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放浪者  作者: ひねくれ者
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踏み込む足

 第一話です。最後までお楽しみ頂ければ幸いです。

 20XX年Y月Z日某所。


「君は何故ここに呼び出されたのか解るかね?」


 どこかの中小企業の小太りな背広を着たお偉いさんが、革の椅子にふんぞり返って、威圧感たっぷりに言う。

この企業の社長だ。


 その立ち居、いや、その振舞いからこの社長の怒りは察するに余りある。


 さぞ自らの身を切るような損失を出した、目の前に居る若い男に怒り心頭なのだろう。だが、その目の前の男、つまり私には悪びれる感情はない。


「解りかねます」


 それを聞いた社長は数秒間訳がわからないと言う顔をした後、激昂し、それを見ていた取り巻きが止めに入るほどの勢いで前のめり気味に言う。


「お前はクビだ!」


 社長はどこかの為政者の口癖とよく似た言葉で、男に自身の決断を浴びせた。

 それを聞き、頭の中で思い付いた言葉を口に出す。


「分かりました。失礼します」


 そう言って踵を返し、チラリと腕時計に目をやって、会社を後にした。時計の針は午前10時27分を指していた。

 その歴然とした態度を見たお偉いさん方は、煙草臭い社長室で部下たちに愚痴を溢した事だろう。



 こうして私は会社をクビになったのだ。

 別に特段気分が晴れ晴れするという訳ではなく、誰かを怒らせる事も怒られる事もあまり気分が良いものでは無いのでこれ以降は遠慮したいものだ。

 利益を誤魔化せという犯罪的な命令を実行しなかっただけで、こうまで社長の怒りを買うとは思いもしなかったが、たかだか中小企業のために自分の信念に逆らい、人生を棒に降る様な真似をしてやる程私はお人好しでは無いのだ。

 私は端から見たならば、哀れなつまらない男であろう。だがこれでも善悪の区別は付くのだ。

彼らに取ってみれば残念な事だろうが。


 とはいったものの、犯罪紛いの命令然り、過酷な労働環境も然り、これは解放されたと言う事かもしれない。これは救いだろうか? そう思いたい所ではあるが。元々社会人として四十年間働く積もりは無かった。今こそ子供の頃の夢をまた見るときだろう。



 先ずは銀行へ向かうことにした。時は金なり、少し急ぐ。

 企業の入ったビルを出て、人波に流れて駅前へと進む。

ここ、東京都心部の摩天楼を時々見上げながら、人混みと言われる程に多い人間の中を流されて行く。空は灰色だ。

 これも長い年月、多種多様な人生を送ってきた人々がこの人混みを形成していて、私もその中の一人と考えると、虚しいような、悲しい様な、何とも言い得ぬ空虚感に浸ってしまう。

 なぜ私の脇を行く人がそこを歩くのか、目の前の背中は何を背負っているのか、そんな余計なことも考えずにはいられない。

人混みには流されても人並みに流されたくは無いものだ。


 そういえば、前々からいずれ叶えたい夢のために貯金をしておいた。子供の頃から貯めることは苦手だったのに、自分でも良くやったものだと思う。もし私が親であったなら、頭を撫でて褒めてやる事だろう。


 鉄筋コンクリートで出来た立派な洋風の建物の前にやって来た。花崗岩で飾られており、私のような人間が容易く入ることは憚られるほどに上品である。この東京駅に近い雰囲気を備えた建物は、大正時代か昭和初期に建てられたものだろうか。


 自動ドアのボタンに触れて、大理石の床へと足を踏み入れる。

まるで誕生日の子供の頃を思い出したかの様に心は浮かれていたのだが、残念ながら今日はボーナスの支給日だったらしく、銀行もひどく込み合っていた。皺の無いスーツ姿の若者、目の下に隈を作っているサラリーマン、私服姿の女性まで。


 発券機から取った整理券の番号は25番だ。


 ボーナスをもらった事が無いので分からないが、きっと彼ら彼女らは、毎日、毎朝、満員電車に揺られて、毎日、毎晩、寝る間も惜しんで電気代に気を使って残業をしている働き者なのだろう。だが、この失職した私とボーナスを貰うサラリーマンという対比は、なんと皮肉であるだろう。


 そんな考えを頭に浮かべて居ると、私の整理券の番号がモニターに表示された。

デジタル文字がご親切に君の順番だ、と目に訴えかけている。

25番。私が一番好きな数字だ。

おっと偶然、私の年齢とも同じ数字である。


「次でお待ちのお客様」


 窓口から低い女性の声が聞こえた。正直な所、あのモニターのデジタル文字の方が、言葉こそ無いが親切に感じている。誰にでも表情ひとつ変えずに返答しているのだから素晴らしい。今月の最優秀社員はあのモニターだろう。


 その声は窓口の女性が、考え事をしている様子が挙動不審だった為か、もたついているからか、怪訝そうな表情を浮かべて私の行動を囃し立て、促そうとしている声だった。


 一歩踏み出し、彼女の名札に一瞬目をやった。

名字は山本と言うそうなので、山本さんと心の中で呼ぼう。


 少々心の準備を整え、山本さんに貯金を半額引き出したいという旨を伝え、自分の運転免許証を提示する。250万円だ。流石に全額を今すぐに使いきってしまう予定は無いため、必要十分な額を言った。口座に入っていた残高の半分だ。


「少々お待ちください」


 彼女はその場を数分間離れて、現金250万円を持って来た。

 そして複数の書類に、金の使い道等を記入させられた。

使い道は旅行と書いた。別に嘘は付いていない。更に証明印を捺して完了だ。そうすれば、山本さんは封筒に入った現金をカルトンに乗せて、窓口の防弾ガラスを隔てて反対側に居る私に差し出してくれた。


 流石に今までそんな現金を手に持った事はないので、緊張しているが、深呼吸をして心を落ち着けた。まあ、そんなに簡単にはこの胸の高鳴りは止まらないのだが。


 新札の匂いが漂う中、そのピン札の束が入った薄茶色の封筒を自分のリュックサックの底にそっと置いて、ファスナーをガチャガチャと閉じた。このリュックサックのファスナーは、余り精巧な造りでは無く、開け閉めの際に引っ掛かるのでコツが居るが、まあ困ることでも無いので使い続けているのだ。


 私はその現金を受け取り、後ろにずらりと並んだサラリーマン達にどこか申し訳なさを感じつつ銀行を後にした。自動ドアから外に出て、肩の強ばりを解す。

この立派なレトロな構造物ともお別れである。


 やはり人の多い場所は苦手だ。心がプレス機にかけられている様な気分で、潰れてしまいそうだ。



 次の目的地は決まっている。

 私は最寄りの駅に向かい、切符を買った。東京23区の都心部を離れて、郊外へと行くためだ。


 1、2分もせずに電車は、まだ最近出来たばかりだと言わんばかりに小綺麗でモダンな造りの駅にやって来た。やはり都会の良いところと言えば、電車の待ち時間が少ない事が挙げられるだろう。後は何があるのかと訊ねられても困る。私は都会がとにかく怖いので、早くこの街を脱け出したい。

 そして鮮やかな車体色をした列車の2両目に乗り込んだ。時間帯が味方したのか電車は比較的空いていた。

しかし、それも朝の満員電車と比較しての話であるため、座席は空いていない。

 そして数駅ほど電車に揺られる事になるので、扉のすぐ脇を陣取って、車窓から外の景色を楽しむ準備を整えた。


 電車が進み出してから少し経過した時、頭の中でもう一人の私が懸念事項を思い出した。それはこれから向かう場所に、先に電話で連絡を入れておいた方が賢明では無かろうか、というものだ。こうした不安要素は無くしておきたいのだ。そうしなければ目的地まで不安を溜め込み続けなければならなくなってしまう。

それに今私は夢に向かって進んでいるというのに、こんなところで出端を挫かれてしまってはたまらない。

 これは完璧主義者故の性だろう。よく周囲の人間にはもう少し適当な方が楽だと言われるのだが、別に楽に生きたい訳でも無いので構わないのでは無いだろうか。別に私が不幸せであることが気掛かりなのではなく、自分の価値観と違うことに違和感を感じているだけであろうに。


 一度乗客が一番少ない車両と人が近くに居ない場所に移動し、スマートフォンをズボンの右の腰ポケットから取り出し、メモしておいた番号に電話を掛けた。

数回のコールの後、先方が電話を取った。  


「もしもし、今回は――の件でお電話させて頂いたのですが」


以前も掛けたことのある会社だ。そしてこれから訪ねても良いか尋ねた。


『はい。是非、お待ちしています』


悪い返事は返ってこなかった。先方に感謝の意を伝え、一度電話を切った。これで安心して目的地へと行ける。


 その後はその位置を保ち、流れる景色を眺めていた。

 中心部を離れて行くにつれて建物が低くなっている様はこの土地のドーナツ化現象問題をこちらに投げ掛けている様にすら捉えられ、それをただの町並みに過ぎないと一蹴してしまうには惜しい物だった。一眼レフカメラを持って居ないことが悔やまれた。


 その間も電車は進む。

「次の停車駅は……」

「降り口は……」 

「The next station is……」


 そんなありふれたアナウンスも何回聞き流しただろう。少し眠気が差し込めて居た所だ。

 だが着実に目的地に近付いた事が分かった。住宅街を掻き分けて、視界に海が飛び込んで来たのだ。輝きを放つ美しい海が。

 そうと言えば、乗客も先程の電話を掛けた時の半分程度まで減っていた。流石に夏休み前のこの季節に海水浴に来る人間は少ないようだ。特に今日は祝日でも、土日でもない平日だったから当然か。そして電車は停車し、私は駅のホームに降りた。


 切符を改札機に通し、徒歩数十秒の臨海公園に足を運んだ。

 海とこちらとを隔てる手摺にもたれて深呼吸をした。ほのかにしょっぱい磯の香りが鼻に伝わる。それは嫌味な匂いでは無く、照りつける陽射しと共に、少し謙虚に海岸線の雰囲気を漂わせた。そしてそれは何にも勝る解放感を私に味わわせてくれた。


 私は今一度時計に目をやると、針は午後1時24分を指していた。

その足で念入りに頭の中で地図を組み立て、目的地に向かった。


 しかし、この海岸線の街は有名な観光地の近くであるために非常に歩き易く、歩道も広く整備されている。美しい街並み、豊かな自然、豊富な交通機関、大きなモール等、住居を構えるのなら無難な場所であるだろう。  





 さて、もう15分は歩いただろうか。足の裏が痛み出したのは普段の運動不足が祟ったのだろうか。だが目的地は目の前だ。


「お待ちしておりました!」


 はつらつとした男の声が聞こえ、顔を上げた。この会社の法被を着た男だ。前に一度来た時にも会った事があり、先程の電話の相手も彼だ。彼はこの中古車ディーラーの店員で、本町(もとまち)という私と同年代の男だ。あまり明るい人間との付き合いは得意ではないのだが、彼の場合は例外的に趣味が合った。


「案内します。こちらへどうぞ」


 そして事前に問い合わせてあった車両の方へと案内される。

 その車は古い国産の2ドアスポーツカーで、カラーは白と黒のツートンカラーだ。本町曰く最近は若者の車離れも深刻化しており、低燃費、低価格で利便性が追求される中、こうした”走りを楽しむ“車の人気は右肩下がりなのだそう。

 そんな中で私の様にこうした車に興味を向けて来る人間は珍しいらしい。それで彼も喜んだのだ。暑苦しいが、悪くは無い。


「少し車の状態を確認しても良いですか?」

「はい。勿論です。じっくりご覧になってください」


 車の下側、タイヤの溝、ホイール、トランク内部、内装、そして肝心のボンネットの中身を確認する。エンジンと、計器類の動作も良好と、年式にしてはとても綺麗な状態だ。さらに修復歴なし、車検付きと至れり尽くせりである。


「如何でしょうか?」

「良いですね。所でお値段は?」

「全て合計して……198万円になります」

「分かりました。買わせて頂きます」

「ありがとうございます!ではこちらで書類に記入を」


 そしてまた契約書諸々を書かされる。

 免許証に住所等、やはり時間が掛かる。まあ、1日の内に全て済ませてしまおうとした事に無理があるのだ。致し方無いさと自分に語りかけた。だが、支払いについて現金払いと言った所、本町は驚いた様子だった。リュックサックから分厚い現金の束を見て納得した様ではあるが。


 きっと何故ここでこんなに実用性の無い買い物をしたのか疑問に感じる人も居るだろう。だが言っただろう? これは私の夢なのだから。子供の頃からの憧れも然りだ。


 本町からアフターサービスについての説明も受けた。2年後の車検まで持つかは分からないが、一応聞き流さずに頭に入れた。私がそこまで持たないだろうが……。

 そうして取引を終え、車に乗ってディーラーを後にした。

バックミラーには、名残惜しそうに手を振る本町が映っていた。

私はそんな彼を横目に、夢に向かい走り出した。


 その時の空は、茜色に染まり、白い月がはっきりと見えていた。


 いよいよだ、と呟き、アクセルペダルを浅く踏み込んだ。エンジンは近所迷惑になるほどうるさく唸りを上げた。





 最後までお読み下さりありがとうございます。更新は不定期です。

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