珍獣大海戦 巨大大熊猫 対 幽霊船 序
穏やかな海を船は行く。乗船するのは屈強な船乗り達だ。主にエルフが多く、男女問わず種族の特長である逞しい肉体を活かして動き回っていた。襲撃するモンスターも熟練の海の戦士が追い返し、平穏無事な船旅の中、船室で二人並んで座る一組の男女。
「リノア」
「はい、コンラッド様」
「呼びたかっただけだ。それにしても何事も無く進んで何よりだよ。でも、何かあれば私がお前を守ろう。……まあ、荒くれ者から守って貰った私が言うのも変だろうが」
網元の息子のコンラッドと婚約者のリノア、荒くれ者に襲われたコンラッドをリノアが助けるという普通とは逆の出会いを果たした二人が船に乗っている目的はブルレル特有の儀式である嫁渡りの為。本来ならば小規模な船で夫婦揃って働くのだが、生まれ付き体が頑丈でないコンラッドには過酷な船での作業は無理な為に善意で名乗り出た者達が働いてくれている。
妻となる相手に逆に守られそうだったり、大勢の世話になっている事が自分の事ながら情けないのかコンラッドが苦笑する中、その手が不意にリノアの柔らかい手で包み込まれた。
「大丈夫、強さだけが大切な相手を守る武器じゃないわ。それに私は強い貴方じゃなくて優しい貴方に惚れたの。だから、自分を貶めないで」
何事も無く船旅は続く。まるで二人の門出を海が祝っているかの様に順風満帆。見張りが周囲を見ても怪しい影は一つも無い。それでも二人の為にと気を緩めない船乗り達は本当に性根が真っ直ぐな善人揃いだ。
「……くっくっく」
そう、見張りは何も発見していない。人の視力で見渡せる距離には怪しい存在が皆無なのだから間違いでは無いだろう。何もない海の上でさえ人の視力では到底見渡す事の出来ない遙か遠く、そんな距離から嫁渡りの船を監視する目があった。
手には琵琶を持ち、ギラギラと血走った目を向け、老人の様なか細い嗄れ声で笑う何者か。朽ち果てた幽霊船の甲板で胡座をかくのはミイラの如き細身を包帯でグルグル巻きにした死に装束の男。歯の抜けた口と血走った目、痩せこけた体が包帯の隙間から覗き、今にも倒れそうだ。そして一陣の風が吹き、べべん! と彼が琵琶を鳴らすなり幽霊船は姿を消した。
「……ごちそうさまでした」
「あら、もう良いの? 子供が遠慮なんてしなくて良いのよ? ほら、海牛のガーリックバターソテーが美味しそうに焼けているわ」
嫁渡りの前日の晩、最初の肉だらけの宴から早三日、流石に飽きてきた私は盛られた肉を何とか食べきるけれど、食べ終えた側からクイラさんがお肉を盛る。初日は別に良くて、二日目も連続してお肉が沢山食べられるのは幸せだった。でも、三日目にはもう限界。脂たっぷりニンニク香る様々な肉料理は三日続けて殆ど違うメニューが宴の席に並んだわ。スカーさんの料理の腕に驚きつつも三日揃って出ていた鳥の唐揚げ等の基本メニューは本当に素晴らしかったのを思い出す。
いや、それにしてもダサラシフドの人達はお酒もお肉も沢山飲み食いしてどうして平気なのかしら? 私、胃がそろそろ限界なのだけれど……。
「ふっふっふ、情け無いよ、ゲルちゃん。僕なんて牛三頭食べても平気なのにさ。言って置くけれど、パンダが食べた物は本体の胃袋に運ばれるんだよ?」
「いや、日毎に交代しているじゃない、アンノウンってば。全然自慢にならないわ」
私の頭の上で一枚一枚が一人前はありそうな大きさの豚の炙り焼きを口に流し込んでいたパンダを操るアンノウンが自慢げに言ってくるけれど七頭に分裂している子に自慢されても悔しくないわ。その辺の事を指摘すればパンダは私の頭から飛び降りて随分と驚いた様子をオーバーアクションで示した。
「ゲ、ゲルちゃんがそれを忘れていない……だと!?」
「忘れいでか!」
どうやら今日は本当にとことんやり合う必要が有るみたいね。途中で気が付いたけれど、アンノウンは私の頭の中にだけ声を響かせているから周りからすれば私が一方的に怒鳴っている風に見えるわね、パンダのヌイグルミに対して。
「実はアンノウンは相手の頭の中に話し掛ける事が出来ましてね。本当に賢い上に心優しい子で、私の自慢の使い魔なのですよ」
「賢者様、説明はナイスだけれど、心優しいって言葉の意味を誤認しているわ! こらー! 待ちなさい、アンノウーン!」
「待てと言われて待つのはお馬鹿さんだけー!」
ちょこまかと逃げ出すアンノウンを追って私は宴の席を抜け出す。誘われたから断れずに参加を続けているけれど、抜け出すタイミングが掴めないから今日は助かったと思うわ。ええ、アンノウンには絶対に感謝なんてしないけれど。
「……肉ばかりじゃなくって何か甘い物が食べたいわね。トーストの上にバニラアイスとハチミツをたっぷりトッピングした奴とか、チーズケーキとか」
「僕お饅頭ー! ……あれれ? ゲルちゃん、あれって……」
宴を抜け出し町の中を駆け巡った私が辿り着いたのはモンスターが集結する港の反対側、森を抜けた先にある小さな池。聞いた話では池の水は地下で海と繋がっているから殆ど海水らしい。中途半端に混ざっているから魚は住んでいないらしいけれど、そんな池の畔にクイラさんの姿があった。
人目を避ける様子に思わず物陰に隠れて様子を伺えば手に持った料理を地面に置いて手を叩く。三度くらい音が鳴った後、池の底から何かが飛び出して来たわ。
「あれって……海竜?」
一度見たのは人魚さんの宴に呼ばれた時。あの時は遠目に見ただけで、随分と小さいけれど姿を現したのは確かに海竜だったわ。背中の水晶が所々砕けて地肌が見えているわね。子供かしら?
「久し振りね、ビサワ。他の海竜に苛められてない? ほら、今日は鳥の炭火焼きよ」
「キュー!」
「わっ! くすぐったいから舐めないでよ」
普通のイルカ位の大きさの海竜、クイラさんがビサワと呼んでいる海竜は差し出された鳥を食べると頭を水から突き出してクイラさんをペロペロ舐めていた。
「……お客さんってあの子だったのね」
私が暮らしていたオレジナでも何度か見た事が有るけれど、動物の中には親に見捨てられる子供も存在するわ。一度巣から落ちた雛鳥とか生まれ付き体にハンデがある子供とか、厳しい自然で生きていけないと思われたら見捨てられるの。家畜だったら飼い主が世話をする事も有るけれど、クイラさんも海竜の子供を育てているのね。
「じゃあ、今日の訓練よ。ほら、捕まえなさい!」
「キュ!」
だけれど、人が育てた動物が自然で生きていくのは難しい。だから拾って育てるなら最後まで面倒を見るか、今のクイラさんみたいに厳しい自然の中で生きられる為の訓練を行わなくちゃ駄目だって教わったわ。魚籠から生きた魚を池に放ってビサワがそれを追い掛けて食べる。それを見て誉める彼女の顔は本当に嬉しそうで、私は気付かれる前に去る事を選んだわ。
(今の町の状況じゃ懐いていてもモンスターと同じ扱いをされるだろうし、彼女も勇者の私に見られるのは不安よね。だから知らないのが一番……)
「ゲルちゃん、やっほー!」
なのだけれど、なのだけれど! 世の中にはそんな空気を読めなかったり、空気を察した上で掻き乱す問題児が存在するわ。私と同じく物陰に隠れて様子を伺っていたパンダは何時の間にかビサワの背中に乗って私に向かって手を振る。クイラさんが私に気が付いてしまうのは当然だった。
「君はっ!」
「あっ、えっと、大丈夫です。竜とモンスターは別物だって分かっていますし、その子に手を出したりは……」
「ゲルちゃん、知ってるー? 海竜のお肉って大人と子供じゃ全然味が違っていて両方とも美味しいんだよ。子供の方はお菓子みたいに甘くって、ゲルちゃんが今さっき食べたがっていたトーストのアイスとハチミツを乗せた奴みたいな味だよー!」
「こ、この子は食べさせないわ!」
「食べませんから落ち着いてっ!?」
今回は私だけじゃなくクイラさんにも聞こえる様にした言葉のせいで彼女は腕を左右に広げて立ちふさがる。ビサワは何が起きているのか分からないって様子で、背中に乗ったパンダも気にしてなかったわ。
「取り敢えずアンノウンは後で女神様に怒って貰うとして、本当に大丈夫だから安心して下さい、クイラさん」
「あっ、ボスのお説教だけれど明日以降にする様に言い付けるのを待って欲しいな。そうしたら明日以降担当の僕におっ被せられるしさ」
「うん、分かった。クイラさんと少し話をしたら直ぐに女神様に叱って貰うから」
「ゲルちゃんの鬼、悪魔! 貧乳、将来性皆無の丸太体型、エターナルツルペター!」
「どうせ叱られるからって言いたい放題ねっ!?」
もう絶対に許さない。女神様にキツく叱って貰おうと心に決める私だった。もう、未来の成長の事まで分かる訳が無いじゃない。……無いわよね?
六色世界とは別の世界に行ったり、そこでキグルミを着て働く人材をスカウトして来る非常識な存在であるアンノウンだけれど、流石に未来は分からないと思う。未来の自分が送り込んだというのは無視する事にした。都合の悪い事は見ないのが人間だもの。
「それでクイラさん、少し事情を話してくれますか?」
「ええ、それは良いわ。勿論よ。でも……先にあの子をどうにかしてくれないかしら?」
クイラさんが心配そうに見る先ではビサワの背中の上でボールに乗りながら手にした傘の上のボールを回すパンダの姿。先にどうにかする事に異論が有る筈が無かったわ。
「……この子に出会ったのは一年前。ほら、この子って水晶が砕けているでしょう? ……父親以外の雄にやられたのよ」
「えっ!? そんな、どうして!?」
女神様に言い付け無い事を条件にして何とかパンダを回収した私はクイラさんと共に水辺に座り込んで話し始める。ビサワはクイラさんに寄り添って鼻先を擦り寄せて甘え、私が手を出せば一瞬驚くけれどクイラさんが先に撫でれば触らせてくれたわ。見ただけじゃ分からないけれど、小さな体には細かい傷が幾つも有った。
「……繁殖期になると他の動物でも見られるのだけれど、子育てをしている母親と交尾をするのに邪魔な子供を襲うの」
「あっ……」
確かに言われてみれば聞いた事が有った。動物学者さんは少ないけれど居ない訳じゃ無いから研究の成果が本になって発表される事があるし、私も読んだ事が一度だけ。
「私が此処で発見した時、ボロボロになった母親に寄り添っていた子供がビサワなの」
「子供を必死で守ったんですね、きっと」
「うん。その姿を見たら私を守ろうとしていた両親の姿を思い出しちゃって。……海竜は頭が良くて人間の言葉も理解するからどうにか育てられているわ。後一ヶ月で親元を離れて一匹で生きていく頃なの。だから……」
「はい! 私は町の誰にも話しませんし、アンノウンにも話させません! ……分かっているわね? 話したら一番怖い人からのお説教よ」
「え? どうして僕が喋ると思うのさ。ゲルちゃんは酷いなあ。僕の何処が信じられないのさ」
不満たっぷりな様子のアンノウン。だけど私は謝らない。だって何処を信用すれば良いのか分からないのがこの子だもの。
「あっ、そうだ! お父さんに教えて貰ったパップリガの約束の仕方があるんです。ほら、こうやって小指を絡めて……」
「こ、こう?」
クイラさんは戸惑いながらも握った拳の小指だけを立てて私の小指と絡める。それを確認した私は意味は知らないけれど気に入った約束の歌を口ずさんだ。最後の歌詞と共に指を離すけれど少し物騒な内容だと思う。
「怖い歌ね……」
「大丈夫です。遊びみたいな物ですよ。……意味は詳しく知らないけれど」
「まあ、実際は遊女……お金で体を売っていた女の人が恋仲の相手に指を切って送るって事で、破ったら一万回殴るって事だけれどね! ゲルちゃん、本当は未だある歌の続き聞くー?」
「断固拒否!」
本当は想像以上に怖かった意味に二度と使いたく無くなる。お父さんもどうしてこんな歌を教えたのか本当に分からなかったわ……。
「取り敢えず賢者様達には話しておいた方が良いと思うんです。ほら、何かあって誤魔化す時に事情を知っていないと力を借りるにしても何も知らないと手間取りますし」
「うーん。確かに仕方ないかな?」
折角後少しなのだし、私達が居る間だけでも協力したいと提案しながらの帰り道、私の提案にクイラさんが悩む顔をした時、木々の間をすり抜けて矢が飛んで来た。咄嗟に掴んだ矢は私の眉間に向かっていた物で、錆びた先端からは刺激臭。
「毒矢っ!?」
私が手にした矢を放り投げれば四方八方から矢が向かって来る。最初は宴に出す為の狩りの矢が流れて来たのかと思ったけれど、間違い無く私達を狙って射った物。全てを掴んで止めるけれど、クイラさんを庇いながらじゃ手が追いつかない。
「デュアルセイバーを持ってくれば良かったわね……」
「いや、宴に参加した後で偶々辿り着いた場所からの帰り道だし、武器を持っている方が変じゃない?」
「少し黙って、アンノウン!」
麦わら帽子を脱ぎ、端を持って飛んで来る矢を弾いて行く。元々モンスターの攻撃を防ぐ防具だから矢では防げないけれど、防戦一方なのは変わらない。変な臭いが充満していて鼻が利かないし、良い気分の時に襲われて腹が立って来た。それにクイラさんを守らなくちゃ駄目だし、背に腹は代えられないわ。
「アンノウン、朝ご飯のオカズ一品!」
「了解!」
クイラさんの頭に乗って何もしなかったパンダが前に飛び出す。構わず矢が来続けるけれど、パンダの口から伸びた長い舌が全てを絡め取り、真上に放り投げると同時に舌が口の中に戻って行く。
「パンダブラスタァアアアアアアア!!」
パンダの口から無数のエネルギー弾が吐き出され木々の向こうに飛んで行く。向こうから聞こえて来た衝撃音と男の人達の悲鳴。矢が止んだので向かってみればプスプスと煙を上げて倒れている悪人面の人達が居た。
「あっ! 此奴達はっ!」
私は知らない人達だけれど、クイラさんは知っているみたい。弓や矢筒を持っているし、この人達が襲って来たと見て間違い無いだろうけれど……。
「取り敢えず……どうしましょうか?」
今は目に前で気絶している人達への対処を考えないといけないわ。
勇者を殺そうとした人は余程の事情が無い限り一族郎党処刑がルール。私にそれを教えたアンノウンは眠くなったらしくパンダもピクリとも動かず、賢者様に助けを求める事も出来ない。流石に宴の最中に相談に行けば誰かが気が付くだろうから直接会いに行くのも出来ないし。
私がそうやって困っていた時、クイラさんも困った様子だったわ。知り合いみたいだし、幾ら襲って来た相手でも家族全員が処刑にされるのは心苦しいのだと思う。……私もそう。勇者の立場を軽視する気は無いし、私の次からの勇者達の為にも必要な法律だとは思うけれど、私はだから死んでしまえとは思えない。
「……よし。町長に相談しよう。此奴達は適当に縛って転がしておけば良いよ」
この町の事は町に住む人に任せるのが一番。だから私はクイラさんの提案を飲んで町長さんの屋敷を訪ねた。先にクイラさんが使用人さんに何か耳打ちすれば慌てた様子で通してくれたわ。折角の宴の日なのに執務室でお仕事の真っ最中だった町長さんはクイラさんから詳しい説明を受けて頭を抱えてしまう。ええ、確かに人の命が掛かっているのだもの、重要な話ね。
「……分かった。この件は此方で精査するので他言無用で頼んだぞ、クイラ。勇者様もそれでお願いします」
町長さんに拘束した人達の居場所を伝えた私達は屋敷を後にする。……本当に何故私を狙ったのかしら? まさかグリエーンで襲って来た人みたいに家族を誰かに捕らわれて居るのかも。そんな風に考えると気持ちがモヤモヤして来たのだけれど、それを察した様にクイラさんが私の肩に手を置く。
「うっし! 今から私の家に来なさい。食べたいって言っていたトーストのアイスと蜂蜜乗せを食べさせてあげる」
「やった! でも、御迷惑じゃないかしら?」
「子供がそんな事を気にしなくて良いわ。さあさあ、行きましょう行きましょう!」
我ながら単純だと思うけれど、心のモヤモヤはこれだけで薄まったわ。
そして翌日、心のモヤモヤなんて全部吹っ飛ぶ位に衝撃的な光景を目にする事になったわ。
「キィヤァアアアアアアアアッ!!」
港に響く耳を塞ぎたくなる様な絶叫。ガラスを引っかいた時みたいな不快な声で、発声者の自らの運命への嘆きと生者への理不尽な怒りが籠もっていたわ。
そう、声の主は生者ではなく死者よ。沖に現れた幽霊船、そのメインマストが脊椎に変わり、長い髪を乱れさせた骸骨。船を覆っていた靄と同じ青白い焔が目に宿って揺らめく姿は涙みたいだった。見ているだけで魂を掴まれたみたいな悪寒。別に怪談話は苦手じゃないけれどあれは怖いと思ったわ。
「沢山食べて、沢山寝たから僕は育った! さあ! ジャイアントパンダのお出ましだ!」
そして、巨大化したアンノウンのパンダが海の上に二本足で立って居たけれど、ジャイアントにしても度が過ぎると思うわ。……うん、あれを見たら幽霊船の怖さも台無しね。シュールな光景でしか無いわ。
新しいイラスト発注したよ 感想待っています




