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歌と女神

 ミルカは夜、森の向こうの湖まで1人でやってきた。


 森を抜けるとそこは雪原となっている。


 この日は月の明るい晴れた夜で、雪に覆われた森にも関わらずなぜか凍えるような冷たさのない、そんな不思議な夜だった。


 足元は満月の光で照らされ、湖までの道は最近人が通ったばかりで雪が左右にかき分けられていて歩きやすい。

 空には輝く月と輝く紺の空。視界は一面の銀。

 恐ろしいほどに静かで、恐ろしいほどに美しい。それは人と関わりのない世界。

 こっそり持ち出したカンテラの灯りのオレンジが、紺と銀にきらめく世界の中でそこだけ切り取ったように人の世界を示していた。


 ミルカは1人、ゆっくりと湖へ向かう。


 スズ森に住む魔女たちは皆、死して湖へと葬られ、その魂はやがて湖に住まうものへと生まれ変わるのだという。

 この世にひとりぼっちとなってしまったような気持ちで、ミルカは凍りついた湖面に空けられた穴を探した。

 村人が老婆を湖に沈めた場所を。

 そこへたどり着けば老婆が迎えてくれるような、一緒に湖へと還れるような、そんな気がしていた。


 だが昨晩の寒さのせいか、湖はどこもかしこも鏡のように月の光を跳ね返して凍りつき、沈黙している。


 ミルカは湖のそばで膝をつくと、その凍った水面に手を触れた。

 少女の力ではヒビも入らないほどに固く、厚い氷の層がその冷たさで彼女を拒む。

 まだ寒い冬の中では、老婆に手向ける花は見つけられなかった。

 季節が違っていれば、老婆の好きなライラック・シャワーの木の花が家のそばで咲いていただろうに。

 ミルカは静かに泣いた。


 本当に1人になってしまった。

 もうこれから先、あの冷たい屋敷でずっと1人。


 ぽろぽろと涙をこぼしながら、ミルカは小さく歌い出した。


 それは老婆がいつも歌っていた歌だった。


 森を慰める歌。


 彼女は歌というものを老婆が歌うものしか知らなかった。

 他に誰もミルカに歌を歌ってくれる人はいなかったから。


 だから彼女は、葬送の歌でもなく、子守唄でもなく、恋の歌でもなく、魔女が歌う歌を歌った。

 それしか知らなかったから。


 森を慰める歌。

 水を愛おしむ歌。

 太陽を喜ぶ歌。


 そして、月の女神の歌。


 素朴な、短い単純な歌は、けれど様々な霊たちの心に届いて、癒しとなり、力となり、そして愛されて天へと届く翼を得た。


 それは、孤独な娘の悲しみや絶望に寄り添った霊たちの起こした奇跡だったのかもしれない。


 ミルカの歌は、高く高く昇っていって、天へ、宇宙(そら)へとたどり着き、月の精霊がその翅に乗せて女神の前へと差し出された。


 月の女神は、薄く透き通った翅の上で響く人の子の歌を大層お気に召された。


「この人の子の名を誰か知っているものはいるか?」


「ミルカと申します、女神様」


「ミルカ。ああ、ミルカか。その者なら知っておる」


 彼女を信仰する人の女が、祈りを捧げる中に何度も何度も出てきた名前だ。


 あまりに哀れだ、哀れだと嘆くので見てみたが、どうにもならない運命(さだめ)を背負った、業の塊のような娘だった。


 気づけば、精霊たちがみな何かを期待するように女神を見つめている。


 女神は苦笑して体を起こした。


「霊に尽くす声の持ち主というのは、人に愛されず、他者から軽んじられるばかりではあるが、こうして人の生に関われないはずの霊たちから神を動かす力を得られるのだから、悪いことばかりではないものよのう」


 女神は立ち上がると服の長い裾をさばく。


「ついて参れ。久々に地上へ降りるとしよう」











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