閑話 見えないだけで……
胸糞! 注意!
私の毎日は楽しかった。お母さんと一緒に果物を集めたり、お父さんと一緒に狩りをしたり、二人と一緒に大きな獲物を狩ったり、そして友達と遊んだり。毎日が勉強で、毎日が遊びで、このまま家族や友達と一緒に楽しくて平和な日々を過ごすんだって思っていたわ。
「ピョピョピョピョピョッ! 今日から君達はラビト様の奴隷だピョン!」
でも、そんな日々はある日を境に急変した。友達と森の中を駆け回っていたら背後から誰かに襲われて、気が付けば変な臭いが漂う水に囲まれた砂の上。後から知ったけれどこれが海だって他の子から教えて貰った。その子はブリエル出身で私はグリエーン。他の世界からも大勢の獣人の子供が誘拐されていて、とても心細かった。
私達を奴隷にするって言ったのは一見すれば兎の獣人のお姉さん。頭の軽そうな美人だけれど、ニコニコしながらも目が笑っていない。アレは間違い無く獲物を狙う肉食獣の目だったわ。
「……魔族?」
「そうだピョン。ラビト様は限り無く上級魔族に近い中級魔族だピョンよ」
一見すれば、という事は実際は違うという事。額から生えた長い一本角や鼻が痛くなる刺激的な体臭、何よりも獣人の本能が違うと教えてくれた。普通の獣人、その上子供だけじゃ絶対に勝てない相手を前に私達が絶望の色を顔に浮かべる中、ラビトは舌なめずりをしてから背を向けて、手招きで付いて来るように指示をする。
今なら逃げ出せそうだけれど、何処かも分からない島の上じゃ逃げられないし、よく見れば岩陰に隠れて凶暴そうな巨大兎が私達を睨んでいる。ああ、絶対に逃げられないわ。
「ピョピョピョピョピョ! ほら、あの人達が君達と一緒に働く仲間だから仲良くするピョンよ? じゃあ、ラビト様は昼寝するから木材を道に沿って運んどいて」
頭の悪そうな笑い方の後でラビトは道の向こうを指し示し、文字通り一足飛びに遥か向こうに消えて行く。運べと命じられたのは私達の胴体と同じ位の太さの材木で、子供の力じゃ三人以上じゃないと運ぶのは難しいわ。道もかなり続いていて、全部運ぶのにどれだけの時間が必要なのかも分からないわ。
「大人だ! 大人が居るんだ!」
急に押し付けられた重労働、だけれど私達の顔には希望の色が浮かんだわ。だって子供だけかと思ったら大人が大勢居るのですもの。短時間だけれども私達は今の状況で精神的に追い詰められていて、大人達に向かって助けを求めながら駆け寄って行く。
「この……無礼者めがぁあああああっ!!」
一瞬、何が起きたのか分からなかった。怒声と何かを殴る音が響いて、思わず身を竦ませた私達が起きた事を理解したのは数秒後。一番先頭を走っていた子が殴り飛ばされ、地面に横たわった所を蹴り上げられたの。
「獣人の分際で、獣の分際で高貴なる私達に駆け寄るなど、恥を知れい!」
何が起きたのか分からないまま、大人達は次々に立ち止まった私達を殴って行く。私が我に返った時、目の前に拳が迫っていた。
「何時まで立っている! 這い蹲って頭を垂れろ!」
「あぐっ!?」
「無礼者め! 無礼者め!」
殴り倒されて固い地面に叩き付けられた私に何度も蹴りが浴びせられる。本当にどうしてこんな事になったのかしら? 本当に今朝まで楽しい毎日を送っていたのに……。
「さあ! 今日もキリキリ働くピョン! ラビト様は働く者のみ食うべからずだっピョン!」
あの日から長い時間が過ぎた。寒い時期と暑い時期が何度か繰り返したし、多分数年経っているでしょうね。あの日から学んだのは時折増える大人達への対処法。頭を垂れて下手に出て、苛立ちを紛らわす為に殴られても泣いたり怒ったりしちゃ駄目って事。
朝、私達は草を集めて作った粗末なベッドで目を覚ます。本当は私達獣人の子供と大人達が暮らす為の家は用意されていたけれど、使う事は許さない。掃除の時以外は入る事さえ許されなかった。……掃除が終わったら蹴り出されるけれど。
「何故獣が私達と同じ場所で暮らすのだ! お前達は獣らしく外で寝ろ!」
掃除の時に見たけれど、多分住心地は悪くない。貴族らしい大人達は不満に思っていて、八つ当たりで殴る時に不満を口にしていたわ。
そして朝ご飯だけれど、大人達の残り物を食べるの。全員分の料理には少し足りない量が用意されていて、大人達が満足するまで食べた残りが私達の分。でも、配膳とかは私達の仕事にされている。盗み食いした子は三日間縛られていたわ。
「獣に我々の残飯など過ぎた物だろう。生涯で最も誉れだと感謝し、獣らしく地べたで食べろ。テーブルは我々専用だ!」
あの人達は私達を獣だと見下し、使用人みたいに身の回りの世話をさせ、横柄に振る舞って気分次第で暴力を振るう。
そして、ろくに働かない。
「肉体労働は家畜の仕事であろう? 文句を言わずに働かんか怠け者がっ!」
そうやって軽い物を運んだりする子供や老人が任されるような大して疲れない仕事を選び、危険で疲れる仕事は私達に押し付けて、何か事故が起きた時や予定より遅れた時も責任を押し付けて来る。馬鹿だから疑わないのか、それとも分かっていて騙された演技をしているのかは分からないけれど、罰として連れて行かれた子は誰一人戻って来なかった。
私は忘れない。どうしても気になって連れて行かれた場所に近付いた時に聞こえて来た絶叫を。何かを貪る音と連れて行かれた子の悲鳴は今でも夢に出る。もう今の私達は恐怖で完全に支配されている。食べ物は少ないけれど、最初に集められた私達は大きくなったし、あの偉そうなだけの役立たずなんて敵じゃない。敵じゃないけれど、反撃をした後でラビトがどう出るか怖くて何も出来ない。年上の私達がそんなのだから新しく連れて来られた子供も怯えてしまって文句すら言えないでいたの。
「さて、今はお腹が一杯だし、特別に普通に殺してあげるっピョン!」
そんな私は今、首を掴まれて建設途中の砦の最上階から宙吊りにされているわ。喉にラビトの細指が食い込んで息が出来ない。この日、私は塗料が入ったバケツを倒した子を庇って名乗り出た。でも、多分その子の為じゃないのでしょうね。私は楽になりたかったのよ。
「例え雨雲で隠れていても太陽が無くなった訳じゃない。星が見えなくても星は何時も空の上にある。だから希望を捨てちゃ駄目よ」
来たばっかりの子達を私はこんな風に励ましたし、私が連れて来られた当時は同じ風に考えていた。でも、今は違う。泣き出したら大人が怒るから励ましただけで、私は既に希望を捨てちゃってるのよ。だってそうじゃないの。見えないだけで確かに存在しても、見えなかったら何の意味も無いんだから。
「じゃあ、落ちて潰れた後はペットの餌だピョン」
首が解放され、一瞬の浮遊感の後で私は地面に落ちて行く。多分少し痛いけれど、一瞬我慢すれば絶対に楽になれるわよね。私は目を閉じて楽になれる瞬間を待つ。だけれど、何かが近付く音に目を開けた私は思わず自分の目を疑ったわ。
「!」
それはお芝居小屋とかで働く黒子の格好をした子だったわ。顔は見えないけれど、小さいし多分私よりは年下。何となくだけれど私は黒子を子供だと思い、ジッと視線を送る。地上に向かって落ちて行く私に追い付こうと黒子は壁を真下に向かって激走していたの。そして私に追い付いた黒子は私に向かって跳んで掴むなり抱き、そのまま両足で着地した。地面が少し陥没したけれど私には殆ど衝撃は伝わらず、少しだけ足が痺れただけの黒子は砦の上を向く。
……えっと、モグラのキグルミがラビトと戦っているのは幻覚かしら?
アンノウンのコメント 此奴達って食って良いかな?




