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中編


 大学に近いアパートで一人暮らしを始める、と言う彼に、私はついていくことにした。ついていく、とは言っても、彼以外には見えず、食事も、呼吸すら必要としない私だから、特別な手間も何もない。どんな家具よりもお手軽で、ともすればいてもいなくても変わらないような私を、彼はそれでも歓迎してくれた。


「これも一種の同棲みたいなものかもな」


 そう言って笑ってくれる彼に、私も少し安心して「そうだね」と頷いた。なんだかちょっと、自分は幽霊だし、彼に取り憑いているみたいじゃないか、と思う気持ちもあったのだ。けれど彼の言葉によってその不安は軽くなり、私は新しく始まったこの生活(というか死活?)を同棲と考えて楽しむことができた。


「……でもやっぱり、一緒に通いたかったよな、大学。依里、勉強頑張ってたのに」


 ふいに彼の顔が寂しそうに翳って、私のすかすかな胸の内にも影を落とす。


 私はそんな彼を励ましたくて、「それなら私、大学までついていくよ。幽霊なら学費もタダだし、受験もしなくて済んだし、むしろラッキー」なんて、ふざけて言ってみたりした。


 彼はふ、とまだ少し目許に寂しさを湛えながらも、それでも頬を緩める。


「……まぁ依里はちょっとバカだったし、普通に受験してたら受からなかったかもな」


「ひどーい!」


 彼の中でのあんまりな私の評価に憤慨しながらも、私は彼が笑ってくれるのが嬉しかった。


 私のために泣いてくれた彼を、今度は私が笑顔にしてあげたいと、そう思ったのだ。


 それからというもの私は、昼間は彼について大学へ行き、夜はアパートの部屋で彼の隣に座っては、その日にあったことを楽しげに話す彼の声に耳を傾けて過ごした。


 そして眠る時は彼と一緒のベッドで横になる。その温もりを肌に感じることはできなくとも、ベッドの片側に寄って、私のためのスペースを空けておいてくれる彼の気持ちが嬉しかった。


 そんな日々は、まるで本当に彼と一緒に大学に通っているようで――充実した日々を共有しているようで。死んでしまっていても私を大切にしてくれる彼が、とても愛おしく思えた。




 彼は、軽音楽のサークルに入っていた。

 新歓の時期に大学構内を歩いていた時、私たちの好きだったバンドの曲が聴こえてきて、出所を辿ると軽音サークルのライブが行われていたのだ。


 受験勉強をしていた頃よくこの曲を流していたな、と懐かしい気持ちに浸る私の横で、彼はぽつりと「……この曲、依里の一番好きな曲だったよな」と呟くと、「うん、そうだけど」と私が答えるよりも先に、近くにいたサークルの先輩に入会する旨を伝えていた。その即断に私は随分と呆気に取られたものだ。


 大学を出ると、彼はその足で電車に乗り、数駅離れた楽器店を訪れると一番手頃な値段のギターを買った。道中ずっと、「急に楽器を始めるなんて、どうしたの?」と尋ねる私には頑なに答えなかった彼は、「これからギターを始めるんですか?」という店員の問いに、「……好きな人に聴かせたい曲があって」と、少しはにかんで答える。隣でそれを聞いていた私は、なんだかひどくくすぐったいような、痒いような気持ちになった。そういった感覚を持つための体を失って久しいのに、心だけは生きている時と変わらずにこの胸に宿っているのがなんだか不思議だった。


 それから彼は熱心にサークルに顔を出すようになり、夜もアパートの部屋で音を抑えてギターを弾いていた。


 最初はぎこちなく、けれど徐々に上手くなっていく彼の演奏に合わせて、私は私と彼の好きなバンドの曲を歌った。近所迷惑を恐れて小さく抑えた彼のギターと、幽霊だからと遠慮なく大声を出す私の歌はひどくアンバランスで、歌っているうちに私はおかしくなって笑ってしまうのだったけれど。


 そういう時は彼もギターに目を落としながら、楽しそうな顔をするのだった。


 なんでもない、ひどくありふれていて、些細な幸せ。

 そんなものを感じて、私はとても満ち足りていた。生きていた頃よりもむしろずっと幸せであるとさえ感じた。昔は小さなことでお互いに腹を立てたり、ケンカをしたりなんてこともしょっちゅうだったから。


 だから私は、彼が私の好きな曲を弾いてくれたり、私をベッドの片側に迎え入れてくれたり、そんなふうに穏やかに流れるこの日々が、とても大切に思えたのだ。


 けれど、穏やかで満ち足りた日々の幸福は、穏やかであるがゆえに、時の流れの中で徐々に摩耗していくように、その輪郭を失っていった。

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