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ネイアたちが逃げるのを決めた同じ時、あたりの物を投げ尽くしたのか、ポレールの投擲が一瞬やむ。
その一呼吸の間に、考える時間を与えられた生き残りの下級官吏たちが、やっと現状を理解する。自分たちは、狙われているのだと。
ポレールの嵐のような投擲から逃れた官吏たちが、堰を切ったように後方の出口めがけて駆け出す。
「どうしたんだ。ポレール将軍は普通ではない」
「書類なんかに構ってる暇はない。身一つで逃げるんだ」
「高官の野郎ども、この事態を見越してたのか!?」
「そんな訳ないだろう。いくら何でも、ポレール閣下が乱心なんて予想できんっ」
「とにかく、テントから出るぞ。近くに馬が置いてあるはずだっ」
口々に喚きながら、一目散に駆ける。
ポレールは逃げる彼らを見ると、にやりと笑った。
そして、一体の死体を掴むと、少し出口とはコースを外したところに向けて投げる。
投げられた死体は、出口の傍に高く積まれていた木箱の山を崩す。ちょうど出口側に木箱が倒れるよう計算して投げたのだ。
(ゾンビになっても、ポレール将軍は知性をまだ保持している!?)
テーブルの影から隠れて、その光景を見ていたネイアは驚愕する。
出口を封鎖され、逃げ場を失った官吏たちは慌てふためくあいだに、ポレールの投擲物によって、肉片と化した。
「どうしますの、ネイア?」
カジロークは震えながら、ネイアを見た。
「私がポレールを牽制する。その間に、カジロークは前方出口からこっそり脱出して。その後に、私も脱出する」
ネイアはカジロークを見つめる。
「ネイア、あなた何を言っていますの!?今の惨状をご覧にならなくて?一瞬で、皆、殺されましてよ」
カジロークは信じられないという顔で、ネイアを見つめ返す。
「私に策があります。今の敵の退路を予想して、的確に木箱の山を崩した知性ある行動を見たでしょう。あれは、素晴らしい判断力を持っていたポレール中将だからできたことです。そこから推測するに、ゾンビ状態になろうと、人間だったころの記憶があるようです。それを利用します」
「どうやって?」
「あれを使って牽制します」
ネイアが指さした先には、内務次官が忘れていったアタッシュケースがあった。
ポレールはテントの中で暴れている。最初は大勢いた官吏たちも、そのほとんどが殺された。
官吏一人を育成するのに、どれだけ費用がかかっているのかを想像すると、この一瞬で王国が被った損害を考えるだけで、ネイアの頭が痛くなる。自分には関係ないとはいえ、世界に存在する人的資源は有限なのだ。その資源が減ったのは、非常に嘆かわしい。
これだけ文官を失えば、今後の王国の統治に少なからず影響があるだろうというのは、軍人であるネイアにも分かる。
ポレールに目をつけられた生き残りが一人づつ殺されている。食事を楽しむように、生きながら咥えられて、ポレールの強靱な咀嚼力で肉が骨から剥がされる。そのたびに、悲痛な声があがる。
ネイアは何も考えないように、無心になるよう自分に言い聞かせて、アタッシュケースを漁った。
そして準備は整った。
ネイアは、アタッシュケースに入っていた予備の内務次官の制服を着用し、ポレールの目の前に飛び出す。勲章も、ポレールに見せつけるように胸につけている。
「ポレール中将、これはどういうことかな。私に説明してくれ」
ネイアは接待の際の会話を思い出し、できるだけ内務次官に似せた口調で話す。
「コレハ、コレハ、ナイムジカンドノ。コレハ……ソノ……」
知性は残っているが、大幅に低下しているポレールは、内務次官の制服を着ているネイアを、内務次官本人だと認識する。
「キサマ、イツモ、セイジヲ、リユウニ、ジャマ、シテクル」
ポレールは一切の迷いなく、拳を繰り出してくる。
「どれだけ恨まれてたのよっ」
防御など考えず避ける一択だ。ネイアは横に飛ぶ。
ネイアは間一髪で拳を回避した。拳が横を通過しただけで、皮膚がスパッと切れて浅い切り傷ができる。ネイアは回避の勢いのまま、ごろごろと床を転がり、テントの中心部まで逃げる。周囲を確認するが、既にカジロークはいない。
激しく動いて、息も絶え絶えのネイアは柱に寄りかかって息を整える。
(もうカジロークは脱出したようね。なら、後は逃げるだけ)
「マテ、ナイムジカン、キサマ、コロス」
「どうして私がジャンプなんかしたんだと思う?」
ネイアはわざとこの場所に誘い込んだのだ。
「シラン、シネ」
ポレールは再度、拳を繰り出す。投擲でネイアを殺しても、良さそうなものだが、ネイアを仇敵の内務次官と思い込んでいるポレールは、どうしてもその手で直接、内務次官を殺したいようだ。
「このテントは一つの長い支柱で天井を支えるタイプ。その支柱は太くて、とても頑丈よ。そう、あなたのような怪力の持ち主でもない限り壊せない」
ネイアは、全力でしゃがみ、ポレールのパンチを避ける。
動き回って、既に膝が笑っているネイアの足では上手に横に飛んで回避なんて真似はできない。下半身から力を抜いて、重力に引っ張られて身体が地面へと吸い寄せられていき、しりもちをつく。
ポレールのパンチは強力で、拳の触れた部分の柱をへこませるのではなく、拳圧で柱をそのまま削り取った。ポレールはパンチの勢いのままに一歩踏み出した。
ネイアは、ポレールの股の間でしりもちをついているという、滑稽にも見える状態だ。
ポレールは顎を引いて、足元にいるネイアを睨み付けると、そのまま拳を地面に対し垂直に上げる。そのまま振り下ろして、寝そべるかたちになっているネイアに撃ち込むつもりである。
「ありがとう、支柱を折ってくれて。折れた支柱がどうなるか、予想できないなんて。あなたはやっぱりポレール中将ではないわ。所詮は、ゾンビよ」
根元が折られて、支えを失った支柱は重力に引かれて落下する。そして、支柱の先は、ポレールに折られて尖っている。
怒りにまかせたパンチの勢いのまま、一歩踏み出したポレールは、落下線上に位置している。
「グッ、アタマガ……」
地面にいるネイアを見据えていたポレールの後頭部に鉄製の支柱が刺さる。大きなテントを覆う布は重く、その重量が折れた支柱にかかっている。その重さに従って、支柱がポレールの頭蓋を貫通していく。
「ダガ、マダ……」
一度、力を失って垂れ下がった拳だが、再度振り上げられる。
「えっ、どうしてよ!もう顎から支柱が飛び出して、あなたの頭を貫通してるじゃない。ゾンビは頭をやられたら死ぬのが、相場よ!」
ネイアは、慌てるが、もはや対抗手段はない。
デュンッ、デュンッ
銃声とともにポレールの額に小さな二つの穴があく。そして、ポレールの頭蓋を貫通した二つの銃弾それぞれが、ネイアの左右の耳の傍を通過していった。あと、数センチずれていれば、ネイアに命中していた。
ポレールの拳がほどけ、巨体がネイアに覆い被さる。幸い、ネイアはポレールの巨体の胸部から下の部分に下敷きにされたため、ポレールの頭から胸部を貫通した支柱が刺さる事態は回避できた。
「……ポレール中将は、死にましたの?」
「もう少しで、私が銃殺されるところでしたよ……」
ネイアが腐敗臭のするポレールの死体から這い出ると、王国軍標準型ライフルを構えたカジロークが立っていた。初めて、銃を使って、人ではないが人に近いゾンビを殺したため、カジロークは呆然としている。
「でも、助けてくれてありがとう」
ネイアはカジロークに抱きつく。
「ネイア、あなた腐った肉の匂いがしますわ……」
カジロークは恥ずかしそうに照れながら、そしてちょっとハグは嫌そうだった。