賢者と娘の未来と過去
「それでは行って来ます。帰りは夕方頃になると思いますよ」
正直に言えばティアが探しているプリンの屋根家など魔法を使えば簡単に発見できるでしょう。無論、本当にあればの話ですが。
「ティア、お菓子の家に住んでみたいですか?」
「砂糖でベタベタしそうだから嫌。あと、絶対虫が集る」
「ですよね。私も住みたくない」
その簡単に済む方法を取らない理由がティアです。今の私は勇者の仲間として行動する任務の途中、それが娘と遊んでいれば反感を持つ者は必ず出る。賢い者はそれに付け込むでしょう。ですが、普段は会わない娘とゆっくり過ごしたい。これは私の我が儘だ。
(賢者だの勇者だの以前に人間なのですよ、私は。大体、使命が崇高なら私事を切り捨てるべきというのが間違っている。……世間ではそれを素晴らしいと評価し、他者に押し付けますが)
「父、早く行こう」
「はいはい、少し待って下さい」
今まで賢者として大変だったのは助言や手助けよりも勇者や仲間の心のケアだった。重圧に潰されそうになり、人の汚さに疲れ、運命の残酷さに涙する。カウンセリングのプロではない私は自らの経験とマトモな神のアドバイスを受けて支えるしか出来なかった。
今は普段は寂しい思いをしている娘のケアの時間だ。私が作り、途中からティアとシルヴィアも加わった弁当を持ち、無表情ながらウキウキしている娘に急かされながら家を出る。ささやかな幸せとはこの様な事を指すのでしょうね。
「ティア、何か不便な事は有りませんか?」
「……うーん、無い。父と母、色々教えてくれた。だから、大抵はどうにかなる」
樹齢千年を越えるであろう木々が乱立し、緑が視界一杯に広がる森の中、枝から枝へと飛び移りながら周囲を見渡す途中の事、私の問い掛けにティアは少しだけ考えてから答えます。問題が無いなら何よりですが、反対に少し寂しい気もする。親とは複雑な物ですね。
「父は母と仲良くしている?」
「当然です」
「じゃあ、ちゅーしてる?」
「勿論」
「良かった。私、早く弟か妹が欲しい」
「任せておいて下さい。……頃合いかも知れませんね」
今までは自らの力だけでどうにかしようと決めていましたが、こうして可愛い娘に頼まれては考えを改める必要を一考する。旅の途中は流石に控えますが、終わった後で子宝を司る神に相談しないかと一度話し合ってみましょうか。
そして、もう一つ……。
「……ティア、私達と離れて過ごすのは寂しいないですか?」
私がクリアスに住んでいるのは特別な許可が下りたからだ。コピー故に元の世界に居場所が無く、世界を救った上に女神であるシルヴィアと結婚した。だが、今は別に暮らしている様にティアは別。許可を取って一時期だけ森の中限定で住む事が許された。
(流石に今回はゲルダさんを導く為に手間と時間を要しますし、また何かしらを引き受ければ報酬として……)
そうすれば再びティアと暮らせると思い意識が余所に行った時、突如目の前からティアの姿が消える。背中に重みが加わり、肩には柔らかな手。ティアが私の背に乗っていました。
「オンブの気分」
「仕方無い子ですね」
こうして甘えてくる姿を見ると寂しいのだと痛感してしまう。今は私の背中で随分と上機嫌ですが、それは寂しさの反動だと、そう思ったのですが……。
「ん、大丈夫。離れていても心は近い。家族はずっと一緒」
「……そうですか」
思っていた以上にティアは私達との絆を強く感じていたらしい。甘え癖が直らないので子供だ子供だと思っていたのですが、知らぬ間に随分と成長していますね。親はなくとも子は育つ、その通りなのかも知れません。
「あっ、リンゴ。父、帰ったらアップルパイ作って。手伝う」
「相変わらず好きですね。……しかし、妙だ」
このグリエーンでは果実の類は数日で生る。その上、木は至る所に有るので貨幣での取引が成り立たない程だ。だが、今は違う。周囲には果実が生る木は幾らでも有るにも関わらず果実は今正に目の前で生って忽ち赤くなった物だけ。他には影も形も無い。
「……最近、こんな事多い。他の部族の所でも」
怪訝そうな声と一緒にリンゴを齧る音が聞こえる。さっきのリンゴで作って欲しいという意味でなかったのか、それともうっかり食べてしまったのか。恐らくは後者でしょう。ウチの娘は天然ですし。
「成る程…」
果実は容易に手に入るが、それ故に当然の様に毎日使われる。それが各地で不足するとなると深刻な問題に成りかねない。
「一体何が……」
一瞬蝗害を考えますが葉っぱや枝には一切齧られた様子も見られない。つまり誰かが意図的に果実を根こそぎ持って行ったとなる。何処かの部族がその様な事をすれば他から袋叩きに合いかねない。大体、ビャックォ等の獣人の部族は困窮時には助け合うのが普通。つまり第三者の可能性が高い。
「魔族の仕業でしょうか……?」
「なら、ぶっ飛ばす?」
「ほら、背中で暴れない」
気合いを入れたティアが私の頭上で腕を振り回すので注意をしておく。甘やかすばかりが親の役目では有りませんからね。それと出来れば恥じらいをもう少し身につけて欲しい。この世界にいる間にその辺の教育をしなければなりませんが、今は他にもすべき事がある。
「ティア、ご飯にしましょうか」
「うん」
直ぐ近くで鳴り響く腹の音。どうやらティアは随分とお腹が減っているらしい。
「もぐもぐもぐもぐもぐもぐもぐ……ごっくん」
木漏れ日が差し込む開けた場所でピクニックシートを広げ弁当を食べる。丁度三十回噛んでから飲み込むティアですが、口元にケチャップが付いているのでナプキンを取り出せば拭きやすい様に顔を近付けた。
(ちょっと甘やかし過ぎな気もしますけれど、この子は私かシルヴィアがこうしないと気にもしませんからね)
ちょっと伸び伸びと育てるにも程があったかも知れないと思いますが後悔はしない。それは兎も角、ティアが立派に育ったのは間違いないからだ。
(昔は私やシルヴィアの膝に乗って甘えて、頭を撫でると随分と機嫌良くしたものですね)
四苦八苦しながら進めた子育てについて思いだしそっと目を閉じる。膝に重さを感じ、目を開ければティアが座っている。耳が待ちわびる様に動き、尻尾は早くしろとばかりにペチペチと脇腹に触れて来ていた。
「……久々にこうしたくなった。撫でて」
「仕方無い子ですね。ほら、少しの間だけですよ?」
「少しは嫌」
本来なら此処で叱るべきなのでしょうが、父親は何だかんだ言っても娘に甘い。私も父親だからティアには甘くなってしまう。例え血が繋がっていなくても、この子は私の娘だ。他人ならばシルヴィア以外の女性にベタベタされても迷惑ですが、娘の事は異性としての認識は無いので問題が無い。
「私は父親ですが、あまり男の人にこういった事をしたら良くないですよ。異性として好意を持っていると思われますからね」
「大丈夫、しない。父と母、ちゃんと教えてくれている。教えに従う私、偉い?」
「偉い偉い。ほら、もう少し撫でるのを延長してあげましょう」
一旦は一安心。この子は強く優しく、そして賢く育った。あまり心配するのも良くないですね。ちゃんと信じてあげないと。
「と…とこで……所で、こ……恋人は居ましゅ……居ますか?」
父親らしく威厳を持って自然に訊ねる。恐らくですが何一つ問題無い筈。……有るとすればシルヴィアに任せるべきでした。平静を装っていますが心臓がバクバク鳴っています。
「居ない」
「よっしっ!」
興味すら無さそうなティアの返答に思わずガッツポーズ。将来的には家庭を持つ幸せも有りですが、男親は勝手なのですよ。変な男は絶対に許さない。痘痕も靨、変じゃなくても欠点が目に付く。結局、どんな相手でも可愛い娘の相手は気に入らないのですよ。……私も未だに嫌われています。まあ、神からすれば三百年も大した年月では無いのですが。
「……あっ、でも、俺の子供を産めとか言ってきたり、待ち伏せして何度もプレゼントを渡そうとして来るのは居る。……正直迷惑」
「そうですか。この世界から数人が消える事になりそうですね!」
「……消しちゃ……駄目……むにゅ……」
満腹になった為かティアは会話の途中で眠ってしまう。そういえば今朝から眠そうにしていたので昨夜は少ししか寝ていないのかも知れません。寝違えない様に魔法で出したフカフカのベッドに寝かせ、更に短時間で疲れが取れる魔法も使用する。
「寝る子は育つそうですが、これだけ育つ気なのやら。まあ、もっと育てば良いですよ」
共に暮らし始めた頃は小さかった娘が今では私と大して変わらない年頃に。いえ、私が不老不死なので当然ですが、本当にこんな時は寂しくなります。シルヴィアと暮らす為に不老不死となった事に迷いも後悔も無い。ですが、本当に置き去りにされて行くのは寂しいのです。
「ティアをクリアスに招こうとするのは私のそんな気持ちからなのでしょうか……」
結局、子供に寂しい思いをさせたくない等と口にしても、本当に寂しいのは私なのでしょう。だからティアにまで不老不死を与えてしまおうなどエゴでしかない。私が提案すれば受け入れるでしょうが、同じ思いをさせるのも迷いが生じる。大切なのは本人の気持ちなのだから、私があれこれ悩んでも意味が無いとは分かっていますけど……。
「まあ、先は神にとっては短くても人にとっては長い。その間にじっくり考えさせましょう」
起こさぬ様に優しく頭を撫でればティアの顔が綻ぶ。きっと良い夢を見ているのでしょう。そんな顔を見るだけで私も幸せな気持ちになるのです。
「願わくば、この子の未来がそんな夢よりも幸せであらん事を……」
目を閉じていれば自然と思い出す。私達夫婦とティアが過ごした日々の事を。始まりはそう、師匠に呼び出された事からでした……。
(不味いな……。何で呼び出されたか見当が付き過ぎる。ロリ婆ぁという言葉を酒の席で飲み仲間の神に教えた時、例として師匠の名を出した事? それともイシュリア様の起こした問題解決の担当に推挙した事か、タンドゥールを破壊せずに放置した事でしょうけど)
正直言って私は酒に弱い。魔法を使えば強くなるのですが、神の世界の酒だけあって多少の魔法による防御は貫通して来る。なので少しでも飲み過ぎれば使わない時程でなくとも酔い、醜態を晒す。……イシュリア様に酔姦され掛けた事も有った。
……あの時は本当に不味かったらしい。ギリギリで間に合ったものの完全にブチ切れたシルヴィアを止める為、彼女と対になっている男性の武と豊穣の神と師匠が全力を出さなければならなかった程。ラグナロク、確か神々の黄昏と呼ばれる最終戦争でしたか? それ以来絶対にイシュリア様と同じ酒の席に着くなと厳命されています。
「もし逆らえば半日間無視するのですから恐ろしい。愛しい妻を心配させる行為は絶対にしませんが……」
恐ろしいと言えば師匠もだ。不老不死となった私にとって余暇の過ごし方は非常に重要だ。シルヴィアも私も上から任される仕事がある以上は常に一緒では居られず、それぞれのプライベートな時間も夫婦円満のコツだと聞く。
サブカルチャーが豊富な国に生まれ、実際に魔法を扱う楽しさを知った私にとって魔法の研究は趣味であり自分磨きの手段。なので弟子にしてくれた師匠には感謝も尊敬も抱いている。……スパルタなので溜まった鬱憤から後が怖い行為に走ってしまいますが。
「……よし! 此処は平謝りに謝って勢いで有耶無耶にしてしまいましょう。あの方は意外とポンコツな所が有るから大丈夫でしょう」
「ほほう。誰がポンコツだって?」
「それは勿論師匠……ふぁっ!?」
「どーも、ポンコツロリ婆ぁのソリュロだ。ついでにお前が敬愛すべき師匠だ、馬鹿者」
錆びた機械の様にぎこちない動きで振り返る。息が掛かる程近くに師匠の顔があり、笑みを浮かべていたが怒っている時の物だ。指先に魔力を溜めた右手を私の顔に伸ばし掴む。アイアンクロー、私が教えた技だ。
「えっと、怒って……ますよね?」
「怒っているさ、当然だ。くくく、どうしてやろうか? 新しい魔法の実験台にしてくれようか。……っとまあ、この辺にしておくか。またイシュリアが起こした問題の尻拭いが有るからな。じっくり時間を掛けられん」
「あっ、じっくり時間を掛けられるなら掛ける気なのですね。えっと、今回はその件だけでは無いのですか?」
「……その言い方なら他にも有るらしいな」
どうやら墓穴を掘ったらしい。不死なので墓は不要ですから生き埋めでしょうか? ジト目で睨んでくる師匠から目を逸らし、差し出された資料に目を通す。
「炎虎……」
「ああ、久し振りに炎虎が生まれたと報告があった。……三年程前にな、あの愚か者め」
パッと見ただけですがグリエーンに炎虎が生まれたと有りますが、またしても神の時間感覚で起きた問題らしい。神随一の人間好きの師匠からすれば憤るのも仕方無いでしょう。私にはよく分かりませんが、かなり危険な事なのでしょう。
「……師匠、一つ宜しいですか?」
「何だ?」
「炎虎って何でしたっけ?」
この日、私は師匠がずっこけるのを初めて目にした。机に鼻をぶつけて凄く痛そうです。ですが聞いた事は有ると思いますが、一度や二度習っただけの知識を全て記憶している筈も無いですし仕方無い。
「……偶に思うよ。どうして貴様が賢者と呼ばれているのかとな」
転けた時に机で打った鼻と頭痛を感じたのか頭を押さえて師匠は呟く。
「あっ、それ私も思います」
私から賢者と名乗った事は今まで一度も無い……事も無いですね。勇者への顔見せとか面倒事の解決にネームバリューが便利ですから。ですが使ったのは広まってからです。何故か老人の姿で広まっているのは本当に解せない。人のイメージって本当に勝手ですよね。
「……もう一度教えてやる。炎虎とは虎の獣人に数百年に一度生まれるかどうかの変異種、極めて高い身体能力と魔力、そして魔本も杖も使わず無詠唱で炎の魔法を使える」
「成る程。あの世界でその様な力の持ち主が誕生すれば危険ですね。制御不可能ならばの話ですが、周囲はどちらにせよ恐れるでしょうね。恐怖に飲まれた人間は厄介ですから」
「……ああ、歴代の炎虎も迫害の末に闇に染まるか未熟な内に殺されたさ。そして今度の炎虎の素質は歴代でも最高だ。この子の保護を頼みたい」
資料に記された炎虎の資料に再び目を通し、住所の場所に転移する。一瞬で景色が切り替わり森の中の集落だったらしい場所に出る。だったらしい、とは今はとても森の中とは呼べない焼け野原だから。焦げ臭い臭いと煤だらけの人々、そんな彼らに武器を向けられた虎の獣人の少女と彼女を庇う様に立つ豚の獣人の姿だった。
「だ…誰だっ!?」
「何処から現れたっ!?」
どの様な状況かは大体分かる。少女が力を暴走させてこの状況を生み出し、こうして恐れられているのでしょう。彼女と似た顔立ちの夫婦らしい虎の獣人まで武器を持って怯えと敵意を向けているのは残念ですが、親の愛も万能ではないのでしょう。両親と決まった訳では有りませんが。
「……こんな時に便利なのですよね」
本音を言えば指パッチンの動作を挟んで行いたいですが、今は格好付けよりも威厳が大事。失敗する事が多いのでノーモーションで魔法を発動し、燃え尽きた集落と森を一瞬で再生する。
「聞け! 我は女神シルヴィアの忠実なる配下にして勇者の導き手である賢者だ! 皆の者、武器を下ろせ!」
響きわたる声を聞いた彼らは私の背後に神々しい光を幻視した事でしょう。実際にさせました。次々と武器を手放し平伏す彼らの信仰対象がシルヴィアで良かったと思う。私が彼女の愛の奴隷なのは本当の話ですしね。
「幼き少女を恐れる気持ちは察しよう。だが、私は女神の命令によって彼女の保護に来た! これ以上手を出そうとするのは許さん!」
「は…ははぁ~!」
本当に賢者のネームバリューは便利だと思いながら私は少女に手を差し出す。怯えた彼女のコントロールが未熟な力が私に襲い掛かるも傷一つ負わない。
「大丈夫。その力を扱える様にしてあげますよ」
私は少女の頭を撫で、一瞬で消え去る。次の瞬間には少女と共に師匠の前に現れた。ですが、師匠は随分と驚いた顔をしていますがどうしてでしょうか?
「いや、私は保護しろと言ったが此処に連れて来いとは言っておらんぞ。っと言うか、六色世界の住人をクリアスに連れて来るのは禁止されているぞ?」
「……あっ。すっかり忘れていました」
「本当にお前が賢者と呼ばれる事に疑問符が浮かぶぞ……」
師匠は相当頭が痛むのか手を当てながら座り込む。同時にミリアス様から直ぐに来るようにと念話が送られて来ました……。
モンスター図鑑 ⑤ 豆の木鶏
大樹の幹の様な脚を持つ巨大な鶏。尻から生えた蔓の先には豆ヒヨコが繋がっており、栄養をそこから吸収する。別に朝早くから鳴いたりはせず、味は肉と穀物を合わせた感じらしい。トマトソースで煮込めばチキンビーンズの完成である。植物なので脳は無く、頭を半分吹き飛ばされても動ける




