守るべき価値 巡る因果 ☆
イラストはto4ko 様に依頼しました
敵は自分以外の誰かだけではなくって、時に自分の中にも存在するわ。傲慢無謀、そして無知と油断。それらは普段は大人しいけれど、首を刈るチャンスを狙って手ぐすね引いて待っている。
「……悲しいわね」
私に向かって迫り来る毒矢を前にして本心からの呟きが漏れる。私は、町長さん達がとは思っていなかったけれど、それでも魔族の協力者が大勢町に居る可能性を知っていた。何度もそんな光景を見て来た賢者様に教えて貰っていたの。
「魔族に組している人達、ですか? なんで……」
そんな人達が大勢居るだなんて信じたくは無かった。私が夢中になった物語にも登場する事は有ったけれど、精々が一人や二人、それも元々悪党の盗賊だったり魔法で操られていたり。
「まさか、そんな魔法を関知したのですか?」
「……いえ。ですが、その可能性が高い事だけは知っていて下さい」
でも、今回は違うみたい。それを伝えて来た時、賢者様は本当に辛そうだったわ。そうね、きっと私に人の汚さを伝えたくはないのよ。根っからの悪人に思える人でなくても何かの理由で世界を裏切る事が有るだなんて。魔族討伐後の復興を進める為に団結力を高めたいのか、関わった国が汚点を隠したかったのか、私には理由が分からないけれど、きっと今まで何度も有ったのね。
「ありがとう、賢者様。矢っ張り優しい人ね」
でも、私に隠していたくても知っていると知らないとでは咄嗟の時に反応に差が出る。だから苦渋の決断で教えてくれた賢者様にお礼を言ったわ。辛いけれど、悲しいけれど、私はそれを乗り越えて見せるって伝えたくて。
「我を守るは大地の恵み、緑の巨壁!」
私に降り注ぐ毒矢の驟雨、その全てが地面を突き破って伸びて来た無数の蔦に阻まれる。放った人が持つ弓からして相当な力で弦が引かれて、下手をすれば金属製の鎧でも貫通しそうな威力だったのだけど、私の魔法によって出現した蔦は甲高い音と共に全てを弾き返したわ。焦った様な声に続いて剣を抜く音が聞こえたけれど気にせず前を向き、スカーとリノアから目を離さない。
「な、何だこれはっ!?」
「出せ、出せぇえええっ! 勇者を殺せば更なる寵愛が戴けるんだっ!」
刃に写ったのは透明の球体に閉じ込められて動けない男の人達。本人の体に合わせてサイズを変えているのか大きな体の人も小柄な老人の町長さんも押し込められて力が禄に入らない姿勢でも必死に暴れる。……沢山居るわね。あれだけの人が私の死を望むだなんて悲しくなって来たわ。
目視しただけで数十人、もしかしたら他にも仲間が居ると思うと気が沈む。私は何の為に戦っているのかって疑問が湧き出たの。
「っざけんなっ! あんな子供に世界を任せておきながら何言ってんだ、テメェら!」
「賢者様、この馬鹿共を外に! 一発……いや、百発殴らないと気が済まねぇ!」
「嬢ちゃん! こんなド阿呆の事なんて忘れちまいな! 頑張ってくれ、応援しているぜ!」
思わず顔を向ければ町長さん達を閉じ込めた球体をゲシゲシと乱暴に蹴り続ける人達の姿があって、その言葉を聞いたら湧き出た疑問が直ぐに解決したわ。私が戦うのは何の為って、それは私が守りたいと思った人の為に決まっているじゃない。迷う事自体が馬鹿馬鹿しいわ。
「……良い人達でしょ、彼等。余所者の僕も直ぐに受け入れてくれたんだよ」
「でも、騙していたんでしょ? 利用する気だったんでしょ?」
嬉しそうに呟くスカーだけれど、今の私には彼を信じられない。ダサラシフドの人達の気持ちの良さを知る度に、それに付け込んで利用していたスカーに腹が立ったわ。でも、何故かしら? 信じられない一方で、彼の町の人達への想いを信じたいとも思うのよ、矛盾しているわね。
「……なーんだ、詰まらないわ。折角絶望した顔が見られると思ったのにあっさりと立ち直っちゃって。ほら、守るべき人に裏切られたのよ? もっと何か有るでしょう?」
「黙りなさい、リノア。貴女の言葉はとっても不愉快だわ」
もう我慢出来ない、聞くに耐えない。あまりの不快感から私が勝負を急ごうとした時、リノアさんが私の横を通って前に進み出る。よく見れば足が震えていて、自分と同じ名前を持つ目の前の魔族が怖いのが分かったわ。でも、それでも彼女にはそうする理由があった。
「……コンラット様は何処? 私が愛した人を何処にやったの!」
「貴女が愛した人? ほら、ちゃーんと目の前に居るじゃないの。私よ、私。まあ、そっちの気は無いから言い寄られても困るけど」
彼女を突き動かした物、それは愛。少し普通とは変わった出会いだったけれど、彼女にとっては運命で、恐怖を抑え込む程の力をくれた。だけど、リノアはその言葉を嘲笑い、彼女の愛を否定しながら告げる。現実は非情な物だって。
「貴女と私が出会った時、既に私は本物と入れ替わっていたの。網元の息子と入れ替わって情報を得ながら機会を伺っていたけれど、貴女と出会えて本当に良かったわ。だって、嫁渡りで向かった先でこうして勇者を罠に嵌められたもの」
「……嘘よ。私はあの人に出会って、言葉を交わす度に心が踊った、凄く幸せだった。私の愛が偽りな訳がないもの!」
「ええ、貴女の愛は本物よ。レリル様に賜った特別な香水の力で貴女を魅了したの。だから貴女が私に捧げた愛は全て本物。でも、私から貴女への愛は偽物だわ」
「……下がって」
膝から崩れ落ちたリノアさんを庇う様に前に進み出て、私を見て不愉快そうなリノアを睨む。彼女に対しては不信と不愉快しか感じない。何一つ信じるに値しない相手でしかないわ。レッドキャリバーの切っ先向け、逃がさない為に切り掛かる。先ずは動きを止めて捕まえる。彼女から何かを聞き出そうとは思わない。嘘を警戒するのなら、最初から賢者様に情報を魔法で調べて貰うだけよ。
「ちっ!」
飛び退こうとするリノアだけれど、あまりに遅い。後一歩前に出れば足を切れるその一歩を踏み出さず咄嗟に退けば鎖の付いた巨大な鉄球が私達に目掛けて落ちて来た。一瞬引責かと錯覚した程の圧力、そして式の会場の地面全体に広がる途轍もない威力。飛び散る破片を刃で防ぐけれど、咄嗟に後ろに退避していなかったら危なかった。きっと、私も目の前のリノアみたいになっていたわ。
「ス、スカー。貴方、幾ら何でもシャレじゃ済まないわよ? 幾ら付き従う方が違っていても……」
鉄球の直撃は避けても大地の破片を防ぎ切れなかったリノアの体には石の塊が突き刺さっている。刺さった場所の周囲が赤く染まって口からも一筋の血が流れ出る。間違い無いわ。スカーとリノアは同じ魔族だけけれど仲間じゃないのよ。
「……何故殺した?」
「え?」
「クイラを何故殺したと訊いているんだ! 彼女は真っ先に僕を受け入れてくれた! 何かと世話を焼いてくれた! 彼女が居たから僕はダサラシフドを、皆を好きになれたんだ!」
スカーの巨大な単眼からは大粒の涙が溢れ、慟哭は巨体だけでなく周囲の空気も震わせる。そっか、貴方を信じたいと思う気持ちの理由が分かったわ、スカー。騙して利用する為に仲間になったのに、何時の間にか本当の仲間になっていたのね。だから同じ魔族でも許せないんだわ。その大切な仲間を殺されたのだもの。
「ああ、あの女? そういう事ね。貴方も人間に恋をしたの。……じゃあ、これでどうかしら?」
スカーの行動の理由を理解したのは私だけでなく、リノアもだった。スカーと私を交互に見た後、そっと顔を撫でる。声が途中から変わり、体も絵を塗り潰して新しい絵を描くみたいに別の物になって行くわ。手を退けた時、リノアはクイラさんになっていたの。
「さてと、勇者にはちゃんと名乗っていなかったし、魔族の流儀に乗っ取って名乗らせて貰うわ。私はリノア・シェイプシフター、下級魔族よ」
クイラさんの姿と声で、短い間の付き合いの私でも絶対に浮かべないと分かるゲスな笑みを浮かべながらリノアは名乗りを上げ、私を指差す。
「ほら、これなら別に良いでしょう? じゃあ、私は役目を終えたから後は任せるから足止めをお願いね。こんな所で消えるのは勿体無いもの。さっさと消えるわね」
踵を返し、そのまま逃走を始めるリノア。もう我慢の限界だったわ。許せなかった。人の想いを踏みにじり、死んだ人を愚弄する目の前の女が。私はその場から飛び出してリノアの背中に一撃を見舞いたかった。だけど、それはスカーが許してくれそうにない。鎖を掴んで鉄球を振り回して私を牽制する。動けばその隙を狙って攻撃すると暗に告げていたのよ。
「どうして!? だってクイラさんを殺したのは彼女よ!」
「黙れ!」
叫びと共に私に向かって放たれる鉄球。受け止めるか避けるか判断する為に鉄球に意識を向けなければならず、リノアを追う余裕が無い。私の問い掛けにもスカーは叫びで返すだけで、リノアがそれを立ち止まって眺める姿が腹立たしい。轟音を響かせながら迫る鉄球に私が回避を選択して飛び退いた瞬間、鉄球は大きく軌道を変えて追い掛ける。
「……クイラを、彼女を侮辱するな!!」
鉄球が向かう先はリノア。完全に不意を突かれた形となった彼女では絶対に回避も防御も間に合わない。でも、それは彼女だったらの話。何時でも飛び出し、リノアを守ろうとしていた人が居るなら別の話だった。
「リノア!」
人混みから突如飛び出したのは猫科の猛獣の獣人のお兄さん。咄嗟に彼女の体を抱いて勢いそのまま飛べば、鉄球は再び軌道を変える。それを体を捻って直撃は避けるけれども背中に掠ったのか弾き飛ばされた。あまりの事態にスカーも一瞬理解が遅れて手が止まり、リノアから発せられた光は背中をズタズタにされながらもリノアを離さないお兄さんも包み込んだ。
「くっ! 逃げるな!」
あの光を私は知っている。魔族が危なくなった時に咄嗟に逃げる時に使う転移の光。私は咄嗟に飛び掛かろうとして足を止める。届かないで目の前で消える可能性よりも無駄なだけの可能性が絶対に近い位に高いって分かっていたから。だって賢者様は言ったもの。スカーが消えた時、次は逃がす気は無いって。
「ふふっ、さっさと消えさせて貰うわ。じゃあね、勇者。さっさと世界を救ってよ」
リノアは私を馬鹿にする笑みを浮かべ、その体を包む光は強くなって行く。そして消える直前、光が歪んだ。グニャグニャと形を変え、瞬時に凝縮する。消える瞬間、中央から電気が漏れていたのは私の見間違えかしら?
「誰が逃がしますか、三流が。さて、ゲルダさん。あれは所詮下級魔族、大した情報も持っていないでしょうし、黒幕に灸を据えるついでに手を打っておきました。なので……存分に戦いなさい!」
「了解したわ! 魔包剣・喰顎!!」
レッドキャリバーとブルースレイヴを連結して、デュアルセイバーに戻した状態で発動する魔包剣は、それぞれの刃に個別に発動した時よりもコントロールが難しいわ。赤の刃と青の刃、二つが反発して刃の形が乱れる。でも、それが相乗効果を齎して荒々しくも鋭い切れ味が生まれたわ。
「……負けないよ。僕が守るんだ。魔族も、この町も!!」
スカーもまた、私を見据えて放つ威圧感を増す。鎖の付いた鉄球は棘だらけの巨大な棍棒に変わり、バチバチと激しく放電していた。完全にさっき迄とは別物。武器も、彼自身も。どうやら武器を創り出すのが能力みたいね。それで多分、あの棍棒が最強の武器だわ。
「スカー・サイクロプス、中級魔族だ。……元だけどね」
「ゲルダ・ネフィル、四代目勇者よ」
まだ未熟とか、そんな余計な事は口にしない。それは私が乗り越えて来た敵に、これから乗り越えるスカーへの侮辱だから。互いに相手を見据え、大地を踏み砕いて只前進するのみに集中した。先に相手を射程内に納めたのはリーチで勝るスカー。踏み込みの力を加え、私に最も威力の高い一撃を見舞うタイミングでの振り下ろし。走り出した瞬間、既にスカーはこのタイミングを狙っていたのよ。そして、インパクトの瞬間に目が眩む程の電光が辺りを照らし、激しい放電が無差別に撒き散らされた。
「……勝った」
二人の動きが止まる。スカーの腕は棍棒を振り下ろした姿勢で止まっていた。でも、棍棒は半ばから断たれ、挟み切って閉じた刃が胸を貫き背中から飛び出している。切られた部分は私の肩を掠め、遙か後方に転がっていたわ。
「……僕の負けだね」
「……ええ」
スカーの体が細かい光に粒子になって薄らいで行く。でも、その顔には未練も怒りも恐怖すら浮かんでいなくて、何処か満足している顔だったわ。
「僕はね、この町も、魔族も好きだったんだ。だから信じた。君を殺し、魔族の世界になればダサラシフドを僕にくれるって話を。……でも、彼女は、クイラはもう居ないんだ」
もう立っている力も残っていなくて膝を付くスカーは大粒の涙をボロボロと流し、最後に町と、町の皆の姿を目にして消える。完全に消える瞬間、私に言葉を残して。
「僕が言うのはあれだけれど……世界を救ってね」
私は静かに頷き、振り返る。離れて戦いを見守っていた町の人達の中にスカーさんが消えた事で大泣きしている人は居ない。誰もが必死に歯を食いしばり、大声で泣き出したいのを堪えていた。
それはきっと私の為。これからも世界を救う為に魔族と戦い続ける私の重荷にならない様に、必死で想いを押し殺していたの。だからスカーさんはダサラシフドが、この人達が好きで、命懸けで守ろうとしたのだと理解する私だったわ……。
人は弱く、そして脆い。時に挫け、転んでしまう。だけど自分の力で起き上がって歩き続ける力だって持っているの。だから私は戦える。何度挫けても、幾度倒れても、私が諦めないで歩き直せるって信じてくれる人達が居るから。
「見ていて。貴方の代わりにこの町を、世界を守ってみせるから」
私のそんな呟きは静かに空に消えて行った……。
気が付けば海の上、落下と同時に派手に水飛沫を上げたリノアとバーシスは何とか浮き上がった。二人の距離は少し離れ、顔は見えるが触れるには少し泳ぐ必要がある。
「ぷはっ! バーシス、大丈夫? 私を庇ってそんな怪我を……」
「大丈夫だ、問題無い」
愛しい男を心配するリノアの顔は、同じ名を持つ相手の愛を嘲笑った時とはまるで別人で、無論平気な訳がないバーシスは、海水が沁みて気を失いそうな程に痛むにも関わらず誤魔化す。その男の強がりを見抜くリノアだが、もしもの時は自分が支えれば良いと騙される事にした。
「取り敢えず近くの岸を目指しましょうか。陸が全然見えないけれど大丈夫?」
「俺は元から水と生きる部族の生まれだ、問題無いさ」
二人の出会いは劇的な運命でもなければ、壮絶なドラマの末に育まれた愛でもない。只普通に出会い、それで互いに一目惚れをしただけ。最初は気になったから近くに置こうと正体を隠して近寄ったリノアの心が惹かれ、正体を知っても受け入れる程にバーシスも心惹かれていた、それだけだ。
「ふふふ、これで世界が救われたら私は人になれるのね」
「ああ、何処かの片隅で一緒に暮らそう」
片や人間、片や下級魔族。本来ならば結ばれる事が許されない関係、世界が救われれば別れの定めがやって来る。だが、何事にも例外はあって、魔族を裏切り者として追放されていれば話は変わる。最終的に魔族は滅ぶから好き放題に生きると決めたリリィから、役目を果たせば魔王に口利きすると約束されたリノアは今の自分が裏切り者認定されていると自覚があった。
「さあ、行きましょう」
「ああ、二人で生きよう」
先ずは相手に触れたいと互いに泳いで近付く二人。……此処で先程の話の続きだが、本来知っている筈なのにリノアが何故か知らない続きがあった。確かに魔王が討たれても裏切り者は消えないが、正確には神の認定を受けた者だけだ。だが、この二人は知らないし、この二人には関係無い。
因果は巡る糸車。破滅の時は訪れた。二人の間に降り立つ人物、灰色の兎のキグルミ姿のグレー兎と、頭に乗ったパンダのヌイグルミ。陸の上の様に海の上に立った彼女はキグルミに隠れた冷たい眼差しを二人に向け、パンダの陽気な声が響く。
「パンダ豆知識~! 実はパンダって海の生物と自由に話せるのさ!」
「大嘘ですよ。この腐れパンダ擬きが喋れるだけです。今し方も散々煽っていました。では、永遠にさようなら」
そのままグレー兎はパンダと共に消え、何をしに現れたのかと疑問に思う二人の周囲の水が揺れた。続いて響いた音の発生源は深い海の底。澄み切った海でさえ見通す事が不可能な程の深い底から巨大な何かが迫って来る。
「リノア!」
「バーシス!」
二人は力を振り絞って泳ぎ、必死に手を伸ばす。最期に相手に触れていたい。例え死しても二人は一緒だと、そんなありふれた願いを心に抱き、もう手を伸ばせば触れられる距離まで泳ぎ、指先が後少しで触れる。
「……ふぅ。マスターの読み通りに彼奴は何も知らなかったよ。無駄な解析をして疲れたな」
「では、暫く水に浮かんでいては? 望むのならば今すぐ投げ捨てます」
二人の指先が触れる瞬間、二人は別々の海竜に喰い殺される。一口で収まり、血の一滴、肉の一欠片たりとも共に存在する事は無く、その光景を見下ろすグレー兎とパンダは退屈そうにしていた。
黒く濁った空の下、灰被りの大地が鳴動する。鳥や獣は逃げ惑い、山から噴き出した灼熱の溶岩が周囲を赤く照らしながら、遅鈍な動きで大地を焼いて流れて行く。近付いただけで熱傷を負いかねない熱気が渦巻き、黒煙が更に太陽の光を遮って大地を闇に閉ざす。
此処は赤の世界レドス。六色世界で最も過酷とされ、この光景は世界各地で日常茶飯事だ。人々は住むのに適した僅かな土地で身を寄せ合い、時に争いで奪い合う。数少ない長所を挙げるとすれば効能豊かな温泉だろうが、それでも好んで住む者は少ないだろう。今の時期は特に。
百年ごとに変わる魔族の発生地、此度はレドスがその地であり、正に人にとっては地獄と化している。その様な地の一角に場違いな城が建っていた。
錯乱した人の絶叫にも聞こえる鳴き声の怪鳥が飛び交い、憤怒の形相をした人の顔を持つ四足獣が跳梁跋扈する荒野の中、蛍光ピンクのその城は大いに目立っていた。中庭には、他の世界から切り取った景色を貼り付けたとさえ思える色取り取りの草花が咲いている。
その中庭を見下ろせる部屋、最上階の城主の私室から少女と女性の談笑する声が漏れていた。
「……ってな訳で、ゲルダの曇った顔は少しの間しか見られなかったんだ。えっと、あの女……か男は何って名前だっけ、ビリワック?」
「女で名前はリノアですよ、主。相変わらず下級や中級には興味が無いらしい」
「え? 何か問題でも有るのかい?」
山羊頭の配下は主と仰ぐ少女の言葉に少し疲れた様子ながらも否定の言葉は向けない。その様子をリリィと向かい合って座る城主の女性、レリルは可笑しそうに笑っていた。
「相変わらずね、リリィは。私はちゃーんと配下の顔と名前、何処を攻められるのが一番気持ち良いのかも把握しているわ。……だからスカーが浄化されたのは残念よ。あの子、大きくなれるから中々良かったのに」
「ご自重下さい、レリル様」
ビリワック同様に主の後ろに控えているアイリーンだが、彼女は彼と違って主を諫める。弱い部下に一切の興味を向けず対応を丸投げするパワハラ上司のリリィと、何かと体を触る上に男女問わず閨に誘うセクハラ上司のレリル。忠義は誓っていても振り回される事が多い両名は同病相哀れんでいた。
(大変ですね、お互い)
(本当にいい加減にして欲しいですよね)
キリキリとしたストレス性の胃痛も共通する二人は視線だけで言葉を交わす。尚、下から嫌われているのは圧倒的にビリワックだ。アイリーンの見た目が男装の美少女という事を差し引いてもリリィへのヘイトの一部を被っていた。
「あっ、そうそう。私、暫くは動けそうにないから、勇者への対応は暫く頼むよ?」
「ええ、別に構わないわよ。代価として貴女の所の子を一晩貸して貰えれば良いし。その怪我、随分と酷いみたいね」
実はリリィは先程から利き手である右手を使っていない……使えないと言った方が正しいだろう。少女の姿に相応しく若々しい肌の細腕は黒く炭化して焦げ臭く、それは白いゴスロリドレスの内部、右半身まで達している。辛うじて命は助かったのは、彼女が強いからではないと本人が一番理解していた。
「ビリワックが無駄遣いになるからって緊急用の転移魔法を指揮下の全員に使っているんだけれど、それを辿って手痛いのを食らってさ。あはははは、賢者って呼ばれるだけあるよね。もう最っ高!」
「でしょう? 私も一目見て誘惑したくなったの。とっても強いわよ、彼」
二人揃って恍惚の表情を浮かべ、配下二人も揃って諦めの表情だ。何を言っても無駄、それが魔王の部下の中で双璧をなす、たった二人の最上級魔族への直属の配下からの評価だった。リリィは戦いたく、レリルは褥を共にしたい、その違いはあっても部下が苦労させられるのは変わらないのだ。
「でも、リリィ。貴女って勇者に夢中になったんじゃなかったかしら? 気の多い子ねぇ」
「……うわぁ。この世で一番言われたくない君に言われるとはね。……ビリワック、君の進言でこんな状態になったし、申請していた有給休暇は取り消しね」
「……主の命とあらば」
どう見ても不満たらたらながらも、グッと言葉を飲み込むビリワック。その内心を見抜きながらリリィはケラケラと笑い知らぬ振り。その光景をレリルは笑みを浮かべ、アイリーンは同情の眼差しを向けて眺めていた。
「あっ、貴女も有給申請してたわよね、アイリーン。じゃあ、今後の話し合いも有るから……」
「断固拒否します」
「ケチね。私がお願いしても駄目?」
「駄目です」
取り付く島も無いとは正にこの事。主であるレリルが手を合わせて頼んでもアイリーンは頑として受け付けはしない。自分も偶にはアイリーンの様に拒否が出来たなら、痛み出した胃を押さえながらしみじみ思うビリワックであった。
「あー、楽しかった。偶には同僚とお茶に限るわね」
「ええ、暇とあらば種族問わず閨に引き込んで肉欲に溺れるよりはマシかと」
言いたい事が言える主従関係なのか、それとも上辺だけの忠義で慇懃無礼なだけなのか、アイリーンはレリルにズバズバとした物言いだ。アイリーンの態度は部下としては憚られる物だが、それでもレリルに気にした様子も無いのだから前者なのだろう。
「さてと、次の刺客はあの三人ね。大好きな上司だったクレタの敵を討ちたがっていたし……死なない敵を相手にどう動くか楽しみだわ。……新しい殿方をベッドに誘う時位にね」
「……はぁ」
口元に指を当ててクスクスと妖艶に笑うレリル。アイリーンは頭痛がするのか頭を押さえて深い溜め息を吐くのであった。
「……それで今日もノーパンかしら? 私とお揃いの穿かない? 凄く際どいのがあるの」
「穿きませんよ、絶対に」
応援よろしくお願いします




