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ヴァーミリオン領

「いやあ、ヴァーミリオン領は強敵でしたね」

「せやな。もうちっとでウチら……」

「いえ、そこはもう忘れましょう。僕らは生きてたどり着いたんだから」

「そうね……まったく、でも、大変やったなあ」

「ええほんとに。途中で吹雪にあって、洞穴に逃げ込んだ時なんか大ピンチでしたもん」

「ああ、でももう過去の事やから忘れよ? ウチらは無事に辿りついた。それでええやん」

 

 いやいや、旧世界では大人気だったと噂の活動写真にでもしたら大ヒット間違いなしの一大スペクタクルだったんだけど、それを記しきるには余りにも余白が足りないのが残念であるなあ。

 

 それは良いとして、ガロン産地、違った、ガロンさん家ですよ。

 

「おっきいですねー」

「きれいねー」

「寒いよねー」

「せやねー」


「……で、どないして入ります?」

「どないして入ろうかね」

 

 こんなやり取りも、なんか前にやった覚えがあるけれど。

 

 流石にディアボロの拠点であるクリスの城と比べればやや慎ましいが、この建物を質素と表現すれば世の中の建物は殆ど質素と言って差し支えなくなってしまう。

 つまりは大豪邸である。だって、敷地を区切ってる柵からお家まで十分以上歩かなきゃたどり着けない家ってどうよ。

 

「いやでも、ヴァーミリオン家は質実剛健を旨としとるし、これでもネームバリューから考えたら小さい方やないの? アロマ様のご実家はこれの倍以上あるらしいで」

「うへえ」

 

 お金ってのは、あるところにはあるもんだあね。

 さびしん坊だから、お金がない人の所には寄ってこないんだよね。

 

「お貴族様の邸宅にお邪魔する時の作法、一応教わってはいるんですけどね。実地は初めてなもんで自信はないんですけど……ピュリアさん、やったことは?」

「ウチ、そんなんよう知らんわ。そもそもシャイターンの生まれやし、こっちの作法は未だにさっぱりよ」

「なら僕がやりましょう。けど、とりあえずは敵意がないことを示しましょうよ。でないとホラ」

「……なんかなあ、向こうから狼たちがこっちを美味しそうに見とるもんな。番犬代わりやろか」

「ピュリアさんは飛べるから良いかもしんないですけど。僕なんか彼らにぺロリされちゃいますよ」

「訓練された群れは結構手ごわいからな。一応ディアボロから遣いを送るっちゅー連絡は行っとる筈やし、堂々と入ればいいんちゃう?」

「じゃあ運んでくださいな。だってあのワンコたち超怖いもん。疲れちゃったし」

「疲れたって何が、あんたずっとウチに運ばれてただけやんか」

 

 まあええけど、と、ピュリアさんは僕の両脇に通した革紐を掴み、再び空に舞い上がった。

 

 澄んだ空気、冷たい風が、頬を撫でるこの感触。

 

 ひゅう、と風を切って飛ぶ……というか運ばれるのは、ティアマリアでの経験もあり、随分と慣れた気もするが、如何せん背筋がぞわぞわするのは止められない。ピュリアさんのちょっとした気まぐれ……この状況からポイッと放り投げられるだけで命を失う人間には、どうやっても見ることの出来ないこんな景色を日常としている彼女たちと、本当の意味で理解しあうのは実際僕なんかが思う以上に難しいことじゃないんだろうか。

 

 だからこそ、寄り添う努力は尊いんだ。きっとね。

 


 ……でも、もし、万が一。魔族や、人間や、獣人達。皆が差別なく、お互いを認め合って生きていける世の中が来るとしても、それは十年や二十年、百年や二百年じゃ、足りない。


 何より、十年前の時点でそうでなかった・・・・・・・なら、僕にとっては毛ほども価値のない妄想だ、そんなものは。

 

 ……とは言えなあ。理解、か。

 彼女のくれたこのマフラーは、暖かい。彼女もきっと、僕に寒さを感じて欲しくないから、プレゼントしてくれたんだろう。それも、小さな理解の始まりなのかも。



 でもさ。

 そっくりなんだ、この模様。   婆ちゃんのくれたマフラーと。

 あれ、爺ちゃんだったかなあ、どっちだったっけ……。

 どっちだったかすら、いや、名前も忘れてしまったんだ。誰かからマフラーをもらったのは覚えているのに、どんなマフラーだったかも覚えていたのに。それを破いてしまって、酷く罪悪感に駆られた事も忘れていないのに、それをくれた人の記憶だけがすっぽり頭の中から抜けていたことに気付いてしまった。


 ……どんどん、どんどん、僕の中から大事なものが無くなっていく。

 

 ティア様。

 ティア様。

 

 僕は、貴女と再会した時に、きっと後悔するって、自分で言ったよ。言ったさ、確かに。

 言ったけど、やっぱり僕は駄目な奴なんだ。臆病者なんだよ。

 所詮はかっこつけなんだ、僕なんか。

 

 怖いよ。

 大切だった筈の人なのに、その人の事が思い出せなくなってきた。思い出がガリガリ何かに食いちぎられたみたいにさ、そこに穴が開いてるんだ。

 それがどんどん広がってきてるのが分かるんだよ。

 

 怖い。

 僕はこのまま行くと、何も思い出せなくなって、本当に空っぽになるんじゃないか?

 

 何の為にクリステラの所に行ったのかすら、忘れてしまいやしないだろうか?


 そうしたら僕は。


 

 ――大丈夫よ。深呼吸して――?

 

 …………。

 

 ――一緒に唱えてご覧なさい。さあ、さん――

 

 ……さん。

 

 ――にぃ――

 

 にぃ……。

 

 ――いち――

 

 いち。

 

 ――気分はどう――?

 

 ……んえ、何がです? どうかしたんですかい、いきなり話しかけてくるなんて。

 

 ――……いいえ、なんでもないわ。ただね、ナイン。どうか覚えていて――?

 

 ……何をですぅ?

 

 ――貴方は、弱くて臆病だけど。それでもきっと、貴方の望みは果たされる。だって貴方は、誰よりも優しかったから――

 

 変なティア様だなあ。それに、何ナチュラルに僕の事ディスってんですか。

 しかも過去形だし。僕はいつでも優しいですよーだ。

 

 何さ臆病者って。そう、不貞腐れた気分で上を見あげると。

 


 絶景であった。鼻血出そう。

 そうだった。この鳥さんはノーパンだったのだ。

 

 思わず反射的に下を見ると、今度は顔まで上がって来ていた血液が一気に下がった。

 なんか、何人かの人狼が、声は聞こえないけど、どうも怒鳴りながらこっちに石投げようとしてきてるご様子。なんで気付かなかったんだろう。

 

「ぴゅ、ピュリアさん! 下見て下!」

「んあー? もうちょいで着くに、暴れんといてよー……って、なんやアレ!」

「うわ石! ほっぺ掠った! こええええ、なんなのアレ!」

「知るかい、ひぎゃあ! は、羽根、羽根に傷! ウチの自慢の翼に傷が!」

 

 ぎゃーぎゃー喚きながらも、既に目の前に玄関が見えてきているので、慌てて降りていく、というか墜落に近かったが、とにかく二人とも無事に着地した。

 

「な、なんなんアレこっち来よる、うわ、めっちゃ毛ぇ逆立っとる、マジギレやん!」

「き、きっと歓迎してくれてるんでしょう」

「その割にはえらい剣幕やけど……なんか仲間呼んでるし! アカンやろアレ、ウチらこれヤバいって絶対!」

「か、かかか歓迎のマナーでしょう」

「そんな訳有るか! こうなったら、何怒っとるんか知らんけどはよ誤解とかにゃ!」

 

 と、言いつつ二人して玄関のほうに後ずさりして、背中がとうとう扉に張り付いた。

 間近でみる扉は僕の身長の倍以上の大きさで、思わずビビッてしまう。本当にガロンさん、お嬢様だったんだなあ、なんてこんな現実逃避めいたタイミングで実感したくは無かった。

 

 目の前には怒り狂った人狼たちが迫ってきている。

 

「な、なんか、こんだけデカイと気後れするな。ナイン、はよして! すぐそこに怖い人来とる!」

「ま、任せてくださいよ、ガロンさん本人から貴人の家を訪ねる時の礼儀は教わってるんですから」

 

 大きく息を吸って。

 

「が、ガロンさーん、あっそびましょー!」

「何やってんのアホ! このアホ!」

「大きな声で、ファーストネームを叫び、遊戯に誘う。これが正しいマナーです」

 

 だって僕そう聞いたもん。

 確かにこれ教えてもらった時は、まだガロンさんとあんまり仲良くなれてなかったけど、ガロンさんは嘘なんて吐かないもん。

 

「アンタの頭には何がつまっとんの!? 嘘に決まっとるやろ! 隊長もアホには教えていい冗談とそうじゃないのがあるんに、もおアホばっか!」

 

 な、何言ってるんだか。

 ガロンさんが僕に嘘なんかつく訳ないじゃない。

 僕はガロンさんを信じるよ!

 

 見てな。成程見事な礼儀だときっと歓待してくれるから。

 ほら、正面の扉が開いて……。

 

 


「狼藉者共が! ひっ捕らえろ!」


 

 そこには、武装した何人もの守衛さん達がいた。

 

 

 

 ――ガシャアン、と、牢屋の鉄格子が目の前に降りる。

 

 ……二人して、寒い寒い地下牢に放り込まれた。一体何が悪かったんだろうか。

 分からないことを考えても仕方ない。とりあえず、今出来ることを考えて現状に対処するのが賢い生き方の第一歩だ。

 

 僕は、えらく冷めた目でこちらを見やるピュリアさんに向かって、口を開いた。

 

「……いやあ、ヴァーミリオン家は強敵ですね」

「……アンタのアホさが今は羨ましいわ……」





――――――――――





「もうええ、アンタには期待しない。余計なことは喋らんといて」

 

 そんなことを、扉の取っ手に翼の上部を引っ掛けながらピュリアさんは口にした。

 

 ――守衛に声も掛けず、正門方向から真っ直ぐ屋敷に向かってすっ飛んできた不審者達に対する嫌疑は、どうやら解かれたらしい。

 まったくそんな事する馬鹿がいるなんて信じられないよね。

 いくらディアボロから使いが行きますー、なんて手紙が届いてても、いきなり挨拶も無しに敷地内に侵入したら、そりゃあ何事かと思うよねえ。

 

「二度と紛らわしい真似はしないでください!」

 

 そう言って、プリプリしながら守衛さんは去っていった。ちなみにここは客間の入り口であり、彼はそこまで僕達二人を案内してくれたのだ。

 

「聞いてんのピュリアさん、貴女のことですよ」

 

 そう言った僕の頭を無言で張り倒し、先ほどの台詞を言われた僕の心の傷の深さ、慮っていただけたであろうか。

 

「もっぺん言わな分からんの? 余計な、ことは、喋んな!」


「ひどいやひどいや」


「黙っとり。アンタは今からウチのペットや。元々隊長を人間・・が迎えに行くなんて、ヴァーミリオンに公文で送れる訳ないからな。説得するのはアンタでも、ウチが正式な迎えっちゅうことになっとる。もっかい言うけど、余計なことは言わんでね? 返事は?」


「うぇー」


「返事は!?」


「あい」


「よし。素直なんはええこっちゃ」

 

 そう言ってピュリアさんは、扉に体重を掛けて押し開けた。


 勿論僕は元気に挨拶した。


「毎度どうも、ディアボロから来ました!」


 

 ピュリアは、恐らく何も詰まってないであろう眼前の男の頭を引っぱたいた。


 実際的にはバシン、という音が響いたが、体感的にはカランコロン、大層軽そうな音であったように思う。


「アンタ、ウチの話聞いとらんかったの!?」


「ごめんなさい」


「謝るんならなんでするの!」


「申し訳ない」


「謝るだけなら猿でも出来るんよ!」


「すんません」

 

 アホ、アホとがなり続ける様子を微笑ましげに見ている女性の視線に、ピュリアはようやく気付いた。

 

「こ、これはお見苦しいところをお見せしました」

「いえいえ、いらっしゃい。家の者が失礼をしましたわね。遠路はるばるご苦労様、寒かったでしょう。ええと、ピュリアさんでいらしたかしら」

 

 ナインは、声の持ち主に目を向けた。

 品の良さそうな、人狼の女性であった。察するに、おそらくはガロンさんの母親だろう。

 彼女に似て豊満で、また同じ色の赤毛は娘よりは短く肩ほどまでであり、僅かにのぞく首元は艶やかである。しかしガロンさんよりは少し大人しげな、やや垂れた目元が印象的だった。

 

 ピュリアさんとその女性は、こちらを置いて話し始める。

 

「は、はい! ピュリア・ハープ言います。この度はよろしゅうに」

「あら、その話し方、シャイターンの近くの出身かしら」

「んん、やっぱり分かりますか、やだ、恥ずかしいわ」

「うふふ、そんなに畏まらないで。そちらは……」

「はあい、ナインと申しますぅー」

「あら、元気がいいのね。ありがとう・・・・・ピュリアさん」

「あ、ちゃいます。申し訳ないですけど、これはウチのなんです」

「あらそう。残念ね」

「癒し系ですから、可愛がったってくださいね」

 

 ……何の話?

 さっぱり分からなかったので、思わずピュリアさんのわき腹をつつくと、聞くことすらなしに、心得たかのように小声で僕の疑問に答えてくれた。

 

 曰く。

 アンタ、お土産って思われてたんよ、と。

 

 ひええ。

 やっぱりこいつら、化けもんだね。

 

「正門からちゃんと入れば、家の者は攻撃しないわよ。まあ、そもそも領外からお客さんはほとんど来ないし、来るにしても普段は騎竜でいらっしゃるから。この時期は寒いし、竜たちも動きたがらないから……冬場のお客さんなんて、本当に久しぶりなの。こちらの手落ちもあったわ、ごめんなさいね」

 

 そんな言葉を聞きつつ、応接間に案内される。豪奢な黒檀のテーブルは、明るすぎないシャンデリアの輝きを吸い込み、そして最も美しく、優しく周囲の光景を見せるかのようにわずか反射するのは、雪国らしい文化と配慮を感じる。

 機能性と芸術性を意識して作られているだろう暖炉も、外の雪景色が幻想的にすら感じ得る窓の配置も、全てに気が回されている感じがする。


 確かにこりゃあ、お嬢様のお館だ。

 

 それからしばらくは、お母様と詮無い話をしていた。ピュリアさんが。

 だって、お母様、僕の事いないモンとして扱ってるんだもん。椅子も出してくれないの。所詮は家畜ですよーだ。

 

 悔しかったのでピュリアさんから後ろ手に渡されるお茶菓子で熱量を摂取していると、階段を降りてくる音と共に、それこそ自信が服を纏ってきているかのような、そんな尊大な呼びかけ声が聞こえた。

 

 嫌いでもないが、好きでもない。

 そんな印象を受けるのは、それがおそらく、ガロンさんのお父さん、という予想がついていたからだろう。

 応接間に通じる扉を開け、果たして現れたのは、身の丈が僕より頭二つ分は大きい大男。

 

「おう、お前らがガロンの迎えか。ご苦労だったな」

 

 ガストロシオン・ヴァーミリオン。

 

『先代魔王の牙』と称された傑物……と聞いている。

 

「ウチの馬鹿娘が、世話んなってんな!」

 

 そう言って、ガハハと笑う、偉丈夫。

 その笑い方は、ガロンさんにそっくりだった。

 

「ところでお前、守衛から聞いたがピュリアっつったか」

「はい、ピュリア・ハープです。お会いできて光栄です」

 

 彼女らしくも無いかしこまった挨拶は、新鮮ではあったけど。やっぱり彼女はいつもどおりな方が良いなあ。こんなおっさんにそんな顔見せないでほしいなあ。

 僕だけに見せてよ、ピュリアさん。君の魅力的な顔はさあ。

 

 そんなことを思っていると、ヴァーミリオン卿は再び口を開いた。

 

「お嬢ちゃん。お前にゃ、少しばかり聞きたいことがある」

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