真実
目の前に手を繋いで仲良く歩く親子三人の姿があった。……妬ましい。
建物の近くを通った時、外壁が崩れて子供の頭をかち割った。
小さいながらも長い間地元の人に愛された定食屋が見えた。店主と妻が仲睦まじく働いている。……妬ましい。
妻が足を滑らして夫にぶつかり、高温の油の鍋に頭から突っ込んだ。
家を失い、僅かな荷物を手に途方に暮れる母子が居た。……妬ましい。
坂道を上っている最中、馬車から転がり落ちた樽が母親を跳ね飛ばす。頭から地面に落ちた母親に子供が縋り付くけれど動かない。
妬ましい妬ましい妬ましい妬ましい妬ましい、誰も彼も、何もかが妬ましい。大切な相手が居るのが妬ましい。お金があるのが妬ましい。未来に希望を抱けるのが妬ましい。私よりも幸せな奴が妬ましい。
「……虚しい」
どれだけ人の幸福を奪っても、幾ら人を不幸に落としても、私の心は満たされない。私に配分される筈の幸運がやって来ない。あれだけ心に渦巻いていた憎悪が収まって行くのを感じる。
「お姉ちゃん、どうしたの? もっとだよ、もっともっと大勢を不幸にすれば、きっと私達に幸福が訪れるよ」
「……そう、だな」
そうだ、私が何を感じるかなんて関係無いだろ。私の全ては流の、妹の為にある。父さんだって私を犠牲にしても妹を守れって言ったんだ。私の大切な大切な実の妹。ほら、思い出せ。この子と過ごした故郷の事を……何故か思い出せない。仲良く暮らした筈なのに、赤ん坊の流の世話をした筈なのに、私の記憶の故郷での暮らしには父さんと私だけで暮らしていた時の事しか出て来ないんだ。
「……なあ、流」
「なぁに?」
「お前ってさ……私の妹だよな?」
私は何を馬鹿な質問をしているんだ? 可愛い妹を泣かせる事を口にして駄目な姉だよな。うん、謝ろう、きっと泣きながら肯定するから、抱き締めて謝ろう。だって、この子は私の大切な……。
「……なぁんだ。もう気が付いちゃったのね。詰まらなーい」
「な……流?」
きっと聞き間違えで見間違えだ。妹だって肯定したに決まっているし、無邪気なこの子があんな醜悪な笑みを浮かべる筈が無い。きっと私の罪悪感が生んだ幻だから、抱き締めて謝ろう。私は妹に手を伸ばし、横から伸ばされた足が流の小さな体を蹴り飛ばす。ハッとして見ればゲルダが立っていた。
「間に合った! カミニちゃん、よく聞いて! その子は……魔族よ!」
「魔……族……? 流、私の妹が……?」 聞き返した私だけれど、その言葉が理解出来なかった訳じゃない。寧ろ嫌でも理解させられて、理解するのが嫌だから分からない振りをして自分を誤魔化そうとしていたんだ。手で耳を塞いで目を瞑る。そんな事で現実は変わっちゃくれないって分かっていたのに。
「そうよ。私も魔族なの。そこで今にも吐きそうな顔をしている女の記憶を弄って……妹になっていたわ」
耳を塞ぐ手を貫通して声が聞こえる。頭の中で嫌だ嫌だと叫んでも声は届いたんだ。聞き慣れた妹の幼い声、途中から嗄れた老婆の声に変わって、目を開けた私の前に居たのはケバケバしい化粧をした婆さんだった。あれは誰だ? そんな分かりきった疑問を思い浮かべるけれど、そんな事をするまでもなく分かっているんだ。
妹だった相手の言葉を聞いた時、父さんの最後の言葉が蘇る。妹を絶対に守れ、その言葉にノイズが走って別の言葉に置き換わった。私だけでも助かって欲しい、それがあの人の最後の願いだった。
妹を見捨てでも良いって事か? いや、違う! 母さんは私を産んで直ぐに死んだ。父さんはそれから結婚もしてなければ、恋人だって作らなかった。私に血の繋がった妹なんて最初から居なかったんだ。……全てに気が付いた時、胃の中の物が逆流した。
「おげぇ! おげぇえええええ!」
今まで私は食べ物の殆どを妹に与えて来た。どれだけお腹が減っても、アバラが浮き出る程に痩せても、どれだけ悪事に手を染めたって大切な妹の為なら我慢出来たんだ。その想いが崩れる。絆が壊れて行く。あれだけ感じていた愛が薄気味悪い物にしか思えなくて、久々に満腹になるまで食べた物を全て吐き出した。
口の中が酸っぱくて、涙が出る。大声を上げて泣き出したいのに、泣く程の力が出ない。
「カミニちゃん……」
ゲルダの声が聞こえた。私を心配する顔が見えた。嫌でも思い出す流の目とは違う。気が付かなかっただけで、今なら分かるよ。私を見る目には嘲りが込められていたって。
「さてと……お前が勇者か? その容姿、報告の通りだな。随分とふざけている風に見える」
「これでも高性能だし、私としては真面目な積もりよ。……武器の見た目には反論できないけれど」
勇者、その言葉に私の瞳はゲルダに釘付けになった。赤と青の刃を持つ巨大な鋏はとても勇者の武器には見えない。でも、何故か信じられた。同時に存在を揺るがす程の恐怖さえ感じていたけれど。
「では……さらば!」
逃げた!? 流だった婆さんは老人とは思えない軽快な走りで逃走する。勇者と魔族が出会ったから戦うんだと思っていたけれど。ああ、でも戦うのが苦手って言ってたな、確か。
「私は戦闘には向いていないし、お前を利用させて貰おう」
そう、こんな風に。
「がっ!?」
ハンマーで滅多打ちにされたみたいに頭が痛む。それに今の記憶は何時の事だ? 私が入った事の無い城みたいな建物の中、あの婆さん、ミレッシュ・チェンジリングが私に言っている。窓からは噴火する火山が見えて……。
「ぐっ、くぅう……」
どうして彼奴の名前を知っているのか、あの場所が何処なのか分からない。頭痛と吐き気が増して耐えられなくなる中、倒れそうになった私の体を灰色の手が支える。
「何をやっているのです。彼女は私に任せて早く追いなさい」
私が意識を失う直前、その冷たい声の持ち主を見る。なんで灰色のウサギのキグルミを着ているのか分からなかった……。
グレー兎の言葉を聞くやいなや、ゲルダの視線は逃げゆくミレッシュの背中に向けられていた。老婆の姿からは想像も付かない軽快な足取りで、立ち止まっているゲルダと距離を開けて行く。背中は段々小さくなり、このまま人混みに紛れるか路地裏から下水路に逃げ込めば追跡は困難となるだろう。
「……逃がさない」
ゲルダの口からこぼれた静かな呟き。顔に浮かべているのは怒りだが、何時もの義憤に駆られての物でも無く、激情に突き動かされている時の物でも無い。それは静かな怒り。彼女の中で静かに燃え上がる炎は燃やすと決めた対象以外に一切熱を向けず、それでもって決めた相手を燃やし尽さんと強く誓った物だ。
一足飛びにゲルダはミレッシュとの距離を半分に詰め、二足目で追い越す。擦れ違い様に襟首を掴んで引き倒し、慣性が働くままに彼女の顔面を固い地面に擦り付けた。火花でも発生しそうな勢いの滑走が止まるなりデュアルセイバーの刃は開かれ、挟み込んだミレッシュの首を左右から万力の如き力で締め上げる。小柄な老婆ではあるが、ミレッシュの体は首を左右から固定された状態で持ち上げられて足が浮いていた。
「……ねぇ、誘拐された人達は何処に居るの?」
「は、は! 知らないし、知っていても誰が教える……がぁ!?」
悪態を付き唾を吐きかける動作を見せたミレッシュだが、首に加わる力が更に上がって息が詰まり、強制的に止めさせられた。
「もう一度聞くわ。誘拐された人達は何処?」
「し、知らない! ほ、本当に知らないんだ! 例の誘拐はレリル様の管轄だから、リリィ様の部下の私は……」
「……そう」
先程から問い掛ける時のゲルダの声と表情、この二つは普段の彼女からは考えられない程に冷たい。その様子に町の人々は威圧され、少女が巨大な鋏で老婆を痛めつける場面に出会しても手が出せないでいるのだ。聞かれた事に対する情報を持っていないと叫ぶミレッシュ。その首に掛けられた力が無くなり、彼女の体は地面へと自然落下する。喉を押さえ咳き込む彼女に対し、ゲルダは魔包剣を発動して切っ先を突き付けた。
「……私はね、怒っているの。貴女は彼女に、カミニちゃんに何をしたか分かっているの?」
「カ、カミニ? ………ああ、成る程。お前、何も分かっていない。奴が何者か、お前は分かっていない。奴の為に怒る理由など無いんだ」
「何を入っているの! 貴女は町の人達を不幸にした! 頑張って前向きに生きていたカミニちゃんの邪魔をして、家族への想いを利用して貶めた! 絶対に許せない!」
「は、ははは! とんだお門違いだ。確かに私は唆したが、彼奴の周りで起きた不幸については……がっ!?」
言葉を発する内に怒りは燃え上がりゲルダの口調が荒くなる。今の彼女を突き動かすのは純然たる怒りだ。家族の絆を偽ったミレッシュに対し、家族を失っているからこそ怒りを抑えられない。これ以上何も喋らせたくないとトドメを刺そうとしたその時だった。ジャラジャラと金属が擦れる音が響き、大人の親指程の太さを持つ鎖が蛇の様に蠢いてミレッシュの体に巻き付く。鎖の先端には槍の穂先となっており、それがミレッシュの背中を貫通していた。
「臭っえ口でペラペラ喋ってんじゃねぇよ、魔族如きが」
体を貫かれ、それでも急所を外した事で悶え苦しむミレッシュを鎖は更に激しく締め付け老婆の体を軋ませる。血を吐く彼女の姿に手が止まっているゲルダの背後、鎖が延びる先から聞こえたのは吐き捨てる様に呟いた青年の声。嫌悪を隠そうともしない彼は鎖を引っ張り、倒れた彼女の頭を黒のブーツで踏み付けた。
「だ、誰……?」
「あぁ? 何チンタラやってんだよ、ボケが! 吐かせたい情報が無ぇんならさっさと殺しちまえ!」
ミレッシュの頭を踏みにじりながら今度はゲルダを睨むのは黒い金属製のコートを着た灰色の髪をオールバックにした青年。鋭い三白眼で開いた口からは鋭い八重歯が覗く。整った顔だが獣を思わせる凶暴さを感じさせ、右目の辺りには黒い革製のグローブを填めた手で鎖を握り締めている腕には鋼の如き筋肉が付いていた。
「おら、さっさとやれ!」
青年が乱暴に腕をなぎ払うとミレッシュを拘束する鎖も動き、彼女を空中に投げ出す。切っ先が体を貫通した状態でゲルダの方へと投げ出された。彼の剣幕に圧され、ミレッシュへの怒りすら忘れさったゲルダだが、慌てた様子ながらも刃を構える。
「と、取り敢えず!」
大上段に振り下ろされた刃はミレッシュの体を切り裂き、その体は光の粒子となって消え去った。一仕事終えて安心したのか息を吐き出すゲルダだが、青年は用事が済んだとばかりに背を向け、高く飛び上がって建物の屋上に降り立つと、ゲルダには目もくれず立ち去った。
「……あれ? あの人の背中のマークは……」
一体何者なのか、何が目的で現れたのかさえ話さず去って行った彼だが、背中を見せた時にコートに描かれたマークが目に入る。それは魔法陣の上に重なった杖の紋様。ゲルダはそれが何か知っているらしく驚いた顔をしているが、彼を追おうとはしない。後ろ髪を引かれつつもグレー兎に預けたカミニの所に戻って行く。
もうこれで安心だ。これで安心して彼女は人生を歩める。そんな希望を抱き、もう大丈夫だと伝える為に必死に駆けた。息が切れる程に急ぎ、直ぐにその姿が見えて来る。既に意識が戻ったのか目を開いていた。だが、どうも様子がおかしい。顔面蒼白でガタガタ震えて頭を抱え、その場でうずくまっていた。
「は、ははは、全部、全部思い出しちまった……」
明らかに尋常でない状態であり、彼女の姿も少し変わっていた。艶の戻った髪は足元まで伸びた上に白髪になり、服も出会った時と同じ、いや、それ以上にボロ布の様。そして尋常で無いのは状況もだ。
「おや、戻って来ましたか。戻って早々申し訳有りませんが、説得をお願い致します。私では信用されませんので。私の責任ではなく、この様な格好をさせている根性曲がりの責任で」
言葉の内容とは裏腹に平坦な声で焦った様子も見られない彼女とカミニの周囲には透明の障壁が張り巡らされ、それを破ろうと攻撃を続ける者達が居た。揃って先程の青年と同じ服装をしており、武器や種族はバラバラ。一切の一貫性が無い集団であり、分かるのはグレー兎とカミニを殺害せしめんと行動している事。グレー兎の様子からして障壁を破れる兆しが見られない事から苛立っており、仲間らしきゲルダにまで敵意と武器を向ける。
「……貴方達が誰かは知らないけれど、カミニちゃんは漸く魔族から解放されたの。これからの未来を邪魔するのなら……」
デュアルセイバーを構え、救世紋様を浮かび上がらせた状態でゲルダが一歩踏み出せばグレー兎達に武器を向けたままだった者達もゲルダに相対する。一触即発の張り詰めた空気が周囲を支配し、戦闘開始まで秒読み段階に達した時、軽く手を叩いて注目を浴びながら双方の間に割り込んだ男が居た。
「はいはーい。その子は敵じゃないからねぇ。寧ろ味方って言うか、勇者だから。うん、武器を納めよう」
剣呑な雰囲気に似つかわしくない飄々とした空気を纏った中年男性は暢気ささえ感じさせる声で場の空気を変える。例えるなら学生同士の喧嘩を怒鳴る事無く仲裁するベテラン教師だろうか? 他の者とは違って黒い帽子を被り茶髪を後ろで結び無精髭を生やした人の良さそうな彼の言葉に、血の気の多そうな数人を除いて武器を納める所を見れば集団の中でも高い地位にいるのだろう。
「ですが副隊長……」
「こらこら、駄目だって。どうやら事情を飲み込んでいないみたいだし、他の人みたいに断罪するのは良くないよ? 勇者であるかどうかを抜きにしてもね。……さてと」
未だ槍を構えていた者が進言するも、副隊長と呼ばれた彼は槍の先に優しく手を当てて、諭しながらゆっくり力を込める。渋々武器を納める姿に軽く頷いた彼は今度はゲルダに向き直り、帽子を脱いで丁寧にお辞儀をする。その所作は慣れた様子が窺え、彼が一定の教養の持ち主だと分かる。
「さて、お初にお目に掛かります。私は対魔族部隊『クルースニク』副隊長レガリア・リーガルと申します。……っとまあ、堅苦しい挨拶は此処までにして、私の事はレガリアさんとでも呼んでくれたら良いからさ」
「た、対魔族部隊?」
「そっ。まあ、何を目的にしているかは分かるよねぇ? あと、何処かの国に属した軍人って訳じゃないから気を張らなくて結構だからさ」
目の前で知り合いに攻撃を仕掛け、今まさに戦いにまで発展しそうだった集団の上の役職にも関わらず、まるで親戚の叔父さんみたいな気安さで話し掛けて来るレガリアにゲルダはすっかり毒気を抜かれてしまっていた。
「えっと、私の事も知っている……んですよね?」
「勿論。君の事は調べさせて貰っているよ。あっ、言っておくけれどオジさん、ロリコンとかじゃないからね? ちゃんと妻子持ちだし、娘は君くらいだから」
「いや、別にそういった事は疑っていませんから……じゃなくてっ! どうしてカミニちゃんを襲っているんですか!?」
そう、ゲルダにとって重要なのはその事だ。何故一般人の筈のカミニを集団で襲っているのか、それを問いただせばレガリアは後ろ髪を掻きながら困った様子で悩む。
「……うーん、思った通りに君は分かっていなかったかぁ。だったら、オジさん達が悪者に見えて当然だよねぇ。あっ、一つ質問して構わないかな?」
「何ですか?」
「あの兎のキグルミの彼女は何故あんな格好してるのさ?」
「……私にも分かりません」
「あっ、うん。そうなんだ。なら、仕方無いかぁ……うん」
場の空気が微妙な物になり、レガリアは随分と気まずい様子だ。とてもシリアスな話をする空気でなくなった事で困惑するクルースニクの面々も同様だが、再び第三者の声が場に響く。声の主は先程の青年だ。
「何やってんだよ、レガリアさん。さっさとそこの餓鬼……いや、餓鬼の姿をした魔族をぶっ殺してから事情でも何でも話せば良いだけだろうがよ!」
「……魔族? カミニちゃんが……?」
「ちっ! 勇者の癖に何やってんだ!」
「こらこら、あの子は歴代でも異例の速度で封印の旅を続けているからね? ちょっとのミスで責めない責めない。さてと、兎のお嬢さん。その子を庇うのは止めてくれないかなぁ?」
「お断りします」
鎖を振るい障壁の破壊をしようとする彼、レリックだがどれだけ叩き付けても激しい音がするだけで破壊される兆しすら見られない。それに苛立ちを見せる彼だが、ゲルダにまで怒鳴った所でレガリアが肩を掴んで止めれば舌打ちと共に手を止める。それに一安心したらしいレガリアが頼み込むが、グレー兎は首を振って冷徹な声で返すだけだ。
「……えっと、どうしてか教えて貰える?」
「私としては別にこの子がどうなろうと構わないのですが、ゲルダさんが悲しむので。……さて、私から話すのでは埒が明かないでしょう。ほら、お話しなさい。貴女がどんな存在か。……ゲルダさんは貴女の為に怒って戦った。なら、その義務が有ると分かるでしょう?」
グレー兎はカミニの肩に手を置き、冷徹な声で告げる。今の今まで沈んでいたカミニだが、僅かな逡巡の後、意を決した様子で口を開いた。
「……そう、私は魔族だ。まあ、楽土丸って馬鹿と一緒に魔王の側近に楯突いて裏切り者として追放されちまったけどな。……本当の名は窮鬼 流。カミニは……私に出来た初めての友達の名前だ」
弱々しい声ながらカミニは、いや、流は自らの事を話し出した……。
応援宜しくお願いします
アンノウンのコメント 理由? えっとね、反応が楽しいから!




