再会
もう一つの段差を落ちたところは・・・。
ブーンという音が、薄暗い廊下に響く。
はぁー、やっと帰れる。
由紀恵は、廊下を戻って入り口の戸を開けた。
あれ?
涼しい……?
今度は用心して、戸口から一歩踏み出す。
ストンと落ち込んだ感じがして、外に出ることが出来た。
風が吹いている。少し肌寒い。
セーターを二枚重ねに着たままで、春の陽気の中に座っていた由紀恵は少し汗ばんでいた。
その汗が急激に引いていく涼しさだ。
夏……じゃない…………?
すると、母屋の角を曲がってやって来た人に声をかけられた。
名古屋の敏子叔母ちゃんだ。
「ああ由紀恵、丁度良かった。今日はおばあちゃん、調子がいいみたいで意識がしっかりしてるのよ。家に帰って、姉さんを呼んできてくれない? 午前中はニュータウンの清掃奉仕があるって言ってたけど、もう済んでるでしょ? 叔母さんたちはこれから帰るから、よろしく言っといて」
いつものように立て板に水の勢いで、一方的にそうまくし立てられた。
「わかっ……た。」
ここは、2017年じゃない。
おばあちゃんは……まだ、生きてるんだ。
嬉しいような、がっかりしたような。
変な気分だ。
はぁ、これは山岡君に聞かなくちゃ。
何が何だかわからないや。
由紀恵はおばあちゃんの家を出て、山岡君の家に歩いて行った。
「あれ? 由紀恵よね、今の……」と言っている叔母ちゃんの声は、もちろん聞こえていなかった。
山岡君の家のインターフォンを押すと、「はぁーい!」と応える女の人の声が、家の奥の方から聞こえて来て、しばらく待っていると、玄関の扉がガチャッと開いた。
「あらっ、何か御用かしら?」
「はい。あのぅ……山岡君、山岡誠二君はいらっしゃいますか? 私は、遠坂由紀恵という者です」
「……ええ、いますよ。ちょっと、待っててくださいな」
その女の人は、ニヤリと笑うと、家の奥の方へ駆けて行った。
「誠二っ! 女の子よ! 早くっ、トーサカさんだって!」
いやにハイテンションで呼んでいる声が聞こえる。
……なんか、勘違いされてる?
山岡君は2階にいたのだろう、階段を下りる物凄い音が聞こえてきた。
そしてあっという間に玄関に出て来た。
「……遠坂さん……? えっ、どうして……?」
山岡君は後ろをチラッと振り返ってしかめっ面をしてから、玄関に脱いであった運動靴を素早く履いて、外に出て来た。
「公園に行こう」
由紀恵は、黙ったままズンズン歩いて行く山岡君の後を追いかけて、マルヨシの裏にある公園に行った。
公園のベンチに二人で座ると、やっと山岡君は口を開いた。
「遠坂さん……ちょっと確認するけど、18歳の遠坂さんなんだよな」
「うん。そうだけど……そんなに何人もの私が会いに来たの?」
「いや、そういうわけじゃないけどさ」
「山岡君、また聞きたいんだけど、今って西暦の何年何月?」
「2013年の11月17日。あれからほぼ1年が経ってるんだ」
「あれからって?」
「君が突然、半袖でやって来て、僕の人生をかき回してからさ」
「かき回したっけ? でも、ということは……山岡君は今、19歳なのか。大学生?」
「ああ。安達国立大学の1回生」
「へぇー、さすが桑南高校だね。あったまいいーっ」
「遠坂さん……そんなことより、なんでまたここに来たの? あれから何の音さたもないから元の時代に帰ったんだと思ってたよ」
「私も今朝そう思ったよ、帰れたって。でも……違った。変な未来に行っちゃったの。25歳の山岡君が色々お世話してくれたんだけど……私、18歳の山岡君がいいなーって、思って……」
由紀恵が話していると、山岡君の表情がくるくると百面相のように変わった。
「ちょっと待って! 遠坂さん、どこから突っ込んでいいのか……なにがなんだか、訳がわからないんですが」
「はぁー、頭のいい山岡君がわからないんじゃ、私がわかるわけないよね」
「と、とにかく、一つずつ解明していこう。まず『今朝』ってどういうこと?」
「今朝は今朝だよ。山岡君と別れて、夜におばあちゃんちで寝て起きた次の日の朝っていうこと」
「……もしかして、遠坂さんにとっては、僕は昨日の夕方に別れたばかりっていうこと?!」
「そうだよ。マルヨシの前で家を教えてくれたじゃない。困った時は来てねって。すぐに行ったら迷惑かとは思ったけど……敏子叔母ちゃんが変なことを言うからさぁ。これを説明してくれるのは、山岡君しか思いつかなかったんだもの」
「敏子叔母ちゃん……? まてまて、一つずつ一つずつ。えーと、次は『変な未来』だ。遠坂さんは今朝、未来に行ったっていうことなの? そこに『25歳の僕』がいたんだね」
「そうなの! 待ち構えてたみたいに、そこにいたよ。私はおばあちゃんちの東側の勝手口に止めてた自転車を見にいったんだけどね」
「自転車……?」
由紀恵が、夏の日に止めた自転車を帰る時代の目安にしていることを山岡君に説明すると、やっと納得してくれた。
さっき、未来で25歳の山岡君が話したことを伝えると、19歳の山岡君はひどく驚いていた。
無理もないかも。
未来の自分が話すことなんて、普通の人は聞くこともないよね。
そして「敏子叔母ちゃんが話したことを聞いて、ここが2017年じゃないことがわかった」と言ったら、その話も詳しく説明させられた。
「なんというか……とにかく、そのリュックサックに入っているものに鍵がありそうだね。どこかで確かめたいな。うちは……母さんが勘違いしてるから駄目だな」
「勘違いって?」
「うーん、今日は僕の誕生日なんだよ。だから、女の子が来たっていうことは……わかるだろ?」
「……ああー、そういうことね」
好きな子の家にプレゼントを持って来たって思われての、あのニヤリだったのかー
ということは、私が山岡君を好きだと勘違いされたということよね。
それはちょっと……恥ずかしい。
「お母さんの誤解、解いといてね」
「……うん」
「えっと、マルヨシでお茶菓子でも買ってから、おばあちゃんちに行く? 叔母ちゃん達はこれから帰るって言ってたから、買い物をして帰ったら、たぶんいないと思うよ」
「そうだな。誰かに見られないうちにそうした方がいいと思う」
**********
おばあちゃんちでコーヒーを入れようと思ったら、棚の中にコーヒーの瓶がなかった。
「飲み物は後でいいよ。先にリュックの中身を確認しよう。」
山岡君がそう言うので、リュックの中身を座敷の畳の上に出していく。
まずは由紀恵が入れた食料品の袋と夏服の袋を出す。
それから……これも、食料品の袋?
その袋の中から出て来たのは、インスタントコーヒーだった。紙コップの中にスティック状のコーヒー、砂糖、クリームやプラスチックのスプーンなどが入っている便利製品だ。
ティーバックのお茶と、紅茶の袋が二つずつ。泊まる時に役立ちそうな、歯ブラシやャンプー・リンスなどの旅行用セットも出てきた。
ちょっと……ゾクッとする。
コーヒーがないことを、誰かがどこかで見ていたみたい。
なんでコーヒーがなくなっているってわかったんだろう……
そして、25歳の山岡君が言っていた、写真の袋があった。
しかしこの袋は厳重に封がされていて、袋の表面には「この写真は山岡誠二のみが開けて、おばあちゃんに見せること。遠坂由紀恵は絶対に見てはいけない」と書いてあった。
「これ……僕の字だ。でも書いた覚えはない。これから未来で書くことになるんだろうな」
「おばあちゃんに見せるって書いてある。ということは……もしかして、私の写真なのかな?」
「だろうね。本人が見たら未来を束縛するようになるからじゃないか? ……素人考えだけどさ」
もう一つ分厚い封筒があった。
こちらは親友の長峰恵子宛てだ。
この封筒の上には付箋が貼ってあって、「2014年の8月10日に山岡誠二が投函すること」と書かれている。
この字は……私の字だ。
やだー、なにこれ?
わけがわかんない。
「2014年の夏か……来年の夏だな。わかった、この手紙は僕が預かるよ」
そう言って、山岡君は由紀恵の手からその手紙を受け取った。
「ねぇ、困ったことに2014年の夏って、恵子と私はただの知り合いで、まだ親友って言うほどじゃないんだけど……」
「んー、何か考えがあるんだろう。おかしな話だけど、未来の指示に従うしかないさ」
未来の指示?
そして、度重なる時の段差。
時は、未来は、私に何を求めているのだろう……?
謎が謎をよんでいますね。