おばあちゃん
おばあちゃんの病院です。
病院に行くと、山岡君が「ちょっと、トイレ」と言ってトイレに行ったので、由紀恵も行っておくことにした。
用を済ませて個室のドアを開けたら……うちのお母さんが手を洗っていた!
慌ててバタンとドアを閉める。
ひぇーー、危機一髪。なんでこんな時間に病院にいるの?!
外の様子を伺いながらしばらく待っていると、お母さんがトイレを出ていくような足音がした。
そろりとドアを開けると、誰もいなかった。やれやれー
廊下に出る時も顔をうつむきがちにして、下の方からこっそりと周りの様子を伺っていると、山岡君が「どうしたの? 気分でも悪い?」と側に寄って来た。その腕をつかんで、とっさに植木の陰に引っ張り込む。
「うちのお母さんがいたのっ」
小声で叫ぶと、山岡君は周りを見渡したようだった。
「もしかして……お母さんって、黄色のカーディガンを着てる?」
「何で知ってんのよ!」
「遠坂さんが出てくる前にトイレから出て来た人が、今、エレベーターを待ってる」
「おばあちゃんの病室は五階なの。たぶん、お医者さんにでも呼ばれたんじゃないかな。普段なら仕事に行ってる時間帯だもん。なにかあったのかしら? んー、12月22日か……思い出せないなぁ」
「……中一の、終業式の日だよ」
「終業式ねぇ……もしかして、風邪をひいて熱を出した? 一度、冬にそういうことがあったのは覚えてる。でもそれが12月だったのかどうかは忘れた」
「どうする?」
「はぁー、そうだね。待った方が正解かも。お母さんが帰ってから病室に行ったら、鉢合わせする危険がないでしょ? 待ってみるよ。ありがと山岡君、もう帰っていいよ。付き合わせて悪かったね」
「ここまで付き合わせて、それはないだろ。最後まで付き合うよ。おばあさんの名前と病室番号を教えて」
「どうするの?」
「偵察してくる」
山岡君、なかなか頼りになる相棒だ。
彼はスパイのような冷静な顔をして、由紀恵にロビーの隅っこの方にいるように言い渡すと、エレベーターに乗って行ってしまった。
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由紀恵が顔を隠すように雑誌を広げて、待合室に座っていたら、エレベーターを降りてきた山岡君が、こっちに歩いて来た。
「お待たせ。今、お母さんは帰ったよ」
雑誌の影から玄関の方を覗くと、駐車場に歩いて行く黄色いカーディガンがちらりと見えた。
「ありがとー、助かったよ。で、何しに来てたのかわかった?」
「お医者さんとの話の内容まではわからなかったけど、病室は面会謝絶になってた。さっきの予想が当たってたんじゃない?」
「面会謝絶か…… じゃあ寝てるとこでいいから、顔だけ見て帰ろうかな」
「そうだね、意識のない時の方が混乱させないかも」
「なんで?」
「……君、わかってる? ここにいる遠坂さんは、髪の短い元気な遠坂さんでしょ」
「そっか」
この後、二人でこそこそとナースステーションの前を通って、おばあちゃんの病室に滑り込んだ。
薄暗い病室の中に入ると、はぁはぁという苦し気な荒い息が聞こえてきた。
「おばあちゃん……生きてる」
「ん……誰? 由紀恵かい?」
え、起きてた?!
「……そうだよ。面会謝絶だから側に行けないけど、お見舞いに来たよ」
「そうなのー、はぁ、はぁ……ありがとう。ばあちゃんは……こりゃあ、年貢の納め時みたい、だ、よ。由紀恵が大きくなって、成人式をする時や、結婚式を挙げるのを、見たかったんだけどねー……はぁ、はぁ」
「そんなこと、言わないでよぅ。頑張って、生きててよぅ」
「んー、由紀恵がそう言うんなら……もうひと頑張りしてみるよ。早いとこ結婚してよ」
「ふふっ……ん、私も頑張る」
「ははっ……ごほ、ごほっ。ガッ、ゴホッ……んんっ、んーんーーー」
息が、詰まってる?!
「おばあちゃん?!」
「ナースコールをしたほうがいい!」
「わかった!」
山岡君に言われて、おばあちゃんのベッドの枕元にあったスイッチを押しに行った。
看護士さんが二人、慌ててやって来た。
「吸引!」
「すみません、処置をするので出てください」
「はっはい。お願いします」
大丈夫だろうか。
山岡君と二人で病室の外に出たのだが、何かしてあげたいのに、どうしていいのかわからない。
「なあ、心配なのはわかるけど、俺たちは帰った方がいいと思う。君が知ってるおばあちゃんは、まだ……そのう、死なないんだろ?」
「……ん」
「ここで、君が孫だってバレたらヤバいんじゃないか?」
「そっか、そうだね」
重い足を引きずって長い廊下をとぼとぼと歩いて行き、なんとかエレベーターに乗り込んだ。
「おばあちゃーん。ふぇ~ん……」
由紀恵がグスグスと泣きだしたので、山岡君が遠慮がちに背中を叩いてくれた。
そのぎこちない手が、たまらなく優しい。
「ご、ご、め……ん、ヒック、わかって、たのに……」
「ん」
病院を出て、自転車を押して歩いているときも、山岡君は黙って側にいてくれた。
わかってた?
私がこうなるとわかってて……残ってくれたんだ。
山岡・・・いいやつ。