余りにも陳腐なおしまい
「皆様、本日はよくぞお集まりいただきました」
そんな、変哲もない言葉で会合は始まった。
何人かの、型通りの挨拶。
特に発言権のない小派閥の、ひそひそ声。
そんな中で、進行役の獣人が手元のカンペに目を落とし、議事を進めていく。
「それでは、三年前にありましたフォルクス過激派からの軍事的介入は今後軍縮に伴い……」
軍縮なんかされてねえっつの。
本気で信じてんじゃないだろね。
少なくとも、僕にとっては益体も無い議事が、滞りなく進んでいく。
「……えー、つづきまして。えー……先日行われた、『狐』の代替わりについて、急なことでありましたから、ご存じない方も多くいらっしゃるとは思いますが……」
ざわざわ、と、驚きの声がホールの中に広がっていく。
当たり前だろう、本来こんなことがあるはずない。
素朴な社会を形成してきた獣人にとっては、顔見せもないままにこんな事があるはずがないのだ。
「……こちら、リザードマン……でしょうか、のナインさんが就任されたとの事で、ええ、もし皆様、ご納得いただければ拍手にて……」
会議直前に差し替えられた進行表に、あたふた状態の司会の人を尻目に、立ち上がる。
誰だよ、との声が多くあがる。
まったくその通りで、本当に、なんだかいたたまれなくなってきた。
元々目立ちたがりの性質じゃないんだよ。
「えー、ただいまご紹介に預かりましたナインと申しまう」
噛んじゃった。
「え、えー、ボルト氏からですね、『狐』という責任ある立場のバトンを受け取ったわけですが、今後とも諸兄らとは良好な関係をデスね」
そんな適当なことを、ぺらぺら喋る。なんて薄っぺらいんだろう。
ぽかん、と口をあけたままこちらを見上げるマーチスさんを、ちらりと見やる。
寝耳に水とはこのことだろう、正直本当に申し訳ないと思う。
『狐』は壊滅したと聞いたが……。
いや、でも急な話だったしな。
デマだったんじゃ?
いやいや、確かな話だと聞いていたが……。
そんな声が聞こえる混乱の中で、二人の獣人が声を上げる。
「『馬』は、ナイン氏の就任を全面的に支持します」
「『鳩』もだ。ナイン氏を支持する」
『鳩』の代表の獣人さんから、これでいいんだよな、という唇の動きが見えた。
……こういうのは、根回しが全てだって、誰かが言ってた。
力ある二名の発言に、小派閥の人たちも、追従する空気になっていた。
だが、そんな中、一人どうすべきか動けないでいる人がいた。
『猫』の代表だ。
……彼は、動けない。
リザードマン。ローグ。壊滅したはずの、『狐』。『鳩』の奴ら、裏切りやがった。これからの段取り。親人間派の筈の『馬』が何故あいつを支持するのか。
色々な単語、疑問が、彼の頭の中をよぎっている事だろう。
そんな迷いは、
「実はデスね、ディアボロから、今後リール・マールへの継続的支援のお話がデスね」
目先の利益で潰されてしまうよ。君以外の獣人が飛びつく餌だ。
語った。騙った。
今後、ディアボロに付く事で、どれだけの利益が見込め、どれだけの安寧が見込めるか。
今まで『狐』が独占していた、ディアボロとの太いパイプ。
人間と魔族では、どちらが戦力的に有利か。
なにより。
「我々を虐げ続けていた人間に! 今更、誇りある我らのしっぽを振るなど、許せるはずがありましょうか!」
……人間の立場から見た、人間の汚さを。
夢想と理想に縋ってきた、親人間派が目の当たりにしたら、どうなるか。
いつか人間とも仲良くなれる筈、だなんて。そんな風に縋ってきた人は……いや、少なくとも、一人この場にいるけどさ。そんなのは例外だし。
「僕は知っています! 人間が、獣人を家畜のように扱ってきたことを! 人の社会で生きてきたからこそ、知っているのです!」
……ガロンさんが、言っていたんだ。
獣人は、同じ獣人を、見捨てないって。
「僕はそれが、許せない! 今こそ、今こそ! 獣人を奴隷化した人間を、ディアボロの元で! 排斥していこうじゃあありませんか!」
おおお、と。
盛大な拍手を頂いてしまった。こんな茶番で。もしかしたら僕これで食っていけるんじゃなかろうか。
……いや、調子に乗る気分じゃないや。
嘘だろ、と。
お前、オレに言ったじゃねえか、と。
人間に追い出されたけれど、いつか、人間と仲良くしたい、と。
マーチスさんの震える唇が、そう言葉を紡ぐのだけが見えた。声は、歓声に掻き消されて聞こえなかった。
僕の言った本音を、鵜呑みにしちゃって。
かぁわいいんだから、もう。
ああ、ああ、もう。
ごめんなさい。
ごめんなさい……。
……後はもう、まさしく出来レースだった。
今後は、『ディアボロの支援のもと』、手を取り合ってやっていきましょう、と。
そんな結論で、終わった。
後は、順次下の立場の獣人達に伝わって、お仕舞いだろう。
もともと、純朴な獣人さん達だ。人間に煽られたりしなければ、さっさとこんなくだらない喧嘩、終わらせることも出来ていただろうに。
いくら人間に味方した獣人の末裔っつったって、少なくとも今を生きる彼らにはそんな伝説は飯の種にもなりゃしない。
あなた達を優遇しますよー、お金もあげますよー……そう言われりゃ、尻尾も振るさ、そりゃあ。
冷静に考えれば分かる。
昔の事は知らないけれど、獣人に寛容なイスタも滅びそうだし、今の獣人にとっちゃあ、人間に向ける義理なんてちっとも無いもんね。
……人間の僕が、こんな適当な方法で終わらせることになるだなんて。
ああ、ああ。
なんで僕がこんな。
会合も終わり、三々五々散らばっていく獣人さん達。
やや地面より低い位置に設置されたホールだから、階段を上がって外を見上げると、星がたくさん瞬いていた。
人間の国から見上げるより、星の数が多いのは、何故だろうか。
そういえば山や森から見たりした方が、星は多く見える気がするけど。
自分が今いる場所によって、星の数が変わるなんてこと、あるんだろうか。
……いいや。
どうでもいい、そんなこと。
とりあえず、アリスさんを探さないと。結局会合までには見つけらんなかったなあ……。ボルト君も、『馬』さんと『鳩』さんの情報網に引っかかんなかったし。短慮を起こしてなきゃいいけど。
そんなことを考えていると、後ろから押し殺した声が掛けられた。
「……やってくれたな、ナイン」
何事か、口にするマーチスさんに。
お世話になった身としては、正直あんまり目を合わせられない。
「負け犬の遠吠えでしかないがな、オレは諦めないぜ。お前が何をしようと、俺は……」
と、そんな事を言いかけて、それを僕は聞き逃してはいけないと思って、そちらに体を向けると。
マーチスさんの首が消えた。
一瞬だった。
ちり、と鼻につく臭いと、暗闇の中鮮明に輝いたその熱光。
見た覚えがある。僕を一度、殺した光だ。
「やってくれたじゃねぇか、ええ? この雑魚が……」
――どさ、とマーチスさんだった肉が横倒れになると、星明りの下でもはっきり分かるほど近くに、あの男が立っていた。
マーチスさんとは別に、左腕が人型のシルエットの中心を貫通していて……どうもそれが、『猫』の代表さんである、いやあったらしいことが分かる。
眼前にいるのは、僕を一度殺した男。逆立った赤毛の、偉丈夫。
ローグ・アグニス。使徒の一人。
僕の敵だ。
……マーチスさんを、たった今殺した奴。
お世話になったのに。仇で返しちゃった。
本当に、素朴で、純朴で、アビスさんと違って、自分には大した力が無いと分かっていて。
それでも、やれる事をやろうと、自分の定めた目標に向かって努力していたちっぽけな一人の獣人が、今死んだ。
「おい……聞いていいか? 面倒を減らすために必要な段取りなんだ」
「……なんです?」
いつの間にか、人気もなくなってる。
「初めましてじゃ……ねえよな。今度こそ」
「ええ、一度お会いしましたね」
逃げなきゃ、また死ぬ。
「……裏に控えさせてた奴らがおねむなのは、お前の仕業か?」
「知りませんね」
嘘だけど。
エヴァさん、やってくれたのか。助かりました。
「……お前がどういう奴か良く分かったぜ。じゃあ本題だ。シンプルな質問だからな、簡潔に答えてくれると助かる」
「どうぞ」
「なんでお前、まだ生きてる?」
「答えがたい質問ですね。人は、生まれたからには生きるもんでしょう」
「……言葉を変えるぜ。お前は、死んだはずじゃねえのか?」
「死にましたよ?」
「……生き返ったってのか? 悪い冗談だ」
「死人は生き返りませんよ。お話してくれることは……一回だけありましたけどね」
だよね、母さん?
「……もういい。良く分からん」
そう口にして、ローグが右腕を振りかぶる。
ぞ、っとした直感に従い、横っ飛びに逃げた。
元いた場所を見てみると、うっすらと高熱によって描かれた軌跡が消えて行き、焦げ臭いにおいが辺りに漂った。
「殺されたんなら死んでろよ。ふざけんな、オイ」
「物騒なお方!」
「だま、れってんだよ!」
そう言って、再び右腕を振りかぶったローグの目線がぶれる。
――呼吸は……攻撃の一瞬前に止める癖あり。いや、法則?
重心から見て右利き
こちらから見て右へ曲線を描く攻撃軌道を想定していると判断
早い
次は脚を狙うはず
大丈夫 後二回は――
「おい、避けんな! なんだテメェ!」
冗談じゃない。
避けるっつーの。
――左足に重心が動いた フェイント
ヤッバ この魔術は放出系 風の影響
獲物が奴から見て左に逃げると想定しての動き 癖?
瞬きほどのタイムラグ
駄目だ 隠れる場所は
左のしげみ駄目だそこ燃えるだけ
裏通り駄目熱の逃げ場がないせなかやかれる
そこの、家の角を出てからかんがえる――!
ゴォ、と間一髪、民家を曲がった直後にお尻が焦げそうなほどの真後ろを、想像したくもない熱が通り過ぎた。
跡がどうなっているかなど、もう確認する暇もなく、倒れそうになった体を、軽く地面を叩いて立て直し、走る。
「オラ、逃げんじゃねえ……テメェ、何で避けれやがる……!?」
「なんでで、しょー、ねー?」
ぜひ、ぜひ、と。
息が切れる、頭が痺れる。吐血したように喉から血の味が湧き上がってきた。
たった数発の攻撃で、最早僕はギリギリである。
得意なのだ、見ることは。
一回既に……いや、身代わりの獣人さんも含めれば、二回もこいつの魔術は見てる。少しだけ、予測することも可能だ。
でもそれだけだ。
あんな化け物と、素直に渡り合える力なんて、ない。
地面についた時に、擦り切れてしまった手の平がジクジクと痛んだ。
――ティア様、ごめんちょっとこれヤバイよう。
さ、三人分! 三人分ちょうだい!
――欲張りさん。三人分も欲しいの――?
だってこのままじゃ死んじゃう!
僕、もう死にたくない!
死んだら、だって。
っ、ガロンさんとか、悲しむし……。
――他には――?
アロマさんも、ピュリアさんも、エルちゃんも、エヴァさんもセルフィさんも、ええと、アリスさんはどうかなー……!
――……他には――?
い、意地悪しないでよ! クリス、クリスが悲しむ、悲しむよ!?
――……他には――?
……僕が死にたくねえっつってんだよぉ。
ケチってねえで、さっさとちょうだいよティア様。
――そうよ。それでいい――
――生き汚さを無くしちゃ駄目。それを忘れないでね――
――はい、どうぞ――
――とくん、とくん、とくん。
どくん、どくん。
ドク、ドク、ドクドク。
心臓に、血液が巡るのが、聴覚と触覚で分かる。
きぃん、とした耳鳴りの後、視覚が白黒を経てセピア色に切り替わり、夜の暗さがどこかに消え、周囲の建物や障害物の輪郭がくっきりと浮かび上がる。
走りながら、右足が三秒前に蹴った小石が、二回跳ねて止まった時の様子が、既に後方にあるのに手に取るように把握できた。
走っている自分の骨の軋み。筋肉繊維の伸縮、神経伝達の電気の流れが、イメージで感じ取れる。
ああ、懐かしいこの感覚。
初めて禁断の果実を口にした時の、この感覚、全能感。
僕は、僕は今また、人を少しやめてしまった――。
――分かっているでしょうけど、あの男。炎使いだけど、詠唱を省略して使用しているわ――
――うん。ひひ、ひひひ。威力は強力無比。
――ただし、使用前には一定の動作が必要な様ね。右腕を毎回振りかぶっている――
くふ、ちがう。あれフェイク。
こっち誘ってる。あいつの魔術は、呼吸に依存してる。呼吸動作のリズム。
魔術使う時にいっつも喋ってるのは、それ誤魔化す為。
――右腕しか使っていないように見えるけど――
熱が左腕にも溜まってる。こっちも使えるみたい。
くく、右腕しか使ってないのはそう見せてるだけ。それも、フェイク。
――倒せそう――?
……一応目標は逃げ切ること、だけどね。
難しいけど。でも、うん。
いける。




