第十話 紅蘭燃ゆ
「力! 坊! 敵襲だ!」
スパン! と襖を開き、侍っていた弟達に叫ぶ。
ウトウトしていたらしい弟達は文字通り飛び上がった。
「姉……兄上?」
「外見てこい! すぐに!!」
「「ハッ!!」」
バタバタと駆けていく二人。
すぐに反対側――庭側の雨戸を開ける。
「――なんで――」
夜空に星がまたたいているはずの空は、白々と明けようとしていた。
「今何時だ!?」
「空の感じから、おそらく明け方――卯の刻頃ね」
菊がオレの隣で空を見上げて判じる。
「なんで!? 『時間停止』の結界だったのに!」
結界を担当していた竹が取り乱している。
竹が部屋に張った結界は、空間を切り離し、中でどれだけ時間が経過しても結界を解いたときにはほんの少ししか時間が経っていないというもの。
オレ達がこの上様の部屋に入ったのは、日付が変わる前。
確かに部屋の中で戦い話をし、長時間経過していたが、結界を解いたらまだ日付が変わる前に戻るはずだ。
なのに、何故夜明け前になっている!?
「向こうにも術者がいたのね」
菊が黄金色の眼で周囲を調べている。
「この寺全域を結界で覆っている。
おそらくは、明智の進軍を気付かせないために。
いつも私達が使う時間停止の結界と逆の、結界の内部ではほんの数秒でも、外では何時間も経っている陣が組んであったみたい」
竹の時間停止の結界を解き、部屋に入る直後の時間に戻ったつもりだったが、寺全域にかけられた違う結界のせいで、戻ったつもりの時間軸は、何時間も経過した時点の時間軸に強制移動させられた。
ややこしいが、そういうことのようだ。
さらに術理無効だけでなく防音結界やら認識阻害結界やらの多重結界が展開されていると菊が説明する。
だから寺の中にいる者は誰も明智の軍勢が迫っていることに気付かなかった。気付けなかった。
もしかしたら、結界術に詳しい竹や黒陽なら、異変に気付けたかもしれない。
だが二人は自分の作った結界の中にいた。
竹の結界は強力で、外界と完全に切り離すから、別の結界が自分達を取り囲んでいるなんて気付かなかった。
菊がその竹と黒陽に、今現在展開されている結界を破壊できないかと話している。
菊の言葉を受けて二人がなにやら始めた。
菊と白露もなにやらやっている。
悔しそうに菊がうなる。
「この陣。高間原から私達を『落とした』陣と同じ系統だわ。
おそらくは『災禍』が手掛けたもの」
あのときも誰にもあの陣を破ることはできなかった。
つまり、菊達には解析不可能ということか?
そのとき。
ズダン!
銃声が響いた!
「――始まったか」
ボソリとおちた上様のつぶやきに、ハッと意識が切り替わる。
「――貴女様の『予言』どおりになりましたな」
ニヤリと嗤う上様に、菊は悔しそうだ。
おそらくは菊も、こんなに早く明智の軍勢が来るとは考えてもいなかったのだろう。
いや、明智がどう動くにしても、上様が夜のうちに本能寺を脱出していれば関係なかった。
竹の結界を解けば、外の世界はこの部屋に入ってすぐの時間――まだ日付は昨日だったはず。
それから脱出すれば、十分間に合ったはずだ。
それが、今こうして大軍に囲まれている。
明智の展開した結界のせいで、時間軸をズラされた。
音や気配を察知できなかった。
脱出する間を奪われた。
オレが『地球儀を壊したい』なんて望んだから。
後悔に震え動けなくなっている間にも外からは戦闘が始まったことを示す怒声が響く。
上様はバッと立ち上がると、万が一のときのためにと部屋に置いてある弓を手に取った。
「これからここは戦場になります。
貴女方は早くこの場を離れてください」
そうだ。
ここは戦場になる。
菊達を逃さなくては!
「白露! 菊を乗せて走れるか!?」
「行けます!」
「何言ってんのよ。ムリに決まってるでしょうが」
白露は即答したが、菊が却下した。
「蒼真。緋炎。黒陽。陣の全容を調べて来なさい。
まずはこの寺から脱出するわよ」
「「「ハッ!」」」
「ここからなら、北山の安倍家が一番確実だわ。
まずは寺を脱出。
転移できるようになったら、安倍家で落ち合いましょう!
竹! 晴明に連絡!
梅! 転移に備えて回復薬を全員に持たせて!」
やるべきことを指示され、それぞれが動く。
上様も随行の家臣を起こしに行った。
「――駄目。式神も通らない」
竹が泣きそうな顔で報告する。
鬼の形相で舌打ちする菊。
守り役達が出入りして陣の様子を伝えてくる。
菊と白露が分析し、竹と話し合っている。
「――蘭」
梅が回復薬を手渡してきた。
状態保存の術がかけられた竹筒を「ありがと」と受け取り、一気にあおる。
「――やっぱり、残るのね」
梅の言葉に、菊も白露もオレを振り返った。
竹だけは意味がわからなかったようでキョトンとしている。
「オレは上様の小姓だから」
ニカッと笑ってそう言うと、梅は顔をしかめた。
「――死ぬわよ」
「いつものことだろ」
空になった竹筒を梅に返す。
受け取った梅は無限収納にそれを収め、オレをじっと見つめた。
「――さっきの戦闘で、アンタの霊力はごっそり減った。
それだけじゃない。
アンタ、魂を削って霊力絞り出したでしょ」
「バレたか」
肩をすくめ軽く言うオレに、菊も突っかかってきた。
「梅の回復薬をいくら飲んだって、魂の修復には時間がかかる」
つまり、転生するのに時間がかかるということ。
唯一『災禍』を滅する可能性のあるオレが、戦列から抜けるということ。
「アンタが今ここで死んだら、誰が秀吉を斬るのよ」
だからここは退却し、魂の修復を待って転生しろと菊が言ってくる。
菊の言うとおりだ。
菊は正しい。
でも。
「――ゴメン」
申し訳なくて、つい、うつむいてしまう。
「どのみち、オレはここまでだ」
自分でわかる。
オレはもうダメだ。
「多分、『器』がこわれた」
「――さっきの……?」
竹が震える声でつぶやくのにうなずく。
梅と菊はわかっていたようで、顔をしかめるだけで黙っていた。
「どのみちオレはもう死ぬ。
『呪い』のとおり、二十歳をむかえることはない」
今オレは十八歳。
『呪い』に縛られた『生命の期限』のとおり、死ぬ運命だったのだろう。
「同じ死ぬのなら、上様の小姓として死なせてくれ」
せめて最後の最後まで、自分の『仕事』をさせてほしい。
上様の小姓の『仕事』を。
「――今死んだら、すぐには転生しないわよ」
責める菊に「ゴメン」としか言えない。
わざと明るく笑って、告げた。
「ここを切り抜けても、オレは多分このまま死ぬよ。
すぐには転生できない。
それなら、上様を最後まで守りたい」
オレが折れないのがわかったのだろう。
菊はオレをにらみつけていた視線を落とし、ハァとため息をついた。
「……好きにしなさい」
梅も竹も黙ってうなずいた。
「ウン」とうなずき――顔が、あげられなくなった。
「ゴメン」
ぽろりと、吐き出した。
「オレがあの地球儀を壊したいなんて言わなければ、こんなことにならなかった」
オレはいつもそうだ。
オレが余計なことを願わなければ。
オレが余計なことを言わなければ。
情けなくて、悔しくて、ぽろりと涙が落ちた。
「……どのみち、秀吉は明智に信長をこの本能寺で討たせるつもりだったわ。
この寺を取り囲む陣からも、事前に用意していたことがわかるじゃない」
菊が慰めだかなんだかよくわからない言葉をかけてくる。
いつも竹や黒陽が張る結界に慣れているからなんとも思わなかったが、そう言われれば確かにこれだけの陣、普通の能力者が一朝一夕に創れるモノじゃない。
入念に準備し、人数をそろえないとできないだろう。
明智は実は『能力者』だ。
相手の本質を見抜くことのできる、様々な術に長けた能力者。
陰明道や仏教系神道系、様々な術を学んだ、学者系能力者。
医術薬術にも詳しく、建築や街作りにも造詣が深い。
だからこそ上様に重用されてきた。
だからこそいつもオレを警戒していた。
抑えていても明らかに高霊力保持者のオレが上様の側に侍っていることを。
もしかしたら明智は、オレが上様を狂わせたと思っているかもしれない。
オレを『得体の知れないヤツ』と思っているかもしれない。
だからこそ、ここまで手間のかかる、面倒な陣を寺の周囲に展開させた。
上様を討つためではなく。
上様をオレから守るために。
ああ。容易に想像がつく。
秀吉が言いそうなこと。
「蘭丸が小姓についてから上様は変わった」
「蘭丸を上様から離さなければ上様は『正道』を外れたままだ」
「蘭丸から上様を守るために、本陣の周囲に結界を展開させてはどうか」
「最近出入りの術者に結界の詳しい者がいる」
そんな言葉で『災禍』の知る陣を教えたに違いない。
「おそらくは、信長自身が最後の『供物』だったのでしょうね」
異国の『神』は上様の魂を『供物』として復活し、上様の身体を乗っ取る。
『能力者』の明智には『上様が乗っ取られた』ことがわかるから、上様の姿をした『神』を討つ。
秀吉はそのためにこれだけ厳重な陣を明智に用意させた。
『能力者』でない者には、明智が主君である上様を討ったとしかわからない。
その明智を、秀吉が討つ。
いつものことながら『災禍』の用意周到さには言葉がでない。
いつもそうだ。いつも『災禍』の都合のいいように物事が進む。
まるで物語の筋書きを知っているような。
『ご都合主義』の極みのような。
べちん。
うなだれていた後頭部をはたかれ、驚きで頭が上がる。
梅がふんぞり返っていた。
「なによしょげちゃって。アンタらしくもない!」
呆然と後頭部をさするオレに、梅はニヤリと笑った。
「アンタが『地球儀を壊す』って決めたから『災禍』の筋書きをひとつ潰せた。
そうでしょ? ザマーミロよ!」
アッハッハ! とエラそうに笑う梅。
そう言われたらそうだ。
きっと『災禍』の立てた筋書き通りならば今頃上様は死んでいた。
上様の身体を乗っ取った『神』が身体を馴染ませているところを多重結界で抑え、討ち取る筋書きだったはずだ。
だが実際は、上様は上様のままで生きている。
『災禍』の思惑を少しでもはずせたと思うと、確かに爽快だ。
梅につられて「クククッ」と笑いがこぼれる。
守り役達も菊も笑っていた。
竹だけは困ったように微笑んでいた。
梅は笑いをおさめ、挑戦的な視線を向けてきた。
「まだ終わってないわ。
ここから大逆転だって、無い話じゃないでしょ」
そうだ。梅の言うとおりだ。
「アンタは、信長を連れてここから脱出すること。
私達はここから脱出して、晴明のところに行くこと。
まずはそれだけを考える。
その後のことはまた後で考えればいいのよ。違う?」
「違わないわ」
梅に視線を向けられた菊がうなずく。
「全員、わかったわね! まずは脱出するわよ!」
「「「ハッ!」」」
守り役達が、竹がうなずく。
オレも小姓の格好に戻り、弓と槍を手に取った。
守り役達によると、寺の周囲を取り囲む明智の軍勢だが、武士とわかる男は捕らえられているが、坊主や女子供は捕らえられることなく逃されているという。
「女房装束で来てよかったわね」
菊達も正装を解いて女房装束になる。
陣を破壊することはあきらめた。
このまま自分の足で寺を脱出し、陣の影響がなくなったところで転移することになった。
守り役達はちいさくなってそれぞれの主の懐に隠れて移動する。
「緋炎も――」
「姫」
連れて行ってくれ、と頼もうとしたら、当の緋炎に止められた。
「忘れたとは言わせませんよ?
私は姫のお目付役です。
お目付役が姫から離れるわけにはいきません」
わざとそんな風に言って、オレに付き合うという。
この状況でオレが脱出するなんてありえないと、わかっているだろうに。
それでもニコリと微笑む緋炎がありがたくて頼もしくて、ただ黙ってうなずいた。
口を開けば涙がこぼれるのがわかっていたから、何も言えなかった。
「アンタ、貸し『一』よ」
梅がわざとそんな風に言う。
「次会ったら覚えときなさいよ。死ぬギリギリまでこき使ってやるわ」
菊の脅しは、冗談だと思いたい。
多分、間違いなく、本気だ。怖ッ。
「――蘭様。――ご武運を」
竹は目にいっぱい涙をたたえながらも微笑んだ。
オレの手を取り、守護の術をかけてくれた。
「ありがとう」
ぐるりとみんなを見つめ、ニカッと笑った。
「またな!」
オレにうなずきを返し、それぞれの守り役を懐に入れた三人が襖の外へと駆けていった。
外は戦の喧騒が巻き起こり戦況も定かではない。
あれに巻き込まれたら間違いなく死ぬだろう。
それでもオレは逃げることはできない。
どのみち何もしなくても死ぬ定めだ。
ならば、最後まで上様の小姓として戦うまで。
転移はできない。
霊力も少ないからいつものようには戦えない。
だからどうした。
それが当然だ。
それが『人間』だ。
霊力あふれた高間原から落ちて、およそ四千五百年。
何度も生まれ何度も死んだ。
記憶を持ったまま生まれ変わるオレを、ある者は『神』と呼び、ある者は『ヒトならざるモノ』と呼んだ。
何度生まれ変わっても高霊力を持っていた。
この世界にはあり得ない知識を、技術を持っていた。
そんなオレが、ただの『人間』として死ぬことになるなんて。
『主君』を持った『小姓』として死ぬことになるなんて。
「長生きしてると、いろんなことがあるもんだなぁ」
ちょっとおかしくなってそう言うと、守り役兼お目付役も楽しそうに笑った。
「さあ姫。
絶体絶命の危機を乗り越えて生き延びてこそ、戦闘集団『赤香』です。
近衛第五隊『蘭舞』の意地、見せてくださいよ」
その言葉に、遥か昔を思い出した。
眩しい太陽の下、研鑽を重ねた日々。
両親。兄弟達。仲間達。
懐かしい『赤香』の街。
妖艶に微笑む守り役にうなずきを返す。
そうだ。
オレは、戦闘集団『赤香』の姫。
最後までオレらしく戦う。
それが、それこそが、オレがオレである証明。
「――行くぞ!」
状況もわからない戦乱の中へと、オレは駆け出した。
戦って戦って、どれだけ倒したのかもわからなくなった。
弓弦は切れ槍は折れた。
万が一、億が一を狙って戦ったが、ここまでのようだ。
急ぎ上様の元に駆けつけると、上様はすでに覚悟を決めておられた。
「――世話になったな。蘭」
「とんでもございません。上様にお仕えできたこと、この蘭丸、無上の喜びにございました」
刀を振り上げ、ふと、昔のことを思い出した。
ああ。いろんなことがあった。
この方の創る国を見たかった。
この方の創る未来を見たかった。
この方と、もっと共に歩みたかった。
だが、仕方ない。ここまでだ。
上様が腹を切った。
ス、と首を落とす。
「お見事です。姫」
緋炎が褒めてくれる。
「きっと痛みも苦しみも最小限だったでしょう」
ゆらり。
亡骸から上様の魂が離れ出た。
満足そうにニコリと微笑んでくださる。
オレもニコリと微笑み返した。
キチンと正座をし、手をつき拝礼する。
「改めまして、織田信長様にご挨拶申し上げます」
スラリ。
最後の霊力で正装を纏う。
「我が名は、蘭。
異世界・高間原が国のひとつ、南の『赤香』の王の娘」
オレが『落人』だと知ってはいたが、王の娘とは知らなかった上様が驚きに目をみはる。
「これより私と我が配下の緋炎が、貴方様の魂を天にお送り致します」
ペコリと頭を下げる緋炎に、上様もペコリと頭を下げる。
「良き成仏を。
来世では平和な世の中で穏やかで良き人生を迎えられますよう、微力ながらお祈り申し上げます」
つ、と涙が落ちた。
それをごまかすように微笑み、一礼する。
立ち上がり、愛刀をスラリと振る。
それだけで周囲が浄化される。
刀に手を添わせ横に広げると、刃に添って炎が走る。
その刀を、祈りを込めて振るう。
火の粉が舞う。炎が踊る。
魂の上様を炎が包み、天へと誘った。
《ありがとう》
炎の柱は魂の上様を包み、天高くへと昇っていった。
上様。
信長様。
ただひとりの、オレの主君。
どうか来世はしあわせに。
戦のない世で、しあわせに。
ゴウゴウと火柱が立つ。
天を見上げるオレと緋炎の周囲も紅の炎が包んでいる。
上様の亡骸も、オレの炎で燃やした。
灰ひとつ残さなかった。
すでにこの本能寺はどこもかしこも火の手があがり、炎に包まれている。
じきにこの部屋も焼け落ちるだろう。
探しても探しても上様の亡骸が見つからなかったら、明智も秀吉もさぞ困るだろうなぁ。
慌てふためく様子を思い浮かべるだけで、少しだけ溜飲が下がる。
さてオレもそろそろ限界だな。
がくりと膝をつき、そのまま倒れた。
ああ。瞼が重い。
視界の端に障子を走る紅い炎が映った。
それにしても。
今生を振り返る。
濃い五年だったなぁ。
このオレが他人に仕えて。
それが、昔助けた小僧で。
エラくなった小僧と国造りに奔走して。
大変だったけど、四千五百年の間に経験できないことばかりだった。
やれるだけのことはやったと、それだけは胸を張って言える。
「ご立派に生きられましたよ。姫」
緋炎が褒めてくれる。
なら、自信持っていいな。
ああ、もうダメだな。
もう身体が動かない。
「――あとは、頼むな。緋炎」
「おまかせください」
頼りになる守り役に任せておけば、あとは大丈夫。
次に生まれ変わったら菊に怒られるんだろうなぁ。
そんなことを考えながら、オレは静かに眠りについた。
これにて本編完結です。
お読みいただきありがとうございました。
番外編を追加して完結となります。
今しばらくお付き合いくださいませ。




