雨 ノ マンデイ
◇ 闘将ユキ ◇
我々は初動で負けた。
そのままなし崩し的に攻め込まれ、その勢いでデルアの最高戦力、大きな獣もやられてしまった。ドミナの飛竜も怪鳥との戦いで徐々に数が減ってきているように見える。この戦場で優位に立てているのは、毒に蝕れた体でも戦闘力で獣共に負けていない朱恩寺の武僧くらいだ。
本来ならこちらの兵が死ねばドミナの手駒が増えるはずなのだ。そうすることで不利な戦況を覆せる。だが、今回、倒れた兵士に立ち上がり再び戦闘に参加する様子はない。
考えられる可能性は一つ。
敵はこちらの兵士を殺さないように調整しながら攻撃しているのだ。
このまま押し込まれれば確実に負ける。一握のチャンスもない。
巻き返す可能性があるとすれば、アシュリー教の治癒術の支援で負傷した兵士を再び前線に立たせる、という展開。
が、仮にそうなったとしても怪鳥だけはどうしようもないだろう。あれは飛竜がいなければ堕とせない。ドミナのもつ飛竜の手駒がなくなれば、勝ち目はない。
クッ。
ワイズさえいれば少しは違ったかもしれないというのに。
……。
撤退しかない。
子供が見てもわかるくらい、こちらの不利は明白だ。なぜ指示がない。どう転んでも勝ちはないぞ。
いや。
ないことはないか?
いくらこちらに被害が出たとしても、ミクリル様の身柄さえ確保してしまえば、こちらの目的は達成される。少なくとも、この不利な戦場は流れるかもしれない。優先順位の最高は王子奪還。
かりに王子を取り戻すことに成功すればそうなれば、次の機会が生まれる。次の機会にしっかりと準備をして仕切り直せば、あるいは今回よりはマシな戦いが出来るかもしれない。
最初、街が襲われた時にいたのは狂った鳥と呼ばれる空飛ぶ男だった。その近くには格闘術を得意とする女がいた。それと消える剣士、剣士と行動を共にしていた悪魔、銀の狼、武装した二頭の獣。
神の土地の怒りで発生する以前に確認された敵はこれくらいだ。
シャム・ドゥマルトに攻めてきた時の狂鳥の様子から、奴らが仲間のためにある程度のリスクを負うことはわかっている。
人質交換。
この状況を打開するにはそれしかない。誰か一人でいい、敵を捕獲し、ドミナの兵で壁を作って撤退。その人質を交渉材料にして王子を奪還。その期間に敵陣の情報収集も出来れば、次の戦いはここまで不利にはならないだろう。
一番良さそうなのは、狂鳥が最も動揺した格闘女だな。かなりの実力者だったが、朱恩寺の面々と囲めば無理ではない。
といって勝手な動きは出来ない。この劣勢で私が削られるようなことになれば、さすがにもう勝ち目はないだろう。
近くにいたドミナの兵を捕まえる。
「ドミナ、聞こえるか? ユキだ」
ぐりん、と目玉が動き、私に焦点が合う。まったくアイツの兵は気持ち悪くてしょうがない。
「どうした、ユキ」
「考えがある」
「言ってみろ」
「人質交換。敵の中心人物を攫って撤退、仕切り直す。このまま戦っても勝ち目は薄い」
「ちょっと待ってろ。デイに確認をとる」
「わかった」
チッ、獣の数が予想以上だ。
いや、毒のせいでうまく数を減らせてないのが原因か。倒せないから減らない。朱恩寺の連中が強化術で誤魔化せるのも時間の問題、前線が崩壊しかけているせいで、教会の奴らもうまく動けてない。
こりゃいよいよマズいね。
「ユキ、許可が下りた。だが一つ注意がある」
「なんだい?」
「ルベルとリッツがやられた。ルベルは頭を吹き飛ばされているせいで死体としての利用価値がない。リッツは生きてはいるから使えない」
「つまり私は綺麗に死ぬか、負傷せず生きるかしかないわけだね?」
「察しがいいな」
「アンタとは長い付き合いだからね。まぁ出来る限りの事はするよ」
「おいユキ」
「なんだい?」
「死ぬなよ」
「アンタの口からそんな言葉が出るとは思わなかったね。調子狂うからやめとくれ」
そのやり取りからほどなくして、そいつは現れた。
敗れた兵士の呻き声のなか、まるで花を摘みに来た村娘みたいなリラックスしきった様子で、平然と立っている。
造り物めいた美しい顔、心の芯まで凍りつきそうな冷たい目、細い体に似合わない無骨なメイス。
斬りかかった兵は、メイスに吹き飛ばされ、また傍にいる巨大な獣に襲われて、動かなくなる。女の周囲には異様な雰囲気が漂っていた。なにか近づきがたい、冷たい空気が流れているように見えるのだ。
地獄のような鍛錬で鍛えられた朱恩寺の連中ですら攻めを躊躇している。
「やぁ、アンタを探してたんだ」
「マンデイもユキを探してた」
「あらら、私の名をを知っててくれるなんて光栄だわ」
と、女がなにかを投げてきた。反射的に受け取る。
「お嬢ちゃん、これはなにかしら」
手に乗っているのは掌サイズの金属の物体。円柱状、色は黒。
「解毒剤。体が軽くなる」
「どうして私に渡すの?」
「毒で体が動かなかったから負けたと言われたくない」
「そう、で、私がそれを信じると思うの?」
「こっちに投げて」
なんだコイツ。まったく目的がわからない。
まぁコイツらはいつもそうか。最初からなにを考えてるかなんてわからなかった。
「ほらよ」
黒い物体を受け取った女は私に見えるように、それを使い始めた。
「側面にあるスイッチを押すと針が出る。だからこういう風に体に刺して、このスイッチを押す。それだけ。マンデイも使った。安全」
女が解毒剤を投げてきた。
これは運がいい。
「なぁ君、マンデイという名だったかな?」
「そうマンデイ」
「お前はバカだなぁ」
これが本当に解毒剤である保証はどこにもない。だけどもしこれが本当に解毒剤なら、毒に冒されたデルア軍が復活するかもしれない。
とにかくドミナにこれを……。
まともに戦うメリットなんてないだろ。バカだ。バカだあの女。
「師匠! 足止めをお願いします! この女と獣を!」
やった。ようやく好機が訪れた。油断したな狂鳥。
この解毒剤をドミナに。本当にバカな女だ。体さえ満足に動けば戦況が動くはず。
背後から何かが破裂するような音がする。そして、男の呻き声と絶叫。
いや、ヤァシリ師匠がやられるわけがない。
確かにあの女は強い。でも師匠を倒せるほどではなかった。
振り返るな。走れ。これをドミナに。
「止まって」
耳元で聞こえる女の声。
!?
声のする方へ腕を振る。が、女は軽く躱してみせる。
師匠は?
ボロ切れみたいに転がってる。動く様子はない。ダメだ。あれはもうダメだ。助からない。
この女、なにをした?
いくら毒で動きが鈍っているとはいえ、師匠は朱恩寺のトップに立つ人間だ。その体は鋼より固い。なにをしたらあんな風になるんだ。
負ける。コイツとまともにやり合っても勝てない。
かくなるうえは。
「ドミナ! 解毒剤だ! 私の命を無駄にするな!」
私は近くにいたドミナの兵士に解毒剤を投げた。
全力だ。全力で足止めする。
大丈夫さ。私ならやれる。呑まれるな。
いままで何度もあったじゃないか。私が負けたら味方がやられるなんて状況は。
ん?
女は黙って私の後方を指差している。
そこにあったのはフワフワと宙に浮く解毒剤。
これは……、魔法か。
水の魔法だ。
雨、か。
「それを使いなさい」
と、女。
「断れないんだろうね」
「断れない」
「はぁ、やだやだ」
しょうがないね。
周囲を見渡す。
一瞬だった。瞬く間に朱恩寺の武僧が壊滅させられた。自分の目が信じられない。もしかして私は悪い夢を見ているのではないだろうか。
私は女の言う通りに解毒剤を使った。
「ねぇ、一つ訊いていいかい?」
「なに」
「あんた、何者なのさ」
「ファウストは知の代表者。マンデイはその仲間」
「冗談はよせ。知の代表者はミクリル様だ」
「冗談じゃない」
とても素直に信じられる話じゃない、が、もしこの女の言うことが真実だとしたら、敵の大将が知の代表者だとしたらすべて合点がいく。デルアが最初から圧倒されてたことも、異常に高い一人一人の兵の質も、ずっと感じているこの嫌な感じも。
「ファウストってのは狂鳥のことか?」
「そう、マンデイを造ったのもファウスト」
「造った?」
「ファウストが造った」
「あぁそう、人が人を造ったのか。よくある話だ。うちの親もやってたよ」
「解毒剤、もう効いてるはず」
「あぁ体が軽くなったような気がするね」
「マンデイは水の魔法を使わない。だから雨が降っていたから負けたとも言わせない」
「お手柔らかに頼むよ」
「いや」
一瞬で女が懐に入ってくる。
おいおい。
いくらなんでも速すぎるだろ。
メイスを振りかぶる女。
ダメだ、これをまともに受けたら。
う。
蹴り? メイスはフェイントか。なんて重い蹴りなんだ。
そうだ、コイツは私の元に最後に残った部下を一人、短時間で潰した。出し惜しみなんてしてる場合じゃない。
《強化術・ブースト》
血が滾り、体が燃えるように熱くなる。
狭まる視界、その中心に女を据えた。
「解毒剤を渡したことを後悔させてやるよ」
「そう」
いくら力が強くても、強化術のような体の固さはないはず。最高の一撃を叩き込んでやる。
私は地面を蹴り、一気に距離を詰めた。
女は、メイスを短く持ち、そのまま……。
いなされた。
まるで空気を殴ったようなこの感覚。
これは……、消える剣士の技。
私の胸ぐらに伸びてくる手。
そのまま体勢を崩され、鳩尾に女の膝がめり込んだ。
息が。
息が出来ない。
ブーストをかけているのに……。
なぜ。
「強化術の固さはもうわかった」
ブン
頭になにかが落ちてくる。
メイスか。
「固いなら壊れるまで殴ればいい」
ブン
ダメだこりゃ。
勝てない。
殺される。
誰か。
誰か助けてくれ。
「雨で拘束すれば全力を叩きこめる」
ブン
皆。
やられたのか。
氷漬けになった仲間。
岩の下敷きになった男。
胸を切り裂かれた弓兵。
「でも雨は使わない。それでも殴れるから」
ブン
クソ。
意識が。
「今度は、ファウストが奪う」
チクショウ。
ブン
◇ 宰相デ・マウ ◇
「デイ、ユキが負けた」
「ユキの体を使え」
「まだ殺されてない。奴らは狡猾だ」
私が負けるはずがない。
デルアは。アシュリーが建国した国だ。神に愛された国なのだ。
負けるはずがない!
「なら殺せ。死の兵士として復活させるのだ」
「断る」
「なんだと……?」
「断ると言ったのだ。いまユキ一人を使ったところで勝てん」
「貴様!」
このガキ。私の傀儡にしてやる。
《不断の悪夢》
……。
ん?
「ククククク。アハハハハハハ」
「貴様、なにをした」
「五百年だ。五百年間、俺がなにもしていなかったと思うヴどだあぁが」
!?
「なにがあった」
「術しのがやらぅれどぁ」
なんだ。なにが起こってる。
斥力の壁に、金属の欠片がめり込む。
敵の攻撃がここまで……。
いったいどこから。
一頭の飛竜が飛んでくる。乗っているのはドミナを操る術者。
「デイ、死霊術者が狙われている。もう勝ち目がない。乗れ」
なにが……。
手を伸ばす、術者。
私はその手を握って――
パンッ!
術者の頭がはじけ飛ぶ。
負けるはずがないじゃないか。
私が……。
デルアが負けるなど。
私はアイツらを壁の中に閉じ込めていたんだ。
ファウストは……。ルゥは……。籠の鳥だったじゃないか。
なのになぜ……。




