転生したら人間だった 〜お前達はまだ、真のドラゴンブレスを知らない〜
我の名は『バハムート』。
竜族の中でも珍しく、黒い鱗を持って生まれた。
その色は、選ばれし者の証。
生まれながらに約束された、絶対強者の証明。
我が一声あげれば、例え同じ竜族であろうと、その身を恐怖で震わせた。
自他ともに認める最強の竜――のはずだった。
どうやら我は少々、自身の力を過信していたらしい。
最後の瞬間、我の瞳に映ったのは、我に向かって剣を振り下ろす人間の姿。
――人間。奴らは狡猾だ。
我のような大きな生物に対して、群れを成す事で対抗してくる。
竜族の中にもいた。群れを作る者が。
だが我は違った。
我こそは、竜族の中でも選ばれた存在。
黒い鱗に身を包む者。
どんな敵にも一頭で立ち向かう、気高く誇り高き存在。
群れることでしか戦えないなど、下等な弱者である証拠。
人間など、その最たるものだ。
我の足元にも及ばない。
そう侮っていたのだが。
不覚。
そして、屈辱。
薄れゆく意識の中で思った。
もし生まれ変わったとしても、この誇りだけは失いたくない、と。
そして今――。
「今日は転校生を紹介しまーす。
馬葉くん。自己紹介してねー」
「む。『馬葉 夢人』だ。よろしく頼む」
――我はどうやら、人間に転生してしまったらしい。
***
最初こそ、転生なんてものがあるなんてと驚きもしたが、それはすぐに絶望へと変わった。
どうしてよりにもよって、忌々しい人間などに転生してしまったのだ。
正直、我が一番なりたくなった存在と言っても過言ではない。
だが中々どうして、この『地球』という惑星において、人間というのは都合が良い生き物で。
とりわけ、この『日本』という国は暮らしやすいと感じている。
食うものには困らないし、住む場所にも困らない。
カガクというもののおかげで、人間の天敵になるものも存在しない。
何も考えなくても、今日一日を生きていけるのだ。今のところは。
おそらく我が『バハムート』だった頃の世界とは違う世界なのだろう。
この世界で生きる上で、人間という生物は……まあ、悪くない。
ただ一点を除いて。
「ほら! パース!」
「うーい! ナイスパース!」
「や、やめてよー!」
放課後。
我の前で五人の男児が円を作り、一つの布袋を代わる代わる投げ合っている。
おそらくその布袋の中身は体操着だろう。
そしてその円の中心では、一人の男児が今にも泣き出しそうな顔でその布袋を追いかけている。
これは、あれだ。
所謂、いじめというやつだ。
群れの中で弱い者――いや、異端者とみなされたものが、他の大多数によって苦しめられるという、極めて不愉快な行為。
群れを作ることによる弊害、というやつなのだろうか。
……全く。
どんな世界でも、どんな種族でも、これだけは同じなのだな……。
転校早々、嫌なものを見た。
呆れた我は、目の前で行われている愚かな催し物から視線を外そうとした。
――ちょうどその時。
「ほら、転校生! パース!」
いじめている側の一人の男児が、我に向かってその布袋を放ってきた。
宙を舞う布袋。
我はそちらに体を向け直し、布袋をキャッチした。
そんな我の様子に、布袋を放ってきた男児は満足げな表情を浮かべる。
かと思えば、その向かいに立っていた別の男児が、我に向かって声を上げた。
「ナイスキャッチー! ほら! こっちこっち!」
投げ返せ、ということか。
おそらくこれは試されているのだろう。
見極めたいのだ。転校してきた我が、いじめに加担するのかどうかを。
……ふん。下らん。
我は布袋を、持ち主である男児の胸元に向かって、ぶっきらぼうに投げ渡した。
「え? あ、ありがと……」
いじめられていた男児は、我の行動が予想外だったらしい。
小さな声でそう呟くが、涙を浮かべた目元はそのままに口をぽかんと開けていた。
そんな彼の表情を横目に、我はその場を後にした。
その日を境に、彼がいじめられる事はなくなった。
***
ある日。
我はトイレの個室で、便器の中に浮かぶ布袋を見下ろしていた。
この布袋は、我の体操着が入った袋だ。
次の時間は体育。
机の横に掛けていたこの袋が見当たらなかった我は、皆が着替えている間に探し回っていたのだが……。
まさかと思いつつも、トイレを探してみたらこのザマだ。
我が転校してきたあの日から、いじめのターゲットは当たり前のように我に切り替わった。
だが、やはり奴らは下等生物らしい。
その知能に似つかわしく、やる事は下らない。
こんなもの、洗えばどうにでもなるではないか。
しかし、このびしょびしょに濡れた体操着を着て、次の体育の授業を受けるわけにもいかない。
我は仕方なく、着替える事なく校庭に出た。
「馬葉くん、どうしたの?
ダメじゃない、体操着に着替えて来なきゃ」
授業開始の鐘と共に現れた担任の教師。
その呑気な声に、我はむすっと不機嫌な顔を向けた。
「体操着、忘れちゃったの?」
忘れてなどいない。
何処ぞの馬鹿どもが、汚物の如く便器の中に放り込んでくれたのだ。
だが我は、その事実をそのまま伝える事はしなかった。
なんとなく、それすらも癪だったのだ。
少しだけ考えてから、我は重い口を開いた。
「……何か問題があるのか?」
我の言葉に、あからさまに疑問符を浮かべている教師。
しかし我は構わず続ける。
「皆と同じ格好でない事がそんなに問題なのか?
皆が体操着を着ていて、我だけが着ていない――そんな事はどうでも良いではないか」
周りの児童達もザワザワと騒ぎ出す。
その中には、先程までくすくすと笑っていた件の馬鹿どももいた。
そうだ。ちょうどいい。
ついでだから、お前らも聞け。
「我が体操着を着ていようが、着ていなかろうが。
私服だろうが、全裸だろうが。
……一人だけ黒い鱗で身を包んでいようが――。
そんな事はどうでもいい。
大切な事実はただ一つ。
我が体育の授業を受けるため、この場にいる。
ただそれだけだ。
そうだろう――教師?」
そしてどうだ、馬鹿どもめ。
我がいかに寛容かがわかったか。馬鹿どもめ。
もし我が並の竜だったなら。
お前らはとっくのとうに『ドラゴンブレス』に触れているところだぞ。この馬鹿どもめ。
なんて考えている我の前で、教師は困惑した表情を浮かべながら我に語りかける。
「……何を言ってるのかわからないけど、とりあえず今日は見学していなさい」
むう。話のわからぬ愚か者め。
……まあ致し方ない。我は賢いからな。
ここで教師に逆らう事に意味など無いことくらい、わかっている。
「あとね、馬葉くん。全裸はダメよ」
むう。全裸はダメか。
***
「お前、生意気なんだよー!」
その日の帰り道。
我の行手を阻むように立ちはだかる件の馬鹿どもは、下らない因縁をつけてきた。
きっと昼間の体操着の件で、思ったよりもピンピンしていた我の様子が気に食わなかったのだろう。
それにしても、言いがかりにも程がある。
我は何も悪い事はしていないではないか。
むしろ我から言わせれば、生意気なのはお前らの方だ。
握りしめた拳がわなわなと震える。
寛容な我だが、その我慢も限界に達しようとしていた。
……ついに我の『ドラゴンブレス』を見せる時が来たか。
――そんな時。
「やめろよ!」
不意に我の後方から、一人の男児の声が響き渡った。
その声の主は、我が転校して来た初日にこの馬鹿どもにいじめられていた男児であった。
彼は我の隣までやって来ると、目の前の馬鹿どもをキッと睨みつける。
普段の彼の様子からは考えられない程の強気な態度に、馬鹿どもは怯んでいた。
かくいう我も驚きを隠せなかった。
「……なぜ来たんだ?」
ぽつりと口をついて出た我の問いに、男児は目の前の馬鹿どもから目を離すことなく答える。
「……だって、馬葉くんは間違ってないんだよ!
さっきの体育の時間、馬葉くんは堂々としていて、とっても格好良かった。
だから僕も、堂々と胸を張って言いたいんだ。
『馬葉くんは間違ってないって思う、僕は間違ってない』って!」
その声は震えていた。
どうやら我はこの男児の事を見誤っていたらしい。
この男児――最高に『気高い』ではないか。
ククッと笑みが溢れる。
気付けば、我の怒りは収まっていた。
我は静かに、手にしていた布袋を前に掲げる。
「お前達、これが見えるか? 我の体操着袋だ。
トイレに突っ込まれていた、な。
今からこれを振り回しながら、そっちに行くぞ?
――準備はいいか?」
低い声で馬鹿どもにそう問いかける我。
一瞬の間を空けて、その言葉の意味を理解した馬鹿どもは、ハッと目を見開くと、散り散りになって逃げていった。
「うわー! きたねー!」
「やめろ、ばっちぃー!」
「うんこまーん!」
そうしてこの場に残ったのは、我と、我の隣に立ついじめられていた男児だけとなった。
ふと、隣から「……すごい……!」という呟きが聞こえたのでそちらを見やれば。
なんと隣の男児は、目を輝かせて我のことを見ているではないか。
やめろ。そんな目で我を見るな。
こんなもの、別にすごくない。むしろ屈辱的なことだ。
強がってはいたが、我だってこの袋をばっちぃと思っていたからこそ、この作戦を思いついたのだから。
***
いじめられていた男児は、名を『龍之介』というらしい。
実に男らしい、いい名ではないか。
あの日以来、我は龍之介と一緒にいることが多くなった。
そんな日々の中で思った。群れてみるのも悪くない、と。
あれからも、我に対するいじめは続いている。
だが不思議と、あの日ほどの怒りは込み上げてこない。
だからなんとかやって来れている。
それでもいつか。
どうしようもないほどの怒りが込み上げてきた時には。
その時は、我の真の『ドラゴンブレス』をお見舞いしてやろう。
その時が来たら、覚悟するが良い。
だからその時まで――。
お前達はまだ、真のドラゴンブレスを知らない。