上級魔族
これで4章終了 合計四十二万千二百四十文字少々
ゲルダ達が馬鹿な敵の行動に助けられつつも相手にするのさえ嫌になっている頃、その馬鹿の味方は心労を重ねていた。
「あの馬鹿……あの馬鹿……」
あくまで自然の摂理、人の営みの一幕に見せ掛ける為の計画、それを勝手な行動で台無しにされたビリワックは頭痛と胃痛を同時に堪えながら鏡に映し出される映像に目を向ける。影に身を潜めての行動の筈が堂々と殴り込みに行っているシャナを殴りに行きたかった。
「こんな時、主さえ居て下されば……大笑いするだけか」
主の居ない椅子に目を向けながらビリワックは彼女が居た場合の様子を思い浮かべる。
「あっはっはっはっはっはっ! あの子、相変わらず面白いね。このまま見物に徹する事にするから止めに行っちゃ駄目だぜ?」
下着が見えるのもお構いなしに足をバタバタ動かして腹を抱えての大笑いで作戦の修正を却下する、そんな様子が思い浮かんだ。
「あの方の気紛れにも困った物だ。遊びにおいては右に出る者が居ないだけに残念ですね。ああ、この間の遊びは本当に楽しかった」
本来、魔族による人間への敵対行為は配置場所や大まかな作戦を含めてビリワックに丸投げされている。そして失敗すれば何らかの罰が待っているのだが、今回の様に勝手な行動で味方に邪魔される事も多々ある。特に邪魔なのは彼の主であり、弱い魔族の使い捨て行為へのヘイトが彼にも向かうので命令違反者が余計に出ていた。
この前もイエロアで流通ルートを抑えてジワジワと住民を苦しめる計画を練っていた街が有ったのだが、ゲルダの成長に興奮した彼女に壊滅させられた。しかし、その時の光景はビリワックにとって至福であったのだ。
ある日、町の中心に突如現れたエネルギーの柱。最初は奇異な物が出現した程度の認識が恐怖に変わったのは興味本位で触れた男が一瞬で燃え上がった瞬間。柱は肥大するも速度は亀の歩みの如き鈍さで逃げるのは簡単だ。但し、逃げ切る事は不可能。町を取り囲む様に見えない壁が出現したからだ。
「退け、俺だけでも助かるんだっ!」
「苦しい……」
「ああっ! 遂にあんな近くにまで……」
他者を押し退け踏み付け、自分だけでも助かろうとする住民達。最後、柱が腕を伸ばせば届く距離まで近寄ると更に速度は落ち、最後まで罵り合いながら住民は死に絶えた。但し、その内の幾らかは圧死や窒息死である。その中の多くが子供達であった。
「矢張りあの御方は私が従うに……はぁ」
恍惚の表情は鏡に目を向けた瞬間に疲れ切った表情へと変わる。鏡に映るシャナの後ろ姿だが、スカートがめくれ上がって黒いレース付きの下着が丸見えだった。
「いや、本当にあの馬鹿は……」
反感を持っての命令違反ではなく、自分の方が頭が良いと思っての行動から命令違反を行ったシャナの醜態にビリワックの胃はキリキリとした痛みを増すばかりである。そろそろ穴が空きそうである。懐から取り出した本をムシャムシャ食べて食後の薬を胃袋に流し込む姿には哀愁が漂う。最近、後頭部を見るのが怖いビリワック、まだまだ彼の苦労は続きそうだ。
「誰が馬鹿ですってっ!? このっ! 容姿端麗才色兼備……えっと、他には……成績優秀な私の何処が馬鹿だと言いますのっ!? 大体、相手に馬鹿と言う人が馬鹿なのですわ、このお馬鹿さん。つまり馬鹿は貴女です、この馬鹿っ!」
「えっ、あっ、うん……」
つい口から零れ出た馬鹿という言葉に反応してムキになった魔族……確かシャナだったと思う、が少し鼻息を荒くして叫ぶ言葉に居たたまれない。私はこれ以上の言及を避けて彼女が今以上の自爆をするのを避けて居たのだけれど、空気を読めない女神様がシャナを指差してしまったわ。
「おい、彼奴も此方を馬鹿と言ったな。しかも何度も。つまり彼奴は自分で自分を……」
「えっと、そっとしてあげましょうか……」
「何をゴチャゴチャ言っていますの? 訳の分からない事を言って、馬鹿はこれだから困りますわね。まあ、それも仕方無い事。知能も美貌も私に並ぶ者は居ませんもの」
「……一体何が有れば此処までになれるのかしら? 絶対に成りたくないけれど、少し羨ましいわね、絶対にあんな風に成りたくないけれど」
此方の話を聞いていなかったのか、それとも理解出来なかったのかシャナは閉じた扇で私達を差した後で自分の髪を掻き上げる。馬鹿って本当に幸せね、そんな風に思う私の前でシャナがターンを決めるのだけれどスカートがめくれ上がっていて黒いパンツが見えていたわ、因みにレース付き。
「おい、今の光景を忘れろ」
「道ばたに落ちたぼろ切れ程度にも興味無いですし、端から記憶してませんよ。愛しい人の下着姿は常に記憶していますが」
「……馬鹿者め」
賢者様に睨みを利かせて直ぐに照れる女神様、私の仲間も馬鹿ばっかりな中、流石に風でも感じたのかお尻の方に手をやったシャナは気が付いてしまったらしい。
「なななななっ!? 何でこんな事にっ!?」
「えっと、賢者様は貴女に女性としての興味が無いから気にしなくて良いわよ」
「何かそれはそれで失礼ですわねっ!? 大体、淑女の下着を見た時点で万死に値しますわよっ!」
慌ててスカートを直すシャナは私の言葉に怒ったけれど、騒ぎを聞きつけて遠巻きに見ている人達は獣人だし視力が高いからしっかり見られていた、なんて言わない方が良いわね。私にだって敵に掛ける情けが有るもの。だから空気を変える為にデュアルセイバーを構えるとシャナも少し偉そうに扇を突き付けて来た。
「勇者ゲルダ・ネフィル。私が今直ぐ貴女を倒すわ」
「上級魔族シャナ・アバドン、またの名を蟲の女帝。さっさと始末させて貰いますわ」
「出来るものならやってみなさいっ!」
と勇ましい事は言っても今まで戦って来た相手は視力や聴覚を奪うルルや砂漠の広域で積雪を起こしたディーナ等、皆強力な能力を持っていた。先ずは様子見をしようとレッドキャリバーとブルースレイヴを構える私と相対するシャナは扇を広げる。絵本の貴婦人が持っていそうな扇を広げれば異臭のする紫の粉が舞い散った。
「この臭いは……毒っ!?」
「ええ、その通り。強力な毒の鱗粉ですわっ!」
刺激臭に思わず一歩下がると扇が振るわれる。巻き起こされた風に乗って襲い来る毒の粉に対して私は体を捻り、回転しながら両手の武器を振るった。巻き起こった風が鱗粉を吹き飛ばし、そのまま切り掛かるけれどシャナはヒラリヒラリと避けてしまう。動きにくそうな服なのに随分と身軽ね。
「虫の能力ね。……ああ、もう厄介」
私の育ったオレジナは温暖な気候で農業が盛ん、緑も豊かだからグリエーン程でなくても虫が沢山せいそくしていたわ。だから少し興味を持った私は図鑑を読んだから知っている。虫の能力は強力で多様だって。それが魔族の力で使われるのだから更に強力になっているのは間違い無いわ。今までの事から虫を操るとは分かっていたけれど、本人も使えるなら面倒臭い。
「あら、意外と聡明ね。では、次は何を使いましょうか」
「貴女に誉められても微妙な所ね。屁こき虫は勘弁して欲しいわ」
「……流石に淑女が使いませんわよ、あんなの」
それを聞いて安心する。シャナは一応見た目は良家のお嬢様っぽいから、その見た目で尻を向けて高温のオナラを放たれたら言葉を失うわ。互いに微妙な顔になった後で気を取り直して武器を構える。再び先手はシャナ。開いた扇から仕込み刃が飛び出して切り掛かって来たのを正面から受け止め、弾き飛ばす。
(あれ? 少し軽い気がするわ)
腕に感じた予想以下の重さに驚きながらもレッドキャリバーの先で扇を絡め取って跳ね飛ばし、ブルースレイヴの突きを眉間に放つけれど胸元から取り出した二本目の扇に阻まれた。シャナはそのままバックステップで距離を取って先程手放した扇を手に取る。両手に握られた扇を開き、右の刃と左の針を見せびらかす様に構えを取るけれど、左手の扇の針から液体が滴り落ちる。滴が触れた地面が音と煙を上げた。
「おーっほっほっほっほっ! この超強力な消化液で溶かして差し上げましょう。私を愚考した……愚問? いえ、えっと……馬鹿にした報いを受けなさいっ!」
途中で腕を組みシャナは考え込んで次々に言葉を口にするけれど不正解。それは分かっているのか最後には諦めたわ。本当に疲れる相手ね。色々な意味で敵に回したくない相手よね。
「愚弄が正解よ」
「ふ、ふん、そんな事は分かっていましてよ。貴女の知識を試しただけですわよ」
羞恥で顔を紅潮させながらシャナは顔を背け、左の扇を八つ当たりでもするのか振り回す。知性も教養も感じられず、才色兼備でも成績優秀でもない動き。その上、針の先から飛び出た消化液は彼女自身の服に触れて煙を上げて溶かしている。教えた方が良いのか迷う中、シャナが再び動こうとしたので今度は私が先に動いた。
「そっちは使わせないわっ!」
振るおうとした左手の扇をブルースレイヴで弾く。流石に手放す迄は行かないけれど手は上に上がり、レッドキャリバーで右手の手首を狙う。扇で防ごうとするけれど軌道を変えて手首に叩き込んだ。手に伝わる確かな感触、シャナも苦痛に顔を歪ませ右の扇を取り落とし、すかさず腹部を蹴り飛ばす。空気を吐き出して後ろに飛ぶシャナ。でも、私の顔も苦痛に歪む。右手の甲にシャナの毛が突き刺さっていた。
「蜘蛛の中には極細の毛を飛ばすのもいるって聞いた事が有るけれど……」
武器を手放すのは危ないと口で咥えて毛を抜き取ると地面に吐き捨てる。幸い手の甲を貫通する威力は無いらしい。でも、それは今の攻撃に無いだけで本気になれば骨を貫く威力が有るかも知れない。何せ相手は上級魔族、この世界広域で食糧不足を発生させている蝗害を引き起こしている相手だ。
「……でも、負ける気はしないわね。だって私は結構強くなったみたいだもの」
敵を前に不敵に笑う。クレタへの敗北も自分の未熟さも認めた上で私は自分の成長を確信していた。私を一番認めてあげるべきなのは私自身。だから認めるわ、ゲルダ。貴女は勇者に相応しい力の持ち主だと。
「とんだ強がりですわね。では、精々踊って私を楽しませなさい」
シャナの縦ロールが意志を持つかの様に起き上がって先端が私に向けられれば次々と針みたいになって飛んで来る。髪一本一本が角度を変えて飛んで来るのに対して私はその場で避け続け、避け切れない物を武器で防ぐ。手の甲に一度突き刺さった物とは違って今度は短く、このまま待っても髪の毛が尽きてしまうのは随分と先に思えた。
「おーっほっほっほっほっ! 賢者に助けを求めたらどうですの?」
「別に要らないわ。賢者様は他の人に被害が出ない様にしているし、私は貴女に勝てるもの」
「……減らず口をっ!」
更に激しさを増す毛の驟雨。私は避け続けるのを止め、真正面から突っ込んだ。刃を交差させて大切な部分だけを守り、他の部分は突き刺さっても我慢する。
「と、止まりなさいっ!」
「やぁあああああああっ!」
焦りを見せたシャナの狙いが乱れる。手や足に毛が突き刺さる痛みを堪え私は走り続け、遂にシャナを間合いに捉える。踏み込みと同時に突き出す刃。だけど、足に感じた痛みが僅かに体幹を揺らし、慌てたシャナがバランスを崩して転んだ事で狙いが乱れる。切っ先は先程シャナが自らの消化液で作ってしまった穴に突き刺さって布をそのまま引き裂いた。
「……あっ」
ビリビリという音が響いて見事に避けたスカート部分。シャナの下着は完全に晒されてしまった。互いに硬直し、次の瞬間シャナの叫び声が響き渡る。手で必死に下着を隠しながら私を睨む彼女の目は涙で潤んでいたわ。
「よよよ、よくもやってくれましたわねっ! 私の大切なドレスを破いた上に此処までの恥を掻かせるだなんて絶対に許しませんわよっ!」
「そんな事を言われても……わっ!?」
扇を構え、私を刃で切り裂き針を突き刺そうとする猛攻を躱わし続ける。後退しながら動きを読もうとするけれど針から飛ぶ雫が本当に厄介で防戦一方。そのまま避け続けていた私の背中が壁に当たり、顔面に向かって針が突き出された。
「貰ったっ!」
勝利を確信して笑うシャナに対し、私は針に向かって踏み込む。顔に触れる寸前に体を傾けた私は飛び散る雫から顔を腕で庇い、痛みに耐えながらシャナの脇をすり抜けるなり反転、背中を蹴り抜いた。
攻撃の勢い止まらず受け身すら取れずに壁に激突するシャナ。扇の針は壁に突き刺さり、引き抜こうとするシャナを飛び越えた私はレッドキャリバーの切っ先を扇に叩き込んだ。メキリ、そんな硬質な物が軋む音が聞こえるも壊れない。だけど、柄から吹き出した魔力が更なる衝撃を扇に与える。一瞬で罅が広がり、扇の表面を突き破った。
「貰った、は私の言葉ね」
「いえ、私の物ですわ」
髪の毛を警戒しながらも追撃を加えるべくブルースレイヴを振り上げる私。シャナが笑い、背中の部分が内側から盛り上がったのはその時だった。ドレスを突き破って向かって来たのは極細の毛が生えた長い虫の脚。何の脚か分かってしまった私は硬直し、腹部に爪の先が叩き込まれる。賢者様の魔法が掛かったツナギが貫かれはしないけれど衝撃が腹部に走り、私は宙を舞って地面に叩き付けられた。
「あらあら、急に動きが悪くなりましたが蜘蛛がお嫌いな様ですわね」
シャナの背中から生えた脚は一本じゃない。私がこの世で一番苦手な生き物である蜘蛛の脚が計六本、それが蠢く様子を見ただけで動きが止まりそうになった。
「では、此処からが本番ですわね」
両足と蜘蛛の脚、その全てを使ってシャナが向かって来る。速度は先程までとは比べ物にならず、生理的嫌悪から動きが鈍った私に扇の刃と拳、蜘蛛の脚の爪先が猛烈な勢いで襲い掛かった。レッドキャリバーは手元に無くて引き寄せる余裕は今の私には無い。ブルースレイヴだけで凌ぐけれど傷が少しずつ増えていった。
「ああ、本当に情けない。……こんな小娘に負けるなんてディーナ達は魔族の恥ですわね」
嘲笑い侮蔑する意志が込められた言葉に意識を持って行かれ、振るわれた刃を避けるのが遅れる。切り裂かれた頬が熱くて痛く、叩き込まれた蜘蛛の足によって地面を無様に転がった。痛みは酷い。体中が悲鳴を上げる中、それ以上に心が痛かった。
「……貴女、仲間を何だと思っているの」
「仲間? まさかディーナ達の事ですの? 冗談は止しなさい。ルルみたいな屑に肩入れするディーナやその手下、役に立たない男共なんて道具ですら有りません。あの御方だってそうお考えですわ」
嫌悪感さえ滲ませながら語るシャナを私は睨む。彼女達は敵だった、それは間違い無い。倒した事を後悔なんてしてないわ。でも、友達の為に怒り狂うディーナに私は敬意を持っている。そんな彼女達を侮辱されてだまっていらればないわ。
「ぐっ! そんな目で私を見るんじゃありませんわっ!」
「……そう。じゃあ、見ないわ。最初からそうすれば良かったのよ」
少し頼りない動きで起き上がった私は目を閉じた。もう苦手な蜘蛛の脚は見えない。その代わりシャナの姿も見えないけれど、馬鹿にされていると怒る声は聞こえて来たわ。私だって怒るでしょうね。少し前の私だったらだじぇれど。
「此処まで馬鹿にされるだなんて不愉快ですわね。まあ、良いでしょう。そのままお死になさいな」
声が聞こえる。私に向かって来る刃が風を切り裂く音も、蜘蛛の脚が蠢く音も。何より、漂う臭いが全てを教えてくれた。
「なっ!?」
振るわれる刃を紙一重で避け、迫る蜘蛛の脚の内側に潜り込むとブルースレイヴを地面に突き刺して両手で左右の脚を掴む。触った事で嫌悪感が襲って来るのをグッと堪え、引き寄せたシャナの顔面に頭突きを食らわせた。
鼻骨が折れる感触と音が伝わって血が少し頭を汚すけれど気にせずにブルースレイヴを手に取り真横に振るう。脇腹に叩き込んで全力で振り抜けば相手が飛んで行くのが分かった。そして、その方向にはレッドキャリバーが有ったわ。
「来なさいっ!」
呼び掛けと共に引き寄せればシャナの側面に飛んで行くレッドキャリバー。既に私も飛んでいて、ブルースレイヴを振るう。だけど、シャナの体が急に真上に逸れた事で挟撃は失敗。恐る恐る目を開ければシャナの手からは白くて粘着質な糸が伸びて木の枝にくっついていたわ。
「蜘蛛の糸……」
「お馬鹿さんですわね。蜘蛛の毛に蜘蛛の脚、なら蜘蛛の糸だって使えて当然でしょう」
「貴女にだけは馬鹿って言われたくないわ」
馬鹿に馬鹿と言われたくない、私のそんな気持ちは馬鹿に伝わったのか、馬鹿にされた事に対して馬鹿が怒り出して扇の先を向けて来た。
「口の減らないお嬢さんね。……この貧乳癖毛の田舎者」
今、彼女は私の胸に視線を向けて鼻で笑った。あまつさえわざと自分の胸を揺らしながら。私の中でどす黒い何かが湧き上がる。
「パンツ丸出し……いえ、ブラも見えているわよ痴女」
蜘蛛の脚が突き破って脆くなった所に私の攻撃が加わってシャナのドレスは悲惨な事になっている。もうスカートは完全に全面が破れて下半身が丸出しで、上も風が吹けば布地が揺れて右胸まで見えている。上下とも同じレース付きの黒下着。鼻で笑って馬鹿にされたので静かな声で教えてあげれば慌てた声が聞こえて来たわ。
「ひゃわっ!?」
その上、木の上だから集落の様子がよく見える。きっと自分を見ている男の人達の数を知ってしまったのか随分と慌てた様子。両手で上の破れた部分を押さえる音が聞こえて来たわ。
「何とかと煙は高い所が好きって聞くけれど……」
「ああ、それなら知っているぞ。馬鹿と煙だ」
横からあえて伏せた部分を口にする女神様。賢者様も少し困った様子だわ。私だって困っている。だって緊張感が削がれるもの。
「女神様、少し黙って見ていて」
空気読めない女神様に呆れつつ意識をシャナに向ける。蜘蛛の糸を服に巻き付けて下着を隠した彼女は木の上から飛び降りるなり糸を私に向かって放って来た。子供の腕位の太さを持つ糸が目の前で蜘蛛の巣状に広がって私を包み込もうとするのに対し、私は魔法で無数の石礫を放った。糸に絡め取られて動きを止めるけれど粘着面も塞がれる。勢いは此方の方が上なので重くなった蜘蛛糸は地面に落ちて、私はそれを武器でシャナに向かって弾き飛ばした。
当然避けられる。重りが付いた糸は木に巻き付き、糸と手が繋がっているシャナの動きが一瞬だけ止まる。直ぐに糸を切り離すけれど、既に私の魔法は準備が整っていた。
「暴食なる緑よ、我が敵を食い尽くせ」
「これは……」
地面から姿を現したのは巨大なハエトリ草。大きく開いた葉がシャナを食べるみたいにして閉じる。咄嗟に逃げ出そうとした彼女の腕に葉の奥から伸びた舌が絡まって捕らえ、そのまま左右の葉が閉じられた。元々は魔本の持ち主が考案して作成途中だった魔法だけれど、最近になって私が完成させたわ。中で暴れているのか葉が歪むけれど徐々に動きが鈍くなって行く。
「葉を開くのはちょっと嫌ね。魔族が相手で良かったわ。……魔族にしか使わないけれど」
ハエトリ草は食虫植物、つまり今は獲物を消化中、開けば絶対にグロテスクな光景が待っているので維持する事に集中する。本当にこの魔法は死体が残らない魔族以外には使えない、そんな風に思った私の目の前でハエトリ草に異変が起きる。内側から出ようとする力が強くなり、葉の一部に穴が空く。その穴から無数の蝗が飛び出して来た。瞬く間に食い荒らされるハエトリ草。その中から体が全く溶けていないシャナが出て来たわ。
「……どうやら魔族の肉体を溶かすだけの力は無かったのね」
矢張りグリエーンで起こっていた蝗害はシャナの仕業だったらしい。そのまま蝗害だけで留めて自分は隠れていれば私達には何も出来なかったかと思うと本当に恐ろしい敵。私は彼女への警戒を更に強める。……そう、例え下着以外が全部溶けてしまっていたとしても。
「……此処までの屈辱は初めてですわ」
「でしょうね」
「……絶対に許さない」
「うん、私でも同じ事を言うと思うわ」
此処まで来ると謝りたいとさえ思えたけれど、今の私は彼女に一切の隙を見せる気が無い。だから謝らず、飛ばされた蜘蛛糸をレッドキャリバーで受け止めた。そのまま引き寄せられそうになるのを堪えれば向こうは更に力を込めて引き寄せに掛かる。
「ぐぎぎぎぎぎぎっ!」
姿を見せた頃の余裕も既に無く鼻息を荒げて引っ張ろうとするシャナ。対する私には少しの余裕。戦い方も武器も違うのも有るけれど、同じ上級魔族のクレタとは比べ物にならない腕力ね。あれだけ余裕ぶって気品が有る様に振る舞っていたのに随分と必死。下着姿で腰を落として私から武器を奪おうとするけれど、レッドキャリバーとブルースレイヴが互いに引き寄せられるのを忘れているみたい。
「……そう。そんなに欲しいなら差し上げるわ」
相手が更に力を込めた瞬間、私はレッドキャリバーから手を離す。勢い余って転んだシャナに向かって飛んで行くレッドキャリバーは柄から吹き出す魔力によって勢いを増し、私もそれを追って走り出していた。
「……引っ掛かったわねっ!」
シャナが勝利を確信した声を上げる。向かって来る私との間に張り巡らしていた極細の蜘蛛糸の罠、そして前方に放った針の如き髪の毛の乱れ撃ち。
「いえ、全然?」
私もまた、それを予期していた。見えない程に細い蜘蛛の巣の場所を鼻で関知し、髪の毛と同時に跳躍して避ける。策が上手く行ったと思った矢先の失敗にシャナの反応が遅れ、ブルースレイヴが頭に振り下ろされるのを避け切れない。頭部の端を捉え、肩に重い一撃が入る。肩の骨が砕ける音が伝わった。
「ぐぅっ! でも、この程度……」
苦悶の声を上げながらも戦意を失わないシャナだけれど、自分が今の一撃で失ってしまった物に気が付いたらしい。風に乗って飛んで行く金の糸……いえ、彼女の頭から抜け落ちた金髪は束になって地面に落ちていた。流石に呆然となり、一瞬の隙が生まれる。それでも直ぐに持ち直したのは凄いと思うわ。でも、その一瞬が決定的だった。引き寄せたレッドキャリバーとブルースレイヴでの突き。この近距離だから小さくした二つの刃を左右の脇腹に叩き込めば手に伝わる確かな手応え。
「これで終わりねっ!」
腕が伸びきり衝撃が最大まで伝わった瞬間に二つのサイズを元に戻す。急激に伸びる刃が更なる衝撃をシャナの体に伝える。内臓に多大なダメージを受けたシャナは吹き飛んで行った。
「……ふぅ」
やっと一息、流石にダメージを受け過ぎたのか立っているのもやっとの状態で私はシャナを見る。彼女が浄化される瞬間を戦った相手への経緯を持って見詰める……その筈だった。今までなら光の粒子になって消えていたのにシャナにその時が訪れる様子は無く、代わりに倒れた彼女の下に出現した魔法陣の光が彼女を包み込んで何処かに消し去ってしまったわ。
「そんな。あれでも倒し切れないなんて……」
私は力を出し切って、作戦も上手く行った。上手く持ち込んだ接近戦だって私にとって有利だったのに。間違い無く私の勝利。でも、倒し切れなかった。私自身も死力を尽くしたにも関わらず。
「……賢者様、あれが全力の上級魔族なのね」
「ええ、そうです。能力の厄介さも身体能力の高さもそうですが……何よりしぶとい。まあ、序盤のボスと終盤のボスでは倒すのに必要なダメージ値が違うのと同じです」
「いや、その例えじゃ私には理解出来ないわよ、賢者様。それにしても……締まらないわね」
シャナの下着姿を見せない為なのでしょうね。賢者様は女神様に目隠しをされていたわ。何と言うか、ドッと疲れがやって来た気がした。
「まあ、これで一安心……だったら良いのだけれど」
シャナは倒し切れなかったけれど追い返したし、これで蝗害が彼女の仕業だって判明したみたいな物だから介入も可能だと思う。今後の事は難しいので子供の私じゃなくって賢者様に任せて今は休みたい気分ね。……でも、不安は拭い去れないわ。
そして嫌な予感は当たる物だし、都合の良い希望は叶わない。事態が最悪へと向かっていたのを私は何となく感じていた。
「うっ、此処は……」
「やあ、手酷くやられたね。それに随分と恥ずかしい目にも遭ったみたいで可哀想に」
苦痛に顔を歪ませながらシャナが目を覚ませば巨木の洞の中、寝心地の良いベッドに寝かされていた。動かすだけで激痛が走る首を動かせば声の主の姿、彼女が敬愛して止まない存在が顔をのぞき込んでいた。
その幼さに邪悪さが混じった笑みも、少女の肉体を包み込むゴスロリドレスを内側から盛り上げる胸の膨らみも、可愛らしい日傘もシャナの心を奪う。気が付けば起き上がり、彼女の足下で平伏していた。
「こ、この度はご期待に添えず申し訳……」
「いやいや、謝らなくて良いさ。私はお気に入りには寛大だし、君は私の期待を一切裏切っていない。蒔かれた種は既に芽を出しているよ」
「は、はいっ!」
目の前の相手に失望され見捨てれる恐怖に震えていたシャナの肩に手が置かれ、顔を上げればしゃがんだ少女の笑みが間近に見える。ついでにスカートの中も見えていたがシャナの意識は其処には向きはしない。既に掛けられた言葉で流れ出る感涙によって前が見えずにいたからだ。
「さあ、次こそ勝ってくれ。君なら絶対勝てるだろうけれど……ちょっと余計なお世話を焼かせて貰うよ」
少女は懐から取り出した丸薬を口に咥え、シャナに口付けするなり舌を使って移し込む。思わず飲み込んだシャナの体内に丸薬が入り込んだのを確認した少女が唇を離せば唾液の糸が二人を繋げていた。
「ほら、もう大丈夫。直ぐに傷も癒えるし、力だって増す。……じゃあ、私は行くよ。楽しみにしているからね」
恍惚の表情で返事すらままならないシャナを置き去りにした少女が転移した先はビリワックが隣に控えた玉座。差し出された飲み物で喉を潤しながら実に楽しそうで邪悪な笑みを浮かべる彼女の視界の先には鏡に映ったゲルダの姿があった。
「じゃあ、君には最初から一切期待をしていないけれど頑張ってくれよ? ゲルダの成長に繋がる為にもね。さて、シャ……シャ……まあ、アレに勝ったゲルダがクレタに勝てるかどうか……実に楽しみだなぁ」
彼女の記憶にはシャナのフルネームどころか顔さえ曖昧にしか記憶されていない。只、こんな感じのが居る、その程度だ。それを知らず心酔し、己を彼女のお気に入りだと信じて疑わないシャナ。彼女に対し、ビリワックは少し思考を裂こうとし、直ぐに取り止めた。
「所でお伝えすべき事と見て欲しい書類が溜まっているのですが……」
「判断は君にパスするよ。書類は適当に読んでおくから、今は口直しに何か食べたい気分かな? 汚い物を唇に触れさせちゃってさ。口直しがしたい気分なんだ」
「はっ!」
その程度の些事は主の命令の前では記憶に留める価値も無い、そんな風にシャナに抱いた怒りさえも忘れ去ったビリワックは軽食の準備に取り掛かる。その背中を彼女は面白そうに見詰めていた。
「ふふふ、君は面白いなあ、ビリワック。きっと私が死ねと命じれば死ぬんだろうけれど……ちょっと意地悪して放逐を言い渡したらどんな反応をするんだろうか。まあ、居なかったら少し困るから今暫くは予定に入れないけれどね」
幼さも可愛らしさも消え去り、純度100%の邪悪さのみの笑みを浮かべた少女は笑う。手の平で弄ぶグラスがまるで世界そのものであるかの様に。この世は全て自分の玩具であるかの様に……。
モンスター図鑑⑩ ルビースパイダー
背中に大粒で質の良いルビーを持つ巨大な蜘蛛。乱獲されて数が減り、更に価値が上昇中。弱い部類だが生理的嫌悪を感じる見た目である




