忠告と屈辱
帆に風を受け、波を割って船は進む。生まれて初めて乗る船に少し緊張していた私だけれど、賢者様が魔法で酔い止めをしてくれていたから不安は少なかったわ。船が沈めば海の真ん中に取り残されるって不安は残っているのだけれど、今は景色を楽しんでいた。
「潮の香りに慣れたら潮風って気持ち良いわね、アンノウン」
「そっかー。ゲルちゃんって初めて船に乗る位な田舎者だもんね。何でも新鮮なんだ」
「別に今は田舎者は関係無いわよ。……確かにド田舎だけれど」
この旅で私は多くの物を見て来た。未だ半年と少し程度だし、私は目にしたのは世界全体からしたらごく一部でしかない。でも、羊飼いとして過ごすだけなら一生知らなかった景色を見て、絶対に出会わなかった人と出会ったわ。それが全て綺麗な物じゃないけれど、私はそれだけで勇者に選ばれて良かったと思っているの。
「まあ、こんな出会いは少し勘弁して欲しい、のだけれど!」
海から飛び出して来た巨大なエイをデュアルセイバーで海に叩き落とす。毒針を持つ尻尾を振るって来たけれど躱わすのは難なく可能よ。どうやら弱い部類のモンスターだったらしく再び襲って来ない。……但し、私が海に叩き落とした相手だけ。
バシャバシャと水面をヒレや尻尾で叩く興奮した様子のエイ、それが目測で三十匹、弱いなら群れるのは当然ね。特に真ん中に居る一段と大きい個体が立てる音が大きいし、もしかしたら群れのボスかも知れないわ。
『『エイエイオー』群れで行動するエイのモンスター。尻尾の毒は非常に強力な他、短時間なら陸上でも行動が可能であり、船の上に上がって人を襲う事も多い。成体の中には陸地と見紛う程のサイズも存在する』
どうやら弱いのではなく、未成熟な個体だったらしい。だって精々が五メートル程、小島とも間違えないわ。ビタンビタンと群れのリーダーが尻尾で水面を叩く音が大きくなって、それに合わせて興奮を増すエイエイオー達。そして群れのリーダーが船に向かって飛んだ瞬間、他のエイエイオーも一斉に船目掛けて飛び掛かって来たわ。見上げれば牙を剥き出して空から降って来る巨体。それら全てが見えない壁にぶつかり、ズリズリと表面を擦る様に海に落ちて行った。
「危ない危ない。折角乗せて貰っている船を汚す訳には行きませんからね」
「別に掃除はこまめにするから構わないんだがな」
「あら、矢っ張り賢者様だったのね」
声に振り向けば賢者様と船長さん。本当なら長い漁の疲れを取る休暇の筈だったのだけれど、『世界の危機に少し疲れたとか言ってられるかってんだ! 嬢ちゃんが英気を養える様に近くまで連れて行ってやるぜ!』、って感じの後に全員一致でダサラシフドの近くまで向かっているのが今。何か手伝いたかったけれど、休暇だと思って船旅を楽しむ様に言われちゃったわ。
そんな訳で私とアンノウンは甲板で海を見るのを続行。私は初めての船旅だから飽きないけれど、アンノウンは飽きたらしく退屈そうにしていたわ。
「ねぇ、ゲルちゃん。抱腹絶倒間違い無しで、思い出すだけで転げ回る一発ギャグを言ってよ」
・
「無理」
「え~。何時もの強敵との戦いで見せるガッツは何処に行ったのさ? 諦めたら駄目だって」
「無理な物は無ー理ー。だったらアンノウンが何かやってよ。私は海を見ているから」
「無理言わないでよ。これだからゲルちゃんには困るんだよね」
ちょっと殴っても構わないわよね? そんな風に思ったけれど、口に出したら馬鹿にされそうだし、無言で殴ってもヒラヒラと避けられるのは目に見えている。多分私をからかって暇潰しをしているのだし、無視をして海の方を見ている事にしたわ。
水平線に目を向けて耳を澄ませば聞こえて来るのは海鳥の鳴き声や波の音、そして牛の鳴き声。
「モー」
「牛っ!?」
海の真ん中で聞こえて来た牛の鳴き声、見れば小島に座礁した船があって、その残骸の中に数匹の牛が居たわ。でも、苔みたいなのが生えた青っぽい皮だしモンスターかも。
『『海牛』海に生息し、海草を食べる牛。大人しいが一日に食べる量が凄まじく、群れが住み着けば周辺の海草を食べ尽くし、それを住処や食料にしている生物の現象を招く』
どうやらモンスターで間違い無かったらしい。私の声で気が付いたのか漁師さん達が集まって少し殺気立っていたわ。
「船長! 海牛ですぜ、どうします?」
「決まってるだろ。ぶっ殺せ!!」
海に生きる種族であるエルフは基本的に気の良い人達だけれど、生業にしている漁の邪魔者には厳しい。まあ、私も羊飼いとして狼や羊泥棒が嫌いだし気持ちは分かるわ。手に銛を構えて構える漁師さん達に指示を飛ばしながら船先を小島に向ける船長さんだけれど、船の残骸の隙間に人の頭くらいの大きさのキノコが見えた途端に舌打ちをして進行方向を変えた。
「あれ? 海牛を退治しないのですか?」
「したいんだが、あのキノコがなぁ……」
「キノコが?」
渋々といった様子で海牛の方を見ている漁師さんによるとキノコはジバクタケっていう危険な物らしい。一定以上育つと爆発して胞子を飛ばし、爆発の犠牲となった草木や生き物を養分にして育つらしいわ。育ちきるまでは安全で美味しいそうだけれど、触れた物に付着した胞子が育ったら危ないから取り扱いに制限が多くて禁輸扱いとなっている……のだけれど。
「珍味だからって物好きな金持ちが裏で仕入れていてな。金になるからって裏ルートで運ぶ馬鹿が居るんだよ。ありゃ途中で幾つか爆発したな」
もう爆発する位に育っているから急いで離れようとする船長さん。だけどアンノウンの頭に乗っていたパンダが船の縁から飛び出したわ。自分の体より大きい肉切り包丁を構えて海牛の横を通り過ぎ、一瞬で解体する。空中に部位ごとに綺麗に分けられた肉や内臓が舞った。
「ハーツ、レバー! ホルモン、ハラミ! カールービ! 今日のお昼は焼き肉だー!」
両手を頭上に掲げれば出現したのは船よりも巨大な火の玉。それが島へと落ち、巨大な火柱が船の残骸も海牛もジバクタケもパンダさえも飲み込む。火が消えれば無傷のパンダと美味しそうな焦げ目の付いた牛とキノコが目に入った。
その光景を船長さんは呆然と眺めて呟いたわ。
「何つーか、無茶苦茶だな、おい(良い意味で)」
「何時も無茶苦茶なんです(悪い意味で)」
途端に漂う焼けた肉の食欲を誘う香り。炎の勢いで宙に舞い上がった肉とキノコはそのまま地面に落ちて行くのだけれど、パンダが口に手を当てれば牛一頭が寝そべられる程に大きな皿が出て来て肉とキノコを受け止める。この時、私の腹の音が鳴った。
「わーお! 食欲旺盛だね、ゲルちゃん」
「仕方無いわよ、成長期だもの」
それに頭の中にアンノウンの焼き肉を望む声が響いた時に肉が焼けて網の隙間から脂が滴り落ちる映像まで流れたのだもの、絶対確信犯じゃないの。体が育っている途中の私が耐えられる訳が無いわ。
「まあ、成長期だけれど極一部は全然育ってないけれどね!」
「五月蝿いわよ。そんなに貧乳が嫌いなのかしら? 貴方、大きな胸の子が好みなの?」
「いや、僕ってどう見ても獣だし、人間の胸が大きいとか小さいとか心底どうでも良い」
「だったら言うんじゃないわよっ!」
怒鳴った所で周りの漁師さん達が口をポカンと開けて居るのが見えた。あれ? もしかして……と言うか絶対私以外には今の流れが聞こえていなかったわね。アンノウンを見れば顔を背けながら震えている。絶対笑うのを堪えているって分かった。
「……笑うなら笑いなさい」
「あっはっはっはっはっはっははっはっははっはっはっ!」
「……女神様に言いつけてやるんだから」
「ふぁっ!? ちょ、ちょ、ちょっと落ち着いてよ、ゲルちゃんっ!?」
急に慌てだしたけど知らないわ。普段は女神様に頼ったら負けな気がするから私だけて相手をしているけれど、偶には反省すれば良いもの。……反省を知っているとは思えないけれど。
この後、アンノウンは女神様に盛大に怒られて拳骨を食らっていたわ。賢者様は執り成しでいたのだけれど却下されていたし、本当にいい気味よ。
「あー、酷い目にあった。ゲルちゃん、胸だけじゃなくって器も小さい……」
「女神様に言うわよ?」
「ごめんなさい!」
船が目的地の港に着くのは一時間後、それまでにお昼ご飯を済ませるべくアンノウンが焼いた肉とキノコを食べていたわ。賢者様女神様と地図を見ながら今後の計画を話すとかで、ゆっくり食べられる様にって私とアンノウンだけ。この子、絶対に反省していないって確信しながら私は溜め息を吐き出す。
「こっちはイアラさんの子供に何って言うべきか迷っているのに……」
前の世界で私を襲って来た魔法使いのイアラさん、私のお母さんに似ていた彼女は子供を人質にされて、私を勇者だと知らずに迷いながら攻撃を仕掛けて、私を信じて希望を託した所で魔族に殺された。
だから私は謝らなければならない。そんな落ち込む気持ちの時に悪戯に巻き込まれるのは沢山だった。でも、それを聞いたアンノウンは困った様な顔をしたわ。
「いや、止めておいた方が良いよ。少なくても襲って来た事は黙っておくべきだし、勇者が一々守れなかった事を謝ったら駄目だって。心を追い込まれるし、責める馬鹿が出るからね」
「でも、それでも私は彼女の想いを無かった事には出来ないわ。それに、遺された家族には全てを知る権利が有ると思うのよ」
「まあ、君がそれで良いなら構わないよ。その子、最低でもギロチン刑になるけどね」
何を言われたのか一瞬分からなかった……なんて事は無かった。そう、それは私が目を背けていた事だったもの。勇者とは世界を救う存在で、人類全体の敵が魔族。その魔族に組して勇者を害そうとした場合、相手を勇者だと認識していてもいなくても厳罰が下される。どんな理由が有ろうとも、それは人類全てへの敵対行為だから。そして、それは家族にまで累が及ぶ。
「マスターやボスは君が人と関わるのを怖がるのを嫌がって敢えて触れないし、何かあれば即座に対処する気らしけれどさ、神だって全知全能じゃないんだし君は自覚するべきじゃないかな?」
「……分かっているわよ。あの二人が私の為に気付かない様にしてくれているって事も、勇者がどれだけ重要な存在なのかも」
「うん、それなら良いんだ。二人は先駆者として、保護者として君が出来るだけ子供らしく過ごせるのを望んでいる。でも、僕は友達として忠告しよう。……さっきから鼻毛が出ているってね!」
「全部台無しねっ!?」
急にシリアスに突入したかと思ったら即座にギャグに持ち込むアンノウンに私は脱力する。色々と真剣に考えたりしたのに全部無駄だった。もう直ぐ到着なのにドッと疲れた気がするわ。
「あははは! まあ、ゲルちゃん。こーんな風に色々悩んでも全部無駄って事さ。何せマスターとボス、そして僕が一緒なんだし、君は君のやりたい風にすれば良いのさ。人の決めたルールだなんて神の力でひっくり返せるんだからさ」
「……まあ、励ましてくれてありがとうとだけ言っておくわ」
少し腹立たしい。心の片隅に追いやって目を逸らしていた事に気付かれていただなんてね。アンノウンだから本気なのか冗談なのかは分からないのだけれど、今は私を気遣ってくれたと思う事にしたわ。
「港が見えたぞー!」
目的地のダサラシフドは周辺で起きたモンスターの大量発生なのか密集なのかだかで船では行けない。賢者様の力なら行けるけれど、道行きも勇者の功績に含まれるのだもの、面倒よ。船が向かっているのはバサメシという港町。普段は立ち寄らない船長さんの姿に港で作業していたエルフさん達も驚いていたわ。
「ほー。こんなちっこいのに勇者なのか。頑張ってくれよ、嬢ちゃん。でも無理は禁物だぜ?」
「そうそう。未だ子供だし、無茶したら駄目だ。四の五の言う奴は賢者様達にぶっ飛ばして貰いな」
「シルさんだったっか? 大変だろうが嬢ちゃんを守ってくれよ? 子供を守るのは大人の務めだ。まあ、その子供に世界を任せる情けない男が何を言ってんだって話だがな」
船長さんが事情を話せば私はエルフさん達に囲まれる。中には男の人に負けない筋肉のお姉さんも居て、皆揃って激励をしてくれたり頭を撫でたりして来たわ。少し汗と魚の臭いが凄まじかったけれど顔に出さなかった私は偉いと思う。
「ほらほら、さっさと仕事に戻んな、馬鹿共。こんな子供が使命の為に動いてるんだ。大人が仕事をほったらかして何やってんだい」
最後にはバサメシの漁師頭のオバさん(男の人よりも逞しかった)が皆を追い払って解散となった。その際に貰った飴玉を舐めながら町を見学したけれど、港町だけあって魚市場が大きいし、釣りの道具だって豊富。釣りなんて一度もした事がない私は少しだけ興味を惹かれたわ。
「ねぇ、賢者様は釣りってした事が有るかしら?」
「釣りですか? 実は私ってミミズやゴカイが苦手でして、自分で餌を付けられないのですよ。お祖父さんは釣りに連れて行ってくれても餌は付けてくれませんでしたし。……ああ、でも釣られた事は有りますよ? 私の心を一本釣りされました」
「何を馬鹿な事を言っている。……根気良く私が針に掛かるのを待ち続け、見事に心を釣り上げたのはお前だぞ」
並んで歩く二人は指を絡めて手を繋ぐ。何と言うか、何て言えば良いのかしらと悩む中、目の前に女の子が出て来て立ちふさがった。ティアさんは何を考えているのか分からない人だったけれど、目の前の子は人形めいた印象。赤毛で身長も体格も私と同じ位。少しだけ親近感が湧く中、彼女は指を賢者様と女神様に向けて言い放った。
「不快。凄く不愉快。……どうして隣に居るのがクレタ様じゃない? 素敵な花嫁姿で送り出したのに」
「魔族!?」
クレタ、その名前に私は反応する。賢者様に一目惚れした結果、部下のアドバイスで花嫁姿で現れた彼女を苦戦しながらも倒したのだけれど、それなら目の前の子はその部下だという事になる。でも、不思議な事に魔族なら一人を除いて感じた独特の体臭を感じなかった。いえ、そもそも前に居るのは確かなのに何処か存在が希薄な気がしたわ。
「……そう、私は魔族」
私達が騒いだ事で注目していた周囲の人が一斉に逃げ出し、周囲に見えるのは何時でも邪魔にならない場所に退避可能な場所に居るエルフが数人。腕を振りながら声援を贈ってくれたわ。
「教えて。どうしてクレタ様じゃないの?」
「彼女を選ばない理由は有っても、選ぶ理由は存在しない、それだけです」
「……そう。あの方も馬鹿な道を選んだわ。叶わない恋だって分かっていたのに、それでも全力で挑みたかったのね」
声からは悲しそうに思えるし、僅かに変わった表情も悲しそうに見える。だけど何かが変。感情が有るのに感情が無くて、目の前に居るのに目の前に居ない。そんな矛盾した印象を抱かせる彼女は背中に背負った巨大なメイスを構えた。
「中級魔族プリュー・テウメソス、行く」
「ゲルダ・ネフィル、勇者よ!」
即座に私もデュアルセイバーを構えるけれど、今までみたいに緊張感を感じていない。だって既に何度も上級魔族を倒して来たし、実際に武器を振り上げて向かって来るプリューはドタドタと動いていて簡単に動きが見切れた。
「えい。……わっとっと」
大振りの一撃をその場から一歩も動かず、僅かに背中を後ろに逸らして回避。そのまま振り切ったプリューは勢いに体を持って行かれて体勢を崩す。そこに私の突きが命中、脇腹に叩き込まれた。……でも、まるで幻みたいに通り抜け、再び折り返して来たメイスを腕で受け止めて蹴り付けるけれども通り抜ける。確かに目の前に彼女が居て、メイスを振るったのに私の攻撃は通らないだなんて妙な話ね。
「……それが貴女の能力かしら?」
「そう。でも、詳しくは言わない。手の内を話すべきなのは連携が必要な味方だけ。敵に話すのは馬鹿」
メイスを押しやって飛び退けば追撃はして来ずに立ち尽くすプリュー。彼女は私の問い掛けに感情を悟らせない声で返答して、そのまま背を向けて走り出した。
「待ちなさい!」
「敵に待てと言われて待つのは間抜け。私は間抜けじゃないから勝負は預ける。……次は私達が勝つ」
咄嗟に石ころを地印で弾き飛ばしけれど通り抜けて意味が無い。今は圧倒的に情報が足りなかった。
「……油断し過ぎね」
今、私は相手を侮っていて、自分が成長したと調子に乗っていた。それが今の無様な戦いに繋がっているわ。相手の情報を殆ど得られずに終わるだなんて屈辱でしかない。私は拳を強く握り締めた……。




