わけのわからない状態
叫んで止まってくれた人に聞かなければならない。
家の前の道から庭を覗いていた人は、高校の制服を着た男子生徒だった。
出来たら親切なおばさんとかが良かったんだけど、とりあえずこのわけのわからない状態を教えてくれる人だったら、もう誰でもいい。
夏休みに雪なんて降るわけがない。
なにかとんでもないことが起こっているに違いない。。
身体中がぶるぶる震えているのは、ただ寒いだけではない、怖いのだ。
「あの、どうかしたんですか?」
雪が降っている中、半袖のTシャツに短めのジーパン、そしてサンダルを履いて出て来た由紀恵を、その高校生は怖々と眺めている。
どうやら由紀恵は頭のおかしな人に認定されているようだ。
それでも彼は、親切に留まってくれている。
「すいません、ちょっと教えて欲しいんですけど。ここって、どこ……いいえ、今はいつなんですか?」
「は?」
「ああー、聞き方がマズかったか。まずは……挨拶。あの私、遠坂由紀恵といいます。秀華高校の三年生です。コホン、それで……今が、西暦何年の何月何日か教えて欲しいんですけど……」
「はぁ? 2012年の12月22日ですけど……あ、僕は……」
その人が自己紹介もしてくれているようだったが、由紀恵は衝撃を受けていたのでまったく耳に入っていなかった。
2012年ですってー?!
5年も前じゃん!!
一体全体、どういうことなわけぇー???
「す、すいません。もう一度言ってくださいっ!」
「山岡誠二。桑南高校の3年です」
桑南? あったまいいー
「いやそうでなくて……西暦って、2012年って本当ですか? 私を揶揄っているとかではなく?」
その山岡君とやらはムッとした顔をして、もう一度、由紀恵に噛んで含めるように言った。
「本当です。今年は2012年ですよ。遠坂さんって言いました? 今日は終業式でしょう、行かなくていいんですか?」
「いえ、私は夏休みで……」
由紀恵がそう反論すると、山岡君は一瞬口ごもったが、子どもに諭すように優しく話し出した。
「確かに一見して、そんな感じに見えますけどね。……寝覚めでも悪かったんじゃないですか? 家に入って着替えたほうがいいですよ……寒そうだし。じゃ、僕は学校がありますから」
それだけを由紀恵に伝えると、義務は果たしたとばかりに、山岡君はそそくさと去っていった。
どうしたらいいんだろう…………
もしかして、これってタイムトラベルなの?
それとも異世界転移?
由紀恵は家を眺めてみた。
やっぱり、おばあちゃんちだよね……
ということは、タイムトラベルの方が可能性が高いのか……
でも、でも、何でこんなことになってんのよーーっ?!
誰か……他の誰かに、もう一度、聞かなくちゃ信じられない。
あ、でも5年前っていったら、おばあちゃんがいるじゃん!
あれ?
そういえば、おばあちゃんって、いつ入院したんだっけ??
そんなことを考えているうちに、身体中がガタガタと音を立てて震え始めた。
ヤバい、風邪をひく。
とにかく家に入ってみよう。考えるのはそれからだ。
**********
家の中は埃っぽくて、ガランとしていた。
人がいる気配は全然ない。
由紀恵はおばあちゃんの衣装ダンスから冬服を拝借した。
おばあちゃんはLLサイズなので、由紀恵にはぶかぶかだが、今の夏服よりはマシだろう。
寒いのでハンガーにかかっていた半纏も羽織り、台所に行く。
なんとかガスが点きますように。
ガスの元栓を緩めてスイッチを押すと、ボッと音を立てて青白い炎がついた。
「やれやれ、これでお茶が飲めるわ」
由紀恵は戸棚からコーヒーの瓶を取り出して、お茶の用意をした。
ミルクを探して冷蔵庫を開けると、庫内にはほとんど何も入ってなかった。
「これ……動いてない」
ということは、おばあちゃんはここに住んでいないということだ。
泣きそうになるのを堪え、由紀恵は歯を食いしばって戸棚を次々と開けていく。
その棚の中を見て思い出した。
「これ、最初の片付けをした後だ」
おばあちゃんは春先に倒れた。
しばらくは通院していたが、病状が進み、冬の初めに入院した。
入院が長くなりそうだからと、缶詰などの賞味期限が長いものだけを置いて、生ものや日持ちのしない食品類を片付けたことがある。
あれは中一の二学期の……期末テストの後だったな。
母親に言われて、寒い中手伝わされたことを思い出した。
……ということは、あの男子生徒が言った通りだったのか。
お湯が沸いたので、由紀恵はコーヒーを飲むことにした。ミルクが無いので砂糖を多めに入れる。
「ふぅー、やっと少し震えが収まったきた」
落ち着いて考えなきゃ。
何とかして元に戻りたい。
しかし、まずは食べる物だ。
ありがたいことに、雨風を防ぐ家と着る物はある。
しかしここにある乾物類と缶詰だけじゃ、心もとないな。
乾物の煮込み方なんて知らないよー
こんなことになるのなら料理を習っておくんだった。
どっかにお金がないかな。
昼間のうちに何か買って来ておいたほうがいいかも。
この時代の、家に帰る?
よく知らないけど、その当時の自分と会ったら爆発が起きるんだったっけ?
タイムパラドーとか何とか言ってたな。
もうっ、SFなんて普段、読まないからわかんない。
でも家に帰って何かおかしなことが起きて、元の時代に帰れなくなったら困る。
よし、おばあちゃんのカバンを物色させてもらおう。
非常事態だもん、いいよね、おばあちゃん。
お茶を飲み終わると、由紀恵は布団とコタツを探した。
出かける前に、温もりを確保しておきたかったのだ。
この懸念はすぐに払しょくされた。
叔母さん一家がたまに泊まりに来るので、客間の押し入れに何人分もの布団が入っていたし、電気コタツも見つかった。
雪で停電するかもしれないし、何が起こるかわからないので、座敷に一人分の布団を敷いておく。
次に由紀恵は、おばあちゃんの私物が置いてある蔵の中の寝室に行った。
ごちゃごちゃと物が入れられている三段ボックスの上に、見たことがあるカバンが置いてあった。
おばあちゃんのカバンだ……
懐かしい匂いのするカバンを開けると、中にパッチワークの財布が入っていた。
「やった、財布があったぁーーー!」
よかった。
しかし財布の中を確かめてみると、2342円しか入っていない。
おばあちゃん、もっと入れといてよ。
でもそんなことを言ってても仕方がないか。
まさか、この財布だけじゃないよね?
あちこち探したが、これ以上の現金は見つからなかった。
通帳もない。
もしかして、お母さんが金目の物を持って帰ってるのかな?
あり得る話だ。
長期間留守になる家に置いたままにしていたら不用心だと思ったのかもしれない。
あーもうっ、お母さんったら変なところで細かいんだからぁ。
これだけだと切りつめても2、3日だね。
これは、危険を冒してでも自宅に忍び込むほかないのかもしれない。
もう、なるようになれだ。
由紀恵はおばあちゃんの厚手のコートを着て、外出することにした。
ブーツは……入った。
こんなところでおばあちゃん似のありがたさを噛み締めることになろうとは思わなかった。
おばあちゃんと靴のサイズが一緒だったんだ。
知らなかったよ。
傘をさして通りに出ると、前方から見たことのある学生服が歩いてきた。
やった、この人を見張りに使おう!
「すいません。山……くん?」
あれ? 山……なにさん、だっけ?
その学生は、由紀恵の顔を見て「またか」と小さい声で言った。
「山岡誠二。また今度は、何の用ですか?」
「ちょっとだけ、ちょっとだけでいいですから付き合ってくださいっ。一生恩にきます!」
「恩って…… はぁ、しょうがないな。何なんですか? 付き合うことって」
この時、由紀恵は気づいていなかったが、この山岡くんにはこれから先も、多大なる迷惑をかけることになるのである。
山岡君・・・頑張って。