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両親と兄が乗ってきた馬車で待っていようと、うちの馬車を探していると、
「お疲れさん。家まで送ろう」
と声をかけてきた人がいた。
お医者様だ。丁度お礼も言いたかったので、お言葉に甘えて家まで送ってもらうことにした。
なかなかいい馬に、いい馬車。やっぱり良家のご子息、なんだろうな。普段は全然そんなふうには見えないけど。
「いいくしゃみだったな」
「おかげさま、で、…ふっ、ふぇっ」
くしゃみが出そうになり、慌ててハンカチで口元を押さえると、…あれ? なんか固い。
ゆっくりとハンカチを広げてみると、…鼻水がダイヤに戻ってる!
「な、なんで…」
「まあ、ここまでもったからよしとしよう。残りの薬、あるか?」
隠しポケットに忍ばせていた薬を取り出すと、お医者様は一旦全て受け取り、鼻水を止める薬は返してくれたけれど、鼻の入り口に塗った薬はそのまま没収されてしまった。
「それ…」
「悪いが、こっちは返してもらいたい。かなり貴重な素材を使っていてね」
え…?
「この瓶一本で家が建つ」
「え、それ、私、遠慮なく塗っちゃった…」
そんなの支払いできない…。うろたえる私に
「今回は俺が何も言わず渡したんだ。金は取らないよ」
笑顔でそう言われてほっとしたけど、そうと知っていれば返す前に少しもらっておけばよかった。
「これは魔法阻害薬だ。『宝石の姫』の力は魔法じゃないけど魔法に近いんだろうな。この薬を使えば鼻水の宝石化を止めることはできるようだが、鼻水で薬が流されてしまったんだろう。組織に浸透しないとなると、完全に止めるのは無理だな」
「そうなんだ。…やっぱり『宝石の姫』からは逃れられないのね…」
落ち込む私とは逆に、お医者様は口元を緩ませ、私の顎を持ってぐいっと持ち上げると、じっくりと鼻の穴を観察した。
「やはりポイントは鼻の入り口なんだよ。どうなってるんだろうなぁ。どこかに発動のきっかけが…。まだまだ治療の余地はあるな」
もはやぐいっをされても驚かない。見るなら見るがいい。私の鼻の穴ごとき。
お医者様は反対の手で髪に残っていたあの草の穂を抜き取ると、馬車の外にポイッと投げ捨てた。
化粧室で仕込んでいたのを忘れてた。それで今のくしゃみか。…自業自得。
「新しい薬を用意しよう。うん、いいのを作れそうだ」
「…お願いします」
もうしばらく通院は続きそう。
夜会の翌日には婚約はなかったことになっていた。
うちからは一切結婚の条件にしていないのに私が「宝石の姫」だと勝手に思い込み、治療を「契約違反」と言ったところで何の意味もない。
「ただ引きこもるだけのハナタレ娘などいらん」
「婚約しながら他の女と付き合っているような男など論外。今後家族ぐるみで一切付き合いはしない」
両家共にこの婚約を継続する意思はなく、互いに賠償請求もなく無事解消。めでたしめでたし。
…はぁ。
もちろん兄の悪事もばれたし、ばらした。
学生の身で賭博にはまり、借金を作った兄。妹の秘密を売り、結婚して家を離れた後も宝石をせしめようとしたことは両親の怒りを買った。
だけど父が兄への処罰を考えている間に学校から処分を下され、それで充分だと父は判断した。
兄は賭博に関わっていた学生数人と共に停学となり、学校長の知り合いの辺境伯直轄の軍隊に送られた。相当厳しいことで有名で、最低でも一年間は戻れない事になっている。レイモンド様も同じく軍隊送りになったと聞いたけど、つるんで悪さしないといいな。
二人とも私の鼻は治療済みだと思ったまま軍に行ったから、私がらみの企みはもうしないと思うけど。
アッカー子爵は学生に賭博を勧誘していたことを咎められ、王から罰金の処罰を受けた。更に賭博で稼いだ分の税金未払いを指摘され、払えなければ領地も爵位も没収と言われているらしい。
そんなに儲けていたようには見えなかったけど、さあどうなるんだか。
父は兄に家を継がせるのは諦めた、と言っていた。従兄弟が顔を見せるようになったので、恐らく家は従兄弟が継ぐのだろう。
引きこもるにも、ずっとこの家にいるわけにはいかない。
自力で生きよう。
早いうちにどこかに部屋でも借りて、鼻水ダイヤを売って一人慎ましくひっそりと暮らそう。
そう思っていたのだけど。
夜会の五日後、思いがけない所から縁談が舞い込んできた。
ウルフスタン侯爵家の三男、フェルディナンド・ウルフスタン、とやら。
父も母も面識はなく、もちろん私は全然知らない人。
王城の騎士団所属、年齢は私より七歳上。高収入、高身長、高爵位(親が)、モテる条件がそろった良物件が何故?
同封の姿絵は痩せてひょろひょろで瓶底眼鏡のもさもさ頭。絵なんだから、もう少しごまかせばいいのに。もしや本人は不良物件?
この前の夜会で例の騒動を見たらしく、婚約が破談になったのを聞きつけ、急ぎ申し込んできたという謎の展開。
急がなくても、私、目下バーゲンセール中の事故物件なんだけど。
侯爵家からの申し込みをそうやすやすと断ることはできず、とりあえず会うだけ会ってみることになった。