紫の姫君
「はふぅ~。生き返る~」
泥と血で汚れた全身を洗い、暖かい湯船に浸かると全身の疲れが溶け出す様だった。思わず顔が緩むし鼻歌も歌ってしまう。女神様との戦闘訓練の際に聞かされた話は全然リラックス出来る話ではないけれど、今は忘れて寛ぎたい気分だった。
賢者様拘りの桧風呂に入ってリラックスしていると体の彼方此方に出来た傷が癒えて消えて行く。女神様は一応手加減はしてくれるけど傷を負う攻撃を平気でしてくるから、一日の終わりにこうしてお風呂に入って体を癒すまでずっと傷だらけで過ごすのは少し辛いけど、もう一週間が過ぎる頃には大分慣れて来た。
「少しは強くなれたのかな?」
手の平を見ながら静かに呟く。同じ相手とばかり戦っているから分からないけれど、あれだけ頑張っているから少しは成果が出て欲しい。女神様から教えて貰った話からして尚更だった。
「私の次の勇者ですか?」
それは休憩中の事、立ち上がる余力も残っていない私は地面に座り込み、息一つ乱れていない女神様が立ったまましていた会話の最中だった。急に真面目な顔になった女神様の様子に私が世界を救い、魔族の次の誕生周期の話ではないと悟る。
「……えっと、私が死んでしまったらの話……ですよね?」
頭では分かって居たけれど、こうして口に出すと震えが来る。だって、幾ら賢者様や女神様が居てくれても万が一は有り得るから。だからこそ、こうして話を始めたのだと思う。
「ああ、そうだ。今回の魔族は先代のせいで余計な知識を身に付けているからな。戦闘中に教えられて動揺を誘われても不味いと思い話すべきだとキリュウが言っていた。……お前が死んだ場合は次の勇者は百年出現せず、人が絶滅寸前までいかぬ場合は神の介入は無い」
女神様の言葉は聞こえていたけれど理解が出来ない。神様は人間の味方なのは間違いないのに、私が失敗して死んでしまっても介入はしないなんて理解出来る筈がなかった。
「あの、女神様? どうして手出しはしない上に次の勇者まで……」
「全てを人に任せると、そう決めて作った封印の儀式の都合だ。魔族を生み出す淀みが負の感情から作られるならば、勇者の力は希望や愛といった感情、そう簡単には生み出せん」
「でも、百年間なんて……」
「ゲルダ、常闇の十年間について知っているか?」
女神様の問い掛けに静かに頷く。常闇の十年間は五百年以上前から残る神話の一つ、美と太陽を司る女神アテス様のお話だ。
未だ勇者が存在せず、神々の手によって魔族が滅ぼされ人々が守られていた時代、アテス様の神殿に入った泥棒が逃げる際に篝火を倒してしまい、運悪く風が強い日だった為に神殿が燃え尽きた上に大勢の死者が出た。それを知ったアテス様は嘆き悲しんで寝所で泣き続け、泣き止むまでの十年間、六色世界に日差しが差し込む事は無かったという。
「えっと、神様は人間と時間の感覚が違い過ぎるからですか?」
「その通りだ。母様が姉様とプリンを食べた食べないの口喧嘩の末に自棄酒を飲んで不貞寝して寝過ごし、気が付けば十年経っていた。十年や百年は神にとって大した時間ではないのだ。そして絶滅しない限りは何度でもチャンスは有るとして魔族の討伐もしない。……故にだ、無理はするな。お前の手が届かない者を助ける為にキリュウと私が共に旅をしているのだからな」
「……はい」
「未だに言い出せないが姉様のプリンを食べたのは私なんだ……」
世界を救う為なら、少しでも大勢の人を守る為だったら、そんな理由で少しの無理は仕方ないと思っていたけれど、女神様にはお見通しだった。だから今みたいに勇者がどれだけ大切な存在なのかを、私が自分を大切にしなくちゃ駄目な理由を教えてくれた。矢張り女神様は凄いお方なのね……。
「何か聞かなければ良かった事を聞いた気がするけれど……忘れよう! うん、それが一番よ。……でも、どれだけ美味しいプリンなのかしら?」
余計な事まで思い出してしまったので慌てて顔を横に振って頭から追い出し、天井に目を向ける。湯船以外も全部木製で木目は色々な形になっていた。
「あっ! 彼処は犬の肉球みたい。あっちは鳥の翼っぽいし、向こうは蜘蛛……じゃなくて只の変な形ね」
口に出して目を逸らし、暫くしてから視線を戻すけど誤魔化せない。天井の右端、角近くの木目が蜘蛛に見えて仕方がない。もう見ない事にした。
「大丈夫、見なければ良いだけよ見なければ……」
暖かいお風呂に入っているのにゾワリとしたので体の向きを変えて蜘蛛に見える木目に背中を外すと、今度は壁の木目の中に何かに見える物がないかを探し始める。指先を壁に向け、首を傾けたりして角度を変えたら何か発見出来るかもと思って色々やってるとついつい夢中になってしまう。
「えっと、何処かに一つ位は……」
どうしても気になる背後を忘れて様と探すけど中々見つからなくて、遅いからと呼びに来た女神様に声を掛けられる頃にはすっかりのぼせてしまったのは情けない。風邪を引かなければ良いのだけれど。……それはそうと賢者様に頼んで木目を変えて貰えば良かったわね。
「ゲルダ、そろそろ力を試してみるか? 丁度良いのが近くに居るぞ」
そろそろチャイの村に到着するといった頃、偶には気晴らしにと夜の砂漠に星を眺めに出た時、女神様の指差した方向を見れば巨大なモンスターが暴れ回っているのが見えた。三階建ての建物位の大きさを持つゴーレムで、無数の石化したバラが集まって構成されている。
「あれはサンドローズゴーレム、本来ならば遺跡の中に居る筈。あれが例の見慣れぬモンスターですね。これは丁度良い。それに、誰か襲われているらしい」
サンドローズゴーレムが茨を鞭の様に振るう先には数台の甲虫車。護衛らしい人達が戦っているけれど、茨の鞭を受け止めた盾は破壊され、そのまま叩き飛ばされる。隙を見て茨に切り掛かるのだけど堅く刃先が僅かに食い込むだけ。引き抜こうとするも抜けずにいる所を茨が叩き付けれて地に伏せる。立ち上がろうとするも何度も何度も叩き付けれる。そして地面に突き刺さった茨が甲虫車を取り囲む様に地中から飛び出して巻き付いた時、私は既に動き出していた。
レッドキャリバーを茨に叩き付けて砕き、振り下ろされた茨をブルースレイヴで弾き飛ばす。ひび割れた茨はボロボロになって砕け散り、サンドローズゴーレムの中央のバラに存在する巨大な目が私の姿を捉えた。生き物ではないゴーレム特有の意思を感じさせない人形めいた目は不気味さを感じさせる。
「き、君は……?」
「今は自己紹介は後! 彼奴の相手は私がするから下がっていて!」
戸惑う護衛の人達を庇う様にして前に進み出し、少し視線を送れば茨を受けた盾の姿から茨の性質を理解出来た。攻撃を受けた衝撃で砕けたのではなく、表面に付着した砂によって鑢みたいになっていて削り取られたんだ。
大勢を同時に相手にしていた茨がうねり私を狙っていて、当たれば骨折や打ち身で済まず肉をに削ぎ落とされそうな凶器を振う巨大なモンスターを前にして不思議と心が落ち着いている。
「どうしてかな? 全然負ける気がしないのは……」
真正面から向かってくる無数の茨、私はそれに対して正面から突っ込んだ。レッドキャリバーとブルースレイヴを振るって迫り来る茨を打ち払い、地面を通って背後から向かって来た茨が迫った瞬間に体を回転させて前後の茨を同時に粉砕する。茨は直線的な動きだけじゃなく、弧を描き、時にタイミングを僅かにずらして襲い掛かって来た。足下スレスレを這う茨を踏み砕き、前後左右上下の全てから向かって来た場合は僅かな隙間に飛び込み、当たる物だけを砕く。
「危なかった……」
頬の僅か横を通り過ぎる茨が軌道を変えて襲い掛かる。それを打ち砕くのではなく、力を抜いた一撃で軌道を逸らした私は反動で移動、一旦足を止めて茨を真横から砕いた。サンドローズゴーレムの茨は一本一本が別の意思を持っているみたいに変則的に動くけど、何故か動きが読めた。女神様の拳に比べたら全然遅いし動きも単純。前の私なら兎も角、今の私なら勝てる相手だ。
このままじゃ通じないと判断したのか茨が絡み合って巨大な武器になるけれど、全然怖くない。振り下ろされたそれをレッドキャリバーの刃の腹で受け止め、勢いが止まった瞬間に先端を突き出せば根元まで突き刺さった。そのまま押し込もうとする茨を腕力で留め、更に力を込めた。
「……せーの!」
少し足場が悪いけど、腰を落として力を込めて更に引っ張れば巨体が僅かに身動ぎする。サンドローズゴーレムはレッドキャリバーが突き刺さった茨を引き戻そうとするけれど動かず、ならばとばかりに他の茨を振り下ろした。だけど、それが私に届くよりも前にその巨大が更に動き出す。前に傾くのを堪え倒れまいとしながら茨の固まりが振るわれるけど、続いてブルースレイヴも茨を砕きながら貫通。自ら固めた為にサンドローズゴーレムの茨の多くが両手の武器と繋がり、私が大きく体を捻って振り上げればサンドローズゴーレムの巨体が浮き上がった。
「飛んでけー!!」
頭上を通過した瞬間に持ち手を捻り、二本が刺さった茨から抜けば茨からすっぽ抜けてサンドローズゴーレムは砂漠に落下、巨体故の重量で深く突き刺さって身動きが取れない所にレッドキャリバーを投擲、中央に命中して罅が入った瞬間にブルースレイヴを私諸共引き寄せて急接近した勢いを乗せた一撃を見舞えば派手な音を立てて砕け散った。砕けた中央部から罅が広がり、全体が崩壊する。細かい石の欠片を散らばらせながらサンドローズゴーレムは完全に崩壊して行く。
「……うん、強くなった」
着地して体に付いた石の欠片を払い落としながら呟く。強くなっていると思えて嬉しかった。直ぐに賢者様や女神様に誉めて貰おうと思ったけれど、呆然とした様子で私を見ている護衛の人達に気が付いた私は慌てて近寄る。甲虫車を引くキングビートルは殺されているし、怪我人は多い。金属製の鎧は削り取られたり大きく陥没し、至る所が骨折している重傷だ。私は慌ててお腹のポケットから魔本を取り出す。
「緑の恵みよ、彼の者共を癒したまえ!」
少し変態みたいな魔法がある中、一つだけあった回復魔法を詠唱すれば砂の中から伸びて来た木から滴り落ちた雫に触れた人の怪我が癒える。でも、何故か修行中に使った時より効果が薄い気がする。木に元気が無く見えるのが関係しているのかも知れないと首を捻って考えていた時、一番立派な鎧を着た人が話し掛けて来た。髭を生やした中年男性で人の良さそうな笑みを浮かべて手を差し出して来た。
「助かったよ、お嬢さん。その年齢で彼処まで戦えるなどカイエン家の護衛隊の顔が丸潰れだな。いやいや、本当に有り難う。おっと、私はトルトレだ。お嬢さんは?」
「ゲルダ・ネフィルです」
「ネフィル? お主、ネフィルと名乗ったか?」
名乗り返して握手に応じた時、甲虫車の中から女の人の声が聞こえて扉が少し開く。。するとトルトレさんや他の護衛の人達が急に慌てだした。
「お、奥様、少々お待ち下さい! 安全の確認が先ですので!」
慌ててそれを止めるトルトレさん達。周囲を見る限り砂鮫の姿も見えないし安全そうなのに随分な慌て方に私が怪訝に感じる中、何時の間にか賢者様が私の横で甲虫車に視線を向け、少し困った顔をしている。慌てている理由に何か心当たりが有るのかと顔を見た私に対し、賢者様の指が甲虫車の飾りに向けられた。
「あの飾りはパップリガの文化が見られますし、中に居るのは紫の世界出身の方ですね?」
「あっ、この人は私と旅をしている人です」
急に現れたから驚いていたけど、私が紹介すれば安心した様子でトルトレさんは問い掛けに頷いた。
「……そうだ。私達も深くは関わっていないので詳しくは知らないがな」
賢者様の言葉にバツが悪そうにするトルトレさん。私も賢者様の言葉で護衛隊の人達が慌てる理由を理解する。世界によって度合いは違うけど獣人や半獣人を獣やモンスターと同列に扱う差別意識を持つ人は存在する。橙の世界オレジナは少しだけだったし、獣人が多い緑の世界グリエーンでは滅多に居ないけど、反対に多いのが紫の世界パップリガ。出身者のお父さんが絶対に行くなって言う位に酷いらしい。
「実は奥様は最近パップリガから嫁いで来た方でな、問題が起きてはならぬと普段から極力獣人には近寄らせない様にしていたのだ。どうも屋敷の有る街の周囲と連絡が取れないからと避難する際も獣人の使用人は別行動をさせ、その道中で先程のモンスターに襲われ逃げていた途中に其方と出会ったのだが……」
「……えっと、私は姿を隠した方が良いですか?」
「悪いな。私も諫めはしてみるが、恩人に不愉快な想いをさせるのは忍びない」
その奥様が半獣人の私に何か酷い事を言うのではと不安になるのは分かったし、私も嫌な想いはしたくないから何処かに隠れ様としたけれど甲虫車の方が急に騒がしくなる見れば制止する護衛の人達を振り切って着物姿のお姉さんが出て来ていた。多分二十歳位の黒髪が綺麗な人。その人の視線が私に向けられた。
「お主が妾の命の恩人か! うむ、大儀であった! 妾の名は白神 楓、覚えておくが良いぞ」
「……あれ?」
思っていたのとは違って随分と友好的と言うか偉い人みたいな喋り方なのに全然高圧的な感じのしない楓さんに私だけじゃなくってトルトレさんや他の護衛の人達も面食らって固まってしまう。その様子が可笑しいとばかりに楓さんは笑い出した。
「ははははは! どうしたのじゃ、その顔は? 大方妾が獣人を見下していると思っていたのであろうが、生まれや育ちで、ましてや命の恩人を見下す様な器の小さい女だとでも思ったか? 些か無礼だが、妾の周囲を考えれば致し方なさ過ぎるか。あの人と妾以外の家族はそうだしな。うむ、許す! トルトレ達とも嫁いだばかりで大して話もしておらぬしな」
「は…はぁ……」
この反応は予想外が過ぎたのかトルトレさんが言葉を失う中、快活に笑いながら私に近寄った楓さんは膝を曲げて私の顔を眺め、唇に指を当てながら何かを思い出す。
「お主、オレジナの出身じゃな? 両親は息災か?」
「はい、出身は合っています。でも、二人は……」
「……酷な事を聞いたな、許せよ?」
何故か少し悲しそうな顔をした楓さんは私を少しの間だけ抱き締める。その体は少し震えていた気がしたけれど、立ち上がった時にはさっきまでの顔に戻り、私は質問の理由を聞くタイミングを逃してしまった。私の名字を知っていたみたいだし故郷まで言い当てたのは少し気になったけど……。
「……しかし、どうしてサンドローズゴーレムが地上に……。どの様に遭遇しましたか?」
「ああ、奴ならば砂漠に開いた穴から出て来たぞ。どうも掘ったと言うよりも陥没したという感じだったな……」
「その話、もっと詳しくお聞かせ下さい」
トルトレさんの言葉に反応する賢者様。少しだけ慌てた様子に私も少し不安になって来た。目印が存在せず必死に逃げていたから大体の方角の距離しか分からないらしいけど、それでも良いからと話を聞き出す賢者様。さっきから口にしている遺跡が関係しているのかな?
「……遺跡か。そう言えば嫁ぎ先の事を調べる際に文献で見たな。七百年程前に前に砂漠に沈んだ大都市の伝説をな。……興味有るのか?」
「はい!」
「では、外で話すのもどうかと思うし、妾の甲虫車に来るが良い。どうせ今後の計画はトルトレ達に任せるのじゃし、何か飲みながら話すのじゃ」
地下の古代遺跡という言葉に胸が躍り好奇心が刺激される。何と言うべきか、凄くワクワクする話だ。七百年前なら賢者様は知らなくても女神様なら何か知っていそうだし、後で聞いてみるのも面白そう。私は誘われるがままに楓さんの甲虫車へと向かって行った。




