悪い予感
「どうも事故が多発しているらしいですし、ゲルダさんも気を付けて下さいね」
一週間のお休みの三日目の朝、今日もソリュロ様とお出掛けをする予定だった私に賢者様がそんな事を言って来たわ。カミニちゃんが働いていた服屋さんも、前に建物もを使っていた魔法使いの団体が変な実験をしていたらしく、
床から染み込んだ薬品の影響で基礎部分が崩れてしまったらしいわ。・・・・・・目撃者の話じゃ走って立ち去る姿が有ったらしいから無事だろうけれど、お店の人達は可哀相ね。
その他にも昨日の午後だけで多くの事故が起きているわ。お酒を運んでいた給仕さんが傷んでいた床板を踏み抜いて転んでしまい、手放したお酒がタバコの火に引火して火事になったり、荷馬車の車輪が外れてお店に突っ込んだり。色々な不幸が多くの人に影響を及ぼす結果になるだなんて。事故が多発するには何か理由が有るのでしょうし、そんな物が未だ残っている可能性も有るわ。
「そうね。その時はソリュロ様に守って貰うわね」
色々と大変な人が多いみたいだけれど、昨日食べに行けなかったケーキバイキングに行きましょう。エクレアやチーズケーキ、チョコタルトも有れば嬉しいわね。
「え? 暫くお休み? そんなー」
「申し訳無いな。食べ放題って銘打ってる以上は途中で出せませんとは言えなくて、材料全て使い切っちまったんだ。今朝には新しいのが市場に届くはずだったんだが……」
「荷馬車が事故にあったと聞くが、ケーキの材料を運んでいたのか……」
折角行ったのに、昨日の余波は今日も続いていたわ。出せるケーキがないんじゃ仕方が無いとは思うけれど、こうも続くと少し落ち込むわね。……それと落ち込んでいるのは私だけじゃなかったわ。事故が多発したのは昨日のお昼から。そんな短い期間で町の人達の顔が沈んでいたの。
屋台巡りは昨日したばかりだし、今日はのんびりお散歩に予定変更ね。少し人混みの多い多い場所を避けて川の流れを眺めながら歩くの。川では私と同じ年頃の子供達が釣りをしたり泳いだりしていて楽しそうだったわ。まるで町の大人達が落ち込んでいるのが嘘みたいね。
「どうも不運が続いているが、まあ、愚者が為政者の時はそうなるものだ。気が沈めば労働への意欲も下がり、それが事故に繋がるからな。……長い間、その様な光景を何度も見て来た」
「成る程……」
私も羊飼いの仕事をしていたから分かるけれど、落ち込んでいる時って仕事に集中していないから思わぬ事故に繋がるのよね。……今の領主様って随分と酷い人になってしまったそうだけれど、元々は評判が良かっただけに残念ね。
「あら? ソリュロ様、あれって何かしら?
少しだけ気が沈んでしまった時、私の目に映ったのは二人乗りの小さな帆船だったわ。前の人が船の縁を持ってバランスを取っているみたいだけれど、風がそんなに吹いていないのに凄い速度で走っているわ。後ろに乗っている人だけれど、持っているのは……杖? あの人達、魔法で風を操っているのね!
「驚いたか? あれがニカサラ発症でブルエルの人気スポーツ『ツヤキア』だ」
「へぇ、面白そうですね! やってみたいわ」
風を切って水の上を進む速度が凄いし、私は興味を引かれたわ。子供らしく目を輝かせていたのだけれど、そんな私を見てソリュロ様が浮かべたのは得意そうな笑みだったの。
「実は船を用意しているんだが」
あっ、昨日読んだ小説に出て来た、部屋は既に用意しているんだが、ってセリフみたいね。まさかバーから直行した部屋でマフィアとの抗争が始まるとは思わなかったけれど、オチは平凡だったのよね。
まあ、それは兎も角として、最初から船を準備して此処まで私を連れて来てくれたのですもの、乗らないのは色々失礼ね。実際に乗るとなると不安になって来たけれど。
「……まあ、ソリュロ様だし大丈夫よね」
ソリュロ様が親指で示した先、そこには銀色の船が浮かんでいたわ。帆は金色で、日光を浴びてキラキラ光って神々しさすら感じたけれど、そもそも用意したのが神様だから神々しさがあって当然なのよね、文字通り神の船だもの。
他の神様、例えばイシュリア様の用意した物なら、頭のネジが外れているから船にも心配が残るけれど。……こんな事を考えているのがバレたら困った事になりそうね。
「……安心しろ。あれは私が全部用意した奴だ
「えぇ!? イシュリア様の用意した物じゃなくて良かったと思ったの、口に出していました!?」
「いや、顔に出ていた。……個人名を口に出すのは止めておけ。気持ちは分かる、凄く分かる」
か、神様って勘が鋭いわっ! ……うん、本当に注意しましょう。
「さて、無駄話は此処までだ。イシュリアが問題児だなんて分かりきった事は放っておいて、折角の休日を楽しむぞ! ……休暇中に溜まる仕事については忘れるぞ」
そう言いつつも顔が少しどんよりして来たわね、ソリュロ様。まあ、私は羊飼いの仕事の手助けがあったから良かったけれど、位の高い神ならそうは行かないでしょうね。……そうなると最高神のミリアス様ってどれだけ大変なのかしら?
「さあ! 遊びだ、遊びだ! 嫌な事は全部忘れて遊び尽くすぞ!」
「はい!」
そうよ。今は折角のお休みだもの、詰まらない事は忘れて楽しむ時ね。ソリュロ様は私の手を引いて船まで走り、私も足を急いで動かす。ふふふ、ソリュロ様ったら楽しそう。見た目が子供だもの、どれだけはしゃいでも似合ってるわ。
そのまま船に飛び乗った私は前側に、ソリュロ様は当然後ろ側に乗ると杖を取り出したわ。可愛らしいピンク色の短杖。さーて、ソリュロ様は魔法の神様だもの、きっと凄い風を起こすわね。私はバランスを崩さない様に船の縁をしっかり掴んで座り込む。きっと私が体験した事が無い速度になると思うけれど、その一方でソリュロ様なら安全だとも思っているわ。だって賢者様が、ソリュロ様はマトモだ、そんな風に言っていたもの。奥さんと娘とペットに対する事以外なら、あの人の言葉を私は信用していたわ。
「では行くぞ!!」
掛け声と共に私の頬を微風が優しく撫でる。新しい季節の訪れを感じさせる香りを漂わせた風は心地良く、それを全身で感じたくて私は目を閉じたの。そして私は風になったわ。
「いぃいいいいいいいいいい、やっほぉおおおおおおおおおおおお!!」
後ろから聞こえて来るのは頭のネジが全部吹き飛んだソリュロ様の楽しそうな声。船の先は上に傾いて船尾だけが水に浸かっている、そんな状態で私が乗った船は殆ど飛んでいたの。体験した事の無い速度になるとは思ったけれど、まさか此処までだなんて……。
だって、船の両脇で上がる飛沫は見上げる程に高い壁になっていたもの。景色が弓矢よりも速く後ろに流れて行って左右に発生した波が他の船を巻き込まないのが不思議だけれど、それはソリュロ様がどうにかしているのね。つまり、冷静さを完全に失っていないのにこのテンションの高さだなんて。賢者様の他人への評価だけれど、身内に対しての評価は全然役に立たないわ! この方も条件付きでイシュリア様と同類……は流石に言い過ぎね。失礼だわ。
「ソソソ、ソリュロ様っ!? 幾ら何でもこの速度は……」
「ん? ああ、成る程。分かった!」
「……何故かしら? 何も分かっていない気がするけれど……」
私は知っている。嫌な予感こそ当たりやすいって事を。
「手加減し過ぎだ、そう言いたいのだな! ならば音速の世界を体験させてやろう!」
ほら、当たりでしょう? 白目を剥いて気絶しない自分を誉めてあげたいと思う中、船の速度は更に加速して、もう景色が見えないわ。……でも、不思議ね。怖いのだけれど、ドキドキハラハラが楽しいとも思ってしまうのよ。この楽しさは同じく危険な戦いとは全くの別物。
「行くぞ! 音速の更に先の世界に!」
でも、幾ら何でも限度が有るのだけれどっ!? 本当に意識を保った自分を誉めてあげたいわ。同時に気絶しなかった事を責めたい程のスリルを味わったのだけれど。
「楽しそうだな」
今、私の耳元で誰かが囁いた気がした。静かな声で感情を感じさせないのに、何故か色々な感情が混じっているって思えたの。怒り、悲しみ、絶望、怨み、そして妬み。私がこうやっている事が、不幸のどん底で無い事が許せないと言いたそうな声。続いてカビ臭いチーズみたいな悪臭が漂い、粘着く悪寒も同時に全身に覆い被さって、両方とも直ぐに弾き飛ばされた。
「……呪いの一種だな」
「呪い……?」
先程までのテンションの限界を振り切っておかしくなった状態から一変して元に戻ったソリュロ様の呟きに思わず聞き返す。だって呪われる事に見に覚え……は魔族関連なら有るのだけれど、魔族の気配がすればソリュロ様が気が付いている筈よ。幾ら休みで気が緩んでいても……いえ、今はそんな事を考えている場合じゃないわ。
「ソリュロ様、あの場所に居た他の人達は大丈夫ですか!?」
この時、呪いを向けられたのは私だけじゃない、そんな確信があった。あの声は特定の誰かじゃなく、術者が気に入らないと感じた相手全てに向けられる物だって確信があったから。
「一応は咄嗟に呪いを弾いたが、他の場所で呪いを使っていた場合は分からん。……所で私からも質問をさせて欲しいのだが」
ソリュロ様の深刻そうな顔に私は不安を覚える。目の前にいる方こそが神様だけれど、どうか予想とは違って欲しいと神に祈り、藁にも縋りたい気分だったわ。でも、私は分かっている。嫌な予感こそ当たるって。
「此処、何処だ? 見渡す限りの大海原、流石にはしゃぎ過ぎた」
「……いや、魔法で調べるなり転移すれば良いと思うわ」
「そうか! ゲルダは賢いな」
あっ、敬語を使っていなかったわ。でも、別に構わないでしょ。ソリュロ様が一切の嫌味無く私を誉める中、凄い精神的な疲労が私を襲っていた。
「……気に入らん」
静かな声でソリュロ様が呟く。私達が沖まで進んで戻って来る迄の僅かな時間、その間にまたしても事故が起きていたの。幅が広い川を渡る為の大きな橋。流通にとって重要なそれが中心から崩れていたわ。丁度橋を多くの人や荷馬車が通っていて、橋の下を船が行き交っている時に発生した不幸。……いえ、悪意によって引き起こされた悲劇。
「……こんなのを嗅ぎ損ねるだなんて」
「そう自分を責めるな。これは切っ掛けでも無ければそうそう気が付く物でも無い」
あの呪いの悪臭を感じた今だから意識をすれば感じたわ。町の臭いに混じって隠されたカビ臭さをね。知っているからこそ気が付いた微量な臭い。確かにソリュロ様が言ってくれるみたいに仕方無いのでしょうね。頭では分かっているわ。自分が何から何まで気が付いて事前に防げる様な万能で凄い存在じゃないって事も知っているのよ。
「……分かっているけれど、心が納得しないわ。だから私は私がやりたい事を、すべきだと決めた事をするわ。あの呪いの術者を見付けて……懲らしめてやる!」
これは私の無力感から来る戦いよ。勇者としてだけでなく、ゲルダ本人の心から湧き上がった静かな怒り。心を焼き焦がす激しさは無いけれど、私の中で強く確実に燃えていたの。目的を果たす為に強く燃え上がる時を待ちながら……。
「そうだ! カミニちゃんは大丈夫かしら!」
これが魔族の仕業かどうかは分からない今、本来ならソリュロ様は手を出せない、目の前の人達を助ける事さえ許されない。でも、頭と心は別だから、私は静かに目を閉じる。修復を始める橋や船や馬車、そして癒えていく人々の怪我。でも、私はそれを目にしない。だから、直ぐ後ろで誰かが何かしても分からなかったわ。
今気になるのは不幸が続いているカミニちゃん。もしかしたら彼女も狙われているのかも。そんな不安を覚えた私は彼女を捜す事にしたわ。既に匂いは覚えているもの。目を閉じて気を研ぎ澄ませば彼女の匂いを感じ取った。……それに混じるカビ臭さと知らない魔族の、ドブが腐ったみたいな悪臭も。
「急がなくちゃ!」
私は船から一足飛びに陸に上がって走り出す。胸の中を渦巻く嫌な予感に突き動かされて。……嫌な予感はよく当たる。でも、私は知らなかったの。嫌な予感は、更に最悪な形で外れるって。本当の不幸は人の想像を超えているだなんて私は知らない子供だったの……。
「……エミュー、エミューは何処に行ったんだ!?」
その城は少し前までは最低限の装飾がされた場所であり、城主は理想の体現の一種と称するに十分な名君であった。質素を好み力強く、しかし賢い。清濁併せ呑む柔軟性を持ち合わせるが根はどうしようもない程の善。いずれ生まれる跡継ぎも彼の様であれば未来は安泰だ、領地は栄える。
そんな期待を抱く臣下は片手の指で数えられる程にしか残っていらず、その希な者達さえも今の城主を暗君の類と一蹴するだろう。
今、情けない声で女の名を呼ぶ者こそその城主。暫く会っていない者が居れば、偽物が魔法で家臣を操って成り代わっていると思う程に名君だった頃の面影は無い。
幼い子供が母親愛しさ恋しさに泣き叫ぶかの様な声を中年男が発し、その度に全身の脂肪が波打つ。元は歴戦の戦士を思わせる筋骨隆々で理想に輝く瞳の男。今では濁った目をした肉と脂肪の塊だ。贅に溺れ、肉欲に執着する愚物、それが残っている家臣からの評価であり、尊敬と信頼は侮蔑と嫌悪に成り代わった。
「はぁい、オットロ様。私は此処ですわよ」
その贅肉まみれの顔に白い肌をした柔らかそうな手が添えられる。その声は頭が蕩けそうな程に甘く、幼さが残る顔立ちや背丈にも関わらず一部の肉付きは異性の情欲を誘う。纏う服はチャイナドレスに酷似しており、深いスリットや胸元からは肌が惜しげもなく見えていた。
「何処に行っていたんだ、エミュー!? 私にはお前しか居ないんだ! 前の妻だって、お前を非難する家臣だって追い出したじゃないか」
「申し訳有りません、野暮用でして。……でも、寂しかったのは私も同じだと……信じてくれます?」
「信じる! 私はお前を絶対に疑わない!」
「うふふふ。エミューは世界一の幸せ者ですわ」
端から見れば三流の茶番劇、後ろ足で砂をかけたい茶番劇の類だが、城主であるオットロからすれば真剣だ。言葉の通り、彼にはエミューしか必要でなかった。
「相変わらず柔らかいお腹。それでこそ愛しのオットロ様ですわね」
エミューは体をオットロの醜く肥えた体に預け、腹を這う手はやがて下腹部に向かう。同じくオットロの手も遠慮も恥じらいも矜持の欠片すら無くスリットから服の中に進入し、下着など着けていない臀部を撫で回す。
「ねぇ、オットロ様。私、お願いが有りますの。二人でゆっくりする為の別荘が欲しくて。……駄目ですか?」
「建ててやる! お前の願いなら幾らでも!!」
唾を飛ばし、脂肪を激しく揺らしながらオットロはエミューに迫り、彼女はそれを受け入れて唇を重ねる。彼女が現れてから何度も行われた遣り取りであり、諫める者は残っていない。
絶望、諦念、呆れ、今のオットロに向けられるのはそんな感情だ。だが、今の二人の光景を眺める瞳にはそれとは別の物が宿っている。エミューの淫靡な姿に欲情しているのではないと記しておこう。その瞳の持ち主がする筈がない。彼からすれば嘲笑の対象でしか無い。
「さてさて、休憩時間にお使いを頼まれて様子見に来ましたが、上手くやっているみたいですね、
エミュー・リリムさん」
その人物、ビリワックは黒山羊の顔に笑みを浮かべながら呟き、一瞬で姿を消す。消える刹那、門の方から聞こえた喧騒に更なる笑みを浮かべて……。
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アンノウンのコメント 年相応の落ち着き持ったら? いい年なんだからさぁ




