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ローグ・アグニス

 走りに走って、スリザの外れまで来てしまった。

 こうなると、もう、遮蔽物は木しかない。


 ……でも、流石に、まったく無関係の獣人さんたちまでは巻き込めなかったから、僕は愚かにもこんな所まで……自分にとって不利な所まで来てしまった。


「……なあ。雑魚っつったのは取り消すぜ」


 これ以上走ると、反撃に移る為のスタミナがなくなってしまう。所詮はさして筋量の多いわけでもない僕の肉体だ。

 砂利だらけの地面をする足音、声の反響、相手の骨の軋み。

 風の流れ。熱源の移動。


 それらの情報から、今までの魔術であれば確実に避けれる位置で、僕はローグに背中を向けたまま、続きを待つ。


「二回までは……人間でも、避ける奴は居たんだよ。でもな、三回以上はいなかった」


 今までは、と。

 やや悔しさが伝わる……どうも本音で言っているような声音で、ローグは続ける。


「お前……どうもな、人間を相手にしてる感じがしないんだよなぁ……」


 じり、と僅かなすり足の音が聞こえ、それに合わせてこちらも一歩離れる。


 舌打ちが聞こえた。


「それだよ。お前、何が見えて、何を聞いてる……?」


「…………」


「……人間、人間か。なんか違うんだよなぁ……さっきまでは明らかに、俺の相手は人間だったと思うんだが……」


「…………」


「今はなんかよぉ、化け物退治してる気分だ……!」


 その言葉が終わった瞬間、相手の筋肉に緊張が走り、前に出るタイミングに合わせて。





「オおおおおおおおおおおおおおォ!」





 ――叫んだ。


 タン、タタ、タンタタタ、タン。

 これがさっきまでの、奴の魔術発動の為の、呼吸リズム。


 僕の狂声で、リズムが狂った……けど、駄目だ。

 

 今行ったら、エヴァさんのナイフを抜いて……駄目だ、相討ちにもギリギリ届かない。


 振り向かないまま、逃げる方向に走る、走って、もうちょい、さぁん、にぃ、いち!


 ぴょん、と横に跳ねて避ける。


 既に見慣れてしまった、見慣れたくもない殺意の炎が左足の爪先をかすめて飛んでいくのを目の端に捕らえながら、崩れた体勢に逆らわないで転がった勢いで立ち上がり、駆け出す。


「カエルか、テメェは!」


 苛立たしげな声と、再び追ってくる感覚。


 こちらの方が、視覚は有利。あいつは視覚補助の魔術は使えない――!


 ――まるで走る大砲ね。伊達にサリアの使徒を名乗ってないわ――


 ええもうまったく。あんなおっとろしい奴が十二人もいるなんてたまりませんね。ぼかぁ肉体派じゃ無いってのに――!


 ――近接技能のある魔術師って、厄介よね――

 ――そういう相手と戦う時は、何に気をつけなきゃいけない――?


 ……距離が近い相手との戦いは、初動が全て。

 先手を取り続けるほうが勝つし、うおっと危ね、ええと、魔術師であるなら当然、短縮化された詠唱――


 ――そうねえ。でも、あいつの場合は呼吸が鍵。でも、それだけなら、大したことないわよね――


 ……強力無比、生物であるなら、いや無機物でも関係なく焼滅させるあいつの炎なら、絶対的な防御不能魔術、いや、魔術師なら対処できるかもしんないけど僕には無理――


 ――つまり、初手を取る為の接近が難しい。なら――?



「い、つ、まで、もぉぉ……、にげ、まわってんじゃ……ねえェェェェ!」



 ――リズムは、タンタ、タンタタタ、タンタ、ウン、タンタン。


 長いな。大きい奴が来そうだわ。

 ティア様ごめん守ってぇ!


 ――んふ、大盤振る舞いね――



 ――ふわ、と不自然に優しげな風を背中に感じたと思った瞬間、時間の流れがゆっくりになった世界で、地面に這いつくばるように低く飛んで、伏せた。


 ……鼓膜を揺るがすような爆音が響いて鼓膜を揺らす前に、口を開き、耳を塞いで身構える。

 ティア様が前に激怒した時に、こんな時にはこうしないと耳がおかしくなってふらふらすることになると既に学んでいたのが功を奏した。


 踵から脹脛、お尻にかけて熱風が舐め取るように僕の体を這い上がり、その方向に体ごとすくい上げられたように、吹き飛ばされる。


 重力からの支配をのがれ、不自然な滞空を味わっている瞬間。


「死ね、ってんだよォボケがあアァァ!」


 一瞬、怒りに燃えたローグと、視線が絡む。

 無防備に空中に間抜けな格好で浮かんでいる僕に対して、僕の身長より大きそうな炎の玉が、こっちに向かって真っ直ぐに――!





 ――――――――


 

 その頃。

 アリス・クラックスは、スリザの町の一角で、ようやく目的地にたどり着いたところであった。



 ……あちこち走り回って、何人かしばき倒してまで情報を手に入れた甲斐があって、ボルトの居場所がようやく分かった。

 ある酒場の入り口……既に閉鎖されていたそこの扉を蹴り開けて奥へと向かうと、誰かの気配を感じる。


 ……見つけた。

 暗がりで良く見えないけど、自分があの子を見間違えるはずはない。随分久しぶりだけれど、とんだ再会になっちゃったけれど、無事に会えた。


 走り寄ると、四肢を縛られただけではなく猿轡まで噛まされて唸っているボルトがこちらを見上げた。


 ずっと拘束されていて辛かっただろうに。大丈夫、今お姉ちゃんが助けてあげるからね――!


「……! げっほ、えほっ!」


 口にかけられた猿轡をずり下げ、口内からも布の塊を取り出した。

 乱暴なことをする。もし飲み込んじゃっていたら、もし万が一にも発見が遅れていたら――!


 そんな想像をして鳥肌が立っていた私に、ボルトが切羽詰った様子で何かを言おうとしていたが、顎が疲労しているのか、上手く喋れない様子だった。


「落ち着いて。今、手足も自由にしてあげるから、そしたら」

「ひ……ぁう」

「え?」


 必死に、涙を浮かべながら首を振る弟が、何を言おうとしているのか分からず、思わず縄を切る手を止めて聞き返してしまった。


「ねぇさ、いぇ、て!」


 ……ねえさん、にげて?


「わなだ! これは罠なんだよ!」


 ようやく舌が回り始めたのだろう、明確なボルトの発音を耳にした瞬間。

 




「初めましてだわね。まあ、ハズレを引いちゃったみたいだけど」





「な……! くそっ!」


 誰であろうと関係ない。私がやる事は、ボルトを連れて逃げることだ。

 振り向きざまに、暗闇で軌道が分からぬよう刃を黒く塗りつぶした投げナイフを投擲したが、声のした場所には既に誰もいなかった。

 どこにいったのか視線を巡らせると、先ほど投げたナイフが壁に当たる音が聞こえるのと同時に。


「お転婆ね、人の事は言えないけれど」


 突然自分の真横……耳から十センチも離れていないところからそんなことを囁かれ、思わず飛びのいてしまうが、失敗だ。

 ボルトから距離をとってしまった。

 駆け寄ろうとしたが、当然向こうもこちらの弱みと認識しているのだろう、こちらを視線で牽制したまま、その女は、ゆっくりとボルトに歩み寄る。

 そいつは、未だに縛り上げられたままのボルトを横抱きに抱え、その首に細い指を巻きつけているのをこちらに見せ付けてきた。


「動いちゃダメよ。陳腐な台詞で申し訳ないけれど……弟さんが大事ならね」


「……卑怯者!」


「う……ぐ」


 その言葉にソイツは返事もせずに、ボルトの首にかけた指の力を強めたようで、それ以上の罵声を浴びせることは不可能だと悟る。


「……自分の立場は分かったみたいだね。まぁ……ハズレとは言ったけれど、貴女でもいいのよ。この子を取り戻しに来たって事は、ディアボロの関係者でいいのよね? 貴女もこの子も同じ種類の獣人みたいだし……情報が正しければ、姉弟、でいいのかしら」


「……」


 返事をせずにいると、再び首を絞めようとする仕草を見せ、慌てて止める。


「やめて! その子を放して!」


「じゃあ、アタシの質問にちゃんと答えてね? 別にアタシは、あんたらが生きてよーが死んでよーが大して困んないの」


 ……ちくしょう、こんな、人間なんかに。

 人間なんかに、手玉にとられるだなんて!


「じゃあ聞くけど。ナインってのは、あんたらの仲間……っていう認識でいいのかしら。まずここ、はっきりさせときたいんだけど」


「……誰が、あんな奴……」


「……? ふうん。まあ、知ってるみたいね。じゃあ次。そいつ、魔術とか使える?」


「……し、知らない」


「ぐぅ!」


「や、止めてよ! ほんとに知らないんだから! 少なくとも、アイツ自身は使えないって言ってた!」 


「オーケィ、じゃあ次。そいつ、何者? ってか、どっから現れたの?」


「……?」


「なんで、ディアボロのお姫さんが人間を引き入れたのさ、ってこと。『無限』のお嬢さんの人間嫌いは音に聞こえたもんだけど」


「知らないわよ。ただ……」


「ただ?」


「ファースト・ロストの出身ってのは聞いてるわ」


「……は?」


「は……って、知らないはず無いでしょ?」


「え、だって、ファースト・ロストって、あの? ホントに?」


「……ええ」


 その言葉を耳にした途端、目の前の女は阿呆のように口をポカンと開けた。

 まるで、有り得ない事を耳にしたように……いや、ナイル村に生き残りがいたって事は、アイツが来るまで私も知らなかったけど。


「参ったなあ、やり辛くなっちゃった。ちなみに容姿はどんな感じ? 一応アンタの口からも聞いとくわ」


 頭をぽりぽり掻きながら、まるで気勢をそがれた様に、その女は続ける。


「……黒髪に、アンタとおんなじ位の身長。人間の歳で言うと……二十歳過ぎくらいだと思う。中肉中背で……眼も、黒かった。真っ黒で、気持ち悪い目つき」


「黒眼に、黒髪ぃ……アビスも言ってたけど、うそん、まっさかぁ……トーラさんちのは娘しかいなかったし、まさか、ハーヴェストさんとこの坊や? そんな大それたことしそうな子じゃなかったけどなあ……」


「……?」


 私の言葉を受けて、俯いたかと思うといきなりぶつぶつと良く分からない事を呟きだしたその女を見て、重心を少し浮かす。

 ボルトを奪い返す隙が出来たら、いつでも飛び掛ってやろうと身構えるが、ひょいと顔をこちらに向けてきたので思わず尻尾の毛が逆立ってしまった。


「事情が変わったわ。あんた達、ちょっと付き合ってもらうね」


「――!」


 そう言ったかと思うと、その女はこちらに手を伸ばして――。




 ――――――――



 神の声を聴いたのは、十歳かそこらの時だったと思う。

 いきなり頭の中に声が響いた時は、自分がおかしくなったんじゃねぇかと柄にもなく怯えたものだったが……それにしたって随分シンプルなお告げだったもんだ。


『望むがままに、燃やし尽くせ』。


 ……最初に手にかけたのは、金の亡者だ。

 外面ばっかり良くて、それでいながら頭の中は金儲けの算段ばかり。

 長男にだけは家を継がせる為だろうが、妙に甘やかしていた癖して、その弟には何の興味も向けなかった男女が、初めて殺した相手だった。


 文字を覚えたのだって、侍女がソイツを哀れんでのことだった。そいつは、十にもなって、自分の名前も書けやしない、どうしようもない哀れな餓鬼だった。

 むしろ、その女がいなければ、そいつは言葉を話すことすら出来なかったかもしれない。その大きな家の中で、そいつに話しかけるのはその女だけだったから。


 殺された男女は、蓄えはあっても品性はない、金で爵位を得た成り上がりらしい強欲貴族の代名詞みたいな奴らだった。

 燃やしてやった時の泣き声と臭いは、今思い出してもまったく爽快だ。


 男の遺言はこうだ。「出来損ないの癖に」、だと。

 出来損ないにしたのはお前だっての。

 女の遺言は特に笑えた。「この、人でなし」だってよ。

 人でなしにしたのも、お前だ。


 最期の最期にすら、恨み言。可愛がってた長男に対しての一言すらなかった、似合いの死に様だった。

 だから、当てつけにそいつらの長男も、殺した。


 ……知ってたさ。毎夜パーティーに呼ばれてたあの阿婆擦れが誰とも知らん奴から種を受けて出来た、不義の子だってのは知ってた。

 外向けの『出来た家族像』を壊したくなかったのも知っていた。

 その鬱憤を俺に向けていたのも、知ってたんだ。


 そして、だからこそ、それに対して報復を受けたのは正当だ。


 魔族に親を殺された餓鬼共の面倒を見る孤児院を建てていたってのは、後に聞いた話だが。

 俺には関係ない。この俺に、あんな惨めな思いをさせやがったからには、当然の死に様だ。


 どこぞに載ってた追悼記事には、笑わせてもらったよ。

 ハラがよじれるような美辞麗句が並んでてよ、「悲劇! 善人の報われぬ死!」だのなんだの。

 笑いすぎて死にそうになっちまった。


 ……初めて戦場に出たのは十四の時だったか。

 あのクソ共の家を燃やして、適当にかき集めた金も無くなってからは、チンピラまがいの事をして食いつないできた。

 いつの間にかゴミ溜めみたいなスラムでお山の大将をやってて……そして、何人目かも忘れた金持ちそうなオッサンの燃え尽きる姿を眺めながら、この力があれば、もうちっとマシな生き方も探せるかも知れないと思って、それで選んだのが傭兵だ。

 右も左も分からんまま、それでも何人も殺したし、何匹も殺した。俺は、全ての戦場で生き延びた。

 今の、人間以上に信頼できる相棒にも出会うことが出来た。


 そして、戦場での噂を聞きつけたサリア教の坊主共に拾われてからは、飯にも金にも不自由しない生活が手に入った。

 使徒とやらの看板を汚すなだのなんだのヌかす奴はいたが、所詮は雑音だ。

 ……リリィにも、出会うことが出来た。


 いい人生さ。


 順風満帆だ――。





 ――もくもくと上がっていた煙が、晴れていく。


 った、と思った。


 ……これまで相手をしてきた敵の中で、とりわけ反射神経のいい奴であれば、自分の炎を避ける奴はいた。

 が、魔族でさえも避けきる奴はいなかった。


 飛行種族は少し厄介だが、他の奴らは自分の誘導した方向に逃がし、後は体勢を崩して重心が居ついた所に、魔術を叩き込む。

 それだけで済んできた。


 ――だが、アイツは一体なんだ。

 あの気持ち悪ぃ目つきでこっちを睨んだかと思うと、思考が読まれているかのような悪魔的なタイミングで避けやがる。


 フェイントはすべて見切られていた。

 まさか、と思って何度か試したが、どうやらこちらの魔術発動のタイミング……始動まで見切られているらしい。


 ……呼吸のリズムによって成る、自分の魔術。

 ただ、相手に魔術の発動のタイミングを見切らせないだけのものではない。生命が必須とする呼吸と言う行為を詠唱の代替として儀式に組み込み、その結果詠唱よりも素早く、効率的に魔術を発動させる、他の誰にも使えない『サリアのギフト』。俺だけの、特別なこの世にたった一つの魔術。


 ……俺の人生は、完璧なんだ。俺の魔術もそうさ。

 気に入らねえ奴は、どいつもこいつも、この俺の炎で燃やして、蹴散らし続けてやる。

 邪魔できる奴なんか居ねぇ。


 今だって、そのはずなんだ。今度こそった。オレが死ねって思ったら、そいつは死ぬべき定めにある――!




「あー、あっつぅ……死ぬかと思った」



 その、筈なのに。



「なんでテメェは、まだ生きてんだよ……!」



 煙の晴れた後には、最早ただの人間と称すべくもない……怪物が、平然とした顔で、五体満足でそこにいた。



――――――――



「だぁからよ……なんでまだ生きてやがるこのゴミがぁ!」


「不燃ゴミだからじゃないの?」


「なめくさって、この野郎!」


 言い終わるか終わらないかのタイミングで飛んできた炎を、再び避ける。


 ……口汚いけど、まだローグは冷静だ。

 こっちが相手のタイミングを読んで動いていることに気付いたらしい、僕の逃げ場を狭めようと、四方に視線を散らして牽制してきている。


 ……心理戦の土台なら、僕の方が有利じゃないかしら?

 ねえ、ローグちゃん?


 君の中身、ちょっとばかし見せてもらうね?


「ローグさんって……言いましたよね」


「ああ!?」


「なんでそんなにお口が悪いの? お里が知れちゃうよ?」


「なんだとぉ……!?」


「生まれが悪いの? 育ちが悪いの? どっちかしらん」


「……俺に、喧嘩売ってやがんのかコラぁ!」


 また、炎が飛んできたけど……狙いが乱れた。

 それに、今のは呼吸に特徴は無し。呼吸以外にも、発動条件がある?


「ママに愛されなかった子供なのかしら。ほら、その目つき。世界の色んなものが憎いって感じだよぉ?」


「……!」


 返事なし。瞬きの回数が増えた。


「なんなら僕のおっぱいでも吸ってみる? ちょっとは落ち着きが出るかもよ? お乳は出なくて申し訳……!」


 ヤベ。

 左腕から熱源感知。

 退避、退避。


 足元からの不自然な振動に気付いた瞬間、最早発動のタイミングすら見る暇なく、全力で前に走る、と。

 後ろからの爆風が背中に襲い掛かって来た。あっちち、少し食らっちゃった。


 左腕を、下から上に振りかぶった体勢のまま目を見開いたローグと視線を合わせる。

 ……まだ、混乱が足りないな。もうちょっと揺さぶったほうがいいか。


「なん」

「なんで避けれたかって? 内緒」


「俺の」

「俺の魔術を、読み切っているのかって? 内緒」


「……ひ」

「人の真似をするなって? やぁよ、楽しいもん」


「……」

「別に精神魔術なんか使えないよぉ。そもそも僕、魔術なんか習えなかったもん。お坊ちゃんの君と違って」


「……!」

「ビンゴ? 生まれは結構良かったみたいね。なんでそんな、荒っぽい子に育っちゃったのかしら、うふふ、ふぅおっと!」


 こっそり練り上げていた、上からの熱球を避ける。

 こんなもん、一々防いでいたらどんだけティア様に借りを作るか分かったもんじゃないし。


 とは言え、逃げてばっかりの僕はやっぱり不利なわけで、気がつくと、土手を背負ってしまっていた。

 一足飛びには避けることができない、そんな位置。


 轟々と燃え盛る炎よりなる、森の木々と共に巻き込まれた虫や動物達の燃える臭い、そして肌を炙る熱を過分に味わいながら、僕は口を開く。


「ねえローグ君。そんなに怯えないでいいんだよ。楽しいこと、君の人生には一杯あったでしょ?」

「楽に生きなよ」

「ご兄弟はどうしたの?」

「学校にお友達はいた?」

「なんだ、通ってないのか。そりゃ言葉遣いも学べないよね」

「……戦争に、身を投じて生きてきた感じ?」

「好きな食べ物とかはないの? 辛いものとか? 果物は? 野菜は? どっちかと言えば、やっぱり肉派? そうかい」

「煙草とか吸う? 僕はね、ちょっと苦手なんだ。お酒はミルク入りのなら嗜む程度でね」

「視力は良い方? 見たところ人並みかな。動体視力はそこそこだね。まあ使徒って言っても、得意不得意はあるよね」

「魔族に対してどんな印象を持ってる? それについて、先入観があるって自覚はあるかな?」

「結婚に興味はある? 僕はね、どっちかっちゃあムチムチな人が好みかな」


 ……ほか、色々。


 ……構えを解かないまま、こちらを睨みつけるローグ君に、色々聞いてみた。

 答えは、全て沈黙。


 ……でも、使徒って言っても、精神を持つ一生物でしかない。

 ちょっとした、人間以上。ただ、それだけ。


 こちらの言葉には、視線、重心、体温、筋肉の緊張、呼吸……は当てにならないけど、発汗、ほか、色々。

 色々なサインで反応してくれる。



 情報収集終わり。



「……お喋りは終わりか? 気は済んだのか?」

「…………」

「今度はだんまりかよ。さっきみたいに、なんか言ってみろよ。聞いてやるから」


 また、彼は少しずつリズムを刻んでる。いつでも魔術を、それも最大規模の炎を出せるよう、こっちの隙を、伺ってる……。

 流石にこれの直撃を受けたら死んじゃいそう。


「遺言はいらねぇか? もう……死ぬか?」

「…………」

「……まったく、気味の悪い奴」


 だったぜ、と。

 そう、言葉を締めると同時に、魔術を発動させる直前。
















「お前の大事な女は、預かっている」

「は」




 隙が、出来た。


 意識の空白に滑り込み、ふらり、と倒れこむイメージで、一歩。

 地面に体重を乗せず、ただ敵との距離を潰すイメージで、二歩……と同時に、左手でナイフを鞘から取り出す。

 ローグの意識が正常に戻る瞬間、その筋肉の緊張を絶つつもりで、脚に、倒れこみながら、一撃!


 太腿……は避けられたが、脛……もダメ、だけど。

 爪先。

 靴を貫通し、僅かに指先に刃が届いた。


 そのままの勢いで転がり、再び距離をとる。今度は逃げ場がいくらでもある位置だ。

 後は、コイツに毒が回るまで生き延びるだけ。


『近接技能のある魔術師って、厄介よね。そういう相手と戦う時は、何に気をつけなきゃいけない?』


 距離が近い相手との戦いは、初動が全て。

 先手を取り続けるほうが勝つし魔術師であるなら当然、短縮化された詠唱の、僅かな隙を狙う。


 だが、コイツは少々魔術の規模が、隙に比して強力すぎる。


『つまり、初手を取る為の接近が難しい。なら――』



 ――なら、相手の動揺を誘うに限る。


 コイツの根幹は、覗いてみたところまあ、邪悪なもんさ。僕もびっくりさ。使徒ってのは正義の味方じゃなかったんかい。アビスさんみたいなのばっかりじゃないって訳ね。

 でもまあ、ぺちゃくちゃむさ苦しい男と向かい合って熱い一方的なトークをかました甲斐はあった。


 今のコイツの支えは、多分、女だ。読みが当たったらしく、大袈裟に反応してくれた。


 たとえ僕の言葉が嘘だと分かっていても、一瞬の意識の空白を作れるくらいには、その知らない誰かはローグきゅんにとって大切な人なんだろうね。ああ便利。


 ……さて、さてさて。コイツはもう死ぬだろうけど。


 こんな奴らが、使徒って訳か。強敵だけど、楽勝だ。


 みんなみんな、捧げましょうティア様。貴女を傷付けたクソッタレな神様とやらに、唾を吐いてやろうじゃないですか。


 そうして僕は、数え切れないほどの死体を積み上げて。


 僕と貴女の思い描いた楽土に向かいます――



 ――!?


 首筋に妙な悪寒が走り、咄嗟にしゃがんだところ、髪の毛のてっぺんを焦がしながら、火球が通り過ぎる。


 完全に勘だったけど、それが僕を救った。


 エヴァさんに貰ったナイフは、僅かでも……皮一枚でも傷を付けた相手の神経を侵し、即座に体の自由を奪う、恐ろしく強力なものだと聞いている。


 それでも、攻撃が来た、と言うことは……。


「こんなかすり傷で……背中を見せたってこたぁ、毒入りか。残念だがな、俺には効かねえ」


 死んでねえ。マジか。

 あのポンコツエルフちゃん、偉そうに言っておきながら不良品掴ませたの?


「ほんっと……愉快なマネしてくれたなァ、ああ? 楽には死なさねェぞォ……!?」


 ――違うわ。アレは、使徒は、もう普通の人間ではないから。

 特に熱を操る魔力の影響で、普通の生物には効く毒でも、タンパク質のフォールディングに影響が――


 良く分かんないけど、とにかく毒は効かないってことね。

 どうすっかなぁ、もう……。


 そもそも、死んで、生き返る姿を見せたのはやっぱり失敗だったかな。

 いや、今回の獣人さん達の会合で、あいつの油断を誘えたのは、間違いなくそのお蔭だからなんともいえない。

 とりあえず、生き延びられれば成功って言って良いと思うんだけども。

 ……ティア様が倒せそう? なんて聞くからついその方向で考えちゃったけど、なんで僕コイツを倒さなきゃいけないんだろう。

 逃げ切れるかどうかは別として、エヴァさんにだって逃げろって言われてたのに。


 はてさてマジでどうしよう、と悩んでいたところで。

 その悩みを吹き飛ばす存在が現れた。


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