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 貴賓席のテントは天地をひっくり返したような騒ぎだ。

 大貴族や高官たちは、自らの生命の危機に関するセンサーが異常に鋭い。王国軍の形勢不利を見ると、体調不良や報告のため、宮廷で緊急の用件ができた、派閥のパーティーがあるとか、何かと理由をつけて、あっという間に逃げ去っていった。

 よほどあわてていたのか、テーブルの上には書類が放置され、口をつけていない紅茶のカップやお菓子が、そのままになっている。

 テントに残ったのは、同行していた下級官吏たちだ。

 高官たちは、鎮圧後にそのままオーブラカに復興のための拠点をつくるつもりだったため、大量の機密資料や台帳を持ってきている。

 逃げた高官たちは、下級官吏に資料や台帳の処分を命じた。

 早く仕事を済ませて、自分たちも逃げ出したい下級官吏たちは、急いでテントの外に資料を運びだし、炎へ投げ入れている。

 貴賓対応を命じられていたネイアは、貴賓がいなくなった以上、手持ちぶさたで、下級官吏の手伝いをしている。時折、休憩も兼ねて貴賓席に放置されている高級菓子を食べたりと、まったり手伝っている。高級菓子は、令嬢時代以来の懐かしい味だ。父を思い出して、ほろりと涙が出そうになる。

 あくまでネイアは王国軍総務科所属の軍人なので、資料が破棄できようと破棄できなかろうと関係ない。お菓子を食べつつ作業できる。気楽なものだ。

「五倍の戦力を用意して、敵に押されているなんて、軍は何をしていますのよ。おかげでわたくしたちも、苦労して用意した資料を焼き払うはめになっていますのよ」

「戦いは水ものですから。絶対はありませんよ」

 ネイアは、青色の頭髪を縦ロールにまとめた女性と会話している。

 彼女は、カジローク・ナクチュルーン。ネイアと同じ没落貴族令嬢ということで、意気投合した。カジロークもお金のないネイアと同じように、学費無料の官吏養成学校に進学したクチだ。

 二人とも没落して長いためか、食い残しをいただくことにも抵抗感は見せず、テーブルに残った高級菓子をどんどん食べている。戦場では、食べられる時に、食べなければ生き残れない。

「だんだん戦闘音が近くなっていません?」

 元貴族令嬢だけあって、気品あふれる動作で紅茶を飲みながら、カジロークは音の近づいてくる方を心配そうに見つめる。剣戟の音や銃声が聞こえてくる。どちら側の声なのか、悲鳴に近い声も聞こえてくる。

「確かにそうですね。ですが、文官はポレール中将が責任を持って守るとお約束しています。ポレール中将ほどの優秀な将軍なら、カジロークさんたち文官を安全に逃がしてくれますよ」

「ネイアさんは、お逃げにならなので?」

「私を後方勤務だからと、文官か何かと勘違いしていません?これでも一応軍人ですから、敵前逃亡は銃殺です」

「まあ、おそろしい」

 カジロークは口元を手で押さえて、おほほ、と笑う。文官としてのデスクワークが多いせいか、ネイアよりはお嬢様な雰囲気がまだ残っている。

「ああ、ポレール中将閣下がやってこられましたよ。おそらく文官への撤退勧告ではないのですか。うらやましいですね」

 テントはデスクワークを行うために、書類が風で飛んでしまわないように防風仕様になっている。

 側面に垂れる布を杭で頑丈に固定しているため、風が入らない。幕を固定していない出入り口は、前方と後方の二カ所ある。

 その出入り口のうち、前方の出入り口の幕をくぐってポレール中将がテントに入ってきた。 

 だが、その様子はおかしい。目からは、いつもの輝くような知性を感じられず、瞳孔が開いたまま大きく目を開けて、まばたきすらしていない。口元は緩み、よだれが垂れている。

 軍服は血まみれ、首筋や軍服の破れた箇所に歯形のようなものがついている。

 その姿を見た、官吏たちの動きが止まる。彼らはデスクワークは得意だが、命のやり取りは慣れていない。恐怖を感じているが、どうすればよいのかわからないのだ。

「前言撤回するわ、カジロークさん。敵前、いや味方前逃亡しますよ!」

「えっどういうこと!?」

「伏せて!」

 ネイアは無理矢理カジロークをテーブルの下に押し込む。

「ぐうおおおおおおおっ!」

 知性を感じさせない叫びをあげ、ポレールは暴れる。手当たり次第に近くの物を掴んで投げる。

 ポレールが投げた木箱が、呆然と立っていた官吏の上半身に命中する。彼の上半身は肉片をまき散らしながら飛び散った。腰より下の部分だけが残った。

 ポレールは、<怪力>のスキルを使っている。彼が本気の投擲が当たれば命はない。そのうえゾンビ化による筋力の強化だ。

 ポレールは知性なく突進し、雑草でも刈るように官吏たちを虐殺している。手羽先でも食べるように、捕まえた人間の肉をそいで食べると死体を投げる。それが逃げ惑う人間に命中して、更なる死体を生む。

 テーブルの下からその光景を見たネイアは、思わず吐き気を催す。だが、必死に口を押さえて耐える。吐瀉物の臭いに気づかれて、ポレールが向かってきてはたまらない。

「わたくしを捨てて、ネイアさんは逃げてくださいまし」

 ネイアと一緒にテーブルの下に潜んでいるカジロークが告げる。

「そんな弱気な。一緒に逃げましょう、カジロークさん」

「いいえ、わたくしがいては足でまといに。この足を見てください」

 カジロークがズボンをたくし上げて、左足を見せる。ポレールの投げた何かが当たったのか、ひどく腫れている。これでは、走ることは難しい。

「ほんの数日の短い間ですけど。初めて似た境遇の人と話せて良かったですわ。きっと、死ぬ前に神様からのプレゼントだったのでしょう」

 ネイアは、カジロークの祈ろうとした手を払い、カジロークを睨み付ける。

「カジローク・ナクチュール!私は、運命の奴隷は嫌いよ。このネイア・ダーリッチ、この程度の困難にくじけていれば、処刑の定めからは逃れられない!ましては、やっとできた友を見捨てるなどという、誇りを捨ててまで生き延びたいとは思わない!一緒に助かりますわよ」

 カジロークはネイアの言う処刑の定めという意味は分からなかったが、表面な部分ではなく、もっと根本的な部分でネイアの覚悟を感じ取った。

 カジロークはネイアの目を数秒ほど見つめると、頷いて答える。

「ネイア・ダーリッチ、あなたの目にはまだ、光が宿っていますわ。困難に立ち向かってみせるという、一種の意地にも似た、誇り高き輝きが。わたくしは、あなたのその覚悟に賭けてみましてよ」

 カジロークは、勢いよくシャツを引きちぎり、足に巻いてテーピング代わりにする。

「これで多少は歩けますが、走るのは難しいですわ」

「今、ポレールはテントの前方にいます。後方の出口から、ひっそりと脱出しましょう」


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