圧倒的な実力差
「……ん。お早う、ゲルダ。もう少しでご飯出来る」
朝、私が起きてくると既に起きていたティアさんが朝ご飯を作っていた。レーズン入りのパンに野菜スープ(但し人参抜き)、カリカリに焼いたベーコンを手際良く皿に盛って行くのだけれど、何故か私には不機嫌そうに見えた。
「お早う御座います、ティアさん。えっと、何か有りました?」
「父と母、昨日はドアに魔法掛けて入れない様にした。一緒に寝たかったから、少し不満」
「……あぁ、成る程」
頬を膨らませて二人が泊まっている部屋を指さすティアさんの姿に納得する。昨日の会話からして夜中はお楽しみだったらしい。理解した私は思わず声に出してしまうけれど、ティアさんは理解していなかったのか小首を傾げる。
「ゲルダ、何が分かった? 私には入れて貰えない理由が分からない。……教えて」
「えぇっ!? えっと、どう説明すれば良いのか……」
「簡単にで構わない。教えて」
説明しろと言われても、そんな恥ずかしい真似なんて到底無理な私はゴニョゴニョと言いよどむけれど、それで納得しないティアさんに顔を近付けられる。
(もう! 二人はどうしてティアさんにそういった事を教えていないのっ!?)
逃げ場を失った私は今この瞬間に二人が寝室から出てくるのを期待するけれど、朝から楽しんでいるのかその様子は無い。盛るのも大概にして欲しいと思った私が誤魔化す方法を思案し始めた時、運が良いのかノックの音が響いた。
「ティアさん、お客様ですよ! ほら、早く出ないと」
「分かった。じゃあ、後で教えて」
この場は凌いだと胸をなで下ろす中、ティアさんは玄関の鍵を開ける。ドアが開けば家の前に立っていたのは私も知っている相手だったわ。下着同然の服装をした愛と戦の女神イシュリア様が立っていた。
「はぁい! キリュウとシルヴィアがこの世界に来たって聞いたし、良い機会だから久々に顔を見に……」
「……」
姉妹だけあって顔付きが女神様に似ているイシュリア様は話しながら家の中に足を踏み入れ様とするけれど、ティアさんはそれより前にドアを閉じて鍵を掛ける。外から抗議する声が聞こえたけれどティアさんにドアを開ける様子は無かった。
「えっと……」
「イシュリア様が来ても家に入れるなって父と母に言われている」
「成る程……」
何故そんな事をと思ったけれど、イシュリア様に関する話を思い出せば納得しかない。神随一のトラブルメーカー。本人に後始末を任せると余計に事態が悪化する恐れがあるから懲罰の意味を込めて尻拭いをするイシュリア係が有るとか無いとか。多分悪影響が有るからそんな事を言ったのは簡単に予想が出来るわね。
「ちょっとぉっ!? 私を閉め出すとか酷いじゃない! 開けなさい、開~け~な~さ~い~!」
「……ちょっと五月蝿い。放置したら近所迷惑」
外からドアをドンドンと叩く音と叫び声、神様に描いていた幻想が崩れたのは今回が初めてでは無いのだけれど、流石に思う物が有る。ティアさんも面倒そうにしながらもドアを開けたのだけれど、その途端に飛び込んで来たイシュリア様に抱き付かれた。
「ったく、仕方の無い子ね。にしても暫く見ない間に随分と育って……」
イシュリア様の手が蛇の様にティアさんの体を這い、舌なめずりをしながら舐め回す様に彼女の肉体を眺める瞳は怪しく光る。ティアさんは諦めているのか無抵抗でなすがままままで、イシュリア様は随分と機嫌が良さそうだった。
「ああ、そうだ。貴女、どうせ男の悦ばせ方なんか知らないでしょう? この機会に私が教えてあげるわ」
ティアさんに何を教える気かは完全には分からないけれど、イシュリア様の事だから禄でもない事だとは理解出来る。女神様が怒る前に止めなくてはならなかった。
「あ…あの、イシュリア様……」
「駄目よ、ゲルダ。流石に十歳には早すぎるもの。でも、もう少し成長したらちゃーんと教えてあげるわ」
止める為に声を掛けるけれど、イシュリア様は何を勘違いしたのかウインクをしながら人差し指を私の唇に当てて黙らせる。……もしかして私も教えて欲しいのだと思ったのかしら?
「……喜ばせ方? 父、私が一緒に居ると喜ぶ」
「ん~、ちょっと違うのよね。まあ、良いでしょう。今からキリュウを連れて風呂に行くわよ。其処で一から十まで手取り足取り教えて上げる。今以上にキリュウと親しくなれるわ」
「父と?」
多分意味が分かっていないと思うけれど、ティアさんは怪訝そうにしながらも興味を示す。これがイシュリア様の提案でなければ直ぐに受け入れていたのかもと思ってしまった。
「そうよ。大丈夫、私が教えて上げるから」
「ほう。私の娘と夫に何をさせる気だ、姉様……いや、イシュリア?」
「何って、ナニに決まって……」
背後から聞こえた静かな声にイシュリア様は恐る恐る振り向く。立っていたのは肌の艶が何時もよりも格段に良い女神様。顔は笑っているけれど目は笑っていなかったわ。
(だから止め様としたのに……)
その顔を見た途端にティアさんから手を離したイシュリア様は後退りをして女神様から距離を取るけれど、女神様の指が顔面に食い込み、片腕だけでイシュリア様を持ち上げる。顔を掴む手を握り足をバタバタ動かすイシュリア様だけど一向に逃れられる様子も無く、女神様はそのまま風呂場の方に歩き出した。
「折角だ、久々に姉妹の交流と行こうじゃないか。なあ、イシュリア? それとティア、此奴の言葉は信用するな。キリュウに叱られる所だったぞ」
「いやいやっ!? 貴女、どう見ても交流しようって雰囲気じゃ無いでしょうっ!?」
「はっはっはっ! 何を言っている?」
女神様はかなり怒っているらしく、イシュリア様が目で助けを求めるけれども私とティアさんは素知らぬ顔でスルーするしかない。間違って巻き込まれでもしたら一大事だもの。
「さーて! スポンジが無いから代わりにこれを使って体を洗ってやろう」
「ちょっと、それって金のタワシだから、浴槽を洗う物であって女神の玉体を洗う物じゃ……ぎゃぁああああああああああっ!?」
風呂場から悲鳴が聞こえてくるけれど多分気のせいだと知らない振りを決め込む。ティアさんなんて慣れているのか平然とイシュリア様の分の食事の用意まで進めていた。
「えっと、賢者様を起こして来た方が良いですか?」
「無理。母があの肌の時、父は何故か中々起きられない。……何故?」
「分かりません」
ティアさんの疑問も風呂場から響き続ける悲鳴も知らない事にして私は食卓に着く。今日の朝ご飯も美味しそうだった。
「ああ、酷い目に遭ったわ。あの子、本気で怒るのだもの。ちょっと性教育ついでに妹の夫と楽しもうとしただけじゃない」
「それは怒っても仕方無いわ」
「……貴女も結構言うわね」
ビャックォの集落の近くの森の中、イシュリア様に半ば強引に散歩に同行させられた私は敬語を使うのを止めていた。流石は神の肉体と言うべきなのか、今のイシュリア様の肉体には擦り傷一つさえ見当たらない。頬を膨らませ、女神様への愚痴を呟いているけれど私は自業自得だと思っていた。
「さ~てと、後で適当な男を引っかけて遊んだら帰るとしましょうか。ねぇ、抱いたら楽しそうな男に心当たりは有るかしら?」
「……無いわ」
「あはははは。冗談よ、冗談。それにしても貴女って十歳にしてはマセているわよね。将来的に私みたいになれるかもね」
「いえ、それはあり得ないわね。だって私にはイシュリア様と違って節操が有るもの」
イシュリア様の言葉を即座に否定する。幾ら神様でも言って良い事と悪い事が有るって知っていて欲しい。逆にどうやったらイシュリア様みたいになるのかが気になる位だった。
「賢者様が前に言ってたのだけれど、イシュリア様って本当に反面教師の鏡よね」
「……あの男、そんな事を言ってたの? ったく、失礼しちゃうわ。大体、私だって無節操に男を選んだりしないっての」
「違うのっ!?」
「幾ら何でも驚き過ぎよ。私にだって好みが有るわ。まあ、他の人より広いし愛の数も多いけれど……あんな男は範疇外よ」
あまりにも予想外な言葉に私は驚き、イシュリア様は肩を落として溜め息を吐いた後で目を細めて前を向く。前方から向かって来ていた豹の獣人の男の人が道を塞ぐ様に立ち止まった。イシュリア様に嫌悪の眼差しを向けられても気付いた様子も無く、無遠慮な眼差しで欲情を隠そうともせずにイシュリア様を眺めていた。因みに私の方を一瞬見た後、胸の辺りで鼻で笑ったのは見過ごしていない。
「同族嫌悪って奴かしら?」
今までの行動からしてイシュリア様と似たタイプ。なら、嫌う理由は一つしか無い。似たもの同士だからこそ気に入らない、それだけね。
「失敬ねっ!? ……其処の貴方、狭いんだから退いて頂戴」
煩わしそうにしながら男の人に言葉を向けるイシュリア様は横を通り抜けたり回り道をする気など一切無いと態度で示す。腕を組み堂々と告げるイシュリア様に対し、彼はニヤニヤとした笑みを向けたままだった。
「ヒュ~。嬢ちゃん、気が強いな。俺はそんな女を組み伏せるのが好きなんだよ。俺の物になりな。俺はギェンブの族長の息子だし、次期族長も間違い無いんだ。ってな訳で……楽しもうぜ」
「なっ!?」
イシュリア様の肩に向かって手が伸ばされる。あまりにも一方的で身勝手な言葉に怒りを覚えた私が止めに入ろうとするけれど、イシュリア様はそれを手で制してウインクを向ける。
「大丈夫よ。この程度、何でもないから」
太く無骨な指先が肩に触れる寸前、イシュリア様の手がその手首を掴み、骨が折れる音が響き渡った。
「ぎゃあああああああああああっ!? こ、この糞女っ!」
丸太の様な腕が振るわれるけれど、イシュリア様は素早く屈んで躱わすと同時に水面蹴りで足を払い、そのまま手を伸ばして払った足を掴むと腕の力だけで投げ飛ばした。木を何本もへし折りながら彼は突き進み、イシュリア様は一足飛びに追い付くと両手を組み合わせて腹部に振り下ろす。空中でくの字に折れ曲がった彼はそのまま地面に激突、最後にその上にイシュリア様が着地した。
「はっ! 貴方に挙げる愛は無いわ。百回位生まれ変わって出直しなさい」
イシュリア様は軽快な動きで飛び下りると馬鹿にした様な笑みを彼に向ける。凄い事にあれだけの攻撃を受けても気絶をしていないらしく、それでも立ち上がれないのか寝転んだままでイシュリア様を睨んでいた。
「畜生、このグリン様をコケにしやがって。ティアも、テメェも、そこの餓鬼もあの男も全員ぶっ殺してやる!」
「あら、随分とご挨拶じゃない。……言って置くけれど次は無いから。私、気に入った相手以外はどうでも良いのよ。それこそ死んでしまってもね」
グリンの言葉にイシュリア様から笑みが消え、底冷えのする冷徹な物へと一変する。あんな顔、人間なら絶対に出来ないと思わせる何かがあった。
「……イシュリア様って本当に神様なのね」
「酷くないっ!?」
私がつい呟いてしまった言葉に涙目になるイシュリア様はさっきの顔が嘘の様だった。あれだけ傲慢さを隠す様子の無かった彼は股間が濡れて震えていて、漂う香りに私は気が付かない振りをする。失礼で不愉快な人だけれど、それだけの情けを向けても良いとは思う。
「ぷっ! 彼奴、おしっこ漏らしているわ」
「……早く行かない?」
その容赦を持ち合わせていない神様は存在したのだけれど。流石に可哀想なので私はイシュリア様を急かして先に進む。少し足早だったので直ぐにグリンの姿は見えなくなった。
「畜生がぁ……」
だから気が付かなかった。彼の事をジッと見つめる小さな瞳が有る事に。この時に気が付いていればあんな事にはならなかったのにと私は後悔する事になる。本当にこの世の中は思う様には行かない。こんな筈じゃ無かったと思う事ばかりだ。
その十分後の事、イシュリア様は何かを踏み付けた拍子に足を滑らせてお尻を盛大に打ち付ける。優雅さも気品も感じられない滑稽な姿で転んだ彼女は踏んだのと同じ物……明太子が体中に付着していた。昨日から外に出していたからか若干変色しているし、多分食べたらお腹を壊す。
「きゃっ!? 何よ、誰がこんな所に明太子を……明太子ぉっ!?」
「えっと、アンノウンの仕業」
「あの獣、何を考えてこんな事を……いいえ、気紛れね。彼奴、気分でしか行動しないから」。
「……矢っ張りそんな認識なのね。私もそうとしか思えないわ」
ワナワナと怒りに震えるイシュリア様の姿にアンノウンは昔からアンノウンで、そんなアンノウンが苦手にしているティアさんに尊敬の念を抱きながら私は一つの願いを抱く。
(出来ればあの二人の魔族には会いません様に……)
何をどう間違えたのか凄く頭が良いと勘違いして余計な心配までしてしまった。少し恥ずかしいのであのシャナとクレタの二人には会いたくない。
だけど、私のそんな願いは大体叶わない。この辺りの調査は賢者様達と一緒に行う予定だったから回り道して別の場所に行こうとしたけれど、明太子の少ない方向を目指したのが裏目に出た。
「ぐぷっ! で…出る。今動いたら明太子が口から出る」
何故この方向は明太子が少ないのか、もっと疑問を持つべきだった。答えは簡単で、腹をパンパンに膨らませたクレタが食べ尽くしたからだ。口元に明太子を付けた彼女は仰向けに寝転んで呻き声を上げ、イシュリア様が踏んだ枝が折れる音で私達に気が付いて目が合う。
「イシュリア様って神様の加護とか与えられないのかしら? 具体的に言うなら幸運とか」
「戦の勝利とか愛とかなら専門だけど、幸運は別なのよねぇ。それにしてもあの女、随分と間抜けな姿ね……ぷっ!」
「……言わないで欲しいわ」
どうせイシュリア様は忘れているのだろうけれど、私は勇者として魔族と戦う必要がある。それは構わないのだけれど、目の前のクレタみたいに醜態を晒している相手の姿を見ると情けなくなった。
「……何だ、貴様達は。私を侮辱するのなら女子供でも容赦はせんぞ」
私達の会話が耳に入ったらしくクレタはハルバートを杖にして起き上がる。切っ先を地面に刺して固定したハルバートに寄りかかったクレタはどれだけの量の明太子を無理に詰め込んだのか妊婦さん以上に膨れ上がった腹部と今も胃から逆流した物が出て来そうな口元を押さえていた。
「あの、どうしてそんなになるまで……」
「食い物を無駄にするのは良くないからに決まっているだろうっ! 全く、何処の何奴が城を明太子に変えたのだ。痛んだ明太子を大量に食べたからこんな無様な姿を晒している……おのれ」
まさか私の知り合いの人の使い魔が犯人だとは言い出せず、言い出したとして近くに居た私まで叱られそうなので黙っておこうと思った。あまりにも馬鹿馬鹿しい。
(準備も整っていないし、此処は一旦退きましょう。私が勇者だとは気が付いていないみたいだし……)
「いや、食べなければ良かったじゃない。どうせ本物じゃないんだし。……ゲルダ、貴女も大変ね。勇者としてこんなのを相手にしなくちゃ駄目だなんて」
「……勇者だと? ほぅ、貴様がか、小娘」
クレタの目に敵意が宿る。私を目障りな相手から倒すべき相手へと変わる。私は今、イシュリア係が作られた理由を理屈じゃなく自分の身に降り懸かったトラブルを持って理解した。
「……あれ? ねぇ、ゲルダ。私、ちょっと重要な事に気が付いてしまったのだけれど……」
(凄いわね、イシュリア様って。今幻滅した所だけど、一体何に気が付いたのかしら。もしかして何か状況を変える程の……)
「パンダのヌイグルミを操るアンノウンと熊のヌイグルミ型の魔族、口調が似ているシルヴィアとあの女。……キャラが被り過ぎよっ!」
「イシュリア様、少し黙っていて」
何かを期待する方が無駄だと判明したからイシュリア様は居ないものとして扱い、目の前の敵に集中する。デュアルセイバーを構え、クレタの一挙一動に集中した。
「我が名はクレタ・ミノタウロス。掛かって来い……うっぷ」
「……締まらないわね。私はゲルダ・ネフィル。貴女を倒す者よ!」
武器を構えながらも今にも吐きそうになっているクレタに気を削がれながらも先手を繰り出そうとした時だった。クレタの姿が居た場所から消え去り、私の眼前に現れる。ハルバートを大振りに振り被り、私は咄嗟にデュアルセイバーを構えて受け止めた。相手は明らかにパワータイプ。先ずは様子を見てからと足に力を込め、その足が地面から離れた。
「がはっ!?」
腕に響いた衝撃が全身を駆け巡り肺の空気が押し出される。咄嗟に切っ先を地面に突き刺して止まろうとするけれど、それよりも前に背中から岩に激突した。痛みで意識が一瞬遮断されて次の動作が送れる。その一瞬でクレタは追撃を掛けて来た。
「終わりだ。……呆気無い物だ」
私の首目掛けてハルバートの刃が迫る。咄嗟に防御しようとするも間に合わないと悟ってしまった。
モンスター図鑑 ⑧ ダツヴァ
全身が細長い鳥型のモンスター。嘴で貫いて仕留めた相手の死肉を食べる。肉は不味いが嘴からは極上の出汁が取れ、美食家の間で人気。大勢を貫いた個体ほど味が濃厚になる。つまり死体の成分が嘴に溜まるという事。\




