少女病
はあ、と一つ。もう一つ。
人狼少女は自室のベッドで頬杖をつきながら、物憂げに溜息をつく。
自分の短気が起こした行動の所為で、この様な事になってしまった自覚は……ある。思い返しては、嘆息をもう一度。
元々彼女は、内省的な性格であったのだ。自身を律する為に、理想となる人格像を両親に尋ねてその通りの娘であろうとするくらい、ガロンは自分に厳しい。
……とは言え現在、両親から求められているような存在になれていない自分というのには、情けなさを。そしてそれ以上に、正直なところ息苦しさも感じている。
父母は、そろそろ身を固める準備をして欲しいと望んでいるし、それに従えない理由であったディアボロでの勤めは、アロマに穀潰し扱いされて。部下は慕ってくれる者こそいるものの、若年ゆえに侮られることもある。
……アロマに対して、過剰に反発してしまったのは、その所為でもあるのだ。
周囲からの期待、失望、そのほか、色々。疲れてしまったというよりは、溜め込んでいたものが爆発してしまった、という部分もあるのだろう。何より、それとは別に、最近自分の心を煩わせる様になった心当たりも一つあるし。
しかし、ディアボロ、そしてクリステラの存在。それらは、自分の身を粉にして尽くしてなお余るものだとそう信じている。
以前父に連れられて初めて謁見した時に、クリステラはこう言った。
「我々が、誰にも疎まれずに済む世界を作ろう。我々自身で」
その尊い姿に、ガロンは憧れたのだ。それに、彼女は口調こそ女性的ではなかったものの、自分にはない女らしさを感じた。クリステラはまさしく自分の憧憬の対象だった。
……あるいは。昔揶揄をこめて良く言われた、『男女』という侮蔑表現。
ああ、思い返すだに腹が立つ。
今でこそこんな言葉を言った相手を殴り飛ばす力を持っているが、自分は結局、この言葉に対するコンプレックスの払拭を彼女に求めていたのかもしれない。女性らしくなくても、誰かに認めてもらうことが出来る、と。
……いや、違う。自分はまだ嘘をついている。
女性らしくなれると。そう思って、そして、そうなりたかったんだ。
自分に嘘なんか吐けやしない。
自分は、自分の女らしさに未練があったんだろう。
魔族や獣人という神に拒まれた存在としてだけではなく、自分は、自分を認めてくれる世界を求めて未だにあがいているのだろう。それこそ女々しく。
自分は男になんかなれなかった。父のようには、なれなかったんだ。
だのに、母のように、女らしい女にもなれていない。
ガロン・ヴァーミリオンは、宙ぶらりんのままなのだ。
そして、そんな欠陥だらけの自分を認めてくれるかもしれない相手が、クリステラとは別に現れてしまった。
ナイン。
あの、人間だ。
自分達人狼は、もともと力に重きを置く種族。
一族の中でも、最も強い戦士こそがヴァーミリオンの名には相応しく、それ故父はその名に恥じない戦士であったし、一族で最も美しいと称された母を娶ることを許された。
……自分は、そのヴァーミリオンの名を汚したくは無かった。でも、女だから、男ほど筋力がつかないから、両親は結局他所の家から強い戦士を婿として迎えようとしていたのを知って。
……今更、そんなこと。自分は、父のような戦士になることを目指して生きてきたのに。
今更母のように、家で夫の帰りを待つような生き方は、出来やしない。
だから誰よりも強くなる努力をしたし、事実今の人狼の中で自分より強い戦士は一人もいない。
それでも、両親は言うのだ。
ヴァーミリオンの血筋を絶やさないために、母となる準備を始めろと。
……女は、元々、子を宿すのが務め。敵を打ち倒すのは、男の仕事。家に入る覚悟を決めろと、ここに戻ってきた時に両親に言われた。今回の謹慎はいい機会だから、結婚相手をじっくり探せ、とも。
人間よりは寿命が長いといえど、魔族ほどではない獣人は、その点の考え方は人間と似ているらしい。
それとも、自分が人狼社会の外に出たからこんな事を考えるのだろうか。
……嫌だ、結婚なんて。
自分は所詮、ヴァーミリオンの名を残すためだけの存在になるのか。
なら、せめてガロンという存在を残したかった。跡継ぎを生むだけじゃなくて。
夫を支えた妻、という形じゃなくて。
母は尊敬しているけど、自分にはもうそんな生き方、許容できないのに。
自分は、自分なのに。
……厄介なのは、それでも、両親のことをこの上なく愛しているところなのだろう。一人っ子である自分に彼らが望む生き方をするのは、やはりこれは、摂理というものなのだろう。
理解は出来るけど、納得は……そう、いつだってそれが難しい。
未だ割り切れない想いを抱えたまま、思索から現実に戻ってきたガロンは、先ほどから少々騒々しかったことに今更気付いた。
確認のために、二階の自室から階段を降りていく。
「お母様、お客様ですか?」
そう、母が喜ぶ言葉遣いを無理に取り繕いながら、応接間に繋がる扉を開けると。
「そうか、アイツ、城じゃそんな感じなのか!」
「ええ、皆に慕われとりますわ」
父とピュリアが、楽しげに談笑していた。
思わずガロンは足を滑らせて転んだ。
――尻餅をついたまま、ガロンさんは一瞬だけこちらに目線を向けた。
久しぶりに見たガロンさんは、アロマさんとのキャットファイトの後にしては……といっても、僕自身は現場に居合わせなかった訳だけれど、とまれ、思ったより元気そうだった。
そう言えば、ピュリアさんだってガロンさんとごたごたしたらしいけど、それにしてはあの小鳥さん、ここに来る際もあんまし気にしてない感じだったから、一緒に来てもらったわけだけどさ。
まあ、それはいいとして。
ガロンさん、少しだけ痩せちゃったような印象も受ける。それは、彼女の表情によるものなのかもしれない。
淋しそうな、そんな目。まさに子犬の目をしていたけれど、それは一瞬で消えた。
「おう、降りてきたか。城からの迎えだってよ、偉くなったもんじゃねえかお前も」
ガロンさんのお父さん、いやお義父さん、いやいやお祖父ちゃん。
どう言っていいものだか分からないからパパンでいいや、彼がそう口にした。
それに対して、はしたない態勢から立ち上がったガロンさんは沈黙で返す。
ただ、ピュリアさんに向かって、のそり、と歩き出した。
「お邪魔しとりますわ。いやあ、お茶、ご馳走さんになってます」
「……いいから」
そう言って、ガロンさんはピュリアさんの肩を掴み、押し始めた。
窓に向かって。
「ちょちょ、そんな、ウチ別に隊長の恥になるようなこと言っとらんですよ?」
「いいから」
尚も押し続けた。
「ま、待って、待ってくださいて、何するん」
「いいから」
更に押し続けた。
窓に近づくと、ガロンさんは黙ってそれに手をかけ、開く。寒風が部屋の中に入り込んできて、思わず震える。
「ちょま、ちょい、洒落にならんですって! ウチ凍えちゃう!」
「いいから」
「は、話を聞いて! や、いやホンマこれ無理寒いし」
あーっ、と。悲鳴を残し、彼女は落ちていった。
一階部分にあたるとはいえ、やや高めに位置しているから、一般家屋の二階相当の高さはありそうだ。
ピュリアさんは、墜ちたのだ。まるでイカロスのように、やんごとない者の怒りに触れて。
いい奴だったのに。いなくなった者は皆いい奴さ。
惜しい人を亡くしたもんだ。
……何だかんだで、やっぱり恨みを買っていたのかしらん。
ピュリアさんを失ったやりきれなさを振り切って、僕はガロンさんに向き直る。
「お久しぶりです、ガロンさん」
「……ナイン」
ガロンさんとは、出会い自体がそれほど昔の事でもないのに、体感として、もう、彼女とは随分会っていないように感じた。
それは、こんな地の最果てにまで来てしまったからでもあるし、彼女を少しは理解できていたつもりだったのに、全然そうじゃなかったから彼女が謹慎を受けてしまっているという現状の所為でもある。
だけど何より、いつも自信たっぷりだったガロンさんが、僕の顔を見ようとしてくれないからというのが一番大きい。
目の端に僕の姿を入れるだけで、直視しようとしない、そんな姿は初めてで。
全く以って、らしくない。
「……ほら、これ読んであげてくださいな。皆心配してるんですよ?」
そう言って僕は、アロマさんから受け取った手紙を渡す。
仕事が滞る(と言っても、気の毒なことに、実際はガロンさんがいなくても業務は回るらしい。建前上の話である)のもそうだが、彼女達が心配しているということを切々と説いた名文である。
今の僕は、正直アロマさんと直接顔を合わせるのが憚られたので、ピュリアさんを介して受け取ったものであるけれど。
読んでも構わないという事だったので、中身をちらっと見せてもらったのだ。
そんなお手紙を、ガロンさんは手にとって。
ビリビリ。
「何してんのぉ!? ガロンたん何してくれてんの!?」
「……知らねえ。もう帰らない。オレはもうこっちで暮らす。お嬢にもそう言っておけ」
そんな無茶苦茶を言うガロンさんに、思わず面食らう。
ちなみに、ガロンさんのパパンとママンは、一連の流れについて行けずにぽかんとしていた。
そんな微妙な空気の中で。
「ほう、随分無責任やんな、隊長」
小鳥さんが颯爽と窓から帰ってきた。
今気付いたが、窓が開けっ放しだから室温がガンガン下がってきている。
「隊長、自分の立場っちゅうモンを……ちょ、ちょっとナイン何を、押さんでよ」
今いいから。ピュリアさんは今ちょっといいから。
「はいはい」
「はいはいやなくて、折角戻って来たんに! そ、外、寒くてたまらんのよ!? ホラ見てみ、唇真っ青!」
「はいはい」
「あ、あ、やめやめ落ちるあぁーッ!」
悲哀の篭った叫びを聞き流す。
静かになったところでもう一度ガロンさんを見ると、今にも泣きそうな顔でこちらを睨んでいる。
……改めて、彼女の格好に目をやる。タンクトップとズボンの上に羽織ったガウン。不ぞろいな姿。不ぞろいなお母さん。
大きく、年齢相応以上に盛り上がった胸が、彼女の無意識の、本音の部分を自己主張しているかのようで、哀れ。哀れ。
……でもさあ、まったくもぉう、ママらしくないなあ。
折角息子になってあげたんだから、ちゃんとお母さんしてよね。
僕も、君を女にしてあげるからさあ。ずうっと憧れてたんだろ? お嫁さんにさぁあ?
くく、くひひ。お嫁さん、お嫁さん? 将来の夢は、可愛いお嫁さんってか?
かわゆいねえガロンちゃん、ふ、くく。
馬鹿げてら。
いやいや、人の夢を笑うもんじゃないわな。そもそも僕が人の事言えた義理じゃないんだし。
愛しいね。あー、愛くるしい。
愛してる。愛してるよ、ガロンさん。うぇっへへへ。
「アロマの奴、直接来る勇気もねえくせに。こんな紙切れ一つで機嫌取ろうってか? ふざけんなよ……」
……およよよ、随分ご機嫌斜め。まだ頭が冷えてないのかしら。
「……そりゃ、ちょっと言いすぎですよ」
「人を殴った挙句に謹慎させといて、自分のやったことは知らぬ存ぜぬか。アイツもいい身分だな」
まあ、実際いいご身分だしねえ。宰相さんだよ?
……それにしたって、随分彼女らしくもない陰湿な言い方するもんだ。
こんな寒いとこに閉じこもってたから、精神的に落ち込んじゃったのかな。それとも実家に帰ってきたから甘え心が出てきたのん?
とりあえず、当たり障りのない言葉でお茶を濁しとこうかな、と。
「いや、あのお人も忙しいんじゃないですかね? 何せ宰相さんですし。あんまり我侭仰らないでくださいな。貴女らしくないですよ?」
そんな言葉を放った直後のこと。
次いで、一緒に帰りましょう、とそう口に出す寸前。
「お前も!」
彼女は激昂した。
「お前もオレをそんな眼で見るのか! 我侭か、ああ、そうかよ! 悪いのはいつもオレってか! 何がオレらしくってんだ、ざけんじゃねえ!」
ひええ、ヒステリーだ! たまったもんじゃないや。
女の人は、これが一番怖いってティア様が言ってた。
自分のことを棚に上げて。
「そ、そんなに怒らないで。ほら、落ち着いて? ね?」
「もういい、お前も失せろ、失せやがれ!」
ざわり、と赤毛を逆立てながら、暫く黙ってこちらを睨んでいたが、僕としても引く選択肢は無い。
そんな様子を見て取ったのか、舌打ち一つ、ガロンさんは応接間の扉を乱暴に開け放ち、階段を上っていった。おそらくは、自室へ戻っていったのだろう。
……あー、怖かった。
なーんでアグスタに住む人たちって、みんな情が強いのかね。




