病院からの謎
病院へ・・。
おばあちゃんの自転車は、より一層古びていた。
前の車輪はパンク寸前で、ごつごつした地面の感触が伝わってくる。
熱を持ったアスファルトにペタッペタッとタイヤのゴムが引っ付いているような音が聞こえてくる。
由紀恵は恵子の自転車に追いつこうと、必死にペダルを踏んでいた。
病院に着くと「ここで待っていて、迎えに来るから」と恵子に言われて、由紀恵は大人しく一階のロビーで待っていた。
20分ほど経っただろうか、ようやく恵子が迎えに来てくれたので、独りでおばあちゃんの病室に入って行った。
おばあちゃんは、昨日よりももっと小さくなっていた。
由紀恵が声をかけると、大儀そうに瞼を開けてくれた。
「…………ゆ……きぇ。よかっ……た。あえ、た。」
「おばあちゃん、写真……見れた?」
由紀恵が尋ねると、おばあちゃんは顔中をくしゃくしゃにして嬉しそうに頷いた。
その笑顔が最後だった。
それからおばあちゃんは、昏昏と寝入ってしまった。
ゴロゴロと喉の奥の方からから音がする。なんだかいびきに似ている呼吸をしていた。
由紀恵は、おばあちゃんのカサカサした手をしばらくさすり続けていた。
何分経ったのだろう、ドアを軽くノックする音がしたので応えると、廊下にいた恵子に呼ばれた。
「遠坂さん、エレベーターの音がしたから、帰った方がいいと思う」
「わかった。おばあちゃん……さよなら。きっとまたどこかで会えるよ、ね」
由紀恵が、おばあちゃんの方を何度も振り返りながら病室を出ると、廊下の向こうにお母さんたちの姿が見えた。
恵子と由紀恵はすぐに背を向けて反対方向に歩いて行き、そこから北側の通路に逃れて、エレベーターを使わずに階段を下りて病院を出た。
「じゃ、遠坂さん、私はここで帰るわ。それと……これから、山岡君の家に行ったほうがいいわよ」
恵子はそんな謎の言葉を残して自転車に乗って帰っていった。
その背中に「ありがとう!」と声をかけると、振り向きもせずに手だけを振って去っていく。
恵子って、昔から行動が早いのね。
**********
重たくなった気持ちを抱えたままキーキーと鳴るペダルを踏んで、由紀恵はなんとか山岡君の家にたどり着いた。
さっきおばあちゃんの家の前を通り過ぎる時に、チラリと庭を眺めたのだが「やっぱり私がこの家を継がなくっちゃ」という思いを新たにした。
なんだかこの家に毎日来てる気がするなぁ。
山岡君の家のインターフォンを鳴らすと、「はーい」という低い声がして、直ぐに扉が開けられた。
「今日、だったんだね」
そこには優しい顔をした山岡君が立っていた。
「山岡君っ!」
彼の顔を見たら、気持ちが緩んでしまった。
じわじわと由紀恵の目に涙が溢れていく。
山岡君は由紀恵の身体をすっぽりと抱え込んで、よしよしと背中を叩いてくれた。
安心する。
また少し大人びた山岡君がそこにいた。
泣きぬれた由紀恵が顔を上げると、山岡君は大きな手で由紀恵の頭をポンポンと叩いてくれた。
「少しは落ち着いた? 家に入って。今日は誰もいないから」
「うん……」
この時、由紀恵は初めて山岡君の家に入った。
よその家の匂いがする。
2階の山岡君の部屋は、とても綺麗になっていて、掃除をしたばかりのようにみえた。
……まるで私が来るのがわかってたみたい。
「わかってたの? 今日来るって」
「いや、今日だとは確信がもてなかったよ。でもニ、三日内だとは思ってたけどね」
「なんで?」
「そりゃあ手紙の投函日から考えたら、だいたい予想がつくだろ?」
「そっか……待っててくれたんだ」
よかった、恵子に言われた通りにして。
「それで、おばあちゃんの病院に行ってきたんだね」
「うん、恵子が写真を見せたみたい。おばあちゃん、喜んでた」
「……そっか、良かったな、間に合って」
「うん……そうだ、山岡君、今日何日?」
「恵子さんに聞かなかったのか? 今日は2014年の8月13日だよ」
「そうか……おばあちゃんの命日の前の日だ。明日……」
「もう考えない! 喜んでくれたことだけ覚えていよう」
「……そうだね」
「それより、遠坂さんにとって昨日は僕の19歳の誕生日だった?」
「うん、そうだけど」
「プレゼントありがとう。……武志が持って来たのには、凹んだけど」
「どうして? ボールペン、気に入らなかった?」
「いや、そういうことじゃないんだけど」
じゃあ、どういうことなんだろう?
「えっと、遠坂さんは、過去に来た時におばあちゃんの家に一晩泊まってから帰ってるの?」
話題を変えたな。
ま、いいか。
「そうだね、そう言われればそうしてる」
「じゃあ今日は、このまま帰った方がいいと思うな。明日……のことがあるんだったら、叔母さんたちがまた泊まりに来るんじゃないの?」
「ホントだぁー、気が付かなかったよ。教えてくれてありがとう。やっぱり山岡君は頼りになるね!」
「ううっ……役に立ててるんだったら、よかった、よ」
「今はまだ19歳の山岡君だね。でももし、今度のスライドで元の時代に帰れたら、山岡君は……ええっと、23歳?!」
「いや、夏だったらまだ22歳だ」
「うわーっ、それでも大人だ。18歳の私とは年が違いすぎるけど、また訪ねて来てもいい?」
「ああ、待ってるよ。ちなみに最初にこっちへ来た時って、向こうでは何日だったの?」
「ん? なんかいろんな日にちを聞いたからなぁ…………7月の、たぶん30日だったと思う」
山岡君は「そうか」と言ってボールペンで手帳に日にちを書いていた。
あ、昨日買ったボールペンだ。使ってくれてるんだな。
山岡君の大きな手の中で、ボールペンがニマニマ笑っている気がした。
**********
山岡君の家を出てから、由紀恵はおばあちゃんちでまた今朝と同じように出立の準備をした。
蔵の中でブレーカーを上げる。
パチッと、赤い火花が散った。
ブーンという音が、前よりも心持ち大きくなった気がする。
大丈夫かな、これ?
ちょっと酷使し過ぎてるんじゃない?
薄暗い廊下を歩いて戸口まで行くと…………そこは、眩しい陽光に包まれていた。
蔵の戸を開けると、ムワッとした熱気が入って来る。
夏、だね…………
帰れたのかなぁ?
足を踏み出すと、やっぱりヒヤッとした。どうやら段差はあったようだ。
母屋の角を曲がって、東の勝手口を見ると…………
ないっ! 自転車が、ないじゃん!!
どーゆう事?!
まさかまだ、帰れてないのぉ?
・・・何が起こったんだ?!




