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英雄などとは

 単純な問いに対する答えは、いつだってシンプルだ。


 殺意には、殺意を。


 単純な話さ。



 ――――――――



 ボルト・クラックスは、じっと見ていた。

 己が殺そうとしていた男が。

 姉を誑かし、ディアボロに入り込んだ奴が。


 自分達獣人の、敵であったはずの人間が。


 自分達を救う為、自らの喉に風穴を開ける瞬間を、穴が空くほどに見つめていた。



 ……だから、その瞬間の不可解に気付いたのは、自分だけであったのかもしれない。


 最早ローグは、ナインがその約定を無視して自分の所に向かってくると信じていたからこそ、余りにも素直に自害すると言う無茶を通した現実に理解が及んでいなかった。

 アリスは、喉よ枯れろと言わんばかりの絶叫を、涙ながらに放っていた。


 だから、この場でそれを確認したのは、自分だけだったのだ。



 ――後になって思う。

 これはあるいは幻聴か幻覚の類であったのかもしれない、と。



 肉厚のナイフで切り裂かれた人間の喉から出たのは、赤い血液ではなく……真っ黒な、細長い……蛇?

 それを目にした瞬間、世界からは色が抜け落ちた。

 そして、空から・・・落ちてきた・・・・・女の声。


 


  ――呪われろ――

   ――お前の罪はお前に返る――

 ――私はあなたを恨みます――

    ――懺悔をすら望まれぬ泥濘へ堕ちよ――       

 ――汝に相応しきは悪徳、其に充たされし黒い海原――

  ――呪われてあれ――

 ――呪われてあれ――


 ――穢らわしき獣の腐屍はそこに――

 ――喰い散らかせ、悔恨の蛆共よ――!



 憎悪。

 その一言でしか表現しようもない、どうしようもなくおぞましい声。

 それでありながら、こんな状況にも関わらず下腹部に血液の集まりそうな、人智を超えた妖艶さを孕む声。


 そんな声――あるいは呪いそのものが聞こえた直後。

 もしく自分の時間感覚を信じるなら、それほど多くの言葉が僅か刹那にもたらされたのやも、いずれ世界に色が戻り、最初に目に映ったのは赤い噴水。


「ぐ、ぶげぇええ! げば、ぐぶっ!?」


 正直、目の前で何が起きているのかはさっぱり分からなかった。

 自身の喉を突いた筈の人間は、ピンピンしながら、ずるり、と首からナイフを抜き出す。そこには傷一つ、残ってはいなかった。


 ただ、自害を命じた筈の使徒が首から血を流して、苦しげに声を上げ、蹲っていた。



「自業自得。因果応報。まあ、色々ありますけれど……」


 じゃり、じゃり、と。

 わざとらしく足音を立てて、既に敗北者となった使徒を、その男は足蹴にする。


「アリスさんを人質にとったのが最大の失敗ですね。流石にそりゃあ、いくら僕でも許せません」


 この不可解な現実を引き起こしたであろうその男は、左手を胸に当て、右手を横に伸ばし、足を組みながら己の足下で倒れ伏すローグに向けて深く一礼した。

 首だけを上げ、視線をこちらに向けるその男。道化じみた滑稽なポーズをとっていながら、その姿は……その姿は。



 ――これにて幕引き、御観覧に感謝を。足元に、お気をつけて――



 恐らくはローグとの戦闘の影響であろう、周りの木に燃え移っている火が、ナインの影を巨大な化け物の様に揺らめかせていて。


 その姿が、自分の目には余りにも恐ろしく映った。



 ――――――――



 自由になったアリスさんは、倒れ伏すローグから離れてボルト君の拘束を解くためにしゃがみ込んでいたが、歩み寄ると耳だけをこちらに向けてくれた。

 獣人にとっては、注目している、との合図だ。


 手を止めず、視線を向けないままに、彼女は問いかけてきた。


「大丈夫、なの?」

「ええ、もちろん……あれま、心配してくれたんですか?」

「だ、誰が……!」


 未だにツンデレの感が抜けないアリスさんは本当に素敵。素直になっちゃいなよぅ。

 そう思いながら彼女の隣に座り込み、肘でつつく。


 つんつん。ぷに。


 胸に当たっちゃった所為で引っぱたかれた。

 しまらないなあ。


 そうこうしている間にボルト君の拘束もとけて、彼はやや複雑そうな目線で胡坐をかいたままこちらを上目遣いで見る。


「……礼は言わない」

「言ってくださいよ」

「何だって?」

「君は、僕に謝罪と感謝をしなければならない。心当たり、あるでしょ?」

「…………」

「僕は、ディアボロの為に生きる。君もそうだろう?」

「…………」

「僕らは敵対する理由なんかない。でも、僕を信用できないなら、君と僕は敵同士のままだ」


「な……ナイン、様」


 とりなそうとしてくれたのだろう、声をかけてきたアリスさんを手で遮る。


「……人間を信用しろとは言ってないさ。君と、君の姉を助けた、僕を信用して欲しい」


 くふ。

 僕、バッカみてぇ。恩着せがましいの。


「僕は、絶対に君達を裏切りはしない。この心にある、愛に誓って」

「……姉さんを」

「うん?」

「姉さんを傷つけたら、許さないぞ」

「もっちろぉん」

「……軽薄な奴。なんでこんな奴に姉さんは……」


 ぶつぶつ言いながら、ボルト君は自分の脚で、しっかりと大地を踏みしめ、歩き出す。

 そうして、ちょうど五歩ほど歩いたところで、振り向いて、深く頭を下げてきた。


「……貴方を裏切って、申し訳ありませんでした。失礼を働いたのも、謝罪します」


「ボルト……」


 ポツリと、アリスさんが呟く。


「……オレと、姉さんを助けていただいて! ありがとう、ございました……!」


「うん」


 これで、僕と君は。

 兄弟・・に、なれそうだ。


「ボルト君。今、君、行方不明ってことになってるけどさ」


 そう言って、懐から手紙を取り出し、彼に放り投げる。


「それ、『鳩』さんと『馬』さんのトップに見せれば、『狐』の権限は君に戻るよ。今は不相応にも、僕がトップって事になっちゃってるから」

「…………!」


 もう一度、深く頭を下げて、ボルト君は振り返る。

 これから忙しいだろうから、僕もそれを止める気はないが、アリスさんはそうではなかった。


「ぼ、ボルト! 無茶しちゃダメよ、元気でね、それから……!」


 両手を胸に抱え、涙をこぼしながら、子狐さんは自分の弟に、心配と親愛の情を投げかける。

 その言葉を受けて、ボルト君は立ち止まった。


「……相変わらず心配性だな、姉さんは」


 そしてボルト君は、振り返らずに片手を上げて答えた。


「もう俺は大丈夫! その人についててやりな!」


 そう言って、再び走り出した。

 小さくなっていくその姿は、前よりもやや大人びて見えて……。























 失敗なんだよなあ、それ。



 ごめんねボルト君。

 君がガロンさんをけなした事、僕、まだ許せてないんだよ。



 だから、君のお姉ちゃんに代わりに償ってもらうね?


「な……ナイン、様」

「だからぁ、こんな時ばっかりシャチホコばんなくても良いってばさ」

「う、ん」


 そう言って、もじもじもじもじ。

 人差し指を突き合わせて、俯いてもじもじるアリスさんは、とっても可憐だった。

 ローグの血に塗れてて、可憐だった。


「……ど、どうして」

「はぁい?」

「どうして、私たちの事、助けてくれたの?」

「お馬鹿さんだねえ、アリスさんは」

「ば、ばかって……!」

「……男が張り切る理由なんて、決まってるだろうに」


 そう言って、赤い血を浴び、滴り落ちるそれを黄色い月光で反射する彼女の顎に指をかけ、持ち上げる。


「あ……」

「僕が君のことをさ」

「は、はい」


「愛しているからに、決まっているだろう?」


 そうして僕は。

 彼女の、先ほどから止め処なく溢れ続ける涙を、舐め取った。



「……はい」


 ――服従いたします、ナイン様。




 そうして、アリス・クラックスは。

 取り返しのつかない奈落に対する命綱を、自分の手で断ち切った。




 ――アリス・クラックス。掌握完了――



 ――じゃあ……『設定』はね。

 彼女、弟さんが独り立ちしちゃって、寂しがってるからね。


 僕のお姉ちゃんに、なってもらおっと――

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