1話 転生後──
──うん、私頑張るから。貴方の分まで幸せになるからね。だからシキマもきっと……
人間の国<アルトラル王国>の南西に位置する<カタリナ村>で、ギィーラは新たに人間としての生を授かった。
「生まれたにゃ。オスのガキだにゃ」
「あ、ありがとう……みゃーさん」
「獣人の出産と対して変わんないにゃ。普通にキモいにゃ」
「もう、名前は決めてあるの……キャビー。この子の名前は、キャビネット・クライン」
「美味そうな、変な名前にゃ」
キャビネットと名付けられた彼は、朦朧とする自分の意識に気付いた。まるで宙に浮いたような感覚は、やがて明確なものへと変貌する。
重たい瞼が持ち上げる。彼の眼に初めて光が取り込まれた。
色鮮やかな景色。暖かな日差し。覗き込む女の顔。
それに角や鱗などはなく、雪のように白い肌をしている。白銀の髪が川面のように揺れて、彼の頬を擽った。
「私はファイ。ファイ・クライン。貴方のお母さんよ」
彼女の青い瞳に映るは、同じく白銀の髪をした赤ん坊だった。紛れもなくそれは、人間の様相をしている。
本当に人間に生まれ変わったのだと、彼は改めて実感する。
転生の成功は、本来彼にとって喜ばしいことだ。しかし、その実不快感なる感情も心に芽生えていた。
これで名実共に、魔族ではなくなったのだ。
それは魔族にとって、そして誇り高い彼にとって、この上ない屈辱でしかない。
最後まで魔族として戦いたかった。
それが彼の本当の願いでもあった。
「それ以外に価値は無い」
「その為だけに存在が許されている」
父と母から頂いた言葉。それが妙に胸を燻っている。
しかし個の願いよりも、優先されるべき事項がある。キャビーは、魔王の所有物である。
託された使命に、全霊を持って全うする。
そう、その為だけに生まれたのだから。
彩られていく感情の訪れが、初めて実感する魔族とのギャップだった。
彼の目的は「人間の世界を内側から破壊し、疲弊させ、滅亡へ導くこと」。
最後は、王国を魔王に明け渡し、人知れず死んでいく。決して人間に転生したという不名誉は、魔族に知られてはならない。
定められた使命。存在を許されている唯一の理由。感情は律せねばならない。
魂だけは、魔族としてあり続けるのだ。
彼は強く心を統制し、魔王への忠誠を誓う。
そんな折、不意に何かが触れた。母親の人差し指だった。彼はそれを握り返してみる。
人間の彼女は、何故か笑顔を向けていた。
「ああ、本当に凄く小さいのね……人間の赤ちゃんって。なんて可愛いのかしら、えへへ」
ブツブツと独り言を呟き始める。
小さい、可愛い。
これらは魔族にとって、主に侮辱的な発言だ。キャビーは不快感を露わに、母親を睨み付ける。
「お母さんですよぉ〜」
まるで通じていなかった。
突然、バンッと扉が開かれた。
キャビーはあまりの音に驚いて眼を見開く。そして、自分の意思とは無関係に泣き出してしまった。
「おい、ガキが泣いたにゃ。静かにするにゃ! 一体誰にゃ」
窓辺に座った獣人の女が言う。
母親──ファイの家に入って来たのは、カタリナ村に住む男たちであった。
「ファイさんの子が生まれたって聞いて」
「ファイさん、大丈夫かい? 見舞いのフルーツを──」
「生まれた子供は──?」
「おい! ファイは出産したばかりで体力が低下してるにゃ。さっさと出て行くにゃ」
獣人の女は、入室して来た彼らに詰め寄る。
「か、顔だけでも──」
「そうだ! 少しくらい」
「見るくらい別に構わないだろ」
「父親でも無いのに、くそキモいにゃ」
「ほら出て行くにゃ」
獣人の女は、腰に付けたナイフを取り出すと、脅し掛けるように家から追い出す。
獣人共々、退室した。
──喧騒が止む。
ファイは、抱きかかえた赤ん坊を揺籠のように揺らし、あやしていた。
声を上げたのは、初めてだった。そんな我が子に安堵し、同時に喜びを感じる。
「ほーら、もう怖くないよぉ〜。ふふふ」
ファイの顔が近付けられた。
彼女の理解不能な行動に、キャビーの涙が引っ込む。
「良かったぁ。泣き止んだみたいね」
ニコリと微笑む。そんな彼女の顔に、彼は唾を吐き掛けた。
人間の顔があまりに近く、苛立ちを覚えたのだ。
「キャビーちゃん、くしゃみ!? あ、鼻水……直ぐに拭くからね」
そう言い、顔にタオルが当てられた。
取り敢えず、何も伝わっていない、ということをキャビーは理解する。
「はぁ〜、やっぱり生んでよかったなぁ。あの人も喜んでくれるかな。いつか会わせてあげたいな……でも、そうなったら私は──」
あの人とは、父親のことだろうか。
キャビーは思い立って周囲を見渡す。しかし、父親の姿は無かった。
今後、人間として生活する上で、親の存在は障害になり得るだろう。必要とあらば、殺害も視野に入れなければならない。
人間は雌雄揃わないと子を生めない。必ず何処かに居る筈だ。
しかし少なくとも、この場には居ないようだ。
すると、扉がもう一度開き、獣人の女が戻って来る。
「全く村の連中と来たら。お前らにチャンスは無いにゃ」
「ありがとう、みゃーさん。チャンスって何の話……?」
「どうせお前は馬鹿だから、気にする必要ないにゃ」
「ええ!? そんなぁ……」
「あんまりしつこいから、ナイフで刺しちゃったにゃ」
「ぅえっ!? そ、それ大丈夫……?」
「大丈夫にゃ。みゃーは治癒魔法が使える天才なのにゃ」
褐色の肌に、切長の眼をした彼女は、腰に手を当てて笑う。ファイは苦笑していた。
「というか、お前の夫は結局どうしたんにゃ」
言われ、ファイは困ったように眉を顰める。
「──あ、うん。あの人はほら、王都のお城の中に居るから。あんまり抜けられなくて……それにカタリナ村って、ちょっと特殊だしさ」
「だとしても一度くらい顔を見せた方がいいにゃ。じゃないと、ああして男が群がって来るにゃ」
「そ、そういうものなの……?」
「お前のその子供。生まれたての老人みたく白髪で良かったにゃ。凄くお前に似てるし……知ってるかにゃ? 村の女たちは、村の誰かとの間に出来た子供じゃないかと噂してるにゃ」
ファイは怪訝そうに聞き返す。
「そ、それ本当……? わ、私は決して誰とも──」
「みゃーはトッドとヤッてたらどうしようかと思ったけど、ガキを見る限り違いそうで安心したにゃ」
「えー、みゃーさんも疑ってたのぉ!?」
「盛り合うのは別に悪いことじゃないにゃ。みゃーはヤリまくりにゃ」
得意気に言う彼女に、ファイは呆れて嘆息する。
「大切に育てるにゃ。みゃーは子を生めないからにゃ」
「みゃーさん……うん。大切にするね」
ファイは、いつの間にか疲れて寝てしまった赤ん坊に眼を落とす。
夢にまで見た自分の子供。儚い命が今、腕の中にある。それは紛れもなく真実であるが、一方で非現実の最中に彼女の精神はあった。
孕んだ時から母親としての自覚は持っていたが──いざ母親になってみると、現実味が無かった。
これから母親としてやっていけるだろうか。希望と不安、その両方が彼女の心を燻るのだった。
『作者メモ』
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