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「なんで、僕」
断る口実が咄嗟には見つからず。
僕はその疑問、を彼にぶつけてみることにした。
真正面に座っている彼をまともに見られずに、少し外して山田君との間ぐらいを見ながらそう言った。情けない話だけれど、そうでもしないと断れる自信がない。
「なんでって、俺、センセのことが好きだから」
さも当然のように「好き」という言葉が上月君の口から流れる。予定していたかのような言葉は、とても自然で、校内放送に似ていた。耳に届いている音声が意味をなすまでに時間がかかる。
それを噛み砕いて飲み干した時には、返答するには不自然な間が空いていた。
こういう時、山村先生だったらなんというのだろう。
山村先生は男子女子関わらず生徒に人気の教師で、こんな風に生徒から含みのない好意を伝えられる事には慣れていそうだ。
僕は初めての出来事に戸惑い、助けを求めたわけではないが山田君の方に視線を向けた。
「描いてもらったらいいじゃないですか」
何か問題でも、と不思議そうに山田君が言う。
問題は大有りだ。
僕を描く、と言うことは絵が出来上がるまで上月君がこっちを見ていると言うことで。放課後に勉強のサポートをするくらいならまだいいが、モデルなんてものは、どう考えても僕の精神衛生上良くない。むしろ、悪いと言い切れる。
というか、無理だ、絶対に。
僕は一度、ゴクリと唾を飲み込んで
「いや、でも、時間がかかるんだろう。僕は絵に詳しくないから分からないけど。それにこれでも先生だから。そう個人的な時間を取るわけには……」
自分では、うまく断ったつもりだった。
上月君は、そうですか。とだけ言ってすんなり引き下がってくれて、僕は胸をなでおろした。山田君が不服そうに、描いてもらったらいいのに、というのを綺麗に無視して先ほどもらった研究計画を見ながら、夏休みの予定を立てたり、詰めの甘いところを指摘していく。
その最中に、チラッと上月君の方を確認すれば、彼はもう参考書に目を落として黙々と問題を解いていた。
そして、山田君が計画書を手に退室した時には、全部元どおりになっているように見えた。
この日、上月君がその話を蒸し返すこともなかったし、そこから更に二問だけ進んで。彼はいつものように美術部へ向かった。
僕以外がいなくなった化学準備室で、僕は緊張を解いた。
締め切った窓の向こうでは、夏の音と運動部の声がする。
夏の放課後は明るい。
時計の針はもうすぐ四時半になるところだった。