬をくださったのもこの方で…」
と私が説明した途端、父母そろって安堵の顔を見せた。
「それなら安心してお任せできるな」
いや、それだけでそんなに簡単に決められても…。
「それじゃあ、若い二人でごゆっくり」
ニヤニヤ笑いながら両親はいなくなり、二人残された部屋。
互いに少し表情が緩んだ。けれど。
「本気ですかぁ?」
いかにも疑ってますというのがわかるように聞いてみたけれど、
「こんなチャンスを逃すほどバカじゃない」
と、にやり。
チャンスか。あれだけ「鼻から宝石」に興味津々だったもの。宝石の姫を手に入れるにはまたとないチャンスではあるけど。
…結局そっちよね。
「あの姿絵、何ですか? まるで別人だったんですけど」
「絵姿?」
「眼鏡かけてて、髪の毛もさもさで…」
「ああ、それなら入団一年目の俺だな。どっから引っ張り出してきたんだ? …またしょーもない嫌がらせしやがって…」
どなたが? お家の方が?? うちから断らせようと?? 侯爵家相手に姿絵見ただけで断る選択肢、ないんだけど。
「三男とは言え、侯爵家のご子息で王城務めともなれば、引く手数多でしょう?」
「うちは派閥争いの負け組だからな。親は有力な家に婿養子にでも出したかったみたいだが、無理強いするなら騎士団やめると言ったら、陛下が親父を止めてくれた」
陛下! それはバックが大物過ぎる。
「陛下の薬は俺にしか作れないからな。自分の縁談くらい、やりたいようにできるくらいのことはしてきた。心配はいらない」
アー、ソウデスカー。
お医者様は塗り薬の入った瓶を取り出した。縁談の席に持ってくるんだ…。
「新しい薬だ。少々魔法を使ったが、きっと気に入ってもらえると思う」
目をキラキラさせて薬を手渡された。せっかくなので早速鼻の中に軟膏をぬりぬりぬり…。お医者様だと思うと、人前で鼻に薬塗っても抵抗ないから不思議。
うん、使い心地は悪くない。
そこへ、にゅっと例の草の穂を目の前に突き出された。
当然、私の鼻は反応し、
「……ぶ、…ぶ、…ブワックション!」
勢いよく飛び出した鼻水が…、鼻水が…。
「成功だ!」
お医者様は嬉々として右側の鼻水を摘み取った。
ダイヤにはなった。だけどだらりとした棒状ではなく、くしゃみの勢いか、氷柱のように鋭く枝分かれして固まり、まるで小さな樹木のような…
もう一方の鼻からも同じ物が取れ、左右二つを合わせるとダイヤモンドのミニチュアの木ができあがった。キラキラと光って、とってもきれい。
「ほらほら、これならそのままでも充分美しいだろ」
ご満悦そう。…と言うことは、これが新薬の効果???
なんじゃこりゃ。これが一体何の役に…、ふ、…ふっふっ、…ふっ、
「ぶ、ぶえっくしょ!」
またしてもとげとげに吹き出す鼻水。それを見てお医者様は
「プッ」
と吹き出した。急ぎ近くにあった鏡に自分の顔を写すと、まるで鼻から透明な鼻毛が生えたみたいで…
「やだーっ! こんなの、絶対やだーっ!」
「か、かわいっ…」
腹を抱えて笑うお医者様っ、おのれー! 何がかわいいもんか!
「こんな人と婚約しなーい!」
泣いて訴えたけど、私がお医者様の実験動物になることは決定事項だった。
後から聞いたところでは、両親がお医者様からの申し出を受けた決め手は、
「おまえがあんなに楽しそうに誰かと話しているのを久々に聞いた」
からだそうで。
確かに、引きこもりになってから友達もいなかったけど、でも、あの人、私のこと好きなんじゃないよ。宝石を作れるこの鼻が気に入ってるだけだよ。搾取する気はなさそうだけど。
…なら、まだましか。
はぁ。
まだ鼻水を人に見られるのは怖いけど、よく効くフェルディ(お医者様からそう呼べと言われた)の薬のおかげで、ちょっとずつ外に出られるようになった。
診療の予約はなくても、週に二回は家を出て、診療所に足を向けている。
あのおばあさんがまた腰をさすりながら通院していて、フェルディの許可があれば再診の患者さんに限りお薬の配達をしてもいいことになった。その縁でおばあさんと仲良くなり、
「男心をつかむには胃袋からだよ!」
と配達ついでに時々料理を教えてもらうようになった。
フェルディは、その後も時々変な魔法薬を作っては私の鼻水を操り、変な形にして、右鼻と左鼻のダイヤを合わせて小さなオブジェを作るのを楽しんでいた。左右対称に成形するのは結構高度な技なんだそうだけど、どれくらいすごいのかは私にはわからない。そんなもんに魔法を使わなくても、もっと役に立つことに使えばいいのに。
樹から始まって、六面体、四角錐、球、イガグリ、花、ネコ、クマ、…
出来上がったものは診察室の机の上に並べられている。垂れ落ちた形のものよりずっと見栄えが良く、価値があるように見えるけど、診療所に元鼻水のオブジェなんか置いていいのかな。
「暮らしに困ったら売ればいいね。きっと高値が付くわ」
と軽い気持ちで言うと、
「大事なコレクションを売らなければいけないほど無能じゃない」
といつになく語気を強め、口をとんがらせて拗ねてしまった。
「これは、大事な物なんだ。大事な…」
そう繰り返す言葉に、自分のことを大事だと言われているようで、うっかり赤面してしまったら、
「…かわい」
ぼそりと呟いて、さっと目を逸らされたけど、今のは、私のこと、ですか?
申し出から一年後、私はフェルディと結婚することにした。
宝石狙いの夫だけど、宝石を大事にしてくれる人だから。
宝石と同じくらい、宝石の姫のことも。
お読みいただき、ありがとうございます。
いつもながら、気の向くまま、予告なくあちこち変更してます。
誤字ラ出現、ご容赦のほど。ご指摘ありがとうございます。
もう一話、おまけあり。