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狐目令嬢+その後日談

狐目令嬢の幸せな嫁入り~人相の悪さのせいで『狐目令嬢』と蔑まれ婚約破棄され、政略結婚の道具にされた私の幸せな婚姻~

作者: バルサミ子

6/25 後日談を投稿いたしました。

このページの下にリンクを貼りましたので、よければそちらも合わせてご一読ください。

「ソフィア・フォン・ノイラート公爵令嬢! どうかこの婚約は無かった事にしてほしい!」

「は?」


 瞬間、私の淑女の仮面が剥がれます。

 どうやら私は婚姻の儀の直前だというのに、お相手のアベル・フォン・カルマン子爵に婚約破棄を宣告されてしまったようです。

 

 私にはいろいろと言いたい事がありましたが、ぐっと飲み込んで彼の言い訳を黙って聞くことにしました。


「私には……愛する人がいる。やはり誠の愛を貫き通すべきだと、そう思ったのだ」


 チラリとアベル様が横を窺うように視線を送ります。

 その視線の先には見目麗しく、可愛らしい女性がおりました。

 恰好から察するに侍女でしょうか。

 何にせよ、この吊り上がった目のせいで『狐目令嬢』と揶揄され、(ことごと)く婚姻を拒絶されてきた私とは全くタイプが違いました。


 ああ、この方は貴族失格どころか追放ものの大失言を為さったことを理解されているのでしょうか?

 大体、婚姻を申し込んできたのはアベル様、あなたのご実家の方からだと言うのに。


 事の経緯はこうです。

 今年の不作でカルマン子爵家は深刻な経済打撃を受けておりました。

 そこで私の実家、王家とも遠縁にあるノイラート公爵家から援助を受けるために──つまるところ結納金目当てで『狐目令嬢』と蔑まれ、婚期を逃してついに二十歳を迎えた私を長男のアベル様の妻に、と願い出てきたのです。


 私の両親は渋々ですが、この婚姻を受け入れました。

 渋々、というのも私の実家は公爵家。

 いくら五女の私でも子爵家では家格が吊り合いません。


 それに何よりアベル様もまた婚期を逃した貴族の一人で、年齢だって私より二つ上です。

 そんな年齢になるまで結婚しないでいるのですから、何かしらの問題を抱えているであろうことは容易に想像できました。


 それも覚悟の上で、私は貴族の義務を果たすために覚悟を決めてアベル様に嫁ぐことを決意したのです。

 決意──と言っても私には選択権などありませんでしたが。


 だけど、まさかの婚約破棄。

 それも公衆の面前で、突然です。

 事の重大さを理解されていないのでしょう。


 確かに色んな意味で問題がおありの方のようでした。


 それでも私は義務を果たす必要があります。

 アベル様、どうか冷静になって……今なら私、聞かなかったことにして差し上げますから。


「すいません。ハッキリと聞こえませんでした。もう一度仰ってくださいませんか?」

「だから言っただろう! 私には愛する者がいる。『狐目令嬢』と蔑まれるそなたとの婚姻はお受けすることができない!」


 ごめんなさい。

 煽ったつもりはないのに、ますます激昂(げっこう)させてしまいました。

 アベル様もアベル様で、一度言ってしまった手前もう引けなくなっているのでしょう。

 ああ、後ろでアベル様の側近の皆さまが絶望されたような顔をしています。


 あ、危ない。

 フラリ、と着飾った女性が頭を抑えて昏倒します。

 倒れかかるその体を側近の兵がしっかりと支えました。

 間一髪です。


「奥様、お気を確かに!」


 おそらくアベル様のお母さまでしょう。


 心中お察しいたします。

 私を妻として迎え入れて……妾としてそちらに控えている侍女さんを召し抱える、というのではダメだったのでしょうか?

 この国、プロノワール王国には、多くの婦人を妻として、妾として召し抱えている貴族もいるためそれほど珍しくありません。


 婿入りすることになった次男三男であれば、立場の事も考えて複数の妻を抱えるのを諦めて秘密の恋路に走ったりするのでしょうが、アベル様は長男で、カルマン子爵家の跡取りです。


 私には分かりません。


 アベル様が、ご実家を追放される危険性のある大失言をしてまで、貫き通したい「誠の愛」というものが。


 恋する乙女の気持ちなど、とうの昔に忘れてしまったからです。

 そんなものがあるなんて期待すらしていません。

 裏切られるのが確実な期待なんてしない方が賢明ですから。



※ ※ ※



 結納品を抱えた五台の馬車と共に、私は領地へと戻ります。

 カルマン子爵家の皆さまは、額を地面に擦りつけんばかりに深々と頭を下げて非礼を詫びました。

 彼らも気苦労が絶えないのでしょう。

 そのお気持ちは痛いほど分かります。


 私だって憂鬱です。

 どんな顔をして実家に帰ればいいと言うのでしょう。


 お父様やお母様が方々を駆け回って、アベル様との婚姻を取り付けた時は「ようやく相手が見つかった」と胸を撫で下ろしていたのですから。

 合わせる顔が無いというものです。


 お父様に何て言おうかと思案していると、カルマン家にも付いてくるはずだった私の腹心の侍女、エマが隣で怒りを収めきれないのかムスっとした表情をしています。


「エマ、そろそろ落ち着いて。仕方のない事だったのだから」

「いえいえ、ソフィア様。いくら何でもあれはなしです! 男として最低です! ソフィア様みたいに素敵な方があんな奴に嫁がなくて良かったと私は清々しているのです!」

「こら、エマ。誰も聞いてない所でもそんな風にお相手の方を悪く言う言葉を口に出してはいけませんよ」

「え~、でも! 私嬉しかったんですよ! 婚姻が決まった時、私以外にもソフィア様の本当の良さを分かってくれる人がいるかもしれないって思って!」


 エマは自慢の赤毛に負けないくらいそばかす交じりの頬を紅潮させて、子供のように怒りを露わにしてくれています。

 快活で屈託のないエマの素直さに私はいつも助けられていました。

 そして何より……エマの淹れる紅茶はとても美味しいのです。

 ああ、領地に戻ったらいの一番に入れてもらいましょう。

 口の中が紅茶の気分になってしまいました。

 

 エマとはもう八年の付き合いになります。

 十二歳から十八歳までの六年間通うことになった若い貴族の学び舎、学園でも彼女はいつも私の隣にいてくれました。


 このキツいつり目のせいで、怖がられ、避けられ、更には私が口下手なこともあって……いつの日からか『狐目令嬢』と呼ばれ蔑まれるようになってもエマは変わらず私の味方でい続けてくれました。

 その時も私のために怒ってくれていたりしたのです。

 本当にかけがえのない存在です。


「でも、大丈夫ですからね。私は知っているんですから。ソフィア様がどれほど慈愛に満ちて、理知的で、素晴らしいご令嬢かということを!」

「ありがとう、エマ。私のために本気になってくれて嬉しいわ」

「あ~、もう! 私決めました。ソフィア様に相応しい素敵な男性が現れるまで、私絶対ソフィア様のお傍から離れませんからね!」

「ふふ……ありがとうエマ。でも、そんなこと言わずに私がもし……もしまた婚姻する機会が訪れたら、私は迷わずあなたを連れて行きたいと思っているの。そしてね、その方が素敵な方だったとしても私はあなたに傍にいて欲しいわ。侍女ではなくても、友人として」

「そそそんんな! 私がソフィア様の友人だなんて! おこがましいにも程があります」


 私の申し出はブンブンと手を振るエマに否定されてしまいました。

 冗談だと思われたようです。

 でもね、エマ。どんなに言われようが、私があなたに何度も救われた事実は変わらないのですから。


 今だって……。

 おかげで私の憂鬱はすっかりどこかに飛んで行ってしまいました。



※ ※ ※



 夢を見ました。

 私が学園にいた頃の夢です。

 公爵家の令嬢という私の立場があってか、入学してすぐの頃は何人ものご令嬢とお話したりもしました。

 でも皆一様に私の傍から離れていくのです。


 理由はこのキツく吊り上がった目です。

 私が普通にしても、相手からすれば威圧されているかのように感じてしまうようでした。

 私が口下手なせいもあるのでしょう。


 私はずっと不機嫌でいると思われて……皆私のことを怖がって……皆私の元から離れていきました。


 それでも私は公爵令嬢です。

 家の家格、それも関係して話しかければ怯えながらも話を聞いてくれる方もいました。


 幼い私は考えました。

 勉強を頑張って、学園の中で優秀な成績を納めることができれば、この状況も好転してお友達もできるのではないか、と。


 それからの私は必死に勉強しました。

 朝早くから、夜遅くまで。


 その甲斐あってか、一年後には学内でも一番の成績を納めることができたのです。


 やった、これで友人を作るキッカケができた!

 当時の私は無邪気に喜びました。


 そして程なくして無駄だと知りました。

 成長期が訪れ、私のつり目はますます吊り上がり、物語に出てくる悪役令嬢のような人相になってしまったのです。

 きっと夜遅くまで勉強していたせいもあったのでしょう。

 視力は衰え、目を細めて遠くを見ることが増えました。

 そのせいで睨まれている、と錯覚する方が続出してしまいました。


 私が勉強している間に生まれていった貴族令嬢たちのコミュニティの間で──きっと私の成績に対する嫉妬もあって、私はこう呼ばれるようになりました。


『狐目令嬢』


 始めは狭いコミュニティの中で、私を蔑むためだけに生まれた陰口でした。

 しかし陰口はドンドンと広がっていくものです。

 いつの間にか『狐目令嬢』という私の蔑称は社交界の間でも浸透し、あることないことが噂されるようになってしまいました。


 本当の私を誰も知らないので、広まる事実無根の噂だけで私の人格が形作られていきました。

 傲慢で……辛辣で……我が儘。

それが社交界に広がる私のイメージです。


 社交界で広まってしまったイメージを覆すのは至難の業です。

 何故なら相手にしなければいけないのは空気。

 掴むことも引っ張ることも、ましてや吹き飛ばすこともできません。

 公爵であるお父様も、家の名誉のため事実は違うのだ、と説いて回りましたが、それでも効果はありませんでした。


 そして『狐目令嬢』、こんな蔑称を持つ私を妻にしようなどと考える奇特な人などいるはずもなく、私は結婚適齢期を過ぎても、ずっと独り身のまま。


 私もカルマン子爵が愛していた相手と同じように、可愛らしく麗しい容姿をしていれば少しは状況が違ったのでしょうか?


 いえ、そんなこと考えても無駄ですね。

 このキツく吊り上がった目を変えられる人なんてどこにもいるはずないのですから。



※ ※ ※



「お父様、ソフィアです。ただいま参りました」

「ああ、ソフィアか」


 衝撃の婚約破棄から一月。

 領地に戻った私は以前と変わらぬ生活、つまり波風の立たない偽りの平穏な時間を送っておりました。

 全て夢だったんじゃないか、と思うくらい私の生活は変わりませんでした。


 ただ一つ、お父様の私に対する態度を除いて。


 私のお母様はお父様の第三夫人です。

 元々はそこまで位の高くない、言ってしまえば重要ではない婚姻相手である上に私という厄介ごとの種を持ってきた相手です。

 当然立場は悪くなってしまいました。


 今回の件を経て、お父様は私に対して露ほどの興味も示さなくなりました。

 元から家の評判を守るために駆け回っていたのであって、私自身のためではないと理解はしていましたが、いざ態度に現れるとなると私も傷ついてしまいます。

 お父様が私に見せる態度は諦念。

 つまりはもうどうにでもなってしまえ、というのが偽らざる本心でしょう。

 

 元から『狐目令嬢』と蔑まれて結婚相手も見つからなかったのに、今回のことで更に『婚約破棄をされた』という枕詞までついてしまいました。


 お父様からすればもう、このまま家の中で軟禁状態で一生を終えてもらう方が都合がいいのでしょう。

 私も、もう自分が婚姻を結ぶことができるとは考えていませんでした。

 

 だからこそ意外だったのです。


「お前の嫁ぎ先が決まった」


 お父様が開口一番、そう言った時は。


 私は目を丸くして、驚きを露わにしてしまいました。

 もっともこれは比喩表現で実際に私の細いつり目が丸くなる、なんてことはないのですが。


「……本当ですか?」


 驚きのあまり聞き返してしまいました。

 信じられない、という気持ちで。


 そんな私の驚きなど、気にも留めずお父様は続けます。


「お前が嫁ぐことになったのは、ブランク王国。そこの第三王子、ユーグ殿だ」

「ブランク王国……ですか」


 ブランク王国は、私の住むプロノワール王国から一つ国を挟んでその東にある国です。

 工業政策を推し進め、近代化を進めるこの国と違って、農業を主な交易品としている農業国です。


 貴族の婚姻は、カルマン子爵家がお金がないから、という理由で私に婚姻を申し込んだように、何かしらの意図が存在することがほとんどです。


「誠の愛を貫く」そんなことが許される貴族なんてほとんどいません。

 カルマン子爵家のアベル様だってもちろんそうだったはずです。


 そして私は話を聞いてすぐに今回の婚姻の意図を察しました。

 いわゆる政略結婚です。


 実はプロノワール王国は東隣にある帝国との関係があまりよろしくありません。

 そこで、政略結婚の出番です。

 その東隣にある帝国の更に東、ブランク王国と婚姻を通じて同盟関係を結ぶことによって東の帝国を牽制しようとしているのだ、と私は理解しました。


 しかし……。


 ここまで察した私に疑問が一つ浮かびます。


「お父様、質問をしてもよろしいでしょうか?」

「何だ?」

「こういう役回りは王家に名を連ねる方のお仕事だと思うのですが……」


 そうです。

 お父様の言った相手は第三王子。

 私のいるノイラート家は公爵家で、家格は釣り合わないこともありませんが、王族は王族同士で結ばれるのが慣例となっているはずです。


 私の質問にお父様は渋々と言った様子で答えます。


「拒否なさったんだよ」

「え?」

「この話は当然、王家に来ていた婚姻話だ。当然王女の一人がその役回りを果たすはずだった。しかしだな、その王女が絶対に嫌だと強く反発されたのだ」

「そういうことでしたか……」


 あり得る話だ、と私は思いました。

 プロノワール王国はいち早く工業化を進めている先進国だというのに対して、ブランク王国は農業技術こそ発展していますが、国際的に見れば途上国だと言えるでしょう。

 ブランク王国に嫁げば生活水準が下がるのではないか、それが嫌で拒否したのではないか、私はそう考えました。


「そこで代わりにこの縁談話がお前に舞い込んできた、というわけだ」

「理解しました」

「では、再び婚姻の準備を進めてくれ」

「はい、お父様」

「うむ、では下がってよいぞ」

「それでは失礼いたします」


 分かっていたことですが、お父様は私に聞きませんでした。


 「この婚姻話を受けるか?」とは。


 もう婚姻が難しいだろうと思っていた娘に舞い込んできた縁談。

 しかもその縁談を通じて、帝国を牽制できるばかりか、お父様は王家に恩も売れる。

 お父様からしたらこの縁談を拒否する理由はありません。

 そして私もお父様からそう言われれば、この縁談を拒否した王女のように、嫌だということはできません。


 これもきっと私の運命なのでしょう。

 物語で見たような、愛する者と結ばれる幸せ。

 私の物語にはそんな結末は訪れないようです。


 私は私の役目を全うしようと決意しました。

 できるだけこの国のために、家のために、嫌われないようにしましょう、と。



※ ※ ※



 私が絢爛豪華(けんらんごうか)に飾られた馬車に乗車しようとした時になってポツリと雨が降り出しました。

 空を見上げても雲はありません。

 天気雨です。


 周囲を囲む人々から次々と揶揄するような声が聴こえます。

 そうです、この国では天気雨は『魔女の結婚』と呼ばれ、不吉なものだとされているのです。

 もちろんそんな迷信を本気で信じている人などいませんが、話のタネにするには充分でした。

 馬車に乗り込んで、扉が閉まってもガヤガヤとした喧騒は収まりません。

 

 そんな気まずい空気を察したのかエマが話を切り出します。


「さすが王族仕様の馬車ですね。中の席もフカフカです!」

「そうね、これなら道中腰を痛めることもないかもしれないわね」

「本当ですよ! 前回の道中なんて道がガタガタで最悪でしたから」


 外の喧騒が耳に入らないように気遣ってくれたのでしょう。


 今回の縁談が決まった時だって、私と共に遠い異国の地に移ることに何の不満も示さずに快諾してくれました。

 「むしろ私の方からお願いします!」と明朗に笑みを浮かべながら。


 本当に私にはもったいない素晴らしい侍女です。


「それでは、ソフィア・フォン・ノイラート公爵令嬢のご出立です!」


 パラパラとまばらな拍手が響きます。

 今回の出立のセレモニーだって規模はとても小さいです。

 ノイラート公爵家と懇意にしている貴族くらいしか見送りには来ませんでした。

 ですが、そちらの方が私にとってはありがたい話です。

 変に憐れまれることも蔑まれることもないのですから。


 そして私たちを乗せた馬車がゆっくりと動き出します。

 後ろには結納品を積み込んだ馬車が十台近く続きます。

 以前の時の倍の数の馬車ですが、王族相手の婚姻にしては馬車の数は少ないです。

 本来であればこの倍は結納品を詰め込んだ馬車が一列になって、権威を見せつけるように並んで進んでいくのです。


 この馬車の数からも、プロノワール王国がブランク王国を下に見ていることが分かります。

 これを見て気を悪くしないか、今から心配です。


 だからこそ……。


「ねえ、エマ。本当に私についてきていいの?」

「……と言いますと?」

「私は恐らくブランク王国に骨を埋めることになるわ。でもあなたは違う、あなたは選ぶことができるの。あなたには家族だって残っているし……結婚だってしていないでしょう? 私についてきてしまったら、女としての幸せを放棄することになるかもしれないのよ?」


 そうです、ここから私が向かうのは誰ひとり顔の分からない異国の地。

 言語だって違います。

 そんな地に、こんなに素敵で可愛らしい侍女を道連れのごとく連れていく、というのは気が引けるというものです。

 せめてエマだけでも幸せになってほしい。

 そう思うのは私の傲慢なのでしょうか?


「ガッカリです」

「そうね……私ったらこんなにも……」

「そうじゃなくて! ソフィア様が私を信頼してくれてないことに対して、です!」

「え?」


 声を荒げるエマの語気に私はたじろいでしまいます。


「私は本気です。本気でソフィア様にお仕えすると、例え地獄の果てだろうと付き従うと決めているのです。その忠誠を疑われることが私にとって何よりの不幸なのです」

「エマ……」

「大体、異国の地にソフィア様を一人にするなんて心配で心配で、この国に残ったとしても何も手につきません!」

「それはさすがに大げさではないかしら……?」

「いいえ本気です。信じてくれるまで何度だってお伝えします。私、ブランク語を勉強して少しなら話せるようになりました。慣れない異国の地で辛いことがあったなら、朝までだって相談に乗れます。だから私を傍においてください」


 真剣な炎を目に灯してエマは私を真っすぐに見つめます。

 思わず熱いものが胸の内から溢れ出てきそうになりました。


「ええ……ええ……もちろんよエマ」


 ああ、私は何て幸せものなのだろう。

 エマさえ傍にいてくれれば、どんな災難がこれから私に降りかかろうとも耐えていける。

 そう思えました。

 そして……何かあった時には絶対にエマだけでもこの国に返してみせると、胸の内の奥深くで、エマには悟られないように決意しました。



※ ※ ※



馬車は何日もかけて東へと進みます。

東の帝国を抜けてブランク王国へ入ると、途端に景色が様変わりしました。

街道の脇を占めるのは黄金色の小麦畑。

時折見えるのは牧場でしょうか?


私の想像する街道とは違う牧歌的な雰囲気のある街道を進みます。


「せっかくですから窓を開けてみましょうか?」


 エマの提案に賛成して、馬車の窓を開けば爽やかな風に乗って小麦の柔らかく暖かな匂いが鼻孔に届きました。

そのどこか懐かしい香りが、もうすぐブランク王城へ着くことに対する不安な気持ちを和らげてくれるような気がしました。


 そこからまた二日も進むとようやく馬車は私の知っている街らしき街へと入りました。

 聞いていたよりもずっと近代的に発展しているようです。

 まだ少ないですが、ガス灯のようなものも整備された道の脇に見られます。

 聞いていたブランク王国の印象とだいぶ違って私は少し驚きました。


 王城に近づくと、そこは中心街のようで多くの人で賑わっていました。

 一人一人の表情は明るく、胸を張って前を向いているように見えます。


 そんな景色を見ていると窓の外にいる子供たちが私を見つけて手を振ってくれました。

 無邪気な様子に微笑ましい気持ちになります。

 私もそれに手を振り返して応えました。


 ……よく見れば子供だけじゃありません。

 いつの間にか街道の両脇を埋め尽くさんばかりの人が集まり、手を振っています。

 雑踏の中で単語単語を拾えるほど、私はまだブランク語を聞き取れませんが、表情から察するに私を歓迎してくれているようです。


 ……意外です。

 ここまで歓迎してくださるとは思ってもいませんでした。


「ソフィア様、ほらすごいです! こんなに歓迎してもらえてますよ!」

「ええ……そうね」


 私は目を細めて笑顔を作り、少しでも柔らかい表情に見えるように意識して、街道を埋める人々に手を振りました。


 せめて、この国では目つきのことで人々に威圧的に見える態度を取りたくない、と思えました。

 うまくいったでしょうか?

 怖がらせてないでしょうか?

 

 反応が怖くて私は一人一人の表情を注視することはできませんでした。



※ ※ ※



 馬車が止まり、私はエマと共に馬車を降ります。

 目の前にそびえていたのは質実で実用的な趣のある城。

 豪華絢爛で造形美を追及したプロノワール王国の王城とは違った美しさがありました。


 馬車を降りた私たちを出迎えたのは壮年の男性でした。


「お初にお目にかかります、ソフィア様。この国で宰相を務めておりますジャン・ド・レイと申します」

「……ソフィア・フォン・ノイラートでございます。宰相様直々のお出迎え、痛み入りますわ」

「長旅の所お疲れでしょう、一度お休みになってからユーグ様にお会いされますかな?」

「いえ、私でしたら問題ありません。お待たせするのも申し訳ないので、ユーグ様さえよろしければすぐにでも……」

「畏まりました。では……こちらへ」


 私は二重の意味で驚きました。

 一つは、わざわざ出迎えるのに宰相を寄越した、ということです。


 まるで扱いが国賓のようだと思いました。


 もう一つは宰相の年齢です。ジャンと名乗った壮年の男性の年齢はどう見積もっても三十歳かその辺りにしか見えませんでした。

 私の国ではありえないことです。

 てっきり執事かと思ってしまいました。


 口に出さなくてよかった、と胸を撫で下ろします。


 質実で、それでいて品のある調度品が多く飾られた入り口を抜けて、奥にある応接間へと向かいます。

 掃除が行き届いているようで、埃っぽさは全く感じられません。


 行きかう人はジャンと同じく壮年の軍人を思わせるような男性が多く、私を見ると皆恭しく綺麗に整えられた礼をしてくれます。

 恐らく貴族……ではあると思うのですが、私の知っている貴族とはだいぶ違います。

 私の知っている貴族は皆、着飾るものの絢爛さで己の価値を示そうとしている人ばかりでした。

 すれ違えばキツい香水の匂いがして、人気の多い場所では慣れていないと吐き気を催すような甘ったるい香りがするのです。


 対してこの国の貴族らしき人たちは、質のいい服こそ着ているものの、己を着飾ることに全霊を注いでいるようには見えませんでした。


 そんなことを思いながら、私はしずしずとジャンに続いて応接間に向かいます。

 落ち着きが無いようだ、と思われないように視線は動かさずに全体を観察しながら。


 程なくして応接間に到着しました。

 見るからに分厚い木の扉をジャンはドンドンと叩きます。


「ユーグ様! お連れしました」

「ジャンか。通せ」


 扉越しにくぐもった、それでいて張りのあるハッキリとした声が聴こえました。

 この方がおそらくユーグ様なのでしょう。

 お顔は肖像画で拝見してはいますが、所詮は絵画。

 完全に初見だと思って、ゆっくりと、ふわりとした足取りで応接間へと足を踏み入れます。


「お初にお目にかかります。ソフィア・フォン・ノイラートでございます」


 頭を下げたまま恭しく一礼します。

 反応が怖くて顔はまだあげれません。


 それでも覚悟をして大きく息を吐いてからゆっくりと顔をあげます。


 驚いたことにユーグ様のお顔は肖像画とそっくりでした。

黄金の髪に翡翠の瞳、広い肩幅と厚い胸板から彼の軍人気質な所が窺えます。


 ユーグ様と目が合います。

 ユーグ様は一瞬驚いたような顔をしましたが、それでもすぐにぎこちなくもにこやかな笑みを浮かべました。


 私の威圧感のある吊り上がった目を見て、それだけの反応で示す(済ます?)とはさすがは王族です。

 きっと仮面を上手く被れるような教育を受けていたのでしょう。

 とても立派な人だと思いました。


「初めまして。ブランク王国が第三王子ユーグです。この度は遠路はるばるよくお越しくださいました。ソフィア・フォン・ノイラートご令嬢」


 そう言うと、ユーグ様はどこかまごついたような態度を取ります。

 何か口をもごもごと動かして言い淀んでいるようです。

 それでも決心を決めたのか、キッと目を見開いて口を開きました。


「ソフィア令嬢さえご迷惑でなければ……二人で会食をと思うのだが……どうだろうか?」

「お誘い感謝いたしますわ。私でよければ謹んでお受け致します」


 ホッと胸を撫で下ろすユーグ様。

 もしかして私のことを我儘で気分屋なのではと疑っているのではないだろうか?

 遠縁とはいえ大国プロノワールの王家に連なる公爵令嬢。

 機嫌を損ねたらまずい、と考えているのかもしれない。


 きっとこの目のせいね……。

 私はこの吊り上がった目をまた疎ましく思った。


 ユーグ様に連れられて会食の会場へと向かいます。

 その部屋に入った瞬間、私は声を漏らしてしまいました。


「え……これは?」

「うちの料理人に作らせたのだが……変ではなかっただろうか?」

「いえ、全く……しかし、どうして?」


 私が驚いた理由。

 それは会食のメニューが全てプロノワール王国風のものだったからです。


「やはり突然の異国の地。慣れない長旅の後に慣れない食事というのもどうかと思ってな……勝手ながらプロノワール王国風のメニューをご用意させてもらったのだ」

「そんな……ご丁寧に」


 なんと優しい人なのだろう、と胸が熱くなります。


 そして和やかな雰囲気の会食が始まりました。


「うちは見ての通り何もない国だが、小麦には自信があるんだ。最新の技術を応用していてね……」

「ですからこんなにもパンが柔らかなのですね」


 農業国ということもあって、素材はどれも抜群によく、また味付けもしっかりとプロノワール王国の味を再現してあった。

 特にパンは最近新たに開発した酵母の技術で柔らかになったのだと大層嬉しそうに話しておりました。

 これに関しては間違いなく故郷で食べるパンよりも美味しかったと断言できます。


 ユーグ王子はとても礼儀正しく博識で、更に聞き上手でもありました。

 こんな人相の悪い私に対しても、嫌な顔一つせず楽し気に談笑してくれるなんて考えられないことです。


 初めての経験に私の胸の中の熱がどんどん膨れ上がっていくような気がしました。


 気が付けば、心より楽しんだ会食は終わりを迎えました。

 正直言うとまだまだ話し足りません。

 もう少し話したい、なんて言ったらご迷惑でしょうね……。

 ユーグ様も私なんかと話していて疲れたのでしょう。

 段々と表情が厳しくなってきていました。


 ユーグ様がはぁ、と何か迷いを振り払うようなため息をつきました。

 それを見て私は怯えます。


「ソフィア!」

「……! はい!」


 突然大きな声を出されて私は震えあがります。

 何か粗相をしたのではないのかと、そう思えたからです。


 しかし続く言葉は私の予想とは全く異なるものでした。


「君は……私が想像していたよりとても素敵な女性だ」

「……っ!」


 言われ慣れない言葉に私の淑女の仮面が剥がれます。

 仕方がありません。

 男性にこのようなことを言われたことなんてないのですから。


「正直言うと私は怖かったんだ。君を悪く言う噂ばかりが聞こえてきて。でも話して見てすぐに違うと分かった。あなたは……とても理知的で素敵な女性だ」

「買い被り……です」


 頬が真っ赤に染まっていくのを感じます。

 胸のうちの熱が溢れて、顔に上っていくようでした。

 

 私は……違う、違うのです。


「私はこの通り、威圧的な目をしていて『狐目令嬢』などと呼ばれています」

「凛々しくて……とても素敵だと思う」

「……っ」


 困ります。

 そんなことを言われたことなんてありません。


「酷い女だと、皆が言います」

「それは噂に過ぎないと私は確信した。噂は噂だ、君自身を映す鏡ではない」

「……!?」


 心臓がどくんと跳ねあがります。

 何ですか、何なのですか、この気持ちは。


「だから……改めて、いや正式に言わせて欲しい」

「……はい?」

「私と結婚してほしい」

「へ……?」


 もうわけがわかりません。

 どうすればいいのでしょう。


 見た目のことで陰口を叩かれるのが嫌で、必死に勉強することで何とか印象を変えようと頑張りました。

 少しでも目つきが悪く見えないような表情を作る練習をしました。


 でも私、習っていません。

 こんな時、なんて言えばいいのか。


「今はまだしがない小国の第三王子でしかないが、いずれこの国をもっと発展させてプロノワール王国にも匹敵する大国にしてみせる。だからソフィア、私と結婚してくれないか?」

「……はい」


 どうしましょう。

 胸の高鳴りが治まりません。

 心臓が早鐘を打って止まりません。

 いや、止まったらダメですね。


 ってそうじゃなくて……。


 「どうして……泣いているのだ。すまない、あまりの愛おしさに強く迫るような真似をしてしまった」


 その時初めて私の頬を涙が伝っているのを知りました。

 そして、ようやく自分の気持ちが分かったのです。


「違います。私……嬉しかったのです」


 ユーグ王子に褒められて。

 今までの全てを認め、受け入れてもらえたような気がして。


 気が付けば、ユーグ様のお顔から眼が……離せなくなっています。

 体が芯から燃え上がるように熱くなっています。


……この気持ちを人は「誠の愛」というのでしょうか?

 

「おや……天気雨か」


 ゾクリとします。

 天気雨は凶報の知らせ。

 天が私を呪っているような気がして。


「見てくれ、ソフィア! 天気雨だ。 天も私たちを祝福してくれているのだ」

「祝福……凶報ではなくて?」

「そうか……この国ではな、天気雨は豊穣をもたらす吉兆なのだ」

「本当……なのですか?」

「ああ、この雨が止んだら二人で虹を見に行こう? どうだ、ソフィア」

「はい、喜んで」


 このあとはじめて私は知りました。

 天気雨のあとは普通の雨のあとより虹が出やすくなるということに。

 今まで見上げてこなかった空をまた二人でみたいと……そう、思ったのです。


ありがとうございました。

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婚約者様、浮気と借金は計画的に
― 新着の感想 ―
[気になる点] ネコ目と違って狐目にデメリットはないような? チベットスナギツネのような目だったら怖く感じる可能性もあるのでしょうか。
[一言] お幸せに^^
[一言] 狐の嫁入りですね!
感想一覧
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