珍獣大海戦 巨大大熊猫 対 幽霊船 破
「……う~ん、あれだな。お前、ちょいと向いてねぇかもな」
「えぇっ!?」
私が幼い頃、警察官だった祖父が祖母に無断で建てた剣道場で剣道を教わっていたのですが、年下の従姉妹に負け続けている私に困った様子の祖父がそんな事を言って来ました。別に祖父は意地が悪い訳では無く、寧ろ豪快な方なのですが、それ故に言葉を選ばない時がありました。
「璃癒ちゃんが強いだけですよ。私以外の経験者も負けているんですから」
「そうだよ、お祖父ちゃん。僕に負けたからって己龍兄ちゃんが弱い事にはならないよ。酷い事を言うとお祖母ちゃんに言い付けるからね!」
「おい、それはマジで止めろっ!? 後でパフェ食わせてやるから!」
ですが、祖父の性格を知っていても趣味程度には打ち込んでいた私が納得出来る筈も無く、従姉妹の璃癒ちゃんも援護してくれます。それも一番効果的な方法で。祖父は祖母に弱かったのでこの脅しは的確でした。ただ……。
「やった! 己龍兄ちゃんも黙ってないと駄目だからね!」
食い意地が張った従姉妹に有効な買収方法を祖父は知っていた、それだけです。私は仕方無く抗議を止めましたが、理由位は聞いておきたかったので訊ねてみました。
「まあ、型はちゃんと出来るんだが、どうも技任せって言うか、実践向きじゃねぇんだよな。まあ、試合では十分勝てるんだが、ルール上の戦いの話だからな」
「剣道って精神の鍛錬ですし、それで構わないのでは? まさか真剣を手にして悪漢と戦う訳でも無いでしょう?」
この時、私は思ってもみませんでした。まさか実際に真剣を持って怪物と戦う日が来るなどと、中二病でもないので想像すらしませんでした。
……所で祖父や従姉妹が別の異世界に勇者として召喚されている気がするのは何故でしょうか? あの子なら美味しいからと巨大な芋虫でさえ食べていそうな気がしますね。
そして、祖父の言葉を私は実感する事になるのです。幾ら武道経験があっても、勇者の武器を手にすれば体の動かし方が分かっても、それは例えるならバスケのシュート練習でミスせず何十回もゴールを決められるからとしても試合ではそうはいかないのと同じ事。同じ動作でもルールや練習の条件に規制された動きとそうでない動きは結果に多大な影響をもたらすのですから。
「がはっ!」
勇者として召喚されて早一ヶ月、拠点として行動している王国の中庭で私は無様に転がっていました。情報の入手も人伝にするしか無く、移動手段も馬に任せるしか無かった旅は平凡な男子高校生には少しばかり辛い物で、シルヴィアの扱きに耐えながら戦闘技術を自らの物にしている最中。今は休憩時間に仰向けで空を見上げて居たのですが、ドレス姿で近付いて来る人が居ました。
「……」
寝転がっている私に不用意に近付いた為にスカートの中が丸見えで、女性とキスすらした事の無い私には刺激が強すぎる。この世界の下着は色々と凄かったのも有るでしょう。その様な動作は直ぐに相手に何があったか伝わります。私に近寄って来たのはこの国の姫君。その知性と美しささから次期の王へと推す者も多いと聞いています。兄達にはその事で疎まれているとか。
「……あっ」
そんな姫君が男に下着を見られた。だから次に取る行動は僅かな付き合いの私にでも予想が付きます。普通なら恥ずかしがり、悲鳴を上げて私の立場が悪くなる事でしょう。神託が有ったとは言え、勇者の資格を持つ住所不定無職の庶民と一国の姫君なのですから当然です。
「なーんだ。パンツ見た程度で恥ずかしがってるのかよ、アンタ。兄貴達なんて何人ものメイドに手を出してるぜ。この前なんて木陰で押し倒してたしよ」
ですが、この姫君は多少……いえ、かなり特殊な部類でした。ゲラゲラ笑いながら私の目の前でしゃがみ、私の額をペチペチ叩いて来たのですから、外面と見た目だけで深窓の令嬢を想像して憧れている人々が見たら幻覚を疑うでしょう。この豪快な性格は何代か前にエルフの血が流れていた影響だろうとシルヴィアが言っていましたが、それって私の知っているエルフと絶対違う。いえ、知人になったエルフはその様な感じですから。
「ほれほれ、世界を救ってくれるごほーびだ。好きなだけ見ろよ」
「……断固拒否します」
「ちっ! つまんねーの。退屈だから町の外の話をしてくれよ。私じゃ城壁をよじ登って路地裏のガキンチョと遊びに行くのが精々なんだ」
何処の世界に城の塀をよじ登って路地裏の子供と遊ぶ姫君が居るのかと思いましたが、目の前に居るのでした。……どうも王家の一部には実際に私が世界を救ったら王家に血を取り込みたいという算段が有ったらしいですが、私にとって彼女は親友と呼べる存在でした。
その後、兄による彼女の暗殺未遂やら魔族による拉致を解決して絆を深めたのですが、出会いが有れば別れも有る。次の世界に向かう時が来たのです。
「……行っちゃうのか。私も一緒に行きたかったけれど無理だし、また会いに来てくれよな。……待っているからさ」
私にとっては最後まで性別を問わずに関われる親友でした。ですが別れの時に見送りに来た彼女の言葉と表情、頬にされた口付けからして相手の方は別だったらしいですが……。
「……懐かしい夢を見ましたね。それはそうとしてシルヴィアが愛しい。昨日よりも愛しく、明日はもっと愛しいのでしょう。……つまり今の愛情は不完全? いえ、愛に上限は無く、有ったとしても上限を更新し続けているのでしょうね」
親友の子孫に関わった影響か勇者時代の夢を見た私は私の腕を枕に眠るシルヴィアにキスをする。未だ起こすには少し早い時間であり、今は彼女の寝顔を見ていたい気分が勝ったので観察に徹する。当然ですが魔法で再現したカメラで撮影するのも忘れない。なにせシルヴィアの寝顔は私が先に起きた時か彼女が先に眠った時にしか見る事が出来ないのですから。
「ああ、私は今日も貴女に恋をしています。既に惚れていますが、更に一目惚れですよ、シルヴィア」
好きという気持ちに上限は無く、多くの相手に恋をする男が居るのならば同じ相手を好きなまま好きになるのも自然な事。百年単位で同じ女性相手に毎日始まる恋に胸を高鳴らせていたのですが、いざキスをするべく顔を近付けた所で邪魔が入る。まるで狙い澄ませたかの様なタイミングでノックの音が部屋に響きました。
「おやおや、寝起きだったかな、我が主の主よ? それは申し訳ない、謝意を表明しようではないか。ククク、私もタイミングが悪いな」
慇懃無礼が服を着ている……いえ、ハシビロコウのキグルミを着ている男、鳥トンはワイングラスを片手に軽く頭を下げる。アンノウンは素直な良い子上に賢いので疑いたくは無いのですが、幾ら有能でも彼みたいな人物を選んだ理由が分からない。
善人の演技を中途半端に行っている腐れ外道、それが私が抱く印象です。何かと正しい行いであるという理由を付けながら他人が不幸になる風に仕向けるのが楽しいと本人から聞いている私からすれば警戒するのは当然です。
(でも、誰それ君とは遊んじゃ駄目です、みたいな事を言うのはアンノウンの躾に宜しくない気がするんですよね。あの子ならちゃんと見習うべきじゃない部分は見習わないでしょうし)
結論として可愛い使い魔を信じる事にした私に対してハシビロコウは調査書を手渡す。調査不足なのか敢えて虫食いにしたのか重要な部分が抜け落ちていました。
「ククク、申し訳無い。生憎世界の命運が関係する任務故に中途半端な事はしたくなくてな。不確かな情報は伏せているが……嫁渡りでダサラシフドにやって来る夫婦だが……片方は魔族だ。本来ならば貴方の魔法で直ぐに分かるのだろうが、大勢を救う為の功績稼ぎを考えれば勇者に任せるのだろう?」
ああ、本当に有能な外道が味方なのは厄介ですね。私は鳥トンの言葉に無言で頷く事しか出来ませんでした。
「ほら、このトマトが美味いぞ。食べてみろ」
今日も朝から砂糖を吐きそうな光景を見せ付けられている。取り皿にサラダを盛った女神様はフォークで刺したトマトを賢者様の口に運ぶ。今日位に来る嫁渡りの夫婦は新婚だけれど、多分賢者様達位に熱々じゃないでしょうね。
「……はぁ」
テーブルの上に広がるのはパンとミルクとサラダと野菜スープにフルーツ、お肉は欠片も存在しない。今朝はベーコンとタマネギとチーズの入ったトロフワのオムレツを食べた夢を見ただけに少し物足りないわ。
嫁渡りの掟で夫婦が滞在する間は断肉で卵すら食べられない。それは外から来た旅人も同じ。でも、余所の人なら人前で食べなければ別に良いともクイラさんから教わったの。ブルレルの人なら兎も角、余所の世界の人に強制するのは気が咎めるから、こっそり食べるなら気が付いても知らない振りをしてくれるらしいわ。
「子供だしお肉が食べたいでしょ? ちゃんと歯を磨いてお肉を食べた匂いを消してくれたら別に気にしないわ」
でも、肉を食い溜めする為の宴で散々お肉を食べたのだし、ズルは駄目だから賢者様達とも話し合ってお肉抜きに決めたの。……正直言って肉を見るのも嫌になる位に食べたのだけれど、いざ実際に断肉をするとなると物足りないわね。
宴で食べた肉料理で思い出すのは何と言ってもスカーさんの作った鳥の唐揚げ、豚の炙りに牛の丸焼き。最高の揚げ加減焼き加減に味付けで満腹なのに舌がもっと欲しがるの。おかげで翌朝は胃がもたれていたわ。
「確か今日のお昼位に来るのよね。しかも恋愛結婚だって噂だけれど……」
私だって女の子だし、花嫁さんには憧れるわ。私も何時かは結婚するのかしら? どんな人と結婚するのかしら? 出来れば料理が上手な人が良いわね。
「楽土丸は料理が出きるのかしらね? ……はっ!?」
何故か分からないけれど楽土丸の名前が自然と口から出ている。前を見れば賢者様と女神様がニヤニヤしているし恥ずかしいわ。これは絶対彼の責任よ。だって求婚したのだもの。……これじゃあ私が楽土丸に惚れているみたいじゃない。
「……あれ? アンノウンの姿が見えないけれど何処に行ったのかしら?」
あの子の事だから肉も卵も食べられない私の目の前で美味しそうにお肉を食べると思っていたのに姿すら見えないわ。安心する一方で不安にもなって来るわね。何か良からぬ事を企んでいるんじゃ……。
「船が見えて来たぞー!」
嫁渡りの船が到着する時刻、港には大勢の女の人や女の子が集まっていたわ。高い所から船が来る方向を見ていた人の声を聞くなり騒がしかったのが更にそわそわしだす。まあ、私も同じ目的で来ているから気持ちは分かるのだけれど。
船が到着した時に花嫁さんがイシュリア様とフィレア様の石像に持たせた花籠に入れた花を港に向かって投げるのだけれど、それを受け取った女性は幸せな結婚が出来るって言い伝え、それを目当てに皆集まっているの。
「別にそんな祝福が欲しければ姉様や母様に頼むぞ?」
そんな事を女神様が言ったけれど全然分かっていないわね。本当に祝福が貰えると信じている人よりもお祭りの類で参加しているのに。これだから祝福無しで素敵な恋と結婚をした女神様は困るわ。相手が居ない人の気持ちが分からないのよ。
「……さて、気合いを入れましょう」
花の数には限りが有るし、色でも違いが出るらしいわ。子宝とか財力とか健康とか。本当に祝福が貰えるなら神様の誰が何色の花を取ったか調べるのも大変ね。私は特に狙っている色は無いけれど、折角参加するのだもの、花が欲しいわ。
次第に大きく見えて来る嫁渡りの船。大きな町の網元の一族だって聞いたけれど随分と豪勢なのねと感心している間も船は港に近付く。
「あれ? 変じゃない?」
最初に気が付いたのは先頭に居た結婚適齢期のお姉さん。船が全く減速せずに港に迫るのを見て驚き、次の瞬間には振り向いて叫ぶ。
「皆、避難しなさい! 船が突っ込んで来るわよ!」
おまじない程度の気分の女の子や少し只ならぬ様子のお姉さん達が参加する華やかなイベントは忽ちパニックに襲われる……と思ったけれど、お姉さん達が小さな子を抱えて逃げているから押し合いによる二次災害は起きなさそうね。流石は海に生きる女の人だけあって肝が据わっているわ。
そうやって避難が済み、皆が安全な場所まで到達した頃に船は港に激突、頑丈な造りなのか激しく壊れはしないけれど船首に大きな罅が入っているわ。
「どうして止まらずに入って来たのかしら? まるで何かに追われるみたいに……」
呟きの途中で理解する。あの船は実際に追われて必死に逃げて来たのよ。船から板の橋が掛けられて次々と港に逃げ込んで来る人達。その視線が向けられた沖の方角から暗雲が尋常でない速度で流れて来たわ。海は急速に荒れ、モンスターが顔を出す。巨大な体に醜悪な人の顔を持つ不気味な魚や船に巻き付ける位に大きな海蛇。その他にも沢山居るわ。
『『面人魚』人の顔を持つ大魚。人には劣るが高い知能を持ち、独自の言語でコミュニケーションを取る。但し僅かに生息地が違えば更に独自の言葉が有るので会話が困難。雑食であるが生きた相手を食らうのを好む凶暴性を持つ』
『『エンペラーシーサーペント』巨体と強力な毒を持つ海蛇。その皮膚は魔法に対する耐性を持つ他、、非常に頑丈で弾力が高い。船乗りに恐れられる海の悪夢の一つ。実は酸っぱくて不味い』
新しいモンスターの情報が入って来るけれど、問題はそれだけじゃ無い。モンスターの群れの後方、青く怪しく光る靄の中で佇む大破した船、幽霊船の登場にこの場の多くが言葉を失って恐怖の色を浮かべていたわ。
「皆さん、下がっていて。私が時間を稼ぐから助けを呼んで」
私は勇者。だから一歩前に進み出て安心を与える。正直言って相手の手の内も分からないのは不安だったけれど不適に笑い、不安を隠すわ。
「何かに怯える声がする。弄くり回せと僕を呼ぶ!」
そんな覚悟を決めた途端に響く声。頭の中じゃなくて実際に響いた声に人々は戸惑い、私は脱力する。どうやらアンノウンが何か変な事をするらしい。空を見上げれば黒い暗雲に白が混じり、熊の形になって海に降り立つ。二本の脚で海の上に降り立った時、熊は完全にパンダになっていた。
「あっ、何時ものパンダが乗っているわ」
今の私の視力なら見えるのだけれど、巨大なパンダの上に何時もアンノウンの上に乗っているパンダのヌイグルミが乗っていたわ。手に何やら変な物、私は知らないけれどラジコンのコントローラーを持っていたの。
「えっと、あれって何だろう?」
「パンダ……だよね?」
「大きいパンダさんだ! 可愛い! 飼いたい!」
性根が腐っているから止めろって言うべきかしら? 兎に角突然現れたアンノウンにモンスター達はうなり声を上げ、一斉に襲い掛かる。するとアンノウンはその場で一本足になって猛回転を始めたわ。私でさえ元の姿が見えない速度での回転は風を巻き起こし、竜巻になってモンスターを迎え撃つ。
「パンダハリケェェェェェェェェェェン!!」
再び響く大きな声。竜巻に飲み込まれたモンスターは空高く舞い上がり、そこに巨大な凧が接近する。凧に誰か乗っていたので目を凝らして見てみれば黒子。確かアンノウンの部下の一人だったわね、あの人。片手で凧にしがみつきながら空いた手で握るナイフがモンスターを切り裂き、手が赤く光ったかと思うと巨大な火の玉が放たれて残ったモンスターを焼き尽くす。
この時、余りにも意味不明な状況に周囲が静まったからか、私の耳に遠くから琵琶の音が届いたわ。間違い無く幽霊船の方角。背後から不気味な冷気を感じたのは直ぐ後。私と同じく振り返った人達の口から大きな悲鳴が上がったわ。
「幽霊!?」
空一面を飛ぶ人の形をした無数の白い靄。一瞬モンスターかと思ったけれど、解析しても詳しい情報は入って来ない。それに確か靄が湧き出ているのは墓場の方向。つまりは幽霊。その幽霊達は幽霊船に吸い込まれ、幽霊船が姿を変える。メインマストが徐々に髪の毛と骨だけの人の姿へと変異して行ったわ。
そして竜巻が収まれば背中に『じゃいあんとぱんだ』と書いた紙を貼り付けた巨大なパンダ。頭にはアンノウンの本体が乗っていたわ。……さっきの頭に乗せていたパンダの意味は何だったのかしら? いえ、アンノウンの行動に意味を求める方が間違っているのだけれど。
「沢山食べて、沢山寝たから僕は育った! さあ! ジャイアントパンダのお出ましだ!」
「成る程、ジャイアントパンダだったのね」
「だったら納得だわ」
「ビックリして損した」
……あれ? おかしいのは私? 私が自分の常識を疑いたくなる位に周囲は目の前の珍獣を受け入れていたわ。一体全体何がどうなっているのかしら……?
従姉妹と祖父については別作品 伝説の爺共 を参照で 感想待っています




