人は恐ろしい
泣きながら目を開けると、再び夜の湖だった。
「どうであった?」
女神の優しい声に、ミルカはその場にうずくまって泣き出した。
痛くて、恐ろしくて、腹立たしい。
なぜ自分があんな目に。
「人は恐ろしいです。もう誰とも関わりたくない」
「そうか」
ミルカが泣き止むと、女神は彼女をそっと抱きしめた。
「では次はそうするが良いよ」
光がミルカを包んで、そして次の瞬間、彼女は慣れ親しんだ森の魔女の家にいた。
ミルカは今度は、森の魔女として生きる事となった。
しばらくは、平穏な日々が続いた。
スズ森を守り、老婆の家のそばに立つライラック・シャワーの木が毎年花を咲かせるのを心待ちにする日々。
だが魔女を訪ねてくる者を全て拒んだ彼女は、10年後、二十歳になる前に、近くの町や村で流行した病の原因だとされて殺された。
次の人生で彼女は、森の薬師として人々に尽くした。
が、彼女はやり過ぎたのだろう。
若い女が森で1人暮らしをしているとなれば、良くない考えを抱く者もいる。薬師で金があるとなればなおさらだ。
デニシャール家は民に慕われる力ある魔女の存在を疎んじた。
両者の利益が一致した結果、この人生でも彼女はやはり二十歳になれず、やってきた強盗たちに全てを奪われ殺された。
人に尽くしても尽くさなくても変わらない。
人に尽くせば散々利用されるだけ。尽くさなければ目障りだと八つ当たりされる。
平和な、平凡な人生が欲しい。
そう願った彼女の次の人生は、とある村の入り口で始まった。
ライラック・シャワーの木がない、小さくも大きくもないその村で、しばらく生活するのに困らない程度のお金を持って、彼女は暮らすことにした。
宿屋で住み込みで働き始めた彼女は、歌を歌うこともなく、薬を作ることもなく、目立たないように、ただひたすらひっそりと生活する。若い娘らしい楽しみのひとつもなく。
その甲斐あってか顔見知り程度だが友人もでき、妻にと望んでくれる村の青年もいて、今度こそ静かに幸せに暮らせるのでは、そう思った矢先。
式の前日、夫となるはずの村の青年に恋人がいる事がわかった。
相手は村の酒場で働く酌婦の1人で、もともとミルカと付き合う前から交際していたのだという。
息子が酒場の女と付き合う事を良く思っていなかった両親が、デニシャール家で働いていた経歴のある、評判の良いミルカを妻にと考えたのがこの結婚話のきっかけだったそうだ。
家の事だけやってくれれば、妻の体裁だけ整えてくれればそれでいい。
そう言われて結婚したものの、毎夜出かける夫との間に子どもができるはずもなく、早く子どもを、と望む舅と姑に、ミルカは申し訳ない思いでいっぱいであった。
そして1年。
ここ数ヶ月は外出を禁じられていたミルカだが、ある夜、夫が恋人を連れて帰ってきた。
「赤ん坊が生まれたから、この子をお前と僕の子として育てたい」
何を言われたのか理解が追いつかないまま、夫はミルカの首を絞めた。
暴れないよう、女がミルカの腕を抑える。
「子どもがいれば、母親が必要だと周りを説得できる。お前には悪いが死んでもらう」
きっと最初からそのつもりだったのだろう。
他人の赤ん坊を育てる新しい妻など、なかなか見つからない。ならば多少傷のある経歴の娘でもいいと、周囲は認めてくれるだろう。
しかもその実、彼女が育てるのは自分の生んだ子。
きっと絵に描いたような幸せな家族ができるのだろう。
夫の恋人と目が合った。
憎しみに満ちた目。
「わたしの場所を返してもらうわ」
女はずっと不安だったのだ。
男に捨てられるのではないかと。だから、けしてミルカのほうに男の興味が行かないよう、本当の夫婦となる事がないよう必死で男を繋ぎ止めた。
そして今日、ミルカを殺す事で2人の絆はさらに深まる。
憎みたいのはわたしのほうだ。
そう考えたのがミルカの最後だった。