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戦争の兆し

 拝啓、楓さんは如何お過ごしかしら? 嫁ぎ先が魔族のせいで大変な事になって苦労すると思うけれど頑張って。私は元気でやっているわ。でも、少し困った事になっているの。


「女神様、何があってそんな事に?」


 目の前で倒れているお兄さんを叩きのめしたのは間違い無く女神様だけれど、私がチューヌと戦っている僅かな時間に一体何が有ったのかしら? 見るからにガラの悪い豹の獣人のお兄さんで……豹? そう言えば賢者様が文句を言っていたのを思い出す。ティアさんにしつこく言い寄っていた人で、随分と失礼な事ばかり口にするストーカー。確か名前は……。


「グリン・アスーピだな、彼は。ギェンブの族長の息子……いや、父親が何者かに殺されたから族長代理をやっているぞ。まあ、血気盛んな同類以外には疎まれている鼻つまみ者だ、後で私が適当に集落まで連れて行こう。それで主の主の奥方よ、何があったのかね?」


 茂みをかき分ける音と共に聞こえて来たのは気絶しているグリンさ……グリンで良いわ、の現状が随分と愉快だと言わんばかりの声。声の主は私がアンノウンの次に信用出来ないと思っている鳥トンだったわ。ついさっき私に襲い掛かって来たから返り討ちにした時に禿にしたお兄さんを簀巻きにして引き擦りながら現れた彼は何を考えているのか分からないキグルミの瞳を女神様に向けた。


「ん? ああ、此奴がそうだったのか。様子を見に来たらしいが、私が気に入ったから抱いてやるとか今直ぐ脱げとか言って手を伸ばして来たから軽く殴ってやったのだが……玉を潰しておいた方が良かったか」


「いやいや、それには及ばんさ。どの道、コレが曲がりなりにも族長代理を任せて貰えたのは強さ有っての事。それが短期間に二度も、それも勇者の仲間や賢者に喧嘩を売って負けたとなれば強さだけに惹かれている者も離れるだろう。ククク、実に愉快な生涯を過ごせそうではないか」


 矢張り思った通り鳥トンは性格が悪い。アンノウンは悪戯が大好きで好き勝手に振る舞う性悪だけれど、彼は他人の不幸が楽しくて仕方が無いって感じだわ。グリンの事はどうでも良いけれど、ちょっと気に入らなかった私は彼を睨む。それに気が付いたのか鳥トンは私の方を向き、ヌイグルミの翼で器用に鉄串を投げた。魔力を噴射した時のデュアルセイバー以上の速度で私の横を通り過ぎた串は木に突き刺さる。


「……一体何のつもりかしら?」


「おや、勇者様にとっては余計なお世話だったかな? ならば謝罪しよう。だが、気を抜かない方が良い」


 一体何をと思って振り向けば串は蜜蜂程度の大きさの蚊を貫いて木に縫い付けていた。蚊から漂うのはグリンから感じ取った魔族の残り香を更に強烈にした物。体を貫かれ溢れた血から臭っていたわ。


「……有り難う」


「お礼の言葉は良いさ。だが、どうも嗅覚に頼り過ぎては居ないかね? ふぅ、先が思いやられるな」


「素直にお礼を言うんじゃ無かったわね。オーバーアクションが腹立つもの。まあ、良いわ。取り敢えず解析をしなくちゃ」


『『ドミネーモスキート』魔族の血を吸う事で短時間……』


 解析によって情報が頭の中に流れて来る。だけど、その途中でドミネーモスキートの体が内部から爆発した。


「きゃっ!?」


 縫い付けていた木の表面を少し抉り、鉄串を焦がす程の爆発によって蚊の体は完全に消え失せて解析が不可能になる。振り向けば鳥トンが肩を竦めて首を振っていたわ。


「兵は神速を貴ぶ……頑張りたまえ。では、私はグリンを集落に連れて行った後で此方の男を主の所に連れて行く仕事が残っているので失礼しよう」


 禿げたお兄さんを縛った縄とグリンの足を片手ずつで持った鳥トンは先に進もうとするけれど、その背中に女神様の声が掛かった。


「おい、貴様は他のキグルミと違って操られてはいまい。何でアンノウンに従う?」


「時給九百三十……冗談だ、給与など貰っていないさ。私が主に従う理由、それは楽しいからだ。私にとっての雀躍(じゃくやく)を主が効率良く齎してくれる。代わりに私は労働力を提供する。まあ、ギブアンドテイクという奴だな」


「……そうか」


 鳥トンの返答に女神様は眉を顰めながらも追求をせず、鳥トンは去って行く。


「あっ! アンノウンが何処で何をやっているのか訊ねれば良かったわっ!」


「それも有るが……」


 腕を組み難しそうな顔の女神様。どうやら私では気が付かなかった問題が残されているらしい。それが何なのか、私は固唾を飲んで女神様の言葉を持つ。


「雀躍って何だろうか……」


「……幸福や喜びを感じる事よ、女神様」


「そうか、ゲルダは賢いな」


「いえ、そうでもないわ」


 だって賢者様や女神様を何度無駄に尊敬したのか分からないもの。凄い方だって分かっているし、尊敬に値するわ。でもちょっと……。


(所でわざわざ愉悦や悦楽じゃなくて雀躍と言ったのは同じ鳥だからというジョークかしら? 面白く無いわね」


 ちょっと鳥トンの笑いのセンスに疑いを持った私は何時の間にか紙を踏んでいた。拾い上げればパンダのイラストが描かれていたので嫌な予感がしたけれど書いていた文字までよんでしまった。


「”直ぐに理解した人のセンスも疑わしいよね~”……うるさいわ」


 出来れば私も理解したくなかった。紙を丸め、ポイ捨ては駄目だからポケットに突っ込む。帰って来たらアンノウンに何をしようかと思っていた私は重要な事を思い出した。


「トレントさんは大丈夫かしら?」


 少し心配した私は女神様が投げ捨てた方向に急ぐのだけれど、其処で見たのは驚きの光景だった。


「ほら、この様な所で寝ないで欲しいのですが」


「すやすや、すやすや」


 すやすや等と妙にメルヘンな寝息を立てているのはトレントさん。無事で良かったと思いつつも呑気に眠る様子に少し脱力する。私の心配は何だったのだろう。そして彼を揺り動かして起こそうとしているのもトレント。少し若い木なのかトレントさんより少し小さくて葉っぱも瑞々しい。よく見れば幾つか木の実が生っていたわ。若い方のトレントさんは困った様子で根っ子を動かしていたけれど、私に気が付いて此方を向く。


「其処のお嬢さん、少し彼を起こすのを手伝って下さい。私はこの近くで普段生活していますが、散歩として住んでいる場所から動いた時、ふと思ったのですよ。我々が何処から来て何処に行くのか、と。数日前から考えていたら急に空から降って来た上に寝ていまして。全く、寝るならせめて根っ子を張ってからでしょうに」


(……そう言えばチューヌは知らないとしか言ってなかったわね)


 疲労がドッと押し寄せる。主に精神的な疲労が。お腹も空いて来たし、目の前では散々心配した相手がピンピンしているから良かったけれど徒労感が凄い。何だかとっても虚しくなった頃、漸く心配した賢者様が迎えにやって来てくれた。でも、出来ればもっと早く来て欲しかったわ……。



「成る程、そんな事が有ったのですね……。さて、一体どうするべきか」」


 テーブルの上に並ぶのは山盛りのパンケーキやソーセージに目玉焼き。それを夢中で食べて時々オレンジジュースを飲みながら先程の話をすれば賢者様はコーヒーを飲みながら真面目な顔で呟く。


「ティアに強引に迫っておきながら今度は初対面のシルヴィアに迫ったのですか、あの小僧。魚の餌にするのは決定として、どうやって処分してやりましょう」


「賢者様、発言が物騒」


「ふふふ、お前らしくもない。だが、それ程に私やティアへの愛が深いのだろう。嬉しくて一層お前を愛してしまうよ」


「女神様、少し落ち着いて」


 ああ、本当にこの二人は色々と駄目ね。特に身内が絡んだ時の賢者様は一層駄目よ。何時もの穏やかな顔で随分と恐ろしい事を言っているし、グリンには黙祷を捧げるしかないわ。この時、私は諦めていた。止めても無駄だからと。でも、助け船は入るものらしい。



「父、殺したら駄目。殺したら、父を嫌う」


「え? 私が誰を殺すのですか? 誰も殺しませんよ。だからティアも私を嫌ったら駄目ですからね」


「分かった。父、大好き」


「しゃあっ!」


 拳を握って随分と嬉しそうにする賢者様。ストーカーしている相手からの言葉でグリンの命が救われた中、私は改めて思う。賢者様は矢張り身内が絡んだら馬鹿になる、と。今更な気もしたけれど。


(うん、こんな大人には絶対ならない様にしないと駄目ね)


 私は心に深く刻み込む。そんな事を知らない賢者様はティアさんに好きと言われて随分と幸せそうにしていた。きっと家族の在り方としては悪くないのだろうけれど、家族を構成している人達次第ではとんでもない事になるのね。力がある事が幸せになる事を邪魔するのは駄目だけれど、どうしても周囲に影響するのだから。


「……随分と慌ただしい」


 そんな家族の団欒は突如鳴り響いた戸を叩く音に邪魔される。ドンドンと力強く随分と速いペースで慌てているのがよく分かり、ティアさんは少し不満そうにしながらも戸を開ければ転がり込む様に子供が入って来る。顔と背中に生えている翼に見覚えがあり、少し思い出せば孤児院に居た子だと分かった。


「あっ! 貴女怪我しているじゃない、一体何が……」


 見れば彼女の体には少なくない怪我が見て取れたわ。さ。服も髪もドロドロに汚れ、付着した血には他の誰かの物も混じっている。その匂いに嗅ぎ覚えがあるちゃんと嗅いだ訳じゃないから確信は持てないのだけれど。それよりも今は治療が先だと直ぐに回復魔法を使おうとするけれど、それよりも前に彼女は目に涙を蓄えながら懇願する。


「お願い、院長先生達を助けてっ!」


 その叫びと共に彼女は崩れ落ちる。咄嗟に支えれば気絶していて、多分此処まで来るのが限界だったのね。直ぐにティアさんがベッドに運んで賢者様が治療すれば静かな寝息を立て出すけれど、一体何が……。


「賢者様、ちょっと出掛けて来るわっ!」


 あの子は院長先生達って言った。つまり院長先生以外にも危ない状態の人が、多分孤児院の子供達が居るって事。放ってはおけないと家を飛び出した私は此処に来るまでに彼女が残した匂いを辿って森の中を進む。走る事数分、院長先生達は直ぐに見付かった。



「……何とか命は助けましたが」


 私が発見した時、院長先生や子供達は血塗れで倒れていたわ。特に子供達を庇ったのか院長先生の体には矢が沢山刺さっていた上に、明らかに痛めつける目的で負わせた怪我をしている。現場に残った靴跡や意識のある子の証言から犯人は分かっている。モンスターじゃなくて……獣人だった。


 人に生まれながらの悪意を向ける魔族でも、魔族の支配下になくても普通の動物とは一線を画する凶暴さを持つモンスターではなく、今回被害者になった人達と同じ種族。私がそれが怖かった。今まで盗賊を何人も退治したし、勇者になる前も羊泥棒を叩きのめした。それでも私は慣れない。人の持つ悪意に慣れる事が出来ない。


「一体誰があんな事を……」


「決まっているだろう。西の奴らだっ!」


「私達以上の食糧難だからって同情していたけれど、子供達を彼処まで痛めつけるだなんて許せないわ」


 苦痛は賢者様が取り除き、トラウマが残らない様に記憶を弄るらしいけれど戻って来た時に血で汚れた服を着た姿は集落の人達に見られてしまっていた。その結果がこれ。今までは直接被害は受けず、元々は仲間意識を持っていた相手だからと薄かった敵意が膨れ上がってしまっている。口々に怒りを吐露し、戦を始めるべきだと叫んでいた。


「あの……」


 止めた方が良い、そんな風に言おうとした私は言葉を濁し押し黙る。勇者である私や仲間の賢者様達は戦争に対して力を振るってはいけない。その理由も説明しているし、助けたくても助けられないと理解してくれていると思う。でも、理性と感情は別なのよ。何か出来るのに何もしない、そんな人の言葉に重みが無いのは私でも分かる。だから何も言えず、トボトボと孤児院へと戻る。丁度最後の一人の記憶を読んで情報を集め終わったのか記憶処理の最中だった。


「……賢者様、今回は何も出来ないと言っていたけれど例外が有るのよね?」


「ええ、有りますよ。では、行きますか?」


「そうね。今直ぐにでも行きましょう」


 例外とは何か、大体予想が付いていた。その上、賢者様がそれほど悲観的に振る舞っていないなら今回はそれに当てはまる筈よ。人同士の戦争は人の営みの内だから勇者達や神が手出し出来ない。でも、その戦争に魔族が関わっていたら? その場合、人の営みではなくなるでしょうね。


「早く探し出して倒しましょう。取り返しが付かなくなる前に私達で戦争を止めるのよ」


 人の戦争に手を出すのは勇者の仕事じゃない。でも、人の戦争を起こそうとしている魔族の企みを阻止するのは勇者の仕事ね。私は気持ちを切り替え闘志を燃やす。人を戦争に追い込んで高みの見物だなんて絶対に許さないわ。



「そもそも今回の件は途中から不自然さが目立つのですよ。蝗害からの食糧不足、それだけなら自然の成り行きだと思ったのでしょうが、植物系モンスターと食料だけを狙う等の蝗の異常な行動から始まって作戦だったのなら途中から破綻しています」


 先ずは状況の整理をするべきだと被害を時系列ごとに並べると最初は蝗の大量発生で済まされていた被害が明らかに被害を出す意図を持って行動している様子が見て取れたわ。まるで誰かが綿密に立てた作戦を実行担当が勝手に変更を加えて破綻した、そんな有り得なさそうな馬鹿な話に……。


「馬鹿の仕業なら有り得るわね」


「ええ、自分では頭が良いと思っているタイプの馬鹿の仕業でしょう。無能な味方は有能な敵より厄介だと聞いた事が有りますが、まさか無能な敵に救われるとは。……まさか全て油断させる為の作戦の可能性は有りませんよね?」


「深読みしても疲れるだけよ、私みたいに。この短期間で私がどれ程の無駄な深読みで苦労したと思っているのかしら? ……分からないわね、忘れてちょうだい」


 その深読みの対象が賢者様や女神様だとは流石に言えない私は途中で誤魔化しながら犯人がどんな相手なのかを想像する。一瞬で浮かんだのは出来れば精神的な意味で戦いたくない馬鹿の事だった。


「あのお馬鹿なお姉さんよね? 多分……」


「まあ、馬鹿は何するか分かりませんから早く対処しましょうか。……突飛な行動に出て被害が出たら困りますし」


 世の中には関わりたくないタイプの馬鹿が居るわ。勇者としての宿敵ではあって欲しくないタイプの馬鹿、その名はシャナ・アバドン。部下にも無駄だと馬鹿にされるお菓子の家で子供を誘う作戦や金ピカの城を落書きの張りぼてで隠せていると自信満々だった上級魔族。


「……戦いたくないわ。馬鹿が伝染しそうだもの」


「幸い馬鹿は伝染しませんよ。まあ、気持ちは分かります。絶対疲れそうですからね」


 此処でこんな事を言っても無駄だと分かっているわ。戦争を止める為にも先ずは魔族の仕業だって証明する必要が有るもの。そうすれば食糧難も魔族による被害扱いで援助が可能らしい。


「勇者のルールって面倒ね」


「その上、穴がガバガバなのですよ。作った方が神ですからね。手直しを後で、の後が数百年単位でも不思議では有りません」


「神様って大抵馬鹿なのかしら……」


「此処だけの秘密、私もそう思っています。……じゃあ、行きましょうか」


 何時までも愚痴を言っていても仕方が無いので私達は出発する事にした。物々しい雰囲気の集落の中を抜け……る前に思わず立ち止まる。空の彼方から黒い霧と見間違えそうな虫の大群が飛んで来て、その上に乗っていた相手が眼前に飛び下りたから。


「おーっほっほっほっほっほっ! 色々考えましたけど、ビリワックさんの作戦よりも私の策の方が良いですわよね。さあ、来なさい勇者っ! 私が相手ですわっ!」


「馬鹿だ、馬鹿が居る」


 目の前の馬鹿を見て、私は思わずそんな事を口にしてしまった……。


モンスター図鑑 ⑨ サンドローズゴーレム


タンドゥール遺跡で活動する巨大なゴーレム。砂の薔薇が寄り集まった姿をしており、侵入者を攻撃する。何かの理由で外に出た場合、視界に入った相手を侵入者と誤認する場合も

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