使い魔の嫌うもの
僕の名はトゥロ。グリエーン出身の豹の獣人だ。幼い頃に両親に先立たれた僕は親戚であり所属する部族の族長の家に引き取られたのだけれど、戦士の誇りを大切にする部族の一員である僕は戦いの才能が無かった。決して虚弱な訳ではないのだけれど、どれだけ鍛えても筋肉は少ししか付かず、技だって頑張っても中々身に付かない。取り柄と言えば手先が起用な事ぐらいだったんだ。
そんな僕が抱いた只一つの夢、それは強くなって仲間を守れる様になる事。強さだけは尊敬していた従兄弟には馬鹿にされていたけれど、その夢に向かう事で僕は頑張れた。手に豆が出来る程に素振りを続け、反吐が出るまで体を鍛え続けた。何時かは報われるって信じていたんだ。
「……よし! 残り半分!」
僕がグリエーンから姿を消したのは半年前。その日の日課の走り込みの最中、突然足下が開いて僕は深い穴に落ちて行く。地面に衝突する衝撃で気を失った僕が目覚めてから最初に聞いたのは波の音、続いて聞こえたのは怒号。初めて訪れた別の世界での奴隷の日々が始まった。
毎日木材や石材を運び、ボロボロになりながら眠る。誰の顔にも希望は無く、中には心を失って働き続ける人だっていた。僕が諦めなかったのは同じ作業班になった同郷の子供達の存在があったから。守るべき存在が僕を奮い立たせてくれたんだ。……それと好きな子も出来た。僕が心の中で吐く弱音を察して支えてくれる彼女の名前はカイ。彼女が居たから僕は夢を諦めずに居られたのだろう。
「皆、相談がある。此処を脱出しよう!」
この劣悪な環境じゃ何時か死んでしまう。食事も寝具も粗末な上に怪我をしても満足に治療されず、風呂だって入れない。使い捨ての道具として扱われる日々の労働の合間合間に監視の目を盗んで完成させたイカダ。器用に生まれて良かったと心の底から思えた僕は皆を連れ、脱出に成功したんだ。
「そんな……。嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ……」
そう、成功した筈なんだ。城が見えなくなっても進み続け、漸く辿り着いた港町。緊張の糸が切れた僕は疲労から倒れそうになって親切な人に支えられる。すると景色が揺れた。まるで煙の様に揺れ、目の前から消え去って行く。僕達が居たのは木が生い茂る小さな島。中央には飛び抜けて大きな木があって、労働中に遠目で見ていたがら間違いが無い。神様に祈りながら振り向けば城が見えた。
「あらん、どうかしたのかしら?」
「お前……は……幻楽」
僕を支えて居たのは見知らぬ親切な人じゃなく、見知った相手。モンスターを指揮して僕達を働かせていた魔族の巨漢。焦げ茶色の坊主頭に剃り込みを入れてクネクネと気持ち悪い動きをする顎髭の男、蜃幻楽は僕の襟首を掴んで顔をのぞき込んで来た。口に咥えた煙管の煙を僕に吹きかけながら奴ヘラヘラと笑う。そうか、僕は此奴の手の平で踊らされていたんだな。
「あぁ、なーんて可哀想な坊やなのかしら。必死に隠していた積もりのイカダで脱出して、気付かずにグルグルグルグル同じ場所を入ったり来たりして近くの島を遠くの港町と間違える位に疲れているのだもの。悲しくなるわね、シクシク」
「黙れ! どうせお前が何かしたんだろう! その嘘臭い演技を止めたらどうだ!」
「あら、バレてたのね。最近の子供は賢いわぁ」
明らかに演技な泣き真似に僕は大声を上げ、態とらしく舌を出す幻楽の顎を蹴りつける。でも爪先は確かに顎に当たったけれど幻楽の頭は動かず、全然効いた様子が無い。代わりに周囲を取り囲むモンスターが唸り声を上げながら砂浜に上がって来た。長いトゲが甲羅から無数に生えた雲丹亀だ。
「はいはーい、ストップストップ。この子達に何かしたら怒るわよ?」
僕の目の前でカイ達を殺す積もりだと思ったけれど、幻楽には他に何か有るらしい。絶対に禄でもない事だ。優しい声色で雲丹亀達を制止したけれど誰も安心した顔をしていない。このヘラヘラ笑いをする時、それは恐ろしい思い付きの時だからだ。前に一度、溜まった不満が爆発して些細な口論から同じ作業グループ同士で殴り合いになったのだけれど、その時に二人の拳を掴んで止めた時も同じ笑い顔だった。
「ほらほら、子供も見ているし、他の人まで巻き込まれちゃうわ。喧嘩だったら周りを巻き込まない場所でやりなさい」
その結果、潮が引いている間だけ現れる小島でその二人は決闘をさせられたらしい。二人が所属する作業グループの半分が見届け人をして帰って来た時に話をしていたのが耳に入って来たのだけれど、二つのグループに分けられたその人達の内、負けた側に所属した方は殺されたらしい。巨大なタコのモンスターに海に引きずり込まれてしまったって話していた。翌日、勝った男の人も負った傷の手当てなんかされなかったから死んだよ。残ったグループの人達も人手が減ったから作業が遅れて、怠慢の罰だって殺された。
「本当はこんな事をしたくないの。でも、罪には罰を与えなくちゃ頑張っている人が損じゃない。ごめんなさいね」
そんなしおらしい態度だったけれど、無茶苦茶な理論な上に誰が見ても嗤っているのは明らかだった。そして幻楽はその笑い顔を僕に向け、顔を引き寄せて耳元で囁く。
「貴方、可哀想だから特別に無罪放免にしてあげる。それともう一つ……罰を受けるのは一人だけにしてあげるから、お友達の中から一人を選んでね?」
「……は?」
一瞬何を告げられたのか分からず間抜けな声が出る。この男は僕に一緒に逃げた子供達を、僕が守るべき相手を選んで見捨てろって言っているんだ。そんな要求、到底受け入れられる筈が無い。
「僕だ! 一緒に逃げようって誘ったのが僕なんだから僕を罰しろ!」
「きゃー! 素敵な子ね、坊やって。ますます気に入ってしまったじゃないの。……貴方みたいに自分を犠牲にするでもなく震えて黙っているだけの子達に腹が立って来たわね」
「ひっ!」
幻楽は態とらしい演技で甲高い声を上げて口笛を吹く。雲丹亀達はノソノソと精神的に追い詰める様に近付いて来た。こんな所で終われない。何故なら僕は仲間を守らなくちゃ駄目なんだから。でも、どれだけ暴れても幻楽の手は僕を掴んだままで離す気配も無い。カイが皆を背中で庇って後退するけれど距離はジワジワ狭められる。幻楽の顔は凄く楽しそうだった。
「ほら、誰か選びなさい。じゃないと全員死んじゃうわよ? 他の子には何らかの罰を受けて貰うけれど死ぬ訳じゃ無いし、生きていたら希望が有るじゃない」
その希望を与えた上で目の前で叩き壊すのが好きな男の言葉は僕の心にへばり付く。確かに今の状況では皆死んでしまう。なら、僅かな希望に縋って誰かを選べば他の子は助かる。皆に顔を向ければカイが頷いた。きっと自分を選べって言いたいんだろう。この時、僕の心は決まった。
「僕だ、僕を罰して他の子は逃がせ」
「トゥロ!?」
「……ごめん。僕は僕である事を辞められないんだ」
幻楽をキッと見据え、カイの叫びに顔を横に振って告げる。一度この胸に抱いた夢は捨てられない。誰かを犠牲にする道を選んだ時点で誰かを守りたいだなんて言えなくなる。
「……そう、心は変わらないのね?」
「なら、別に構わないわ。……皆、その他の子を庇っている女の子を殺しなさい。出来るだけ惨たらしくね」
「貴様ぁああああああああ!!」
どれだけ暴れても僕は解放されない。蹴りや拳は届いているのに一切痛痒を感じた様子も無く通用していなかった。その間にも雲丹亀はカイ達に近寄り、先頭の一匹の刺がカイの足に刺さる、その寸前だった。突如僕達の間を吹き荒れた突風。思わず目を閉じた僕は開けるのを躊躇う。僕が弱いから守れなかったカイが傷付けられる姿が見たくなくって。結局、僕は弱虫で無責任だったらしい。
「僕は弱い……」
絞り出した声は自然と泣き声になっていた。きっと次の瞬間には幻楽のバレバレの演技のセリフを聞かされるんだろう。でも、聞こえで来たのは別の声。初めて聞いた少年の声だった。
「うむ、確かに弱い。優しさや覚悟一つで守れる物は少なく、最終的に敵の胸三寸に任せるのだから嗤われて当然で御座ろう。……だが、お主の覚悟を嗤う者が居るなら拙者が切り捨てる。天晴れな覚悟であったぞ!」
最初は厳しく、続いて褒め称える優しい声。目を開ければ雲丹亀達は動かず、風邪と共に首が落ちる。僕を掴んでいた幻楽も少し遅れて崩れ落ち、僕とカイの間には見知らぬ少年が立っていた。
「君は一体……」
「拙者か? 拙者の名は楽土丸、鎌鼬楽土丸だ。最初は見捨てる気だったが、お主の覚悟を見たからには動かずには居られなくてな。もう一度言おう、見事な覚悟だった」
「そ、そうだ! 助けてくれて有り難う! 君、凄いね。魔族をモンスターと一緒に倒してしまうだなんて」
「いや、倒せていない。ほれ、見てみるで御座る」
楽土丸に促され恐る恐る目を向けた幻楽の死体は港町が消えた時みたいに消えて行く。どうやら幻だったらしい。助かったという安堵感と未だ終わっていないという恐怖、そして疲労から僕はその場に倒れる。最期に目を向ければ同じく倒れそうになったカイを楽土丸が支えていた。少しだけ悔しい。僕は見返りが欲しかったから守ろうとして守れなかった訳じゃないけれど、あんな風に僕が支えてあげたかったから……。
「……あれ?」
次に目を覚ませば僕はイカダの上で眠っていた。まさか幻楽に捕まった辺りは全て夢で未だに何処にも辿り着いていない? でも、そんな考えは直ぐに消え去る。たった一人でオールを漕ぎ、僕達の数倍の速度でイカダを進める楽土丸の姿があったんだ。
「目が覚めたか。悪いが城の中の者達を助けに向かう義理は無い。だが、一度助けた以上は町まで送ろう」
「本当に有り難う、楽土丸さん。どれだけお礼をすれば良いか分からないわ」
この時、僕は悟ってしまう。カイの顔を見て、彼女が楽土丸に向ける想いに気が付いてしまった。……初恋は叶わないんだって思ってしまったよ。
「……いや、僕は諦めないぞ」
でも、それがどうしたんだ。僕は夢も恋も諦めない。絶対に今より強くなってやるんだって心に決めたんだ。でも、今はもう少し眠ろう。しっかり休憩して、置いて来た皆を助ける為に動かなくちゃ駄目だから。
再び僕は意識を手放す。この先に待つ希望を信じながら……。
「がははははは! 流石だな、賢者様! ほら、グイッと飲んで飲んで」
騒がしい声とジョッキをぶつけ合う音で目を覚ませば強烈な酒臭さが漂って来た。僕、お酒臭いの嫌いだし、空気の流れを操ってゲルちゃんの方に送っておこうっと。今僕が居るのはツナグンカの集会所兼漁の道具を置く倉庫。ゲルちゃんが格好良く飛び出したけれど氷の道で滑った上にマッチョな漁師に遭遇しちゃった後、勇者と仲間達への歓迎とお礼の宴が開かれたんだ。
「この小さな村では準備も大変でしょうに。……せっかくのご厚意ですから参加しましょう」
どっちみち遠くに漁に行っているエルフ達が戻って来た日は宴会が普通らしいし、美味しい地酒に惹かれたマスターの提案もあって参加したんだ。僕はさっさと食べたい物だけ食べてお休みしたけれどね。
「ううん……それは私のジャガバターなのに」
ゲルちゃんは部屋の隅で寝ているけれど、こんな騒がしい所でよく寝ていられるね。それにしても五月蠅いや。僕は未だ続く宴会に目を向ける。お酒に凄く弱いけれどお酒が凄く好きなマスターは魔法で強くして飲んでいる。その近くではボスが女のエルフと飲み比べをしていた。うん、エルフって女もマッチョで暑苦しいね。それにしても朝日がもう直ぐ昇るってのに飲み続けるだなんて常識が無いね。後始末だって大変なのに少しは他人の迷惑を考えたら良いのにさ……。
(……仕方無いなぁ。マスターの為だし、僕が後で魔法を使ってチョチョイのパッと……今は眠ろう。凄く寝たいや)
魔法で僕の周囲と、ついでにゲルちゃんの周囲に宴会の騒ぎ声が聞こえなくしてからもう一度眠る。やれやれ、最初から使っていたら良かったよ。僕って真面目で常識的だから他人の非常識な行動への対応が遅れるのが欠点だよね。ゲルちゃんのお子様体型と同じ……はっ!? 咄嗟に顔を動かせばスレスレをレッドキャリバーが通り過ぎる。ゲルちゃんは確かに寝ているのに、腕だけは投擲の構えを取っていた。
「おや、ゲルダさんは凄い寝相の持ち主ですね。さて、私は一旦彼女をベッドまで連れて行きます。取って置きの熟成酒……私が居ない間に飲まないで下さいね?」
「あたぼうよ! 伝説の賢者様相手に酒を惜しんだらエルフの英雄シルヴィアの名に恥じるってんだ」
「……ちっ」
あっ、ボスが小さく舌打ちした。そっか、確か自分が女神としてでなくエルフの戦士としてマスターの旅に同行したって伝わっているのが嫌なんだっけ? どっちも頭の中まで筋肉だから違和感は無い……。
この思考の途中で僕の意識は完全に沈む。それは睡魔に負けたんじゃなくって、ボスの方から飛ばされたナッツが当たって……。
「……うっぷ。の…飲み過ぎた。昨日は宴だからって樽を幾つも空にしたからなぁ……うぅ」
次の日、話を聞きに行ったけれど、二日酔いでぶっ倒れているエルフの漁師達は最初役に立たなかった。昨日は折角の宴なんだから先ずは楽しもうって言われたから次の日の昼に来たんだけれど情けない。マスターは困りながらも魔法で回復させたんだけれど……。
「何か変な噂を知らないかって? うーん、確かマヨタラって港町の網元の息子が酒場の給仕の娘と結婚したとか……ああ、昨夜の幽霊船もあっちこっちで目撃されているとか……その程度だな」
「そうですか。……さて、次は何処に行くべきか」
正直な話、魔族や魔王さえぶっ倒せば良いのならマスターが敵の所在を確認した後で秒で世界を救えるんだ。でも、封印の為には勇者が自分の力でどんな過程でどんな活躍をしたか、そんな面倒臭い事を考えなくちゃ駄目。これが普通に勇者の仲間に選ばれた人なら兎も角、マスターやボスみたいに『強くてニューゲーム』みたいな仲間に活躍され過ぎたら封印の高率だって落ちちゃう。……面倒なルールだけれど、イシュリアのアホが関わっているって僕は思うんだ。
だってイシュリアってアホだもん!
「……後はダサラシフドって所に異様にモンスターが集まっているって位だな。って言っても元々産卵場所が多いらしいし、偶々大量発生しただけだろうが……」
「ダサラシフドですか。……うーん、あの辺りは確かに何度も大量発生が起きていますし、魔族の仕業ではない可能性も有りますが……今は行くしか無いですね」
こんな風に功績を挙げる為に問題事を探さなくちゃ駄目だけれど、小さな村じゃそんなに噂が入って来ないんだ。どうも他の港に立ち寄らずに漁をしているらしいし、此処に来たのは時間の無駄だったのかなあ?
「行くのか。まあ、勇者と仲間なら大丈夫だろうけれど……今は少し厄介ですぜ?」
他に行く所が無いからダサラシフドに決定したけれど、それを聞いた漁師さんは微妙そうな顔。マスターが理由を訊ねれば簡単に教えてくれた。
「……海賊ですか」
「ああ、あの町で海賊らしい連中を見かけたって聞いた事があってな。町中で略奪とかはしないらしいが、元々お世辞にも行儀の良い連中じゃねぇし、自警団と揉める事も多いそうだ」
「……海賊退治を頼まれれば面倒ですが仕方有りません。勇者は人の営みに基本不介入だと押し通しましょう。……面倒な」
心の底から面倒そうなマスターの姿から実際に頼まれた事が有るって分かった。うーん、この村に来たのって本当に間違いだったかも。お礼にって貰った鯨ベーコンは美味しかったけれどね。朝食に出たから約束通りゲルちゃんの分は貰ったんだ。
「ねぇ、ボス。どうせなら僕の部下に先に行かせて海賊を全滅させておこうか?」
「……それは時と場合で。もしかすれば必要とされているかも知れませんから」
「海賊が町に必要?」
略奪品を使って散財する程度ならマスターは気にしないだろうし、一体どんな意図があるのかこの時の僕には分からなかった……。
まあ、僕の部下が情報集めに散らばっているし、ダサラシフドで何も無ければ呼び出せば良いや。




