閑話 仮面の令嬢による悪役令嬢物っぽい何か
人は皆、仮面を付け素顔を隠して生きている。こうすれば都合が良い、こうしなくては都合が悪い、そんな理由で本当の自分ではない何かに成りきる。偶に自由に生きている風に生きている人もいるけれど、大抵はそんな風な生き方が格好良いと思って。
昔の私もそうだった。他人が些細な事で怒る意味も無意味な事で笑う理由も理解出来ない。ただ、それを口に出し態度で現すのは公爵令嬢としては失格だから年齢相応な無邪気で天真爛漫な子供を演じていた。
「やあ。君がチスラですね」
「はい! 宜しくお願いします」
「ははは、元気で良い子ですね。……でも、演技は大変でしょう?」
自分を偽る生き方に疑問を持った事は無い。私は自分に立場に相応しい生き方をしているだけで、当たり前の事をするのに苦痛を感じる訳が無い。でも、ある日出会ったお方は私の仮面の下を見破り、世間話の中で随分と惚気話をして来る変人でした。名は伏していましたが奥様の事、そして引き取ったティアという義理の娘に対する親馬鹿丸出しな態度。
「……馬鹿馬鹿しい気分になって来ましたわ」
そう、公爵家よりも王族よりも立場は上の方が恥も外聞も無しに素をさらけ出す態度に驚き、辿り着いたのは一つの結論。力さえあれば自分を偽る必要が無い。自分では理解不能な人間の真似をする必要なんて無いのだと。
その後、素の自分をさらけ出した私に付けられたあだ名は仮面の公爵令嬢。鉄仮面を装着して一切の感情を隠しているかの様な姿からですが、私からすれば素の自分なのですが。ええ、勿論自分の理想や思い込みが混じっている可能性は捨て切れませんが、半分位は本当の自分でしょう。
「……お前の様な女が婚約者だとはな。最悪の気分だよ」
そんな私が嫁ぐ事になったのは次期国王のリガ様。どうやら私との婚姻が気に入らないらしく、大勢が集まる舞踏会の場で拒絶をされました。父は表情を変えずに怒っていますし、敵対派閥の方々は嬉しそう。
「誠に申し訳有りません、殿下。これも全ては国の繁栄、民草の安寧の為。どうか王侯貴族の義務として私を娶り世継ぎを。別に側室を幾人作ろうと文句は申しませんので」
「お前は義務で私に嫁ぐのか!」
「はい。それが貴族の娘である私の義務ですから」
私の言葉に随分と不愉快そうなリガ様ですが、風の噂によれば王族に生まれた身でも恋をしてみたいと口にしていたそうです。王宮のメイドに公爵家の密偵が居るので間違い無い筈でしょう。どうも市井に出回っている恋物語を読んだ影響だそうですが、随分と純情で純粋な方なのですね。そんな方を慕う真っ直ぐな気性の者を味方に出来れば都合が良いのですが、同時に少々都合が悪い側面も。
先程リガ様の拒絶の言葉に喜んでいた者達が居る様に、この国は一枚岩では有りません。今の陛下には幾つかの派閥の意向を汲んで娶った側室が居ますし、その中にはリガ様以外の王子を産んだ方も。王家の威光を蔑ろにし、国を意のままにしたい獅子身中の虫は何時の時代もどの派閥にも居ますが、問題なのは陛下のお母君が側室な上に市井から嫁いで来た方であった事。……何処ぞの派閥の娘の子と発表すれば良かったのに子を産んだ女を厚遇したかった先代が発表してしまい……迷惑な。
「どうかお忘れ無く、殿下。私も父も殿下の味方ですので」
政務にしても推している王子にしても公爵家が率いる派閥は陛下の意を汲んでいる。中には内心で背いている者も居るのでしょうが、位の高さから王家の血も濃い公爵家との婚約は王権を強める事に役立つ。殿下もその辺を飲み込んで貰いたいものでした。
「……ふん」
それから数年、周囲の声も有ってか殿下は公の場では表面だけでも取り繕っていただけました。踊りには誘い、他の貴族の前で仲の良い演技をする。互いに恋愛感情など無くても、貴族の婚姻などその様な物なのですから。ええ、別に恋愛感情を否定はしません、理解もしませんが。ですから婚姻は受け入れていただきますし、側室の子を跡取りにしたいのなら私の子と入れ替えましょう。国の為の道具となる、少なくても私はそれが貴族の在り方だと思っていますので。
……公爵家の血が残らない問題? 側室の子だけが男子だったので跡取りになるケースも有りますし、父親に全く似ておらず託卵の可能性のある者だって居るのです。事実はどうあれ、これはこうだと声高々に言う者に力が有れば問題無いでしょう?
やがて私も成長し、相変わらずの鉄仮面っぷりで学生生活を送っています。リガ様は相変わらず私が嫌いらしく、背の高さで抜かれたのも気に入らないらしいですね。武術の授業で一番をお譲りしているのですが、私が手を抜いているのを見抜ける位の実力を身に付けたのは幸いです。弱い王では困ります。最低限の自衛能力は必要ですからね。
「……アガリ子爵の息女が? いえ、子爵にお子が居たのですか?」
「ええ、どうも遠縁の子を引き取ったらしいのですが、その娘が殿下と随分と距離が近いらしく」
そんなある日、二年生に進級して暫く経った時の事でした。私の家と同じ派閥に所属する者達、俗に言う取り巻き達から聞かされたのはチャオという一年生がリガ様や他の有力貴族の子息達に随分と人気なのだとか。取り巻き達はそれが気に入らない様子。これは一言言っておくべきと判断しました。
「放置しなさい。何かしらの理由で殿方に好かれやすい者は居ますし、私は気にしていません。下手すれば彼女を慕う方々と揉める事になりますよ?」
「ですが・・・・・・」
「民草ならば親の決めた相手よりも恋人を優先する、そんな事が許される事も有るのでしょうが、私達は貴族です。殿下以外の方々にも婚約者が居ます。面倒事は押し付けましょう」
チャオがそれを狙っているのか、そうでなく男性の気を引きやすいだけなのかはまだ判別出来ませんが、下手に動かない方が良いでしょう。取り巻き達にも強く言い含めた私はその後何度も殿下や他の男子生徒と仲睦まじい様子のチャオを見掛けたのですが、特に不愉快とも感じません。
(成る程。貴族社会に染まりきっていない素朴な姿が新鮮に見えるのでしょうね)
殿下が相手をする様な高位の貴族の令嬢とは何かが違う姿に納得し、情報だけを集めつつ将来的には殿下の側室として派閥に取り込む事も視野に入れます。私では心の安らぎは無理ですし、私を気持ち的に抱けないのなら薬を盛れば良いだけ。
・・・・・・だったのですが。
「彼女の様な者を虐げるお前には王妃の座は相応しく無い! 今ここで婚約破棄を申し渡す!」
ええ、どうもチャオが誰かに突き飛ばされたり服を切り裂かれたりしたと耳にしましたが、私の取り巻きにはアリバイが有りますし、他の派閥の謀略でしょうか?
だとすれば私は間抜けですが、陛下及び幾つもの家の合意で決まった婚約を殿下の権限で破談には出来ないですし、留学生という名の密偵の情報で我が国の信用が下がると判らないのでしょうか?
「何故私だと?」
「惚けても無駄だ! チャオに王妃の座を奪われるのを恐れての事だろう! お前が私達に言い寄るなと言ってきた事はチャオから聞いている!」
「ええ、皆様が彼女に恋慕して不仲になりつつ有ると聞きましたので、その辺を伝えて揉め事に巻き込まれたくなければ本命を決めるなりするべきだと言いましたが? 静観する予定でしたが皆様の態度が度が過ぎますので」
チャオに話し掛けただけで他の生徒に決闘を申し込んだり、無駄で滑稽な競争をしたりと目に余ったので彼女の方から働き掛けて欲しかったのですが、危惧した通りなのか伝わらなかったのか今の状況を招いてしまいましたのは残念です。
「この冷血の鉄面皮め!」
「恥を知れ、恥を!」
「やはり私の目に狂いは無かった! 私が王座に就けばお前など無一文で追放だ!」
「いえ、流石にそれは王権でも無理でしょう。公爵家ですから国の機密にも触れますし、謀殺すれば禍根が残るのですよ?」
どうもリガ様は想像以上の夢見る性分だったらしい。民が乗る馬車の手綱を握るのが王であり、居眠り運転は勘弁して貰いたいのですが。せめて人目の無い場所でやって欲しかったと思いつつチャオの方に視線を向ける。誤解が有るだけなら解けば良いだけですが、彼女は突如怯えた様子でリガ様の背に隠れる。
「貴様、人が優しくしていれば付け上がったな! 未来の王妃を脅すとは・・・・・・此処で成敗してくれる!」
恋は人を盲目にさせるらしいですが、リガ様は護身用の剣を抜くまでに到りました?。他の方々も同様で、国の将来を背負う名家の子息がこれとは教育が間違っていたのか、それともチャオが私よりも上だったのか。分かっているのは私の家が率いる派閥は宜しくない状況だという事。もう関係は修復不可能でしょうしね。幸い私の取り巻きが教師を呼びに走りましたし、宥めるのは無理でしょうから到着まで耐え忍ぼうと杖を取り出します。それにしても立場上所持を許されていても暗黙の了解で武器を抜くだなんて幾ら何でも妙です。それが恋による物だとするのなら・・・・・・。
「本当に恋など馬鹿馬鹿しい・・・・・・」
「いえいえ、恋は素晴らしい。貴女も恋を知れば分かるでしょう。まあ、彼等のは恋とは別物、恋と呼ぶのは恋への侮辱ですがね」
決して忘れるはずの無い声が聞こえ、私達以外の時が停まりました。風で舞う木の葉も、驚いた生徒が取り落としたコップの中の飲み物もその場で動きを止め、私とリガ様達とチャオ、そして賢者様だけが世界の時の停止に取り残されたのです。賢者様と知り合いなのは私だけでなくリガ様達も同じ。その登場に驚く中、チャオだけが誰か分からず取り残され困った様子です。
「賢者様、お久しぶりです。このタイミングでの登場という事は見ていました?」
「久々にブルレルに来たので顔を見せに来たのですが修羅場になっていてビックリですよ」
「お見苦しい物をお見せしまして申し訳ありません」
最早リガ様の相手をしている場合では有りません。賢者様は女神シルヴィア様の直属の部下にして歴代の勇者を導いた存在。先ず第一にお相手をすべき相手なのですが、リガ様は頭に血が上った状態なので剣を手放しません。賢者様は温厚な方ですが、見過ごす訳には行きませんね。
「賢者様、邪魔はしないで下さい! 今はその者に罰を・・・・・・」
「邪魔なのは殿下です」
流石に認識を超えた言動に気が付かない程度に苛立っていたのでしょう。私だって心を無くした訳でもなく、怒るべき事例ならば怒りもします。剣を握る腕に手首に杖を叩き込み、怯んだ瞬間に顎を蹴り上げる。スカートなので真正面のリガ様には中身が見えてしまいますが、たかが布切れ、わざわざ見せびらかす訳でも無いので気にはしません。リガ様は気を失い仰向けに倒れますが、頭を打ったら危険なので胸倉を掴んでゆっくりと降ろしました
「一応彼は王子でしょうし・・・・・・」
「成る程、そうですね。まあ、賢者様への不敬走り陛下に剣を向ける以上に国への害になりかねますので。証言して下さるのでしょう?」
「気が付いてましたか」
「さて、何の事だか・・・・・・」
賢者様の問い掛けに私は久々に笑みを浮かべる。仮面としてではなく私の心から生じた笑みでした。それにしてもリガ様を気絶させたのを見た時の顔はまるで親戚の子供のお転婆を見た人の様。まあ、賢者様は少なくても二百歳なのですが。
「リガ様!」
殿下ではなく名を呼びながらリガ様へと駆け寄るチャオ。他の皆様は頭以外も残念な様で固まったままですが、どうやら心は強いらしい彼女は涙目で私を睨み、そのままリガ様の剣を拾い上げた賢者様によって胸を串刺しにされ、抜くと同時に腹を蹴り上げられて地面を転がります。
「ひっ!?」
「うわっ!?」
「・・・・・・はぁ」
聞こえた悲鳴に呆れを感じました。いえ、人死に対して眉一つ動かさないのは人として駄目ですが、貴族ならば兵を率いて戦う機会も有るでしょうに。
「盗賊退治程度の経験も無いのですか? 私にさえ有るというのに」
「いや、普通は公爵令嬢に有る方が変わっていますよ?」
「その程度は知っていますが、一応言ってみただけです。・・・・・・ああ、賢者様のする事ですから予想していましたが、矢張り人では無かったのですね」
昨日の友が今日の敵になる事さえ当たり前の貴族社会、敵味方問わず情報を集めているのですが、子爵の家をどれだけ調べても遠縁だと子爵が言うだけで情報が手に入らなかったチャオの正体が今明らかになっています。
「そんな・・・・・・」
「私の愛しのチャオが・・・・・・」
光の粒子となって消えて行くチャオの肉体。恋によって頭が湯だってしまい使い物にならなかった方々も流石に気が付いたのですね。チャオの正体が魔族だった事に。
「能力は記憶の操作か洗脳か・・・・・・まあ、十中八九魅了ですね」
少し鬱陶しいと感じる程度に恋について語っていた賢者様ですし、先程も恋への侮辱だと言っていた彼は随分と不機嫌そう。短い付き合いですが初めて見る表情ですね。
「さて、それで今からどうしましょうか? 魔族に好き放題されたというのも面白くないですね。面白くする必要等有りませんけれど」
一応国の危機ですし、教示やら美学や過程にこだわってる余裕は有りません。公爵家と王家が敵対等、敵対派閥の奸計の好機から他国の漁夫の利ですもの。
「しかし、どうすれば・・・・・・」
チャオが死んで魅了が解けたのか、魔族だと知った途端に手の平返しで気持ちが冷めたのかは知りませんが気絶しているリガ様以外は自分達の置かれた立場に理解が追いついたらしいですね。問題はリガ様。目の前で見た場合と違い、聞かされた話で納得するでしょうか?
「いえ、そもそも賢者様がわざわざ時を止めたのは何故かという話ですね。じゃあ、采配はお任せしますわ。出来ればお嫌いな方法が都合が良いのですが。・・・・・・私、来週誕生日ですの」
「相変わらず話が早い。・・・・・・まあ、貴女の先祖には初代勇者が世話になりましたからね」
絶世の美姫と讃えられ、暫く滞在していた初代勇者キリュウと交流を深めたという私の先祖。今回はその縁に救われて何よりです。
賢者様は不承不承ながらお嫌いな魔法を使う。でも、実は私だって少し嫌なのですよ?
「ああ! 愛しいチスラ。君の為に歌を使って来たんだ」
「そうですか。本を読みながら聴きましょう」
あの一件から数日後、実は魔族だったチャオ・・・・・・賢者様の解析で分かったのですがチャオ・リリムに騙された振りをしていた私達が油断を誘い賢者様が討伐してからリガ様は少し変わりました。具体的に言うと本当の愛を知ったらしく、チャオへの想いが私に移ったかの様です。
彼女はこれに耐えていたのかと思うと少し同情さえ覚えますが、都合が良いからと望んだのは私ですので耐えましょう。私は貴族、国の発展の為の道具。王家との婚約は恙無く進めなくては。例え既に今の王家に脈々と受け継がれた王家の血が流れていなくとも、知られなければ権威に傷は付きません。
しかし、本当に難儀な事だと我ながら思います。なにせ先祖と同じ相手に恋をしているのですから。・・・・・・叶わないのも同じとは。
「愛人とか募集する予定は有るのでしょうか?」
「ははっ! 私は君だけを愛する。愛人や側室など不要・・・・・・」
「いえ、政略結婚に必要ですし、予備の王子王女は必要なので色々と調整しながら他の女性も抱いて下さい」
そう、全ては不要、無駄の類い。無駄物全てそぎ落とすのは人間性の欠如に繋がるので徹底はしません。ですが・・・・・・この胸の痛みはどうしようも無い。
恋と美の女神フィレア様に祈りを捧げても無駄でしょうね・・・・・・。
「そうねぇ。娘の夫だし、ちょっと恩恵はあげられないわぁ」
今、変な天啓が有った気が・・・・・・。
ああ、他の方々も今までと違って婚約者と仲良くやっています。彼等は元々は仲が悪く無かったですし、問題は有りませんね。




