悪の余興 ☆
イラスト提供 太子と妹子@鼻水級パンツ絵師 様
邪悪なる者の巣窟、人類の天敵たる魔族の本拠地にてゲルダがイアラと戦う様子が巨大な鏡に映し出されていた。
「……ふ~ん、随分と面白い事をするんだね、彼奴はさ」
面白い、その言葉とは裏腹に彼女の表情から伺える機嫌は芳しくない。玉座に座り、肘掛けに右肘を置いて指先でこめかみの辺りをトントンと叩く。その様子に使用人らしき者達が戦々恐々とする中、メイドの一人の手が震えてワインが数滴皿の上のフィッシュアンドチップスに掛かった。
「……」
皿の上に伸ばそうとしていた手が止まる。顔はワインを零したメイドに向けられた。
「ひっ!? も、申し訳……」
無言で自分を見る主に彼女は身を竦ませ許しを乞う。そんなメイドに向けられたのは笑顔。見た通りの少女に相応しい笑顔を見せ、何とか助かったとメイドが安心した、その瞬間だった。
「え?」
襟を巨大な手が掴んで持ち上げる。いや、違う。腕が巨大なのではなく、メイドが小さくなっているのだ。自分に何が起きて、今から何が起きるのか理解した彼女は顔を恐怖で歪め、仲間に必死に目で助けを求める。誰も彼も顔を背け知らない振りだ。当然だろう。自分達など石ころ程度の認識でさえないのを分かっているのだから。
「お許しを! お許しを! お許し……」
「いっただきま~す」
涙を流し懇願するメイドはそのまま口の中に放り込まれ、チュルリと喉の奥に流し込まれる。
「おや、もう消化してしまったよ。食べ応えのないオヤツだね」
そのまま視線を向ければワイングラスからこぼれ落ちた数滴のワインは宙に浮いてグラスに戻る。最初から零れてなどなかった様だ。
「ビリワック、何か面白い冗談を言ってくれ。爆笑必須で抱腹絶倒の思い出す度に腹が捩れそうになる、そんなジョークをさ」
主からの無茶な要求にビリワックの胃がキリキリと悲鳴を上げるが、その様な素振りを見せる彼ではない。少しだけ考え、懇親のギャグを口にした。
「隣の家に囲いが出来たよ、へー」
「実に興醒めだよ、あの女。他人の仕事を利用して、それで人間同士で戦わせようってのかい? 理由を聞けば迷いが生じるとでも? ……さてさて、君は乗り越える事が出来るかな? 目の前で誰かの大切な人が失われてさ」
「無視ですか……」
「え? 何が? ……取り敢えず彼奴は絶対に裏切り者にはしてやらない。最初からする気は無いけれどね。ふふふふふ、この件で勇者を敵に回したし、どうなるかな? 君達は絶対に幸せになれないよ。最初からその為に動いているんだからね」
(……主に動いているのは私ですが。いえ、黙っておきましょう。それより減ったメイドの分の仕事の割り当てをどうすれば……)
再びビリワックの胃がキリキリと痛み出す。実働部隊への指示の他にも人事の担当である彼の気苦労は暫く続きそうだった。
「ふふふふふ、それは兎も角、君はどうするのかな、ゲルダ? 成長と同じ位に苦悩する君の顔も見てみたいんだ。ほら、もっと私を喜ばせてくれたまえ!」
お気に入りの日傘を手にして椅子から立ち上がり恍惚の表情で彼女はゲルダを見詰める。それは恋する乙女の表情……等とは全くの別物の邪悪な雰囲気であった。
「えへ、えへえへえへえへぇえええええっ!」
巨大な蟲のキメラになったシャナは笑いながら向かって来た。毛むくじゃらの蜘蛛の脚をワシャワシャと動かして、蝗の口から消化液を左右に吐きながらだったわ。消化液を浴びた場所はくさだけでなく地面まで溶けていたわ。あの巨体を正面から相手取るのは無謀だから横に回り込もうとした私だけれど、シャナと私との間に転がっている物を見て足が止まってしまう。
「イアラさん……」
急に襲って来た初対面の相手で既に死んでいる。だから戦いに巻き込まれても気にする必要は……絶対に有るわ。気が付けば黒近と白遠の刃を交差させ、シャナに真正面から迎え撃とうとしていたわ。無謀も無茶も百も承知。でも、彼女は私を殺すのに迷いがあった。それでも助けたい程に大切な子供が浚われたって理由があった。だから、私は彼女の死体が無残な事になるのを避けたい。せめて綺麗な姿で子供とお別れをさせてあげたかった。
「ぷぅ~!」
シャナの口が大きく膨らみ、消化液が塊で迫る。両手の剣で切り払うけれど飛沫が幾らか肌に触れて凄く痛いわ。少し飛沫が触れただけで腕は火傷みたいになっていて、イアラさんとアンペーから受けたダメージもあって動きが止まりそうになるのを堪える。シャナはイアラさんの死体なんて気にせず進み、私は何とか間に滑り込む。手を真っ直ぐ伸ばすまでもない距離にシャナの大きな口が開いたまま迫っていたの。
「……やれやれ、何をなさっておいでですか。その女など見捨てるのが正解でしょうに」
硬質な物に重い何かがぶつかった音が響く。シャナの巨体は目の前に出現した白い魔法陣によって防がれ、私の横には右手を前に突き出して魔法陣を展開する灰色の毛のウサギが……いえ、ウサギのキグルミが立っていたの。冷静で冷徹そうな若い女の人の声が聞こえ、一瞬で視界が切り替わる。僅か一瞬でシャナが遠目に見える距離まで転移しているだなんて普通じゃ有り得ないけれど、普通じゃない存在の仕業なら有り得るわ。
「貴女、アンノウンの部下ですか? えっと、どうもありがとう」
灰色のウサギのキグルミの足下にはイアラさんの死体が有る。私が戦う時に困らない様に連れて来てくれた事に感謝したけれど、何故か不機嫌な空気を醸し出し、不意に私の頬を平手で打った。一瞬何が起きたか分からなかったけれど、フワフワのキグルミの手で打たれたから全然痛くない。それは向こうも分かっているのか不満そうに自分の手を見ていたわ。
「……貴女は自分の立場を理解していない。勇者という存在がどれだけ世界にとって大切なのか知らないらしいですね」
「え? 私、勇者の役割がどんな物かちゃんと知って……」
「知っていたならばあの様な無茶は出来ません。こんな女の、ましてや死体の為に身を投げ出すなど有り得ないのですよ?」
決して怒鳴っている訳では無いけれど彼女の冷静な声には怒気が籠もっていたわ。言いたい事も少しは理解している。でも、私は黙っている訳にはいられなかった。だって、イアラさんは子供の為に戦った母親だから……。
「……彼女は私が勇者だと知らなかったの。それに子供を人質にされて仕方無く……」
「それがどうかしましたか? 無知が免罪符になるには度を超しています。結局、我が子の為に知らない子供を手に掛ける事には関係有りません。……勇者が死んだ場合に出る犠牲者の数を考えなさい。圧制を敷く暴君よりも、金の為に人を殺める暗殺者よりも、快楽殺人鬼よりも彼女の行為で出た可能性の有る死者の方が多いのです」
「それでも私は勇者なのっ!」
「……それが間違っています。勇者としての在り方で自分を犠牲にする? 馬鹿馬鹿しい。貴女は勇者である前に十歳の子供である事を忘れている。……もっと自分を大切になさい」
灰色のウサギさんは背中のチャックに手を回すと中から何かを取り出す。差し出したのは甘い香りのする小瓶だった。蓋を開けて差し出したし、飲めって事かしら?
「特別な秘薬です。……いえ、秘薬な時点で特別な品でしょうが飲みなさい」
「……」
一瞬迷ったけれど意を決して小瓶を手にし、一気に呷る。歯が溶けるかと思った位の甘さで飲み干した瞬間から胸焼けを起こすけれど、体中の痛みと共に消え去る。見れば消化液を浴びた所も治っていた。
「これで戦えますね? では、私は此処で失礼します。……ああ、それと二つ程。名乗るのが遅れていましたね。私はグレー兎と申します。一応はあの腐れパンダ擬きの頼みで動いている者ですよ」
「パンダ擬き? 確かにパンダのヌイグルミを操ってはいるけれど、酷い言い様ね」
「アレが好き勝手した結果、主に胃袋に受けるダメージに比べれば大した事では無いでしょう? ……ニートで引き籠もりの弟を就職させてくれたのは良いですが、姉と魔法少女萌のオタクにするなど……」
「寧ろ言い足りない位ね。魔法少女とか何か知らないし、何で燃えるのか分からないけれど絶対アンノウンが悪いわ」
よく知らない事で人を責めるのは良くない事だけれど、アンノウンは人じゃないし、胃の当たりを押さえるグレー兎さんの姿から簡単に想像が付くわ、アンノウンが何かやらかしたって」
「……まあ、自分をもっと大切になさい。彼女が子を想う母なら、貴女のご両親だって子である貴女を想っていたのでしょう? では、二つ目ですが……平手打ちをして申し訳有りません。どうかご武運を」
ペコリと優雅に丁寧にお辞儀をしてグレー兎さんは一瞬で姿を消す。イアラさんの死体も同時に消えるけれど心配はしなかった。あの人の最後の声を聞けば粗末に扱わないって分かるもの。
「……あの人、最後は優しい声だったな。グレー兎さんも子供が居るのかも。……そうよね、私のお母さんとお父さんも私を想っていたわ。どうして忘れていたのかしら?」
もう私に気が付いたのか奇声を上げながらシャナが迫る。途中、進路上に存在する大小の岩は踏み砕かれ、木は薙ぎ倒される。怯む様子は全く無いし、かなり硬い体みたいね。でも、今の私なら大丈夫よ。
「魔包剣……出力全開!!」
黒近と白遠の刃にさっきと同じ様に魔力を纏う。但し出力は比じゃないわ。此処まで来たら全力全開、私の本気が何処まで通用するのか試させて貰うんだから。
呼吸を整え魔力のコントロールに集中する。魔力は例えるなら流れる水。それの向きや速度を意識的に操る事で可能となるこの技を編み出したのは剣聖王イーリヤ様、賢者様の仲間の一人だって聞いた。
「魔法剣? 魔法を剣に纏うのかしら?」
「いえ、魔法ではなく、魔で包むと書いて”まほう”と読みます。ほら、ゲルダさんは基本的に物理重視ですし、実体を持たない相手への攻撃手段に乏しいでしょう? これを使えば実体が無い相手にも武器の攻撃が通用するのですよ」
それはグリエーンに到着した日の夜、新しい技を教えてくれると賢者様が言って来た事から始まったわ。確かに私の魔法も殆どが物理的なダメージを与える物、この時は精霊との戦いは想定してなかったけれど、死霊系モンスターが相手なら必須な技だし少し興味が湧いたわ。
「……あれ? でも、そんな技について書いていた本を読んだ事が無いけれど……」
疑問を口にしながらも私は嫌な予感がしたから答えを聞くのに躊躇したわ。でも、それを察してくれる賢者様ではないのは分かっていたの。
「ああ、王家で独占しようとした挙げ句、誰も使える者が居ないので廃れました。恥だからそれを隠しています。だからエイシャル王国の民でも知りませんよ。それに、基本的に手の内は隠す物ですからね。人前では滅多に使わないし、説明もしない切り札です」
「出来れば後から言った理由だけ教えて欲しかったわ」
ガクリと肩を落としながらも私は少し楽しみだった。だって好きだった伝説の英雄と同じ技が使えるのですもの、ワクワクしない子供なんて多分居ないわ。
「じゃあ、早速やってみましょう。何時もの魔法を使う時の感覚では魔本の内部に通しますが、今回は剣の表面に流す感じで」
「やってみるわ! ……あれ?」
当然、最初から上手く行きっこない。流した魔力は霧散したり飛んで行ったり、剣に纏うだけで精一杯、少し振ったら直ぐに消えちゃって練習では一度しか成功していないの。実はアンペーとの戦いが成功二度目だったのだけれど……。
「やあっ!」
吐き続けられる消化液を避けながらシャナに接近、頭を切り裂こうとした私に蠍の尻尾が振るわれた。先端から垂れる毒液はシャナの体に触れるなり煙を上げさせる。私はその場を動かず、黒近で針の付け根から切り飛ばした。内包する毒液を溢れさせながら尻尾を激しく動かずシャナは癇癪を起こした子供が地団駄を踏むみたいに脚を動かして来たわ。
「私はこれであの方にあの方にあの方、カタカタカタカタカタァ!」
「……五月蝿い」
先ず、前脚を切り落とせば前側に巨体が傾く。至近距離から消化液を吹きかけられた私は真横に滑り込んで避け、片側の脚を全部切り落としたわ。これで満足に動けない、そんな楽観的な意見は側面に存在するシャナの顔が笑った事で消え失せる。切り落とした断面から蜘蛛糸が互いに向かって伸び、再びくっついた。どうやら凄く強力な再生能力持ちらしい。
「凄く厄介ね。此処は一旦距離を取って……なんて言わないわ」
この魔包剣は単純な威力も上がるけれど消耗も激しい。ダラダラ時間を使えば私に不利なだけ。それに、何か格好悪いじゃないの、そんなの。
「再生するなら……再生が追いつかない速度か再生が不可能な大ダメージを与えれば良いだけよ」
ブンブンと力任せに振るわれる前脚、私は咄嗟に両手の武器を上に投げ、シャナの前脚を掴み取った。押し潰そうと込められる力。だけれどシャナが地に力を込めるべく踏ん張った脚は宙を蹴るだけ。私は前脚を掴んでそのままシャナの巨体を持ち上げていたの。
「ぐぎ、ぐぎぎぎぎ……お、重い」
ただでさえ巨体な上に暴れるのだから何時までも持ち上げては居られない。それに今消化液を吐かれたら凄く厄介……だから、そのまま背中から地面に叩きつけると飛び上がって武器を掴み取る。着地したのはジタバタ暴れて起き上がろうとするシャナの上、交差する様に振るった刃がバツの字に深く切り裂いた。体の深くまで届いた攻撃にシャナの顔達が一斉に金切り声を上げるけれど、傷口は蜘蛛糸によって再生を始めたわ。
「じゃあ、これで終わりよ!」
でも、それは想定内。既に次の手は打ってあるわ。再生中も腹の上を切り裂き続けながら詠唱を終える。地面が盛り上がり、巨大な岩が出現した。私が使っている魔本の元々の持ち主が編み出した本人の最高傑作魔法、その能力は追尾。ターゲットを指定すれば巨体のその場所に目掛けて飛んで来る。シャナの腹に向かって岩が飛来する瞬間、私は真上に跳ね、その直後にまだ再生中の腹部に岩が激突した。
「そ~れ!」
内蔵を押し潰し、背中側の外骨格を軋ませる巨岩、私はその上から全力で踏み付ける。岩の激突の威力が伝わりきった瞬間、再び加えられた力によって岩は完全にシャナの体を貫通、体内の色々な物が周囲にばらまかれて少し臭くなっていた。岩から飛び降りて観察するけれどシャナが動く素振りは見えず、巨体が横たわったまま。
つまり、光の粒子になって消えないという事はシャナは生きている。流石に咄嗟に飛び退いた私の目の前で起きた光景に思わず呟いてしまった。
「……冗談でしょう?」
腹部に巨大な風穴が存在するままでシャナの体が動く。無理に反転すれば崩れかけた体が更に崩れ今にも二つに分かれてしまいそう。でも、蜘蛛糸が伸びる速度は先程までが遊びだったみたいに加速して体を修復させた。糸は色を変え、体色は元のまま。動く姿からして完全に傷が癒えている。その巨体が突如私にお尻を向けた時、最大級に嫌な予感がした私は真横に全力で飛ぶ。直ぐさっきまで私が居た場所を超高温のガスが通過した。
真っ赤なガスの熱は少し避けた位じゃ影響を免れない。火の側に置いた陶器に触れた時みたいな熱が私を襲い、思わず顔を腕で庇ってしまった。でも、それで死角が一瞬だけ出来ていたの。シャナが巨体で高く跳ね、私を押し潰そうと迫るには十分な程の物だったわ。
「避けなきゃ……で、でも……」
体が上手く動かない。今まで私を助けてくれた自慢の嗅覚、それが今度ばかりは私を追い込む。さっきのガスは言いたくはないけれどオナラ、その悪臭は凄まじく涙が出る上に体が少し痺れてしまう程。だから回避が遅れて、シャナの巨体が私にのしかかった。
「ぐっ!」
「あは、あは、このまま押し潰して、してしてしてしてててててて」
「こ、このぉ!」
必死に持ち上げるべく力を入れるけれど今の姿勢じゃ難しい。息も苦しいし、力が上手く入らない。シャナの笑い声が不愉快な位に聞こえる中、私は打開策を必死で考える。
(剣は落としちゃったし、何か使える魔法は……もう、五月蠅いわね! ……あれ? 何かが近付いて……)
シャナの声で集中力が途切れる中、私の耳に何か爆走する音が近付いて来るのが届いた。




