宴
……私達の町がこんな事になったのは何時からだっただろう? 私が幼い頃、この町……ダサラシフドは貧しいけれども住む人の顔は明るかった。どうもモンスターの産卵に適している環境だからって魚を捕るには少し遠出しなければならないけれど、堂々と胸を張って暮らしていたんだ。……それが今では。
「……ちっ!」
偶には外で潮風に当たりながら昼ご飯を食べようとしていたのに騒がしい馬鹿騒ぎの声で気分が台無しになった。目を向ければ昼間から路上に座り込んで酒盛りをする柄の悪い連中……海賊達だ。この町は今、海賊の拠点になっている。そうだ、思い出した。私の町がこんな事になったのは四年前、大嵐で大勢が帰らぬ人になった頃だった。
「海賊を受け入れるだって!? 町長、正気なのか!?」
「……分かっている。だが、仕方が無いんだ。町を守る人手もあの嵐の日に大勢失って、船や漁の道具を買う金も無い。皆、辛いだろうが耐えて欲しい」
私は漁師の娘だけれど未だ見習いだったから詳しく聞かされていなかったけれど、前々から海賊による打診が有ったらしい。海で無法を働くならず者である海賊は私達漁師にとって最大の嫌悪を向ける存在。多くの港に被害者が居て、彼らを憎んでいる。でも、無法者でも安心して使える拠点は必要で、町での略奪や過度の揉め事を起こさない事を条件にした上で略奪した金品を町で使うという契約をしたらしい。向こうだって拠点を失いたくないからモンスターの討伐だって行う。
ダサラシフドはその要求を飲んで持ち直した。海賊が見知らぬ誰か奪った汚い金で生き長らえる道を選んでしまったの。実際、町は豊かになったわ。ご機嫌取りなのか、貿易商紛いの事をしている奴等は各地の品を格安で町で売り、逆に町の品を他で売って来る。そうやって少しずつ自分達が必要な存在になる様に仕向けているのよ。
「……今に見てなさい。絶対に追い出してやるから」
「その意気だよ、クイラ。じゃあ、昼からも頑張って戦おうか」
私の呟きに賛同の言葉を吐いた傷跡だらけで眼帯をした男が立ち上がる。名はスカー。彼も海賊と同じく余所から来た人間。別に余所者を嫌ってはいないけれど、如何にも堅気の人間じゃないって風貌に最初は警戒したけれど、今では立派な仲間。自警団の頼れる一員よ。
「僕みたいな怪しい男を受け入れてくれたんだ。この町を守りたい。……海賊が利益をもたらしてはいるけれど何時かは破綻するよ。だから、さっさと追い出すんだ」
「ええ!」
突き出された拳に拳をぶつけ合わせる。最初は海賊を刺激するからって殆ど集まらなかった自警団のメンバーだけれど、酔っぱらいの世話や喧嘩の仲裁とかの仕事を通して少しずつ人数が増えて、日々の特訓で着実に強くなっている。今では海賊達にモンスターの相手の多くを任せずに済む位にまで。
だから大丈夫。私達の町は私達が守る。胸を張って歩き、明るく笑える日々を絶対に取り戻してみせるわ!
「右翼、雲丹亀が柵を乗り越えて来ている! 総員、弓を構え……撃ぇええええええええ!!」
港に集うのは故郷を守らんと集まった仲間達。目の前の海を埋め尽くし、同族さえ踏みつけて雪崩の如く迫るのは
海に住まう モンスターの群れ。ダサラシフドを壊滅させる事のみを本能に刻まれたかの様に襲い来る脅威に対して私達は苦戦を強いられていた。船は既にこの港には無い。船乗りの誇りであり命である船を町から山一つ越えた場所に避難させなければ漁がままならない、そんな屈辱を与える相手に武器を振るう。
「油を持って来て!」
仲間を飛び越して陸に上がった魚型のモンスターが呼吸が出来ずにピチピチと跳ね回る。無視するには巨大な上に毒を持つ刺が生えているので頭に武器を突き刺して海に叩き込めば密集して避けられないモンスター達の悲鳴が聞こえて来る。耳障りな甲高い鳴き声を止めろとばかりに煮えたぎった魚油を振りまいて火を放つ。幾重にも重なっているから海に潜って逃げる事も出来ずに焦げた臭いが漂って来たわ。
「今日は何時もより多いわね。……他から来たのかしら」
港を埋め尽くす程の大群……実は嫌な事にそれ程珍しい光景じゃない。数日掛けて普通の魚や海藻を食い溜めして一斉に集い、腹が減った頃に帰って行く。元々モンスターが大量発生しやすい環境だから数年に一度は起きていたし、魔族が現れてモンスターが活発に動けば頻度は更に上がる。だけれども、今日は一段と多かったわ。それこそ普段の三倍は優に越えている。
(このままじゃ何処かが崩れて、そこから一気に劣勢になるわ。……此処は援軍を要請しないと。それこそ海賊の力でも……)
正直言って町を捨てて他に移り住む人の気持ちが分からないでもないの。でも、私は、私達は故郷を愛しているから捨てられない。絶対に守り抜きたいの。
「……おい、空が曇って来たよ。まさかとは思うけれど天気鰻じゃないよね」
巨大な盾を両手に持ったスカーは這い上がって来た牛程の巨大なヤドカリを叩き落とす。穴だらけの貝殻に死霊系モンスターを住まわせる事から不吉の象徴として船乗りに恐れられるモンスター、スピリットハウス。育てば城と同じ大きさにまで成長すると聞いたけれど、もう一匹恐れているモンスターが存在する。普段は深い深い海の底に住み着いて、百年に一度補食の為に姿を現す。
名を天気鰻。天候を操り、嵐を呼び、幾つもの島を滅ぼした厄災。町に迫る災害であるモンスター達を飲み込み、未だ食い足りないと相貌を向ける巨体。海の底に尻尾の先を着けても未だ胴体の半分をさらけ出した絶望が動き出そうとしていた。
「……おいおい、僕を殺す気か?」
「まあ、この町を全て餌にする気でしょうね」
思わず出た軽口。今も海面に口を付けた天気鰻に向かって海の水が流れ込み、モンスター達は抗う事さえ不可能。絶望を越えた絶望、先程までの光景が生ぬるく感じる存在を前にすればスカーじゃなくても軽口しか出ない。もう諦念すら感じない。目の前に居るのはそれ程までの存在。だから私は全てを受け入れて……。
「……受け入れてたまるものですか! 総員……いえ、最期まで抗う気骨の有る人だけ着いて来なさい! 人間の最後の輝きって奴を見せてやろうじゃない!」
そう言って私は海に飛び込む。後ろは見ない。私が飛び込んだ後に聞こえたのは片手で数えられるだけの数、自警団の初期メンバーの人数と同じ。絶対的に戦力が不足している絶望的な戦い。でも、不思議と心は折れていない。望んだ明日を手に入れて、その後も日常を続ける為にも戦い続ける気だった。
「……勢いで飛び込んだけれど不味いかな?」
「そこ! 気が削がれるから黙っていなさい!」
スカーは何時もの様に大きくて逞しい体に似合わない言葉を吐く。少し呆れてしまうけれど、それでも僅かに心に巣くう恐怖で体が竦むのを防いでくれる。自然と笑みを浮かべていた。
「皆! 今日は鰻食べ放題よ!」
仲間から歓声が上がり、次々に好きな料理を口にする。こうしている間も天気鰻に飲み込まれ様としているのに。
「ゼリー寄せ……かな?」
「ありえねぇって! 焼くだろ、普通!」
「揚げるのが最高」
「私はう巻き卵が食いたい気分だ。……キリュウに頼むとしよう」
最後、聞いた事が無い声が聞こえた。誰かと思って顔を向ければ赤黒い獣が海の上を駆け抜けながら天気鰻に迫る。その背に乗るのは燃える炎の様な真紅の髪と褐色の肌を持つ女戦士。彼女が氷で造られた斧を構えた時、獣は一足飛びに天気鰻に肉薄、そのまま左右に両断された巨体の真ん中を通り抜けた。
「さて、流石に私かキリュウの出番だと判断したが……私が倒してしまって構わない相手だったか?」
冗談めかして訊ねる彼女は凛々しくて、まるで女神の様だった……。
「……いや、本当に大丈夫だったのか? 重要な儀式とか、あれは実は町で飼っているペットとかではないな?」
「あっ、はい。大丈夫です。寧ろ助かりました」
でも、その神秘的な魅力は少ししか続かなかった。
パチパチと脂が弾ける音がする。外に用意された大鍋や焼き網の上で調理される天気鰻を肴にお酒を飲む人達が騒ぐ中、私は少し困っていた。
(ううっ、お酒臭い)
プリューとの戦いの後、ダサラシフドに辿り着くなり目にした町の危機。私は海の上で戦う方法を身に付けていないからと女神様がアンノウンと一緒に飛び出したけれど、宴の席で大勢に囲まれているのは私も同じだった。
「あんな伝説級のモンスターを一撃で両断するだなんて流石は勇者の仲間だな!」
「シルさんがあれだけ強いんだし、勇者ならもっと強いのか?」
「凄ぇ! 流石は神に選ばれし存在って事だな」
彼等の中で私の強さがどんどん上がって行くけれど、女神様より強いとか全然そんな事は無い。寧ろ仲間の中で一番弱いのに困ってしまったわ。だって勇者が自分を弱いとか言ったら不安にさせてしまうもの。そんな風に自分の言葉に気を付けている時だったわ。
「……それで勇者様は暫く町を守ってくれるの?」
それはスカーさんと名乗った自警団の男の人からだった。それを聞いた他の人達は期待に満ちた顔を向けるけれど、私じゃ何を言えば良いのか分からない。町を守るとしても何時まで守れば良いのかも分からないし、途中で町から離れても、最初から残らなくても落胆させてしまうわ。
「あはははは! これも勇者の試練だよ、ゲルちゃん。勇者に対する要求って限度が無いからね。旅に出なくちゃ駄目だって分かっていても、自分達を守ってくれる相手にはずっと側に居て欲しいし、叶わないと不満に思う。さーて、どうする?」
頭の中に直接響いたアンノウンのその言葉は私の心に重くのし掛かる。前々から賢者様や女神様に何時か迫られると言われていた取捨選択の時が来た。
「人間ってのは基本的に勝手だし、自分達の窮地をどうにか出来る他人に無償の善意を当然の様に求めるんだよね。特に勇者なら尚更で、理想の体現者じゃないと勇者に非ずって感じだから感じ悪いよね」
「え、えっと、モンスターの大量発生にしても異常な数ですし、人を狙って押し寄せるにしても妙なので暫くは調査に残る予定です」
アンノウンの言葉の通り、私だって勇者って存在に理想を求めていた。神様に選ばれた世界を救える存在だって。でも、手の届かない場所に居る人は助けられないし、声が届かなければ危機を知る事さえ出来ないわ。今回は予め賢者様が方針を決めてくれていたけれど、きっと何時か私は迫られるでしょうね。どっちを救ってどっちを見捨てるのか。見捨てた人からの罵倒を覚悟しながら。
ふと思った。アンノウンは実は人間が嫌いなんじゃないかって。だから勇者に対してどんな対応をしてくるのか厳しい意見を告げて来る。
「え? いや、基本的に何々だから好きだ嫌いだってのはないよ、僕。個人単位で見るからね。マスターとボスは例外だけれど、他は友達か敵か、弄くったら面白いかどうか。後は一切興味が無い、そんな所かな。ほら、僕って人とは価値観違うしさ」
どうやら空気を読めないアンノウンは心は読めるらしい。私の考えた事に頭の中へ返答をして来た。そうね、賢者様も女神様も普通の人とは何処か考えが違うって感じる時が有るのだもの。……私はどれなのかしら?
「勿論面白いオモ……友達だよ!」
今、絶対にオモチャって言おうとしたのに気が付いたけれど、普段の扱いから薄々予測はしていたわ。今更よ、今更。空気読めなくて気紛れで悪戯好きな上に性悪で力は凄いだなんて本当に厄介な子ね。
「いや、僕は空気読んでるよ? 読んだ上で好き勝手に行動しているだけだから」
余計に質が悪いと呆れて溜め息を吐いた時、物影から私達の様子を窺っていた人達に気が付いた。いかにも悪人面で怪しい男の人達。逞しい体付きは漁師さん達と同じ海に生きる人って感じだったわ。私と目が合うと慌てて去って行き、その姿を見る他の人は様々。
気まずそうに目を逸らしたり誤魔化す様に私に料理を勧めて来たり……嫌悪の表情を消えて行った方向に向けたり。一体誰なのか訪ねられる空気じゃないのは確かだったわ。
「ほら、新しいのが焼けたわよ。スカーが焼いたの。彼、あんな見た目で料理が上手なんだから」
自警団のリーダーをやっているクイラさんが皿に山盛りになった鰻の串焼きを差し出して来た。タレを塗って焼いた表面は香ばしい焦げ目が付いていて、少し嗅ぐだけで食欲を誘う。私の舌はもっと欲しい、全部食べろと訴える。でも、無理よ。
「えっと、もうお腹一杯で……」
「そう? 随分と小食ね」
舌はもっと欲しているけれど、私の胃は限界を迎えている。串に刺した鰻の身は普通の鰻一匹より少し大きい位。漁師の町だけあって魚料理が豊富で色々と食べていたけれどこれ以上は入らない。私、普通の子供の数倍は食べているわよね? 勇者の私に普通の子供と同じ話し方をする事から思っていたけれど、本当に豪快な人達だわ。
「……さっきの言葉だけれど気にしないで。彼、ちょっと焦っているだけなの。私達の町は私達が守るから、最低限その位はしなくちゃ胸を張って生きられないわ」
「強いんですね」
本当にそう思う。この人は……いえ、この人達は本当に強い。困難を前にしても挫けず前に進もうとしていて。そんな人達が生きている世界には守るべき価値が有ると思った……。
「あっ! 私、ちょっと失礼するわね。相手をしなくちゃいけないお客様が来るの」
慌てた様子で去って行くクイラさん。随分と慌てた様子だけれど、余程大切な人なのね。
「……うん?」
……でも、この町ってモンスターが大量発生している港周辺の海域以外は山だけれど、どんなお客さんが来るのかしら?
歓喜と酒気に包まれた歓迎の宴が終わる様子を見せない頃、町の奥に建つ町長の屋敷に大勢が集まっていた。豪奢な赤いソファーを挟む様にして向かい合って立つのは町の有力者達、そして海賊の幹部だ。互いの利益の為に手を組んでいるだけであり、本来ならば相互理解など不可能な筈の彼等は今この時は相手に何の感情も向けない。いや、正確に言うならばソファーに横たわる女性に意識の全てを捧げていた。
ウェーブの掛かった金髪は絹の如く滑らかで、白い肌を隠すのは黒いリボンのみ。シルヴィアとイシュリアの母であり美と恋の女神であるフィレアが触れる事さえ躊躇う芸術的な美の化身ならば、彼女は淫奔と情欲を誘う甘美な毒の如き美。触れずには居られず、触れた者を犯す毒の様な美を放つ彼女は自らに向けられる不躾な視線を感じて微笑んだ。
優雅であり背徳的であり淫靡な笑み。それを一目見ただけで男達は骨抜きになって平伏し、少しでも自らに興味が向けられる事を望む。彼女が口を開けば吐いた息を取り込もうと強く息を吸う中、甘える様な誘う様な声で言葉が紡がれた。
「ふふふ、私の愛しい愛しい殿方達。どうか頭をお上げになって。私に顔を見せて欲しいの。そしてもっと近くに。……私に触れて欲しいわ」
彼等の理性が崩壊したのはその瞬間だった。既に孫が居る年頃の町長も血気盛んな若い海賊幹部も、実は男色の気があり密かに男娼を囲っている海賊船長さえも彼女に群がる。蟻が蝉の死骸に集まる様に彼女に集い、彼女を汚そうとする男達。そんな状況で彼女は笑っていた。
「もっと、もっと私を求めて。私だけを見て、私だけを愛して。貴方達の全てを私に捧げてちょうだいな」
「リリス様!」
「リリス様!」
「レリル様!」
「レリル・リリス様!」
彼女と、レリル・リリスを貪りながら男達は口々に叫び、彼女を誉め称える。当然だが、相手が何者かも分かっている。彼女は魔族、人類の敵だ。組みすれば厳罰が課せられる等知っていて彼女を欲している、全てを手に入れたいと思っていた。
「ふふふ、ふふふふ、ふふふふふ。可ぁ愛い、可ぁ愛い私の大切な恋人達。ほら、もっと情熱的に私を求めて」
だが、大勢の男達に犯されながら楽しそうに笑う彼女が魔王の側近の片割れである事は知らない。魔族であるとしか明かされていないが、男達は大切な秘密を共有していると誇らしく思っていた。
「……あら、来てくれたのね。ほら、近くにいらっしゃい」
「……はい」
背徳の宴が進む中、一人の人物が部屋に現れる。レリルに夢中で男達の誰もが意識を向けない中、レリルに手招きされたその人物が戸惑いながらも近くによって跪けばレリルの手が頬を優しく撫でた。
「勇者が来たって聞いているわ。部下に騒ぎを起こさせるから騒ぎに乗じて殺して欲しいの」
冷酷で残酷で、そして美しい笑みを浮かべながらレリルは願いを告げた。




