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旅立ちの日

「あの役立たず共め! 一体何時まで待たせる気なのだ!」


 怒鳴り声と共に酒のグラスが床に投げ捨てられ絨毯を濡らしガラス片が散乱する中、私は目の前の愚物に冷ややかな視線を送っていた。


「……後で片づけておいて下さい」


 聞こえれば八つ当たりをされるのでしょうが怒鳴り散らすのに夢中な目の前の男は自分の濁声が邪魔してメイドに指示をする私の声が聞こえていない。同様に私を含めた使用人の冷ややかな視線に奴は気が付いていなかった。


 私の名前はセバス、エイシャル王国建国時より王家に仕えるグライ伯爵家の執事です。王への忠義厚く歴代の当主も名君と称えられた誇りと伝統を持つ偉大なる一族。


 ……ですが今当主の席に座るのは醜悪極まりない豚同然の暗君。美食に溺れ肥え太った身体に脂ぎった醜い顔。朝から酒に溺れて何が不満なのか周囲に当たり散らす。ああ、何故この様な愚か者が当主の座を穢すのが許されるのでしょうか……。


「おい、酒だ! それと女を連れて来い!」


「……畏まりました」


 私は目の前の豚に何も期待していない。当主としての振る舞いも執務もだ。故に粛々と従い余計な真似をするのを防ぐのみ。故にあの醜悪な趣味にも見て見ぬ振りをしましょう。


 全ては正当なる跡継ぎの坊ちゃまの為、家を守り抜く為。ですが最近は裏で良からぬ連中と付き合っている様子。お家の危機に繋がらねば良いのですが……。



「お父さんお母さん行ってきます。……暫く帰って来られないけどごめんね」


 旅立ちの日、村外れの墓地の一角にてゲルダさんが両親の墓に手を合わせる姿を隣で眺めながら私も両親の顔を思い出そうとしていました。正確には本人ではなくコピーな訳ですから地球には本物の私が存在しているのですが、最後まで二人を大切にしたと思いたい。だって所詮虚像に過ぎない私でも、この心は本物なのですから。


 ……もう記憶も朧気で魔法を使わないと二人の顔さえ思い浮かべる事すら出来ないのですが。


「もう良いのですか?」


「はい! 行きましょう、賢者様」


 この子は本当に強い子だ。本来ならば親に甘えていたい年頃なのに親を失い、それでも必死に生きている。その上、勇者等という過酷な運命さえも受け入れて……。


「ひゃわっ!?」


「おや、これは失敬」


 気が付けば私はゲルダさんを撫でていた。少しビックリした様子ですし急に撫でるのは流石に悪かったのですね。ですが、これから勇者として旅をして、功績を積み重ねながら魔族の被害がより大きい世界へと渡って行く。


 そうなれば彼女は年相応の扱いではなくて勇者としての扱いを受ける。理想に塗り固められた完璧さを当然の様に求められるのです。高校生の頃から旅を始めた私も、同年代や上の歳だった歴代勇者もそれは辛く感じたのですから十歳の彼女ならば尚更でしょう。


「ゲルダさん、私やシルヴィアなら好きなだけ弱音を吐いて良いですよ。私も散々吐きました」


 シルヴィアとは当時は感覚の違いが大きかったのでナターシャが聞き役でしたけど。思えば彼女は仲間としては最も仲が良かったかも知れません。シルヴィアと出会わなければ彼女に恋をしていたかも知れないと思う程に。……シルヴィアには絶対言えませんね。



「あ…あの、賢者様。私頑張って世界を救います。でも、頼りない勇者でも良いのですよね?」


「当然ですとも。貴女は子供なのですし、世界を背負うなど個人には重すぎる運命です。私達に寄りかかっても大丈夫ですからね」


「はい!」


 ……良い返事ですね。ゲルダさんは嬉しそうな顔で元気に返事をする。子供らしい年相応の笑顔だ。


 最初は気負い過ぎて押し潰されないか心配だったのですが勇者継承の儀で何かあったらしい。……これなら心配は要らないでしょう。勿論旅の最中に気を付けておくべきでしょうが。



「あの、女神様の姿が見えませんが……」


「シルヴィアなら……選抜の最中です。ちょっと様子を見に行きましょうか」



 差し出した手が恥ずかしそうにそっと握られる。仕事の為か少し皮膚が硬いけど子供らしい小さな手。どんな宿命を持っていても子供は子供だと改めて思い知らされる。その子供に世界が求める物の残酷さも。


 大人として子供の彼女を守ろうと、私は思うのでした……。


 今後彼女には数多くの苦難辛苦が待ち受け、目を背けたくなる位に汚い物を見せ付けられる。それが避けられないのならば、せめて私達が支えとなる。世界の命運など子供に背負わせるには重すぎるのですから……。







「わわっ!? あっという間にこんな所まで……ひゃっ!?」


 ゲルダさんと手を繋ぎ転移したのは村から遠く離れた草原。少し離れた場所にある巨大な岩が目印になって村からどれだけ離れているのかを理解した彼女が目をパチクリさせて村の方向に顔を向けた時、突如地面が揺れて轟音が響く。木に止まっていた鳥達も茂みにいた獣達も慌てて逃げ出す中、岩の向こうからアンノウンの一体が弧を描いて落下して来ましたおっと、未だ終わってなかったのですか。


「予想よりも成長速度が速いですね……」


 空気のクッションで受け止めて地面に落下したアンノウンの腹手を伸ばす。拳の痕がくっきりと残っていて気絶しています。触れればモコモコでフワフワの腹毛の感触が手に伝わりますが背中はツヤツヤスベスベの触り心地、創り出す時に毛の質をどうするか二つに分かれ、神界大戦が勃発する直前まで揉めたのですが最終的には二つとも採用で収まって良かったですよ。


「この子って賢者様のペットの……」


「アンノウンです。因みに七分の一ですけど」


 今のアンノウンは頭が一個で大きさもライオンより二回り大きい位。私の言葉の意味が分からない様子のゲルダさんに見れば分かるとアンノウンが飛ばされて来た方向に誘って進んでみれば決着間近でした。




「せいっ!」


「ギャンッ!」


 岩の反対側には六匹のアンノウンと戦うシルヴィアの美しい姿が在りました。


「彼女はどうも戦士の肉体を他の華奢な女神と比べていますが、あの気高い姿こそ本当に美しいと思うのですよ、私は。その上、二人きりの時は子猫みたいに甘えて来て美しいだけでなくて可愛い所も……」


「賢者様、またです」


「おや、そうですか。それは兎も角、ちょっと失敬」


 おっと、シルヴィアの事となるとついつい口に出してしまうのは相変わらずですね、直す気は有りませんが。それはそうとして五匹のアンノウンが地面に転がり、最後の一匹にもシルヴィアの拳が正面から突き刺さったので正面に居たゲルダさんを担いでその場から飛び退けばアンノウンの体を突き抜けて衝撃が此方へと向かって来ていました。地面を砕き突き進んだ衝撃波は最後に大岩を砕いて消滅する。その光景に私は思わず呟いてしまった。






「矢張り神の力を封印すればこの程度ですか……」


「我ながら情け無いとは思うがな……」


「これで情けないの!? いやいや、有り得ないよ!?」


 随分と驚いていますけどシルヴィアは武の神ですからね。殴った衝撃で離れた大岩を砕いて当然なのですよ。それよりも敬語が崩れていますが実に良い傾向だ。年上とはいえ旅をする仲間なのですし気を使われ過ぎるのも問題ですからね。今は思わずですけどいずれは……。



「あの、賢者様? どうして私の頭を撫でて?」


「おっと、ついつい。嫌でしたか?」


「いえ、嫌では……ないです」


「私も後で撫でろよ、キリュウ。成長を遂げたアンノウンもな」


 子供扱いされるのは嫌な年頃かと思いきや満更でもない様子。恐らくは既に自立しているのでしっかりしていても甘えたいと思う時が有るのでしょう。だから撫で続けていたシルヴィアが拗ね顔で地面に落ちた何かを放り投げたのでキャッチしてみればパンダのヌイグルミでした。



「短距離の転移に加えてヌイグルミを操作して魔法を使わせる等の高等技術も会得している。お前を超える日も近いかも知れんぞ?」


「それは困りましたね。この子悪戯が大好きですから」


 順番に頭を撫でて回り最後にシルヴィアの頭を撫でれば随分と嬉しそうで思わず顔を引き寄せてキスをしてしまいました。ゲルダさんが居るので流石に舌も入れたい気分なのを我慢しつつアンノウンに視線を向ける。うーん。この様子ではその内ヌイグルミではなくキグルミを操って六色世界とも無色の世界とも違う別の世界に行ってしまいそうですね。迷惑掛けた人からペットの躾について一言二言文句を言われるかも知れません。



「でも今は新しい芸を覚えたのだと喜びましょうか。……それで選抜はどうします?」


 そもそも何故アンノウンと戦っていたのかというと、本来の姿では威圧感が凄いとジレークに文句を言われたので一つの頭だけ移動手段に連れて行こうとなった訳です。





「それなのだが連れて行かない頭が可哀相だから日毎に交代でどうだ?」


「シルヴィアは優しいですね。それでこそ私が愛した女神です。私は貴女が美の女神よりも美しいと思いますよ」


「……美の女神は母上だぞ? やれやれ、姑として何かして来ても庇ってやらんからな」


「貴女への想いを語る事で受ける苦難ならば乗り越えますよ、何度でも」


 互いに手を握り、顔の距離が近付く。ああ、何という至福の時間なのでしょうか……。





「……ペットって事は毎日アレを見せられているの? だったら大変ね……」


 おや、ゲルダさんがアンノウンに何か言っていますね。そのまま仲良くなってくれれば一番なのですが。





 そして私達は村に戻り旅に出る。その際、村人達が見送りに来たのはゲルダさんの人柄なのか、この村の団結が強いのか。きっとその両方なのでしょうね。


「まさかお前が勇者に選ばれるとはな……無理はするな」


「嫌になったら戻って来なさいね。子供に世界の命運を背負わせるなんて間違っているもの」


 勇者は最高神ミリアス様が決定した条件に当てはまる対象から選出される。なので誰もが勇者という肩書きに過度な期待をするというのに彼らときたら……。きっとこの村は良い人が多いのでしょうね。だから勇者と分かってもゲルダさんをゲルダさんとして扱ってくれる。


 ……私がゲルダさんが勇者云々、一緒に旅をする云々と伝えた際には不審者扱いしたのは根に持たないでおきましょうか。私、別に不審者に見えないと思うのですがね。明らかに別の世界の出身でローブ姿の男と鎧姿の絶世の美女なだけですのに……。



「……ったく、こんな時にあの馬鹿は何をやっている」


「ごめんね、ゲルダ。ジャッドったら朝から姿が見えないのよ」


 ジャッドとは確か初対面で私達に泥団子を投げて来た少年ですね。ゲルダも随分と悪戯を受けたと言ってましたし両親が何か時を使っている彼女が気に食わないのですね。


「良いですよ、トムさんビーラさん。どうせ憎まれ口を叩くのだもの」


 ゲルダさんの反応もこんな感じですし、まあ今から勇者としての初仕事ですから変に心に影響するよりは良いのでしょうか?

うーん、何か引っ掛かるのですよね。


 私は違和感に悩まされながら首を捻るも答えは出ない。その間にもゲルダさんは村の人達に挨拶を済ませ、最後に羊達の世話を任せるダヴィルの方へと向かっていました。


「えっと、宜しくお願いします」


「任せろ。羊の事なら私が一番だ」


 彼女が 牧羊の神だとは既に伝えているので村人は少し遠巻きにして様子を見ている。あの子、元々コミュニケーション能力不足な所が有りますが、この村の人達ならばきっと大丈夫。旅の間に彼女にも良い影響が有れば良いですね。



「そろそろ行くぞ。乗り込め」


 アンノウン(本日担当)が引く 馬車の手綱を握るシルヴィアから声が掛かり、私とゲルダさんが乗り込むと動き出した。徐々に村が遠ざかる中、幌から身を乗り出したゲルダさんは村人達に手を振っていました。





「皆、行って来るねー!!」


 村が見えなくなるまでゲルダさんは手を振り続ける。幌の中に戻った時、彼女の目には涙が蓄えられていた。こうして四代目勇者である十歳の少女は生まれ育った村を後にして旅立つ。これからの旅路において村での思い出は彼女の支えとなってくれるでしょう。故郷とはそういう物ですから……。





「えっと、目的地は何処でしたっけ?」


「ベルガモットですね。ほら、地図のこの辺りですよ」


 馬車の中で地図を広げて目的地を指し示す。城の南で、ゲルダさんが育ったスダチ村から西に五十キロ進んだ先にあるベルガモットというエイシャル王国の物流にとって重要な街です。どうも数年前に当主が交代したとか。新しい当主については……おや?



「シルヴィア」


「ああ、分かっているさ」


 ……シルヴィアを呼びましたけどアンノウンは言葉が通じるので直接言葉を掛ければ……まあ、シルヴィアの名を呼ぶ方が嬉しいので構わないでしょう。アンノウンが動きを止めた事で馬車も止まり、幌の入り口から花束が飛び込んで来る。床に落ちそうだったそれを風で運ぶとゲルダさんの手の中に収まった。



「綺麗……」


 今度はちゃんと泥団子ではなくて花を投げたのですね。昨日話を盗み聞きしていると思ったらこの為でしたか。木から飛び降り村へと戻って行く少年の背中を見ていましたが帰りの安全が不安ですね。




「別の日担当のアンノウンを護衛に付けましょう」


 ……これは後から聞いた話なのですがジェッドという少年が見慣れぬモンスターに追われて泣きながら村に戻ったとか。アンノウン、ちゃんと仕事をしないと駄目でしょうに。






「あれがベルガモット。大きい……」


 アンノウンに引かれた馬車は数頭の馬が引く馬車よりも速く進み、ベルガモットには三十分もしないで辿り着く。随分と栄えた街ですね。市場も賑わっていて舗装された道を何台もの馬車が行き交う中、私達は検問の兵士に呼び止められた。



「……此奴の躾は大丈夫なのか?」


「ええ、この通り」


 流石に見慣れぬモンスターの姿に警戒しているらしいのでアンノウンの口の中に手を突っ込む。口の中をペタペタ触っているとどうやら信用してくれたらしい。通行税を払って入ろうとした時、耳打ちをされました。



「……その子から目を外さないで出来るだけ街から離れろ」


 それだけ言って彼は離れて行きました。





「はわわわわっ!? 此処に泊まるのですか!?」


 あの忠告は気になるのですが先ずすべき事は拠点となる場所を作る事。情報を集めた上で目的地であるサクサンの森へと向かいます。その為に選んだのが街一番の宿『レモネード亭』。宿泊費は他の宿の数倍もするので内装も随分と豪華、飾ってある調度品一個だけでゲルダさんの羊飼いとしての年収に匹敵するかも知れません。


「此処が一番ゆっくり出来ますよ? 初めてのお仕事なのですから腰を据えて臨みませんと。お金なら大丈夫ですし」


 そんな宿に泊まると知らされたらゲルダさんは当然驚きますが、これも必要な事なのですよね。あくまで積むべき功績はゲルダさんの物でなければならない。私がパパッと終わらせてゲルダさんの功績だと発表して済むなら世界は一日で救えます。


「だけど旅の費用は国のお金だし……」


「気持ちは分かりますが世界の命運に比べたら安い物ですよ。先代のアホみたいに贅沢に溺れて堕落さえしなければ。ちゃんとした所で疲れを取って、栄養を付けるのも勇者の義務です。私がそれを保証しますよ」


 旅も後半になれば疲弊した世界でマトモな寝床も食事も期待できる筈もなかったって辺りは暗くなるので後世の物語では省かれていますけど本当に大変でした。賢者として呼び出される理由も衣食住が後半になるにつれて増えてましたし。贅沢出来る内にしておきませんと。



「は、はい!」


 取り敢えずは納得してくれたので早速一番良い部屋を取りましょうか。ゲルダさんは成長期ですし美味しい物を食べさせましょう。……今の内は。




 あっ! その前に……。





「ゲルダさん、私と同じ部屋で大丈夫ですか?」


「ふぇ!?」


 私の問いにゲルダさんは真っ赤になって固まってしまいました……。









 所でアンノウンはどうしたか、ですか? ちゃんと馬小屋で居て貰って居ますよ。最後まで駄々を捏ねてたけど最後はシルヴィアの拳骨で大人しくなりました。瞑らな瞳で、もっと力を付けたら腹癒せに誰彼構わず好き放題に悪戯しまくるね、と伝えて来ますけど。……本当に将来迷惑を掛けた人に一言二言文句を言われそうですね。



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