悪い虫と子供の夢
「……いや、君はイシュリアとは違って問題を起こすのではなく、その処理に苦労する側だと思っていたよ、イシュリアとは違ってさ。……あの女神、その内封印してやろうかな? もう片方が過労になるけれど神は不死だから過労死はしないしさ」
最高神ミリアス。普段から私に問題事(主にイシュリア様が原因)を押し付けて来る方ですが、また何か起きたのか頭痛を堪えています。よりによって面倒なタイミングでミスをしましたね。
「…まあ、良いさ。そろそろタンドゥールの件でイシュリア係に任命していたヌビアスの刑期が明ける頃だし、君への罰は正式な就任と、炎虎の……えっと、名前は何だっけ?」
「確かティアだったですよ」
「ああ、そのティアがちゃんと力をコントロール出来るまで面倒を見るって事で。じゃあ、頑張って」
瞬きをすれば景色が変わり、私は森の中の我が家の前に立っていて、シルヴィアの指示の下でティアが家と森の木々に炎を放っていた。
「愛しのシルヴィア、今戻りました」
「お帰り、愛しのキリュウ。事情は既に伝えられたぞ。頑張ってこの子を育てよう」
問い質す前にすべきは愛を伝える事。別にあの程度では焦げ跡一つ付く筈も有りませんし、それならば愛を伝えるのを優先して当然です。ティアさんは燃えない家と森に驚いたのか私達を見ながら呆然としています。
「あの……」
「ああ、大丈夫です。此処は貴女程度の力ではどうにも出来ない存在ばかりの世界です。好きなだけ力を使い、何なら暴走したって構いません。その程度なら鼻歌交じりに止めてあげますよ」
「先ずは実際にさせてみて正解だったな。では、家に入れ。今日から此処がお前の家だ」
「……うん」
遠慮と戸惑いを抱えたまま促され家に入って行くティア。幼い頃の従姉妹の世話をした事は有りますが、子育ての経験は無い私とシルヴィアも少し不安を抱えていました。
「……」
来たばかりの頃、お腹が減ったとしてもティアは私達に何も言わず、ずっと部屋の端で座り込んで居るだけでした。力を理由に迫害を受け、実の両親さえも武器を向けて来たのだから仕方無いのでしょう。
「……あの」
少しだけ経ち、私達が自分よりもずっと強く恐怖を向けないと分かった頃、服の袖を摘まんで空腹を訴えて来ました。ですが何処か遠慮しています。
「……お腹減った。父、パンケーキが食べたい」
そして、何時しか素直に欲求を口にする様になったのです。戸惑いと四苦八苦の日々が過ぎ、ティアさん……ティアが最初は賢者様や女神様と呼んでいたのが何時しか変わり、父と母と呼ぶ様になった頃、噂を聞きつけた神々が遊びに来る様になっていました。
「や…やあ、ティア。弟子は居るか?」
「父は外出中。……凄く暇、ソリュロ様に遊んで欲しい」
「……そ、そうか。まあ、弟子を待つ間だ、仕方無い」
例えば私の外出時を狙い、待つ間と理由を付けて入り浸る魔法と神罰の女神。
「あらあら、まあまあ。ねぇ、お祖母様って呼んでくれないかしら?」
「……お祖母様?」
「可愛いわぁ~。ちょっと職権乱用してお肌をもっと美しくしてあげる。じゃあ、お祖母様と少し遊びましょう」
例えば美と恋を司る女神であり、加護を余計に与えながらも将来的に厄介事を引き起こす傾国レベルには至らない程度の配慮が出来る方。娘を溺愛し、その夫の私も実の息子同様に扱うのでティアにも孫に対する祖母の様でした。
ですが招かれざる客も時折……。
「やっほー! 遊びに来たわよ!」
「……」
「あれ? 変ね。居ると思ったのにドアに鍵が掛かってるわ。無理に開けたらシルヴィアが怒るだろうし……今日は帰ろう」
例えば留守中に来たら絶対に中に入れたら駄目と言い聞かせている対象の戦と愛の女神。この頃はは心労ならぬ神労の女神かも知れないとさえ言われていた。今はかも知れないが消えています。ちゃんとソリュロ様に相談し、ティアに悪影響が出ない為の対策をしました。
「……そろそろですかね。いや、未だですね」
「ああ、未だ未熟だ」
この頃、既に元々の素質に加えてお土産感覚で施される神の加護、そして私とシルヴィアの教育によって増大した力さえもコントロールが可能になっていました。本来ならば元の世界に帰して然るべきです。
ですが、未だ足りない、もう少し、一応保険に、あとちょっとだけ、念には念を、そうやって手元に置き続け、やがてアンノウンが誕生し、気に入ったティアが構い続けては逃げられを繰り返し、イシュリア様が問題を起こし、何時しか出会ってから十二年が経過してティアが十五になった日まで私達は共に暮らし続けたのです。
「……本当にミリアス様は頭が固い。神の世界の住民が六色世界に深く関わるのが問題だとは分かっていますし、適応出来るギリギリまで待って下さったのも分かっていますが……私はもっと娘と一緒に居たかった」
ただ、私が今何を言っても意味は無い。ティアがどの様な決断をし、それで私達家族がどの様になるかは世界を救ってからの話。なのでグリエーンを早く救いたいですが、それはティアとの生活に二度目の終わりが来るのを意味する。
「せめてクリアスの我が家とティアの家を繋げる許可さえどうにかなれば……」
神々が暮らす無色の世界と人々が暮らす六色世界の住民が長期間に渡って深く関わり過ぎるのは禁止されていますが、ティアは娘なので特例を許して欲しい。娘の穏やかな寝顔に顔を綻ばせ、頭を撫でる為にそっと手を伸ばす。
「おい、テメェ。その女は俺の物だ。死にたくなけりゃ直ぐに消えな」
娘と父の穏やかな一時を邪魔する無粋で不快な内容の声。茂みを乱暴に掻き分けながら豹の獣人の青年が近寄って来ました。脅す気らしく片手剣を見せびらかし、ニヤニヤと下品な眼差しをティアに向けていますが、どうやら私の事を知らないらしい。
「ビャックォの方ではないらしいが、彼女が自分の物とは如何と思いますよ? ティアは彼女自身の物です」
「うるせぇよ、屑が。その女はギェンブの次期族長になる俺の子を孕ますに最適な女だ。何考えているか分からない所は気持ち悪いが、強いし見た目自体は悪くねぇ。ほら、さっさと退け」
「本気で族長になれるとでも? 馬鹿丸出しで品性の欠片も無いのですから叶わない夢を追うのは止しなさい」
「あぁん? 死にてぇらしいな。さっさと其奴を犯したいんだ。邪魔だ、退け。次は無ぇぞ」
彼はどうもティアの側に私が居る事自体が気に入らないらしい。どうせ関係を邪推しているのでしょうが、今はそれで良い。私が賢者だと知れば平伏して許しを求める可能性が大きい。ですが……目の前の相手が気に入らないのは私も同じなのですよ。
「ティアと私は互いに(親子としての)愛を向けている。(幼い頃は)一緒に風呂に何度も入り、今朝は(勝手に潜り込んでいたから)同じベッドで目覚めた。貴方が入り込む隙間は皆無だ」
「死ねっ!」
余りにも短絡的で暴力的過ぎる。父親として娘に悪い虫が寄り付くのは不快ですが、彼はその中でも最低の部類だ。私を始末し、そのまま眠っているティアを襲う算段なのは分かっている。
「死ねと言われて素直に死ぬ馬鹿は居ないっ!」
振り下ろされる刃を上段蹴りでへし折り、止まる事無く横っ面に爪先を叩き込む。歯を数本口から吐き出しながら横に吹き飛びそうな彼の胸ぐらを掴み、顎に一撃。アッパーで真上に打ち上げ、最後に拳を叩き込めばくの字に体を折り曲げて茂みの向こうまで飛んで行った。
「弱い、弱過ぎる。その程度ならティアの寝込みを襲う事すら不可能ですよ。……起きているのでしょう? 気絶が出来ない様に魔法を使っていますからね。二度は言わない、次は無いですよ。二度とティアに近寄るな」
茂みの向こうからは呻き声すら聞こえない。それだけ痛め付けはしましたが足りない気分だ。
「……父?」
「起きなくて良いですよ。不愉快な虫を追い払っただけですし、好きなだけ寝ていなさい」
「分かった、寝る……」
折角の親子水入らずを邪魔された不快感は娘の可愛い寝ぼけ顔を見れば一瞬で消え失せる。音が五月蠅かったのか殺気が漏れていたのかムクリと上半身を起こして目を擦るティアを再び寝かせて寝顔を堪能する、
「……可愛い。私の娘はどうして此処まで可愛いのでしょう? 美の女神の恩恵を受け過ぎて……いや、この可愛さは間違い無くティア自身の物だ」
これだけ可愛いなら男達が寄って来るのも理解する。但し許しはしない。親馬鹿と後ろ指を指されても可愛いのだから仕方が無い。そう言えば昔、こんな事が有りました。
「ねぇ、将来的にこの子とも結婚するのかしら?」
それは悪影響が有るから来るなと遠回しに伝えていたイシュリア様が遊びに来ていた時の事、私の膝に座っていた幼いティアを見ながらその様な事を言い出したのです。物語では義理の親子から恋仲になるのは有るのでしょうが、何を言っているのかと呆れたのを覚えています。
「イシュリア様は相変わらずイシュリア様ですね」
「うん? 私が私なのは当然じゃないの。変な事を言うのね。それでティア、将来的にキリュウと結婚したいかしら?」
「やだ」
普段は抑揚の少ない声で喋るティアが珍しく強めの声で発した否定の言葉。そのまま私に強く抱き付いて来ました。拗ねた様に尻尾で床をペチペチ叩き、少し頬を膨らませます。
「父は父、私は娘。それが良いから、父とは結婚しない」
本当に自分の娘は可愛いと思いました。この時だけでなく、常に思っているのですが。イシュリア様と余り関係を持たせない様にして正解だと改めて悟った瞬間です。
「……さて、一応死んだら面倒なのでモンスターに襲われない所まで連れて行きましょうか。素手でゴキブリを潰す位に嫌ですが」
茂みの向こうで寝転がっている彼を安全な場所に連れて行くので様子を見に行く。茂みをかき分けて向かった先には黒い川が流れていて、その近くに娘に集る悪い虫が倒れていました。
「いや、アレは川じゃなくて……うわぁ」
倒れている虫は心底嫌いですが、別に虫自体が苦手な訳では有りません。ですが川の流れと見間違う蟻の群れを目にすれば背筋がゾワッとします。一体何処に向かっているのかと思い目を向ければ直ぐに判明する。
「……うわぁ」
思わず声が漏れるが仕方が無い。視線の先に小さく映るのは探しに来た目的であるプリンの屋根の家、そしてその家に群がる無数の蟻でした。
「いや、予想はしましたが絶対こうなりますよね、そりゃ……」
虫系モンスターが多いグリエーンですが普通の虫も当然多い。そんな世界の森の中にあの様な家が有ればどうなるかなど子供でも分かる事でした。
「……何処の馬鹿があんな家を用意したのやら」
出来れば関わりたくない相手だと思ってしまった私は職務怠慢でしょうか?
「……うわぁ。確かにあの家は子供の夢かも知れないけれど、実際に目にすると絶対に住みたくないわね」
ティアとのピクニックの口実だった噂の家、見付けたからには向かうしか有りません。心底惜しいですが家に戻り、今こうしてゲルダさんを連れて来ているのですが彼女も私と同じ反応でした。
チョコの門にクッキーの壁、窓は飴で屋根はプリン。そして模様はマシュマロとドーナツでした。まるで絵本に出て来るお菓子の家そのままで、絵本と違って周囲を蟻に囲まれています。蟻で家全体が斑模様になり、それを翼を持つアリクイが舐め取っていますがキリが無い。既に何匹かが腹を膨らませて寝転がり、交代で蟻を食べていました。
『『アリクイバード』翼を持つアリクイ。通常のアリクイと飛べる以外に変わりない。特に凶暴でもなく、寧ろ穏やか』
「驚く位に情報が無いわね。……子供が失踪しているのはあの家が関係しているのかしら? ……魔族が関わっているのは臭いで分かるわ。一つはそんなに強く無いけれど、もう一つはディーナ位に強い……だけどこっちは残り香みたい」
ゲルダさんから得た情報ですが、余り宜しくない。思わず溜め息を吐いてしまう程に……。
「ゲルダさんが感じている臭いの強さですが、力が強い程強くなります。裏切り者になれば徐々に薄まるらしいですが。……イエロアで戦ったディーナと同等の臭気なら力も同等、つまり上級魔族だという事です」
「上級魔族……あの時は相性の悪い世界で力が削がれていた上にモンスターに取り込まれていたけれど」
「……この世界と相性が悪いの居る?」
ゲルダさんは出来れば今度も弱まっていて欲しかった様子ですが、ティアの呟きでその希望は打ち砕かれる。
「居ない……と思う」
イエロアの様な過酷な世界と違い、オレジナやグリエーンは穏やかな世界。少なくとも氷系の力を持つ者が砂漠の世界に居るのとは話が違い過ぎる。つまり今度は本気の上級魔族を相手にする事になるのです。最初から分かっていたのか大して気にしていない様子なのが救いですね。
「ゲルダさん、恐れは必要ですが過ぎれば身を滅ぼします。貴女は強い、私の言葉を信じて下さい」
「……じゃあ、取り敢えずあの家を壊そう」
私はゲルダさんの肩に手を置いて励ましの言葉を掛け、その隣でティアは大木を引っこ抜く。炎に包まれ燃え盛る木は家よりも大きく、炎は熱を放ちながら周囲を煌々と照らす。ティアはそのまま燃える木を担いで飛び上がり、真上からお菓子の家目掛け投げ付けた。
勢いと重量で破壊力を増したその一撃にお菓子の家は耐え切れない。一瞬だけ耐えたのは魔法の力が働いていたからでしょうが、まず当然ながらプリンが潰れて周囲に飛び散り、ひしゃげて罅が入ったクッキーの壁が崩れる。それに巻き込まれる様に窓もドアも崩壊の後、余程油分が含まれていたのか勢い良く燃え盛り蟻もアリクイバードも逃げ出す中、ガラガラと崩れて行くお菓子の家。甘い香りが焦げ臭い香りになるまで時間は掛かりませんでした。
「……楽勝」
少し誇らしげにピースサインをするティア。一連の流れを見ていたゲルダさんは呟きます。
「何と言うか凄い力業だわ。……血が繋がっていなくても女神様の娘ね、間違い無く」
「ええ、自慢の娘です」
完全に崩れ、衛生的や精神的な理由ではなく食べる事が出来なくなったお菓子の残骸が燃えさかる中、一部が動いて中から毛むくじゃらの何かが出て来ました。よく見ればそれは熊のヌイグルミでした。
「……」
煤だらけの体を起こし手足をバタバタと動かす姿は実にファンシーでお菓子の家に似付かわしい姿なのですが、只の動くヌイグルミではない。クルリと反転して背中を向ければチャックが開き、青紫の長く大きな舌と鋭利な牙が見える。
「アソボウアソボウ……タベチャウゾ!」
背中の口が大きく開き、周囲の空気を急激な勢いで吸引する。アリクイバードも蟻も木も岩も周囲の全てを、私達が居た場所さえも纏めて一瞬で吸い込まれました。
「……? アジガシナイ?」
小首を傾げるヌイグルミ。それだけなら可愛らしいのでしょうが生憎と声は最悪。嗄れた老婆の様な声を更に金切り声に近付けた神経を逆撫でする。
「そりゃそうよ」
「!」
突如真上から聞こえた声にヌイグルミは糸が解れて取れ掛けた目を向け、顔面に鋏の切っ先が叩き込まれる。そのまま地面へと押し込まれめり込んだ体を動かして抜け出そうともがくも腹部を全力で踏み抜かれて動かなくなりました。
「……ゲルダも結構速い。一瞬で真上に飛び上がった」
「誉めてくれて有り難う、ティアさん。……賢者様、この子をどうすれば良いかしら?」
返答次第では直ぐにトドメを刺せる様にデュアルセイバーを構えながらゲルダさんはヌイグルミを睨み付けた。




