珍獣大海戦 巨大大熊猫 対 幽霊船 急
「おーい、スカー! 今日は非番だろ? 娼館に行こうぜ!」
旅の恥は掻き捨て、出先で日頃の垢落とし。人の出入りが激しい港町には船乗り目当ての娼婦が集う。このダサラシフドもモンスターが港に集結して不安が募っているけれど……いや、不安が募るからこそ憂さ晴らしをする為に気晴らしを求めるんだね、人間は。地元で昼間から堂々と行く奴は珍しいけれどね。
昼前からそんな誘いをして来たのもそんな人間の一人。余所者で得体が知れない僕を受け入れてくれた懐の深さと女遊びによる懐の寒さを持ち合わせた船乗りだ。どうもお気に入りの子が居るらしく、只でさえ港が使えず乏しくなった収入の多くをつぎ込んでいる馬鹿だ。でも、僕はそんな馬鹿が好きだ。そんな馬鹿が居るこの町が心の底から好きだった。
「勇者様達が大量にぶっ殺したからか港に来るモンスターが減って助かったよな。おかげで堂々と遊びに行けるぜ。……今月は行きすぎてやっべぇが……大丈夫だな、多分! 俺の人生はまだまだ……」
「……もう終わちゃうのか。寂しいなあ」
「死なねぇよっ!? 縁起でもねぇなあ、おぃいいっ!?」
僕が思わず呟いた事に彼が反応した時だった。港の方が妙に騒がしくなったのは。確か嫁渡りの船が到着する頃だけれども、幾ら何でも騒がしい。
「行き遅れが婚期を焦る余りに花を追って海にでも落ちたか?」
「あはははは。いや、彼女が居ない君が何を言っているのさ」
「俺には可愛い子猫ちゃん達が居るからいーの。お前こそクイラとはどうなのよ、実際?」
「僕と彼女は……いや、本当にただ事じゃ無いみたいだ!」
最初は騒ぎ声だったのが悲鳴も混じり、何か巨大な物が激突した音も混じる。冗談では済まない大きな騒ぎが起きているのは間違い無いらしいね。それは慌てて駆け寄って来た少女の姿で不安から確信に変わったんだ。終わりの時が近付いて来たってさ。
「遅くなってごめん! 状況は……何だよ、アレ?」
嫁渡りの船が幽霊船に襲われて港に激突、そこまで聞いて慌てて向かった僕が呆然と見ているのは、骨だけになった人の上半身が生えた廃船と海の上に立つパンダが向かい合っている姿だった。少し上空には凧に乗った黒子が居る。うん、全然分からない。港に居た女の子達は動揺して詳しく聞き出すのは難しいだろうね。でも、勇者だけは違った。少し疲れた様子だけれど、きっと彼女なら詳しく教えてくれそうだ。
「パンダになったアンノウンがパンダハリケーンを使ったらパンダが巨大化して、アンノウンがそれを操っているんです」
「ごめん、全然意味が分からない」
「私も意味が分かりません」
つまり誰にも説明が不可能なんだね。それでも時は流れ事態は動く。最初に動きを見せたのは幽霊船だった。
「キィヤァアアアアアアッ!」
「ぐっ! 凄まじい声だな、あの幽霊船。いや、確か別の名前が有った筈だけれど。確かエルダーシーレイスだったっけ?」
ビリビリと空気が振動し、思わず耳を塞ぎたくなる程の絶叫。数少ない気の弱い子達は今にも気を失いそうな怨磋の叫び。正直言って死人が生者に迷惑を掛けるなって話だけれども彼奴はそんな事を気にしちゃくれない。それよりも今は僕のすべき事をしないとね。
「僕達が戦いに割って入っても巻き込まれるだけだ。皆、耐えられそうにない子を避難させたら戦いの準備をお願い。きっとモンスターがやって来る!」
歴戦の戦士の経験則でも無く、獣人の優れた五感による察知でも、ましてや魔法使いの探知でも無い。僕の種族が持って生まれた能力による直感的な物が間もなくモンスターの大規模な襲撃を告げる中、幽霊船の幽霊、エルダーシーレイスが両手の手の平をちかづけた。間の空間には青い鬼火が灯り、次々に現れては船の周囲グルグル回る。表面に苦悶に満ちた人の顔が浮かんでいる事に気が付いたのは僕と勇者だけみたいだね。
やがて数十にも達した鬼火は一ヶ所に集結し、膨れ上がって巨大な鬼火になる。この時、他の人にも見える程に大きくハッキリとした顔に誰かが悲鳴を漏らしたのが聞こえた。
「ヒィイイヤァアアアアアアアア!!」
聞くだけで体温が急激に下がる叫びを上げ、大きな口を開けてパンダへと迫る鬼火。アレは間違い無く呪いの固まり、触れたら無事では済まない存在だ。さて、どうやって対処するのか見せて貰うよ、賢者の使い魔?
「パンダ奥義その十三! パンダクロー!!」
無造作に振るわれるパンダ前脚。直線上の海、そして鬼火に三本の爪痕が刻み込まれた。切り裂かれ霧散する鬼火、発生した爪の威力は収まらずにエルダーシーレイスに向かうけれど、急に揺らめいたかと思うと姿を消して通り抜ける。海に見えない何かが浮かんでいる痕跡も見られない。完全にこの世から姿を消していたんだ。
再び現れたのはパンダと町の間。船腹を両方に向けた状態で左右に搭載された大砲が動く。砲撃音と共にキラーシェルが撃ち出された。彼奴、この町を狙っているのか!?
「皆、下がって!」
飛び出して行く勇者。キラーシェルが海の上から港にまで達した瞬間に蹴りを叩き込んで跳ね返す。空中に居た他の仲間に激突し、次々に連鎖が起きて数を減らすキラーシェルだけれど、頭が燃えている個体も続いて放たれた。
「不味いっ! 其奴は触れずに落とせ! 絶対に町に近寄らせないで!」
「分かりました!」
何を思ったのか麦わら帽子を外し、頭を入れる穴で普通のキラーシェルを受け止めた勇者。真っ赤に灼けていて触れば火傷は間違い無いのに平気そうな所を見ると丈夫なだけじゃなくて耐熱性も優れているんだね。最初はツナギ姿に麦わら帽子って防具には見えない作業着だから聞いていても驚いたけれど、甘く見ていたんだね、僕は。
そのまま帽子を持った勇者に投げられたキラーシェルは燃え盛るキラーシェルに激突、大爆発が起きた。振動が周囲に伝わってキラーシェル何匹かは爆風で軌道が逸れて海に沈む。町中で爆発すれば建物の一つや二つは吹き飛ばされていただろうね。爆風の影響で海が揺れる中、僕は額の汗を腕で拭い取った。
「キラーシェル・ボンバー、なんて物を……」
強い衝撃を受ければ大型船すら一撃で沈める程の爆発を起こすキラーシェルの亜種。運が良かったのは町に向かって放たれたのが一匹だけだった事。でも、次があるかもと思わせて勇者を牽制する役目は果たしたみたいだね。だって、他にも沢山居るのはパンダの方を見れば確かなんだからだ。
「わわわわわっ!?」
パンダへと容赦無く撃ち込まれるキラーシェル・ボンバー。何度も起きる爆発にパンダは動けない。寧ろ立っていられる方が驚きだよ。でも、あれで賢者の使い魔の強さを大体把握出来たね。最初は意味が分からなかったけれど……。
「パンダ奥義その八! パンダブリザード!!」
パンダの口から吹雪が発生、海を凍らせキラーシェル・ボンバーを凍らせ、揺らめいて消えていたエルダーシーレイスの一部を凍らせる。
「ふっふっふ! パンダは暑い時に食べ物を保存する為に冷気を吐くって知らなかったみたいだね!」
……訂正、今も意味が分からない。再び姿を見せたエルダーシーレイスはまたもや船腹を向けて砲撃を撃ち込んだ。今度は反対側の大砲も動員して先程の倍だ。その上、全てがキラーシェル・ボンバー。だが、パンダは巨大な棍棒みたいなのを振りかぶると全て打ち返す。
「無知だね、君は。パンダに生まれたならば最初に習うのは野球なのさ! パンダ奥義その四! パンダノック!!」
凄まじい勢いで撃ち込まれる生きた砲弾を更に上回る勢いで打ち返して叩き込む。キラーシェル・ボンバーが打ち返した衝撃で爆発するよりも前にエルダーシーレイスに全て命中させ、大爆発を起こした。その威力は爆風で海水が巻き上がって雨の様に降り注ぎ、衝撃で港の建物のガラスが割れてしまう程だったんだ。
「キィイイイイイイイイイイッ!!」
この時、エルダーシーレイスの声に混じる感情が絶望や嫉妬の類が消え、完全な憤怒へと変わったのを感じたよ。もう怒りしかない。それ程までに目の前の存在が目障りだったんだ。何処からか更に大砲が現れてパンダに向けられる。でも、パンダが既に駆けていた。それも目で追うのがやっとの速度でだ。
「あっ……」
そして自分が吐いた冷気の氷で滑って転けて転がる。その上を本体が器用に走って速度は上がり、続けざまに放たれる砲撃は弾かれた。分かっていたけれど意味が分からない!
「知ってるかい! 転がるパンダは鉄より堅い!」
揺らめくエルダーシーレイス。でも、今度は間に合わない。攻撃力を上げる為に砲門の多い船腹を晒し、同時に最も攻撃を受けてはならない場所に激突され船の部分を半壊させて消えて行く。やられてはいないけれど、今のは間違い無く痛手だ。
「よし! ざまあみろだよ!」
思わず口に出た言葉と共に拳を握った時、再びパンダの前に現れるエルダーシーレイス。本来の目的を達成するなら町を狙うべきだろうに馬鹿な奴だ。でも、だからこそ助かったよ。エルダーシーレイスの髪が蛇みたいに蠢き、針になってパンダに飛んで行く。
「怒ったパンダは毛針を飛ばす! パンダ奥義その三十五! パンダニードル!」
それは相殺、全身に毛があるパンダとの手数の違いで直ぐに圧されて反対に船や骸骨に無数の毛が突き刺さった。圧倒、圧勝、力が違う。この勝負、もう勝敗は決したみたいだね。
「……次かその次で終わりかな?」
船体はボロボロで既に崩れ出している。次のを出すには時間が必要だろうし、もう気が付いているだろう。でも、知らぬは当人ばかりなりって奴で、遠目に悔しがっているけれど未だ勝機が有ると思っているのが見て取れた。正気じゃないね、まったくさ。……この戦い事態が正気じゃ無いけれど。
「スカーさん、どうかしましたか?」
「……いや、気にしないで。この後の事を考えているだけだからさ」
再び消えるエルダーシーレイス。姿を見せたのはパンダの背後。蠢く髪が伸びてパンダに絡みついて拘束、その巨体を持ち上げた。
「キィキィキィキィ!」
骸骨の顔が震えながら嗤う。パンダが暴れるけれど拘束からは逃れられず、骨だけの腕が伸びて鋭い指先が背中を貫いて貫通した。
「……知らないなら教えてあげる。パンダは割と頻繁に脱皮するのさ!」
「キィ!?」
但し、貫いたのは薄い皮。辛うじてパンダだと判る模様と輪郭の薄皮の下ではツヤツヤとした毛を輝かせるパンダがエルダーシーレイスの方を向き、その口の中に眩い光が収束する。
「キッ、キィイイイイイイイ!!」
慌てふためいた様子のエルダーシーレイス。巨大な船体は海から離れ、幾つもの破片を落としながらも空の彼方を目指す。自由で安全な場所を目指しての逃亡だ。
「ああ、漸く悟ったんだね。もう遅いけれど。いや、遅いも早いも無かったか……」
絶対に勝てないと、僕だって直ぐに理解した。最初から勝負ですらない。暇潰しの遊びだったんだよ。
「パンダ奥義その六百六十六! ファイナルパンダビィィィィィィム!!」
放たれた光はエルダーシーレイスを飲み込み空を貫く。暗雲は一瞬で吹き飛ばされて晴天が戻る中、光は真下に向かって薙ぎ払われた。パンダ前方の海が二つに割れて波が発生する。余波は町にまでやって来て、誰も乗っていない嫁渡りの船が港に乗り上げた。
「ちょ、ちょっと何をやっているのよ、アンノウンっ!? 派手にやるにも程が有るわ! 賢者様だって流石に怒るんだから!」
もうエルダーシーレイスは倒したのに余計な事をして被害を広げたと、勇者はそう思っているのだろうね。でも、違うんだ。あのパンダの余計に見える攻撃は何の意味も無い訳じゃ無い。その証拠は直ぐに姿を現した。穏やかな海の上、真っ二つに割られて沈み掛けている小舟の上、其奴が立っていた。
「くっくっく、よくぞ儂の隠行術を見破ったの、使い魔よ。誉めてやろうぞ」
痩せこけた半病人の老爺。全身に巻いた包帯は薄汚れ、死に装束はくたびれていたよ。長い間満足な食事も治療も無かったと思わせる風貌で、軽く殴れば簡単に命を落としそうな彼は包帯の隙間から見える窪んだ眼をギョロギョロと動かしながらパンダを眺め、手に持つ古ぼけた琵琶を鳴らす。遠くなのに近くで鳴らされたと錯覚する程に明確に音が聞こえた時、パンダの目の前に浮かんでいた。壊れた小舟はボロボロだけれど割れていたのが元に戻っている。
「まさか使い魔に儂の操る死霊が敗れるとはのぉ」
「君って魔族? それにしては独自の臭いがしないけれど……」
「くっくっく、その程度なら我が主、リリィ様ならどうとでもなるわい」
この時点になっても彼奴は余裕を崩していない。余程の馬鹿か自信家か。ペラペラと情報を垂れ流しながら笑っている。あのパンダが遊んでいたのと同じで先程まで遊びだったのだろうね。
「さあ! 本気で相手をしてやるから名乗れ! 儂は靄船九十九! 上級魔族じゃ!」
だけど今からは別。本気であのパンダの相手をして、勇者も倒せると思っているんだろうね。その根拠が懐から取り出した玉、他人から貰った力だというのが情けないけれどさ。……でも。
「……あっそ。ねぇ、もう良いよ」
九十九の背後に黒子が降り立つ。手にした玉を飲むよりも速く、一切の回避も防御もさせずに背後からナイフで刺し貫いた。そのままナイフを引き抜けば九十九の手から玉がこぼれ落ち、手を伸ばしたけれど先に黒子に拾われる。本気を出すなら最初からか相手の力を確認して直ぐにすれば良かったのに、中途半端に拘るからそうなるんだよ、馬鹿だな。
「……もう終わりだね」
僕が目を向けた先では襟首を摘ままれた九十九がパンダの口に放り込まれる。不意にパンダの顔が此方に向けられた。
「ゲロ不味ー!!」
凄い勢いで吐き出された九十九は唾液にまみれながら飛んで来て、既に勇者はそれに向かって跳んでいた。彼女が拳を振り上げた時、既に射程内に九十九が存在している。タイミングは完璧で、僕は懐に手を入れる。少し怖かった。
「色々言いたい事は有るけれど……何処の世界のパンダの話よっ!」
僕が凄く同感だと思う中、勇者の拳は九十九の顔面に突き刺さった。そして、そのまま……。
「ガァアアアアアアアアアアアアッ!!」
「えっ!?」
そしてそのまま、僕の拳が九十九を殴り飛ばした瞬間の勇者の横腹に突き刺さった。紙の様に飛んで行き、、幾つもの建物を貫いて行く少女の肉体を目で追った時、驚愕の表情で僕を見上げる皆の姿が目に映る。鏡に映った僕の異形の肉体がハッキリと見えた。
「コレガ……僕」
着ていた服は全身が倍に膨れ上がった事で上半身は完全に破れて布が体に引っ掛かっている程度。元から日に焼けていた肌は更に黒くなり、重金属の輝きを持つ漆黒。千切れ飛んだ眼帯の下、そこには存在が始まった頃から何も存在しない。代わりに元の姿の時よりも唯一の目が巨大になって中心に来ている。そして頭には天に向かって伸びる一本の角。
紛れもない怪物の、人間の敵の姿がそこにはあった。
少しだけ薄れて来た自我を何とか掴み取りながら思い出すのはこの姿になった理由について。忠誠を誓ったレリル様の側近であるアイリーン様より受け取った物についてだった。
「魔侵丸?」
「そうよ。気に食わないけれどリリィ・メフィストフェレスが造ったアイテムなの。魔族の力を大幅に増幅させる力が有るわ」
「リリィ・メフィストフェレスの……」
その名は僕でも知っている。同族でさえも道具として、捨て駒として扱う非道な最上級魔族。正直言ってレリル様には奴を倒して欲しいとさえ思う程に部下への扱いが酷い。それでも圧倒的な力に本能から従う奴が多いけれど、僕から言わせて貰えば主従揃って破滅願望の持ち主だよ。
「安心しなさい。本当は自我を奪われるけれどレリル様が部下にそんな物をそのまま使わせると思う? 思うのなら言いなさい、私が貴方を今すぐ殺すから」
「……無いよ」
渡された丸薬が入った袋を懐に仕舞い込む。このアイリーン様も問題が有るけれど、僕はレリル様に忠誠を捧げた身だ。童貞だって捧げている。その為に僕は裏切り者の認定を受けて魔族としての痕跡を全て消去したんだ。
「貴方の忠誠心にはあの御方も期待しているわ。さあ、頑張りなさい。我等が同胞……スカー・サイクロプス!」
期待に応えたい。同族の役に立ちたい。それに守りたい物が有る。守りたい相手が居る。それが僕の手から零れ落ちたとしても、離れてしまったとしても、それでも僕は構わない。カマ、ワナ……イ……。
「ウガァアアアアアアアアアアアア!!」
咆哮と共に僕は家を持ち上げる。土台を簡単に破壊して頭上高く持ち上げた。視線の先には勇者が這い出ている瓦礫の山。そこ目掛けて全力で投げ付けた。避ける暇も無く激突し、響く振動と破砕音。何処から漏れたのか火の手が上がる。自分の手で壊れていく町を目にした時、僕の中でも何かが壊れる音がしたんだ。
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