月の愉悦
翅の上で歌が震えて響く。
月の女神は目を閉じてその旋律と、そこに含まれた全ての霊への祝福を聴いていた。
「女神様、あの娘は無事大公と出会えたようです」
眷属の精霊が嬉しそうにそう報告してくる。
「そうか」
女神はそれだけ答えると小さく微笑みを浮かべた。
全ての人の世の宗教は、意味を持って存在している。
そもそもの始まりは神に祈るためであった。
神と繋がるために、その力を持つ者に共同体の祈りを受け持たせる。
神官とはただの役割であり、共同体の分担作業のひとつであった。
だから、力ある魔女の祈りは神に届いた。
彼女が信仰する月の女神に。
だがその祈りはミルカの幸せを祈るものであったため、女神は積極的にミルカの人生に関わる事はできなかった。
ミルカの一族には強力な呪いがかかっていたために。
一族を不幸の中で苦しめ、その血を絶えさせる呪い。
それにより世界を呪っていまだ苦しみ続ける先祖とその業。
女神にはそれを癒すことはできなかった。
だが、ミルカはそれを知らないまま最善の選択をした。
宗教とは、人の魂を救うものである。
神を信じ、感謝を捧げ、そして死者の魂を救うための儀式を必ず神から与えられている。
知らずとも、その儀式を行う事で誰もが関わりのある死者を慰められるように。
そしてそれはそもそも儀式を通さずとも誰にでもできることなのだ。
ミルカはただ感謝し続けた。
未来の選択を、その結果を、それによって得られた知識を与えてくれた月の女神に。
感謝し、祈りを捧げ続けた。
そしてそれこそが、彼女を呪いから解放する力となったのだ。
神は己を信じ、感謝を捧げる者を幸福へと導く。
月の女神は、彼女を信仰して祈りと感謝を捧げるミルカを幸せにする権利を得た。
ミルカはただ毎日祈る。
感謝の祈りが月へと届く。
女神は、ミルカが幸福であるようほんの少し手助けするだけ。
ただそれだけのこと。
全てはただそれだけの事なのだ。
月は今日も皓々と輝く。
地上では、満開の花の下、恋人たちが再会を喜びあっていた。
太公領には、民を愛する領主がいる。
その妻は優しく穏やかで、夫を心から愛し支えているそうだ。
2人の子供たちはみな賢く誠実で、一族とその領地は長く繁栄したという。
ライラック・シャワーの花言葉は「月に祈りを」そして、「正しい選択」。
それは月を信仰する魔女の間では、有名な物語。
〜 完 〜
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