彼等の日常
心の準備は良いか、と誰かが言った。
そこはセネカの大聖堂の一角であり、高位の司祭の中でも特に選ばれた者しか入ることが許されていない一室であった。
その部屋の中には、数名の使徒達……世界最強の武装集団とも、サリア教の守護者とも呼ばれる者達がいた。無論、彼らは一般の教徒を遥かに上回る権限を与えられている為、その部屋に出入りすることは許されていたが、只人では到底及ばない力を持つ彼らが一つ所に集まっているなど穏やかではない。
彼等が集まっていることを知る司祭達は多くはないが、その少ない彼らはどの様な事情によるものか、と密やかに怯えを含めながら話し合っていた。
そんな事も露知らず彼らは、自分の運命を手に持ったそれらに委ねて、それこそ神からの天命による裁きを待つところであった。
「ワンペア!」
「ツーペア……」
「お前ら、なんでそんなんで勝負しようと思ったんだよ……ひれ伏しやがれ、濡れ手に粟のフラッシュ様だ!」
「すまんバッカス、フルハウス」
おぎゃぎゃー、と悲鳴が上がる。
「おいお前イヴ嬢、言っただろ! 言ったじゃん! やばいなー、これはちょっとやばいなーって!」
「そうだな」
「嘘じゃねえか! やばいのは俺の財布だろが!」
「すまんな」
「すすす、すまんんんー!? すまんって言ったか今! 言ったよな! すまんで済んだら俺たち使徒はいらねえんだよ!」
「まあまあバッカスさん」
そう言って、今の負けも元々予期していたかのように気にもせず、ソプラノ・プラムは隣に座る中年を宥める。
「それにしても、相変わらずイヴさんお強いですねぇ」
「ふふん」
「ふふんー!? おい聞いただろソプラノ嬢! こいつやっぱり俺のこと馬鹿にしてやがる! 絶対勝ったと思ったのに畜生!」
「ほらほらバッカスさんハウスハウス。どうどう」
そうして、酒臭い息をまき散らしながら年甲斐も無く興奮している中年男を宥めていると、逆隣に座る中年……というには少々若い壮年の男が、どんよりとした陰鬱な雰囲気を撒き散らしていた。
「勝ったと思ったのに……」
思ったのに、と、もう一度小声で呟く彼を見て、こっちの介護もしなければいけないのか、とソプラノは溜息をつく。
「ココさん、勝負は時の運ですよ。貴方の口癖じゃないですか」
「そうだぜココ。お前の能力だってギャンブルみてぇなもんじゃねえか」
「……だからこそ、普段の賭け事くらいでは勝ちたい」
「ココ、お前陰気くせぇ声出すなよ。所詮はゲームだぜゲーム、楽しめよ」
先ほどまで大人気ない姿を見せていた人間と同一人物でなければ、説得力もあったろうが。その場にいた全員が冷たい目線を彼に向ける。
その場にいた使徒は、四名。
『気酔』バッカス・ドランクス。
『怨音』ソプラノ・プラム。
『半識』イヴ・アートマン。
『邪眼』ココ・サイクロプス。
いずれも魔族の天敵である。
特にバッカスとソプラノは、先日のフォルクスにおける大勝によりディアボロからも警戒対象という意味で注目を集めていた。
「けっ、やめだやめだ、こんなの」
そう言って、バッカスは手に持ったカードを放り投げる。散らばったそれらの行く末などに興味などない、と言った風情で言葉を続ける。
ソプラノが呆れ顔で拾い集めているのにも知らん顔だ。
「そういえばよ、アビスの坊やはもう戻ってんだっけか」
「一週間前にはもう戻っていたよ。勇者殿の調子が思わしくないからな。イスタには代わりに『先生』が派遣されたようだ」
「ああ……そうさな、あのお嬢ちゃんも気の毒になあ」
「バッカスさん、不敬ですよ」
そう言って、ソプラノは周囲を見渡して、小声で続ける。
「ムーの耳に入ったらどうするんです。こんな所で喧嘩なんかしたらタダじゃ済みませんよ」
「おうおう、分かった分かったよ」
そんな会話を交わしている中、神出鬼没という言葉を具現化したような女が、彼等の前に現れた。
使徒が一員、ニーニーナである。
「はいよ失礼、ニーニーナさんのご登場だよ、みんな拍手ー」
そんな能天気な声を掛けるが、四人の反応は芳しくない。彼女がこんな風に現れるときは、大体が仕事の話だと経験上知っているからだ。
誰も拍手などしない。
そんな様子にニーニーナは、「アタシだって好きでこんな役回りなんか……」と不貞腐れた様子を見せる。
「……どうした」
聞きたくもない、と言った風情であるが、ソプラノに肘でせっつかれたココがいやいや尋ねると、気を取り直したようにニーニーナは顔を上げた。
「はいアンタ等、ちょっと注目。暇な人、手ぇ挙げて」
無論、誰も挙げない。ここで積極的に動くような勤労主義者は、この四人の中には一人もいなかった。
しかし、これは通過儀礼だ。端からニーニーナは、他の者の意見など聞く気がない。
「全員暇ね。よし決まり。お仕事だわよ」
そんな決定通知に、四人が四人とも抗議の声を上げる。親鳥からエサを強請る雛鳥さながらの喧しさだった。
「横暴!」
「おーぼー!」
銘々がイントネーションを変えて騒ぐが、言っていることは皆同じ単語である。ニーニーナは、民主主義の原則などこの場にはないと断じるかのように、その抗議を切り捨てた。
「うっさい。無駄飯ぐらいになりたくなきゃ、仕事仕事!」
なおも騒ぐ彼等の声を聞きつけたのか、更にもう一人別の使徒が室内に足を踏み入れ、姿を見せた。
この場にいない使徒の一人に、ティアマリア防衛を引き継ぎを済ませて本拠たるここに戻ってきた、アビス・へレンである。
「皆、どうしたんだい」
普段は世界中のあちこちに散らばっている使徒が、その半数である六人も揃っている事は、無くはないが割と珍しいことであった。
一週間ほど前から既にここで待機している彼だが、別の仕事を宛がわれていた為に事情をまだ知らなかったと気付いたニーニーナは、両手を広げて、やや大仰に説明する。
「ディアボロのお姫さんが、我らが聖なる神の足跡に良からぬモンを造っちゃったって話があってねえ。アビスも聞いてたでしょ?」
「それは……あの、なんと言っただろう。名前は失念してしまったな」
「お偉いさんは、確かリヴァイアサンだかレヴィアタンだか呼んでたね。アレの関係でね、ちょっと緊張状態になりそうなフォルクス東部に何人かまとめて送る必要があるもんでさ」
「……何故」
「うん?」
「何故、態々完成を待つ必要があったのだろうか」
納得が行かぬ、といった様子で、アビスは呟いた。
いや、そうなった経緯は知っているのだ。アビスも、この場にいる他の者も。
「どのみち、僕達が壊しに行く必要があるものだろうに。なんであんな、神の威光に反するような物の建造を、指を咥えて……!」
「ストップストップ、そこまでだ。それ以上はやめておきなアビス坊や」
そう言ってバッカスが立ち上がり、アビスの元にフラフラ歩いて右腕でがっしり肩を組んだ。ぶはあ、と顔の近くで吐かれた酒気に、アビスはやや顔をしかめる。
そうして、ケツの青い子供に訳知り顔で教えるような顔で、バッカスは口を開いた。
「世の中にゃあ、別に知らんでも生きていけることがたっくさんあんだよ」
「しかし!」
そういい募るアビスに、バッカスは声を潜めて続ける。ニーニーナには聞こえるかも知れないが、この女は一々そんな事を上にチクるような奴ではない、とバッカスは思っていたので、気にせずに。
「……ムーの小僧っ子の、実地試験に都合が良かったんだろうよ。クソッタレめ」
「か、彼を現場に? 本気ですか!?」
「バッカおめ、声が大きい!」
一応、内緒話という体なのだ。
ここにいる者は既に話を聞いていて承知していることだが、アビスの憤りに対して、聞かぬ振りをしていた。たとえそれが、教会の上層部に対する批判に繋がるものだとしても。
「ただ、お前も知ってのとおりさ。あいつは危うすぎる」
「……貴方にだって、いや、ここにいる誰もが皆それを分かっているのに」
「だがな、ディアボロの姫さんが視察に来るってなぁ大チャンスだ、もし隙を見てぶっ殺せたら儲けモンだ。奴さんがアグスタの領土から出ることなんざ、過去に数回しかない大攻勢のタイミングを除けば滅多に無いだろう?」
「それはそうですが……そんな上手くいく訳無いでしょう。相手はあの『無限』です」
「しかし成功すれば、それでこの戦の趨勢は決まる……流石に上もそこまで楽観視しちゃあおらんだろうがな。いや、ある程度の成果が見込めれば良いんだろうよ、あの生臭どもにとっちゃあな」
「……また、誰かにとっての都合、ですか。この戦いが長引くことを望んでいる……」
ぱんぱん、という手拍子の音で、暗い顔をしていたアビスは面を上げた。
「はいはい優等生。これ以上不良発言しちゃあ、流石にお姉さんも聞き流せなくなっちゃうし、そこまでになさいね」
「……すまない、ニーニーナ。貴女が決めた事ではないのに、僕は……」
そう言って項垂れたアビスに、ニーニーナは微笑みかけた。
「アンタ、良い子だねぇ。ローグの奴に爪の垢を煎じて飲ませたいわ」
そんな二人に、バッカス・ドランクス四十五歳が中年らしい鬱陶しさを発揮して声を掛ける。
「俺は? なあ、事情を話してやった俺は? なあアビス、お前俺はシカト?」
そして、排斥されるのだ。次のように。
「るっさいよオッサン」
「うるさいですよバッカスさん」
「バッカス、静かに」
「……馬っ鹿す」
「何だよみんなして……おうテメェココ! 聞こえたぞこの野郎、なんだ今のイントネーション!」
そう言ってギャーギャー騒ぎ始めた仲間達を見て、アビスは苦笑した。
貧富、地位、差別や、色々。自分と同じサリア教徒にすら、それらに囚われてしまっている者もいる。そして世界には、そういったものからなる様々な悪意が混在しているけれど。
この仲間達と、少しずつ変えていくことができれば、と。英雄足るべき資格を持つ使徒の一員、アビス・ヘレンは、揺らがぬ意志をなお強固にした。
「――んじゃ、バッカスとココは、フォルクスで待機……と言いたいんだけど。でっかいヒュドラが出たって言うから、それ倒しておいて。終わったら、連絡あるまで自由にしていいから」
「……そんな『ちょっとお使い行って来て』みたいな」
「ちょっとやそっとで倒せたら苦労しねえよ」
ココとバッカスが苦情を言うが、ニーニーナ、順当にこれをスルー。
「一応イヴもサポートにつけたげるから。ココが駄目だった場合の保険ね」
しかしこの言葉を聞き、我関せずであったイヴが目を見開いた。
「何だそれは、聞いてないぞ」
「ここでのんびりゴロゴロしてるだけで済むと思ったら大間違いですぅー」
「イヴ嬢ざーんねーん!」
「……残念!」
やーいやーい、と。バッカスとココ、鬱陶しい男二人に揶揄され、こめかみに怒筋を浮かべた。
苛立たし気に耳元を撫でつけながらも、イヴは了承した。
「で、アタシとソプラノは、ちょっと北の方に旅行に行ってきます」
「やったー!」
ソプラノ少女は喜んだ。
数えで僅か十七歳の若年である。皆、この娘のこういった無邪気さには心を癒されていた。
しかし、仕事上では老若男女の区別などない。
彼女は直後に、他の者から自分と代われ、などの声が飛ぶことに怯え、身構えた。
だが、周りからは羨望や嫉妬どころか、気の毒に、といった視線を向けられ、不安を覚える。
彼らは知っていたのだ。ニーニーナがこういう言い方をする時は、碌な事がないと。
「えっと、冬に北の方に旅行って珍しいですね。折角暖かいセネカにいるんですからこのままじゃ……」
「貴族のお宅にお邪魔しようと思ってるんだけど」
「……護衛任務ですか? となるとご馳走ですか? ご馳走食べれるんですか!? やったー!」
「ふふ、そんなに喜んでもらえるとアタシも嬉しいよ」
「どこの貴族ですか!? 北っていうと、インディラ? ティアマリア?」
「ディアボロ」
「ディアボロ! ディアボロ……ディアボロって、アグスタの?」
「アグスタの」
「冗談でしょ?」
「アグスタはディアボロの名高き人狼貴族、ヴァーミリオン家にお邪魔します。あっこの一人娘、誘拐大作戦です」
やだー!
その叫びを聞き、僅かに漏れ出る声にも怯えていた一般の司祭達は、なお恐怖を覚えた。




