愉快なパンダと森の中の明太子
「……ふぅ。今日は良い天気ね。ポカポカしてて、二度寝がしたくなるわ」
お菓子の家の住民だった熊のヌイグルミとの一件の翌日、私はティアさんの家の前でグッと伸びをする。ぐっすり眠ったけれど、この陽気じゃ仕方無いわ。一度欠伸をして、家の中に戻る。机の上にはアンノウンのパンダのヌイグルミが置かれているだけでアンノウン自身は居ない。
「平和ね。特に私の心の平穏が保たれているわ」
この日、この家に居るのは私だけ。賢者様は頭の捻子が外れていない方の神様達との会談。定期報告という口実で連れ出して、偶の気晴らしをさせてあげるらしい。イシュリア様なんて頻繁に遊びに行っているのに、イシュリア様の起こした問題を解決する方々は何か理由が無いと遊びに行かないらしいのだもの、大変ね。
女神様は普段封印している神の力を元に戻し、豊穣の女神としての役割を果たすらしい。丁度収穫のシーズンが近付いているけれど魔族の影響で大変だから対になっている神様と今日一日掛けて実りを与えるって言ってたわ。
ティアさんは今日もお仕事。昨日、賢者様が周囲を探っても子供が見つからなかったから別方向を探すらしいわ。私も手伝いたかったけれど、休めって言われて残った。
「お仕事って大変ね。私も働いていたから分かるけれど」
そしてアンノウンも不在なの。凄く喜ばしいわ。確かクリアスで一番強いチームを決めるカバディの大会に出るって言ってたわ。
「どうせならアレも連れて行けば良かったのに……」
チラリと机の上のパンダを見る。何かしていると思ったら私の三時のオヤツの筈だったマカロンを食べていた。食べ滓をボロボロと落とし、明らかに自分の体積より上の量。ヌイグルミなのにどうして物を食べる事が出来るのかしら?
「いえ、アンノウンだもの、仕方無いわ。それはそうと……抹茶だけは渡さない」
最後の一個、一際大きい緑のマカロンを見せ付ける様なスローな動きで食べる寸前に奪い取って口に運ぶ。一瞬嫌な予感がしたけれど、変な味はしない。いえ、そもそも何の味もしなかったわ。
「やってくれたわね、アンノウン……」
手の中から食べ掛けのマカロンが消えて、散らかった食べ滓も乗っていた皿さえも影も形も無い。嗅覚も触覚も感じる幻。それを仕掛けた犯人はスケッチブックを抱えて踊って居たけれど、何を考えたのか分からない。まあ、何時も通り分からないわね。分かるのはヌイグルミの口が開き、アンノウンの鳴き声が聞こえて来た事。
「やっほー! ゲルちゃん、伝わってる~?」
「あれ? アンノウンが何言っているか分かるわ。普段は筆談なのに」
「気紛れ的な何かで伝わるよ!」
陽気な声と共にパンダが机の上で踊る。氷の上で滑るみたいに軽やかな動きでジャンプからの四回転、仰け反った姿勢で前に進んだ後はその場で止まって猛回転。それにしても言葉が通じるなら普段からそうすれば良いのに。
「そもそも普段から言葉を通じさせないのは何故かしら?」
「気分! 因みに君にはスケッチブックなのも気分だよ!」
もう少しマシな理由があると思っていたけれど、よく考えればホワイトボードじゃなくてスケッチブックを使うマシな理由ってどの様な理由なのって話になるし、アンノウンらしいって言えばらしい。
「アンノウンにマトモな事を要求する方が間違いかも知れないわね……」
「間違いかも知れないって言うか絶対間違い!って言うか絶対間違い」
「……はぁ」
何と言うべきか、普段より精神的に疲れるわ。パンダって凄く可愛い見た目なだけに尚更よ。
「尚、本物のマカロンは他の僕と一緒に食べさせて貰うから! それと幻のマカロンは凄いんだよ?」
「何が凄いのかしら? どうせ変な事よ」
本人は胸を張っているけれど私は信用しない、信用出来ない。凄いのは本当だろうけど、アンノウンが普通の凄い事をする訳が無いわ」
「なんと通常のマカロンの三十倍のカロリーが有るんだ!」
「ほら、矢っ張りじゃない。……それは兎も角、反省して来なさい!」
パンダの頭を掴み、窓を開けると脚を振り上げて勢い良く振り下ろす。その力を腕に伝達、力の限り投げれば遥か彼方に消えて行く。良い仕事をしたと額の汗を手で拭い、外に居たお客さん達と目があった」
「……どうも」
気まずさを顔に出しつつ会釈をすれば向こうも会釈で返す。それにしても大勢のお客さん、その全員が着飾ったお姉さんだけど、一体何用かしら?
「あのぉ、賢者様はご在宅ですか? 捧げ物を用意しました」
私の表情から読みとったのかピューマの獣人のお姉さんが代表して前に進み出る。この人もだけれど他の人達も美味しそうな匂いの荷物を持っているし、信仰する女神様の部下って思われている賢者様に手渡したいのなら疑問は解消ね。
「あの、実は賢者様は出掛けていまして……」
「そう、残念だわ。折角媚薬入りの料理を皆で用意して来たのに」
「……はい?」
今、目の前の人が何を言ったのか分からなかった。媚薬入りの料理? しかも賢者様への捧げ物? 他のお姉さん達も同じ様な表情だし、目的は同じなのね。
「えっと、媚薬入りの料理を捧げ物にするのですか?」
「いえ、捧げ物は私達よ? 媚薬たっぷりのお酒とお料理で準備して、私達を捧げるの。賢者様みたいな方が来るなんて滅多にないもの。ほら、貴女も獣人ならより強い男の種が欲しいでしょ?」
「私、ハーフなので分かりません」
緑の世界グリエーンで出会った獣人のお姉さん達は皆、凄く肉食系だった。目がギラギラ輝いて、正に獲物を狙う猛獣ね。……お母さんもこんなのだったのかしら。そうじゃないと願いたい
「すいません。賢者様ですが、今日は遅いらしいのでお帰り下さい」
「あっ、私はお姉様が目的よ? すーはーすーはー。お姉様の家の匂い………最高ね」
「貴女も帰って下さい、リンさん。あと、その行動は最低です」
今日は修行もお休みなのでゴロゴロしたり温泉にゆったりと浸かって心身の疲れを取る予定だったのに、朝から疲れたわ、特にアンノウンが原因で。賢者様を狙うお姉さん達に帰って貰い、リンさんを締め出した私はソファーに座り込む。深い溜め息を吐けば机の上に広げられたスケッチブックに目が向かった。
「大丈夫? 心配事が増えると大変だよ? ゲルちゃんは貧乳で悩まなければならないのにさ……殴って良いわよね? いえ、絶対に殴るわ」
浮かび上がった文字を音読し、怒りで打ち振るえる。取り敢えず散歩に行って気分転換する事に決めた私はソファーから立ち上がった。お弁当に昼食のサンドイッチを用意して水筒に飲み物を入れる。デュアルセイバーを手にし、麦わら帽子を被れば準備完了。何時でも出掛ける事が出来るわ。
「はぁはぁ。お姉様の寝室の香り……行っちゃうべきかしら? このままダイブしてお姉様の香りに包まれて……」
「それ以上は行っちゃ駄目だし言ったら駄目よ」
その前に家に入り込んでティアさんの寝室を覗きながら息を荒げるリンさんを取り押さえて連れ出すのが先だった……。
「ふぅ。こうやって緑の中を歩いていると癒されるわね。嫌な事も忘れられるって言うか忘れたいわ」
慣れない道なので帰り道を確認しつつ森の中を駆け抜ける。集落を出る時、妙にクスクス笑われていると思って背中に手を伸ばせば貧乳と書いたスケッチブックを背負ったパンダがしがみついていたのは気にしないでおきましょう。
「えっと、そろそろ昼食にしようかしらね」
前方より転がりながら現れた、相手を転ばしてから体液を吸い取る転倒虫を蹴り飛ばし、バネみたいな尻尾跳ね回るスプリングモンキーをデュアルセイバーで叩きのめす。少しだけスッキリしたらお腹が減って来たからお弁当を広げる事にしたわ。モンスターも粗方倒したのか出てくる気配も無いし、このまま変な物を発見せずにゆっくりと……。
「変なの発見!」
「全ては儚い夢だったわね……。って言うか、アンノウン。分かってたわよね、アレが有るの。さっきから不自然な程に見ていたもの」
パンダがその辺の石ころを拾って投げると少し上手な森の絵が描かれた板に当たって穴を空ける。これで誤魔化せると本気で思っていたのか四方を絵で囲まれた変な物、具体的に言うならば目も眩む程にキラキラ光る黄金のお城を発見してしまったわ。
「馬鹿よ。絶対に中に馬鹿が居るわ。関わりたくないレベルの馬鹿が……」
そもそも賢者様がどうして発見出来なかったのかと思いながら絵を触ると粘着質な感触がして、手には塗料がベッタリ。よく見れば一応は偽装の為なのに、”塗料塗りたて、三日は触るな”、の文字が。塗った日付を見れば今日の午前中だし、それなら発見出来なくても仕方無いと納得した。
「アンノウン、ちょっと来てくれるかしら?
「このパンダで拭かないなら良いよ」
「あっ、そう。なら別に良いわ」
手を拭きたかったので手を伸ばすけれどパンダは何時の間にか遠くに逃げ出している。仕方無いので近くの木に擦り付けると改めて城を見るけど非常に悪趣味だった。
屋根から壁まで全てがキラキラ光るきんいろで、虫が集っていると思ったら宝石細工。しかも一番頂上にはドレス姿のお姉さんが高笑いをしている黄金像が飾られていて、有り得ないほどに成金趣味。どんな人が住んでいるのかしら? 出来れば見なかった事にしたいけれど、そうは行かない理由があった。
「……臭い」
思わず鼻を押さえる程の悪臭に涙が出る。ディーナの時も酷かったけれど、このお城からは更に悪臭レベルの香水の香りが漂い、それが混じって今直ぐにでも立ち去りたかった。
「アンノウン、一旦帰りましょう。賢者様に報告して……えぇっ!? な、何をしているのっ!?」
幸いな事に強く残ってはいるけれど魔族の臭いは残り香だけ、多分出掛けたばかりなので帰って来る前に戻ろうとしたのだけれどパンダを中心に何十にもなった魔法陣が空中に出現して光を放つ。幾重にも重なった光は巨大な柱になって天へと向かい、やがて城を包み込む。光が晴れた時、其処には巨大な明太子が存在していた。
「……何をしているの?」
「悪戯っ!」
立ち込める食欲を誘う匂いを放つ明太子は流石に自重で皮が破れて崩れそうになるけれど、パンダの口から放たれたビームが崩壊中の明太子を包む。再び立ち込める悪臭、そして聳え立つ悪趣味な金ピカのお城。明太子になっていたのが嘘みたいだった。
「……満足した? じゃあ、帰るわよ。って、こらっ!」
「潜入して来るよ、ゲルちゃん。ミッションインパンダさ!」
これ以上余計な事をしない様に手を伸ばすけれどパンダは私の手をすり抜けてお城の窓から中に入り込む。少し迷った私だけれど帰る事にした。
「動き回っているけれど、アレってアンノウンが動かしているだけだものね。……それに疲れたわ、凄く」
未だお昼過ぎにも関わらず倦怠感が私を襲う。肉食系のお姉さん達の訪問やリンさん、そして何時ものアンノウン。私が離れると板に空いた穴が修復して絵も元に戻る。
「本当にどんな魔族が居るのかしら? ……此処まで来ると馬鹿の演技をしているだけに思えて来たわ。寧ろそっちの方が可能性が高いわね」
幾ら何でもあの様な雑な偽装で誤魔化せる筈もなく、城も金の像も馬鹿の見本市とさえ思わせられる。けれど、其処までの馬鹿が本当に居る筈が無いというのが私の意見。侮らせて隙を突く狙いだろうけれど引っかかりはしない。甘く見せる積もりが私を甘く見過ぎだと、この屈辱を深く噛み締めた。
「覚えていなさい、馬鹿の振りをした誰かさん。油断こそが最大の敵だと分かっている積もりが分かっていなかった事を教えてあげるわ……絶対にね」
デュアルセイバーの切っ先を城の方向に向ける。今度の敵は搦め手を使うと知れたのは幸運ね。後はその幸運を活かすかどうかは私の勇者としての底力が試される所。無様な姿を晒す気は毛頭無いわ。
「……この集落の若い女達がか。獣人は強い相手を求める傾向が有るが……キリュウ、億が一も有り得ないが口実にするぞ。今夜は一滴残らず搾り取るから覚悟しろ」
「今以上に貴女を愛し、他の事が手に着かなくなる可能性が高いからですね。私は貴女が愛した男ですよ? その様な無様は晒しません。貴女に今以上に魅了されながらも役目はこなして見せましょう!」
その日の夕方、戻って来た賢者様達に今日有った事を報告したら無様な遣り取りを見せ付けられた。ティアさんを挟んで見つめ合い手と手を重ねる。見ているだけで胸焼けを起こしそうな空気の真ん中に居るにも関わらずティアさんは普通にご飯を食べて居るけれど、アレが無の境地という奴かしら?
「……ん。父と母、今日も仲良し。私も嬉しい」
「えっと、ティアさん? お二人の会話に何か他には……?」
「他?」
何かが変だと思った私が訊ねるけれどティアさんは本当に分からなさそうな表情だ。もしかしてと仮説が出来上がる。少し最悪に近い内容の仮説が……。
「ティアさんは三歳から十五歳まで二人と暮らしていたのよね?」
「そう。それを考えるとゲルダは偉い。その歳で一人で働いて暮らしていたから」
「えっと、私も大勢に助けられましたから……」
ストレートな褒め言葉に照れながらも確信する、確信してしまう。ティアさんにとって二人の遣り取りは普通で、この場でツッコミが可能なのは私だけだと。唯一頼りになるかも知れないアンノウンは大欠伸で知らん振り。つまり私は単騎で戦うしかないらしい。……勝ち目が無いから知らない振りを私もするべきかしら?
「じゃあ、ティアさんも好きな人が出来たら二人みたいに仲良くしますか?」
「……ん、分からない。私の強さの基準、父と母。強さだけに惹かれない。でも、強さ無いと惹かれない」
「ふっふっふっふっ。ティアが私にベッタリなのもその辺が影響しているのでしょう。一番身近な強い男は私であり、他の男の強さが見劣りする。ですが私は父親、なので恋愛対象外。故に娘として甘えるのですよ」
成る程、と少し納得した。神様の方がもっと強いだろうけれど、神様の時点で恋愛対象外になると思ってしまう。明確な根拠は無いけれど神様は矢張り別の存在だから。賢者様は異世界の存在だからこそ女神様に惹かれたのね。
「おや、そろそろですか」
「ガウ」
気紛れタイムはもう終わりなのかアンノウンの鳴き声の意味は分からない。けれど事前に意味が分かる賢者様から聞いていたわ。あの悪趣味なお城に住む策士の情報を忍び込んだパンダを通じて映し出すと。
アンノウンの口から光が溢れ壁に城内の様子が映し出される。どうやら天井に張り付いて様子を窺っているらしかった。
「オーッホッホッホッホ! 思った以上に私の作戦は上手く行っているみたいですわね! 完全なる策謀によって大勢が死の恐怖に晒される事でしょう」
「……」
急にアップになったのは金の像のモデルの人。如何にもお嬢様な人で、馬鹿丸出しの高笑いをしていたわ。反対側に立つビキニアーマのお姉さんは呆れ顔だけれど気が付いた様子も無い。だけど私は騙されないわ。
「どうやら敵対しているみたいね。仲間みたいなのに馬鹿の演技を続けるだなんて」
ビキニアーマの方は女神様と同じ褐色で筋肉質な肉体。でも、牛柄のビキニの中には巨大な脂肪の塊が存在する。間違い無く彼女は敵だった。目の前の相手の演技を見抜けていない彼女は策士に対し、言いにくそうにしながら口を開くけれど、私には滑稽に見えていた。
「……うーむ、言いにくいのだが、シャナよ。この城、バレバレじゃないか?」
「あら、妙な事を言いますのね、クレタさん。この美と力と知謀を兼ね揃えたシャナ・アバドンの華麗なる作戦に何か文句でも? ちゃーんと絵が上手い者に任せたのだもの、見抜かれる筈が無いですわ。オーッホッホッホッホ!」
扇で口元を隠しながら高笑いをするシャナを困り顔で見詰めるクレタ。異変が起きたのはその時だった。
「……あら? 何か天井が歪んで……」
二人が居るのは城の玉座の間、頂上よ。その天井が、いえ、床も壁も歪み変形する。形だけでなく、材質や色、そして味さえも変わってしまったわ。金の城から明太子に変わる事によって。
「「な、何が起きてますの(るのだ)!?」」
二人が叫ぶ中、天高く聳える明太子は自重で崩れ、破れた皮から中身が溢れ出す。混乱から脱出出来ないまま二人は辛くて美味しい明太子の雪崩に飲み込まれた。
「賢者様、今度の敵は馬鹿みたいですね」
「逆に馬鹿の方が厄介ですけどね。イシュリア様みたいに彼女も何をするか分かりませんから」
明太子の崩壊前に転移して戻ったパンダが持ち帰った明太子を食べながら話し合う。イシュリア様がさらっと馬鹿扱いされたのには言及しなかった。
モンスター図鑑 ⑦ スノーマン
雪玉の手足を持つ雪だるま。硬質な上に非常に強烈な冷気を纏っている。雪なので多少の欠損も修復するので跡形も無く吹き飛ばすか弱点の熱で攻撃するべき。尚、合体して巨大化する




