3
薬がなくなる前に予約をして、また診療所に行った。
「おかげさまで楽になりました」
お医者様は私の鼻の穴を広げて鼻水が出ていないのを確認すると、鼻の入り口近くをじっと観察し、器具の先で鼻の穴に沿うようにぐるりと広げた。
「この辺りがなぁ…、うーん」
そして謎の銀色の粉を小さな杓子で掬うと、うっすらと鼻の内側につけた。くしゃみが出そうになるのを必死に我慢していると、たらーっとひとすじの鼻水が垂れてきたのを感じた。
まずい、と思う私とは逆に、お医者様は目を爛々と輝かせて流れてくる鼻水を待っていた。わくわくしてやがる。
たらーーーり
鼻の穴を出た所でお医者様の目の前で固まった鼻水。
見られてしまった。
お医者様は私の鼻を解放し、鼻水ダイヤを指で拾い上げると光に透かした。
「水晶…、ダイヤか」
「そ、それは…」
「『宝石の姫』か。実物は初めて見たな」
知ってたー!
しげしげと鼻水ダイヤを見つめると、目の前で変化した元鼻水を自分の鼻に寄せてクンクンと匂った。放っておくと口にでも入れそうだ。ちょっとうえーっ。
「時々これが鼻に刺さるのか?」
もはやごまかしても無駄だろう。私はこくこくと頷いた。
「素晴らしいな!」
全然素晴らしいもんか!
爽やかな笑顔でダイヤを見つめながら、続いて顎をつかまれ、さらに鼻の穴の周りを観察された。鼻の穴を覘き込まれているのはわかっていても、近寄りすぎる顔に思わず体が後ろに傾く。近い近い近い!
「この辺りに妙な反応があるんだ。魔法か、…いや、近いが魔法ではないか。…通過した時点で物質が変化するのか、起点はこのあたり…」
「やめてください!」
私の叫びでちょっとだけ我に返ったお医者様は、顎から手を外すと自分の椅子に深く腰かけ直した。
「私は困ってるんです!」
「…宝石の姫が枯れ草病ではなあ。…鼻水の量は昔から多めだった?」
「最近です、こんなにひどくなったのは」
「季節によって出やすいとか」
「今までは、…あまり、…ありませんでした」
「最近誰かに『宝石の姫』であることを知られたとか?」
誰かに?
「…わかりません。ずっと家にいますけど、あれだけ鼻水が出てたら、誰かの目に留まった可能性も…、先生みたいに」
お医者様はポリポリと頭を掻きながら、
「もしかしたらと思いはしたが、まさか本物とは思わなくて…。いやあ、すごいなあ」
ちょっと反省したように見えたのもつかの間、にやけ顔で鼻を見てる。もしや「宝石の姫」のファンか? 処方された薬にも魔法薬が使われていたから、この人は幾分かの魔法を使えるのだろう。私は魔法使いじゃないし、魔力もないし、この鼻水には何のトリックもないんだけど、魔法使いにはそうは思ってもらえないかもしれない。変な人に知られてしまった。
「形も悪いし、場所も場所だし、こんなひょろ長く垂れ下がった形のダイヤなんて…」
思わず出た私の愚痴をスルーして、
「他にどんな宝石の姫がいるんだ? 知り合いとかいるか? よく言われてる『涙』とか」
物語で一番美しく語られるのは姉のような涙の姫だろう。しかしそんな話をしてると何だか話が長くなりそうでなので、
「…次の患者さんがお待ちですから。とりあえず、鼻水を押さえる薬をください」
と言うと、
「ちぇっ。仕方ねえな。前と同じ薬を出しておく」
お医者様は口をとんがらせながらさらさらと薬の処方箋を書いた。
「…この後、暇か?」
「はい?」
「是非宝石姫の話を聞かせてもらいたい」
「暇じゃないですぅ。ありがとうございましたぁー」
話も途中でさっと礼をして診察室を出た。
しかし、ここは診療所。彼のテリトリーだ。
いつまで経っても私の薬は出てこず、ずっと待っているうちに患者さんは誰もいなくなった。
ようやく薬を出してくれたけれど、持ってきたのはお医者様自身。白衣を脱いで私服に着替え、にこやかな笑顔で、
「じゃ、飯でも食いながら話を聞かせてもらおう」
と手を引かれた。
「男の方からの初のお誘いですね」
などと訳のわからないコメントを残し、メリーも後ろからついてきた。止める気はないらしい。
近くのレストランの個室でおいしいご飯を前に鼻水の話。自分以外の話は「聞いたところでは」とごまかしながらいくつか話はしたけれど、やはり受けがいいのは姉のように涙が滴形になるストーリー。そりゃそうだよね。宝石が生まれた段階で完成品で、美しくて、ロマンティックだもの。
話すほどに、やっぱり私は「宝石の姫」と呼ばれるには難がありすぎると思えた。
食事はおごってもらえ、半強制的に次の診察の予約時間まで告げられた。なかなか取れないはずの予約がその場で即座に取れたけれど、時間は診療の終わるギリギリの時間だった。
診察終了ギリギリ、つまり後に患者がいない時間が予約されたのは、予想通り「宝石の姫」関連の調査をするためだった。珍しい症例をじっくりと研究しようと、鼻水を止めること以上に宝石になる過程の分析に熱心だ。よほど好きなんだろう。
何度か目の前でダイヤを作らされ、ひょろひょろと歪んだダイヤを見ては嬉しそうにしているけど、帰りにはちゃんと全部返してくれた。ダイヤ目的ではないらしい。
「…サンプルがいるなら、一つなら差し上げます」
「ほんと? ありがとう!」
いい笑顔を見せ、宝物を見るように鼻水製ダイヤを喜ぶ男。虫を捕まえて喜んでいる子供と大差ない。
代わりにその日の治療費はただになり、この日も昼食をおごってもらえた。食事中のネタは鼻水だけど…。
もちろん、鼻水はちゃんと治まっている。そこは医者としての能力は認めなければいけないだろう。治まってはいても次回の予約は取られ、またしても診療の最後の時間だった。
この人、どんだけ「宝石の姫」に関心があるんだろう。まだ父母には他人に知られたことを話してはいないけど、特殊症例の観察材料として扱われていることなどあまり言いたくなかった。